じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

旅に出たい!!!

2014-03-23 16:33:43 | 日記的雑談
旅に出たい・・・その心は,帰りたい時のあのジレンマが堪らなく好きだから・・・一種の変態か?

ナニかに例えると・・・ほら,臭いと分かっている靴下の臭いをわざわざ確認して大騒ぎする人とかに似てるかも知れない。

旅は好きなんですゼ・・・死ぬ程好きなんですけど,ナニが至極かと言いますと,旅先で酷い思いをして這々の体で家に帰り着き,狭い風呂場のあまり綺麗でもない風呂桶に沈み,ヴゥヒャァ~とか唸って温まり,そして,粗末な晩飯を納豆などで喰らい,クライマックスは,自分の臭いが染み込んだ布団に潜り込む事であります。

と,言う事で,旅に出るのは「ただいまぁ~」と、家に帰る日の喜びの瞬間を味わうためなのであります。

分かるかなぁ~? わかんねぇだろうなぁ~?

再来月か? タイに二月程出掛けるのは・・・待ち遠しいなぁ~夢と股間が脹らんじまうぜ。

いや,旅に出ると夢と同時に股間は脹らむモノなのであります。
しかし,大抵の場合は,常識的思考や良心の呵責やら,女房の顔など脳裏をかすめ,歯を食いしばって思い留まる事に成る,らしい。

しかし,天下御免の無職で,恥も外聞も無い私は・・・以前からと何も変わる所無く,相変わらず破廉恥な訳でありまして,股間はそりゃぁナニであります。

なぁ~んてね・・・嘯いてみてますけれども,来年還暦ですぜ・・・赤いちゃちゃんこを着せられてお祝いですぜ・・・願望でありますよ。
飽くなき願望で,俺は未だ男なんだと思い込みたいだけの悲しい男の性とでも言いましょうか・・・まっ、現実は推して知るべし,皆まで言わせるな、であります。

そんな訳で,近頃は若い時のように未知の国を求めて旅立つよりは,勝手知ったる安易な国とか,下手したら最寄りの駅から近くの温泉までとか,陽気が良いのでバイクで一寸,と言うのでさえ旅であると宣っちまったりする訳です。
そんな訳で,フィリピンは訳あって控えてますんで,似たようなムフフでウフフな国と言うと,勢いタイに行っちまう訳であります。

ロシアに行きたいんだよなぁ・・・ロシア美人見にさぁ~,ねぇ? 貴方も行きたいでしょ? あの透き通るような白い肌に絹糸で出来ているのかと見紛う金髪・・・あ゛あ゛、堪らん。

外国人のロシア入国手続き簡素化法案承認

アレ,ネパールみたいにビザは必要でも入国時に貰える手段も有れば良いのにね。
東京に住む人は良いだろうけど,仙台の田舎者じゃロシアのビザを貰いに東京まで行くってのは現実的じゃない訳で・・・プーチンにメールして見っかぁ?
日本人なんて大人しいんだから、行った先の国で面倒を起こす確率は諸外国中でも殆ど最下位でしょう?
まっ、日本人に成り済まして悪さするやつが幾分か居るんでアレなんだけれども。

最もセクシーな国TOP10、日本は

いや,結構異論反論を宣いたい気分のランク付けですけど・・・7位のイギリスは,あの国の食い物と並んであんまし興味無いなぁ・・・美人とセクシーは別モンだぜぇ?

で,10位のイタリア女性は・・・あの支局長のリポートを見る限りではもっと上だろうと思うし。

まっ、ロシア・アメリカはその辺で良いとして・・・コロンビアとプエルトリコはなぁ~でも,ロシアと言い切らずに,元のソ連邦と括ったら,ヤバイ結果だと思いますぜ。

あと、身贔屓でアレなんだけれども・・・フィリピンのメスティーソも捨て難いですぜぇ。
メスティーソと言うのはスペイン人とフィリピン人の混血なんだが,良いですか,少し考えれば簡単に分かる事なんだが・・・スペイン人がフィリピン人の土着民の娘に手を出すとしたら,不細工と美形のどっちを選びますかね。
いや,フィリピン娘と言っても,マレー系・中国系・チャモロ系・インド系と,多彩な訳です。
ここで私の個人的な経験と観察から導き出した答えを披露すれば,インド系の女性にスペイン人の男が最高の組み合わせだったんじゃないんだろうか?

ああ,相撲を見る時間だ・・・ンじゃ。

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思い出を見つけた

2014-03-23 08:54:39 | 旅と感想
2005~2006年のノートを見つけた。

2005年 12月 某日
好きなように生きてみたいものだと思い続け,それが出来無いのは子供だからだと思っていたが,この歳になっても未だ実現できないでいるのは,大人でも好きに生きられないのか、それとも未だ子供なのか?

2005年 12月 某日
シングルモルトに勝る美味いものは有るのか?
自分が手にしうる飲み物で最高のものだと思ったが、しかし,うまい水も手強いな。

2005年 12月 某日
本屋へ行った。
この界隈では最大規模の大型店舗で、二ヶ月ぶりだった。
今日の店内は様子が違っていた。
本棚に本が少なくてスカスカだった。
そして本屋が下品になって行く気がした。
雑誌と実用書ばかりが目立ち,売れなそうな重い本は隅っこに少しになった。
本屋がダメになるんだろうな。

2005年 12月 某日
北風の寒い一日だった。
信号待ちで車の窓から見たバス停に並ぶ人の姿が下北半島の猿に見えた。
北風をやり過ごすのに少し屈んで顔を伏せた姿が良く似ていると思った。

2005年 12月 某日
本屋へ行って「能率ダィアリー」を買った。

2006年 某月 某日
樋口一葉の五千円札を上手く折ってパクパクと動かすと彼女が笑うのを知った。

2006年 某月 某日
三田さんと打ち合わせ。
七日間の予定で行き先はバンタヤン島。
行った事が無いので予算が立てられない旨を伝えたら成り行きでOKとのこと。
20万円前金でお預かり。

2006年 某月 某日
ショップツアーの下請けを受注。
行き帰りのアクティビティーを工夫して欲しいとの要望。
うちは小規模の純粋なダイビング屋なので出来ないと断わったら、先方は怒ったようだ。

2006年 某月 某日
●△さんの予定と見積もり。
ダイビングは3日 6ダイブの予定。
58000+12040= 70000P なので15万円の請求にした。
しかし航空券がとれていない。
最悪はマイレージを使ってビジネスか。

2006年 某月 某日
新幹線 遠くの景色は動かない すぐ近くは目が回る。
初めての遠近両用眼鏡で目が回って酔いそう。

2006年 某月 某日
要求するものに対して支払った料金と,得たものの落差が生じた場合の対処はどうすれば良い。
精一杯の提示で満足してもらえなかったらそれより上は出来ない。
その場合,金銭の多価に対して不満ならお金で済むのか?
そもそも,人によって違う要求度と満足度なんか俺には読めない。
サービス業って底なし沼。

2006年 某月 某日
堅い仕事の打ち合わせで開口一番仙台弁で挨拶をした。
その瞬間に相手の顔色が少し変わった。
訛って話すと少し舐められるが,話しは柔らかく進む。
俺の勝ちだったな。

2006年 某月 某日
新幹線の指定券を持って座席に行くと老夫婦が座っていた。
そこは間違い無く自分の席なのだが,少し混んでいるので他に二人並べる席は無さそう。
東京まで行ったとしても2時間。
デッキにダイビングバックを置いてそれに座った。

2006年 某月 某日
サムイ島は何度目か? ますますミニプーケットになっている。
ドゥマゲッティーで50ペソ 125円程度のキャップを1500円だと言う恐ろしさ。
昼飯にスペアリブを食べた。味噌風味?
味は悪く無かったが豚肉が冷凍だった。
フィリピンで冷凍の豚なんて,冷凍庫を持つ大金持ちしか喰わない代物だ。
小瓶のビールが200円も高い。
金はATMからいくらでも出て来るが,気持ちが許せない。

2006年 某月 某日
バイクでホテルに戻る途中でチャンゲ(ビサヤ語で市場の事)を見つけた。
屋台の飯屋が沢山並んでいて納得の行く味と値段で嬉しくなった。
これが有れば長期間でも滞在できる。
市場にはフルーツマーケットが有ってランソーニスを売っていた。
タイ語でナント言うのか分からないので指差して1キロ買った。
ドゥマゲッティーだと1キロ80円だが、身構えながら値段を訊くと80円だった。
一気にサムイが好きになった。
ただ、バナナは1本10円で,ドゥマゲッティーの2~3円よりは高い。
観光地として成り立つサムイの表の顔は外国人向けで生活者のための場所は別。

2006年 某月 某日
ホテルは60ドル。
早く安い所に移らないと支払いがとんでもないので明日は引っ越そう。
しかし一度荷を解いて落ち着くと面倒だ。
労力と支払いを計りに掛けて,さてどうするか?
あの店の娘は自分の中では直球でストライクなのに何故に一人で戻って来たか?
キングサイズベットで泳ぐ一人きりの俺って、異変だ。
結局はフィリピンでもタイでもやってる事は同じ。
呑んで潰れて眠るだけ。

2006年 某月 某日
ノートを開くと自己嫌悪。
なんて汚い文字なんだ。 書いた自分でも読めない文字が。
文字の乱れは線路のきしみ 愛の迷いじゃ有りません,か。

2006年 某月 某日
今日は何もせずビーチバーで昼間から呑んでいた。
晴れた空に南風が心地良く幸福感で一杯だった。
呑みつつ,色々考えて,女房に感謝。
今は亡き父に感謝。
そして,まだ生きてる母にも感謝。
序でに,海にも空にもタイ人の物乞いの子供にも感謝。
このビーチで俺に話しかけるのって,物売りと乞食だけ。

2006年 某月 某日
街から随分遠くのホテルに引っ越した。
素泊まり一泊20ドルだと言うのを朝飯付きで18ドルにしてもらった。
街から遠い分だけ地元の人が利用する店が多く物価は格段に安い。
既に美味い飯屋発見。
俺の勘ってアジア諸外国向きだ。

2006年 某月 某日
18ドルの宿は海の真ん前 オンザビーチ。
朝食はこじんまりとしたアメリカン的セット。
小瓶を1本頼んでトーストとベーコンをつまみに朝から呑軽く呑む。
レストランから見える海がエメラルドグリーンに輝いている。
見た目は良いが緑の海は透明度が悪くダイビングには向かない。
もっと遠くに行かなくてはスポットは見つからないのかも。

2006年 某月 某日
もう9時過ぎだと言うのに彼女は起きる気配がない。
夜中2時までやっているバーの娘だものいつも昼過ぎまで寝てるのだろう。
朝飯は10時までなので一人で食べた。
今日は彼女の案内で島を一周する。
大まかなロケーションを掴んでからダイビングに向きそうな場所をピンポイントで攻める。
街と海を調べるのを目的にやって来たのだがそれは自分に対する言い訳かも?

フィリピンから逃げ出したい理由はなんだ?
続けられない理由はなんだ?
新しい場所を求める理由はなんだ?

永住権もビジネスビザも持たず、ツーリストで入国してエクステンションで滞在。
家を建て,船を持ち,現地人を雇って曲がりなりにもダイビングサービスを営む。
これが維持できる理由は賄賂で,イミグレも警察もお見逃し。
しかし,最初少なかったシロアリは年毎に増殖しこのままでは喰い尽くされる。
逃げなくては成ら無い。
新たなる地を求めて進出か,敗退か?
どっちでも良いんだが,今はそんな事よりサムイ島が楽しい。

2006年 某月 某日
サムイ島がタイの田舎村だった頃、いわゆるバックパッカーにも成ら無いヒッピーのような輩が葉っぱを求めてたむろしたのが始まりらしい。
昨夜のドイツジジイが自慢げに教えてくれた。
電気も無いビーチでありとあらゆる快楽の三昧に耽ったのだそうだ。
時期的にはフィリピンでも数カ所似たようなことが起っていた頃か。
ボホールのパングラオもその一つだ。
懐かしいが決して戻れない。

2006年 某月 某日
サムイ島でダイビングは俺には無理だ。
自分が求めるスタイルのダイビングは無理だ。
観光客と素人相手の体験ダイビングで稼ぐしかない。
本気でやろうと思ったらクルーズで行ける船が必要で投資が大き過ぎる。
やーめた。

2006年 某月 某日
何処でも少し馴染むと嫌な事も目につく。
ここの事情に慣れるよりは勝手知ったるドゥマゲッティーへ戻るべきか。
しかしそれを断ち切りたくてここに居るのだから本末転倒。
今日も娘は朝食に間に合わなかった。
いつまで居座るのか。
午前中を彼女に制約されるのが鬱陶しい。
ホテルを替えて逃げるか?
意を決して追い出そう。

2006年 某月 某日
調べれば調べる程この地でのダイビング屋は資本金が掛かる事が判明。
ひっくり返った亀の子か、ダルマさん。
自分に言い訳しなくて澄むだけ楽だ。
やりたくても資金が無い現実。
歳だからとか,海が悪いからとか言わなくて済むのは楽だ。
玉砕する以前に戦に赴く事さえ出来無い事を知ったのは幸い。
追い出したら金をくれとごねるだろうと思ったら素直に出て行った。
店まで送ってくれと言うので乗せて行った。
洗濯をしてるから夜に店に来いと言う。
見つめるんじゃない。

2006年 某月 某日
レストランではなくホテルのビーチバーで朝食を食べた。
バーのボーイにここのテナントでダイビング屋が入った事は無いのか問う。
今は無いが以前は有ったらしい。
無意味だと思ったがテナント料を聞いてみた。
意外にも土産物屋の雑貨屋のテナント料を知っていた。
安いものだった。
しかし,ここでは商売に成ら無い。
彼女が朝食ギリギリに起きて来た。

片言の英語も怪しい彼女を見ていると罪を感じる。
またフィリピンに戻るのか。 
マングナオに帰るしか無いのか。
鶏と豚の鳴き声で起こされる朝がお似合いなのか。
日本に帰ると言う選択肢が漢字で迫って来る。

女は小さな声で
「カヌサ カ バリック?」いつ戻る?と訊いた。
その目は自分の気持ちを探っていた。
「アンボット ラン」分からないと言うと
「イカウ デリ ナ カ バリック?」
もう戻らないのか?と言ってしがみついた。
「アヤウ パオリ」
行かないで、と見つめる目から大粒の涙が流れた。

タイのこの娘は英語が苦手だから無口なのでは無さそうだ。
ノーンカーイからで出来て知る人も無い街で家族のために働く。
この娘の向うにドゥマゲッティーの彼女の顔が浮かぶ。

2006年 某月 某日
娘を店に送り届け閉店頃に迎えに来ると言って隣のビーチへ行った。
雨に降られて飛び込んだ小さなバーでビールを呑んだ。
店のタイ娘のボーイフレンドらしき白人が同じようにスブ濡れで飛び込んで来た。
カウンターの下から出した煙草を娘から受け取った。
煙の臭いから良い物だと分かったが知らぬ振りをしていた。
俺が気になるのか,チラチラとこちらを見る。
暫くして,吸うか?と,チビたのを手渡した。
とても久しぶりに吸ったが,かなり良質なローカルの煙草だった。

2006年 某月 某日
行く所がなく彼女の店に行ってしまった。
素知らぬ顔で他の客と四目並べに興じている。
何度かこの店に来て見知っていた若いオカマが俺に張り付いて離れなかった。
LB駆け出しで見た目は未だボーイそのままだが仕草が可愛いのでビールを奢った。
行きずりの関係なのに彼女が熊のようなロシア人と話す姿を見るのが嫌だった。
黙って店を出てホテルに戻った。
夜中に誰かに送られてホテルに来た。

2006年 某月 某日
彼女の起きる時間が少しずつ早くなって一緒に朝食を食べた。
日本から出るとBombeeと名乗っている。
ゲームのキャラを真似た訳では無い。
ずっと昔から貧乏をひっくり返すと言うポジティブな意味でBombeeを名乗っている。
しかし,所詮は貧乏は逆立ちしても貧乏なのか外国ではツキが無い。
金を稼ぐにも日本ならわりと容易に何とかなるし。
帰ろうか。

夜,飛び込みで入ったバーでオーストラリア人の爺様に捕まった。
若い頃にこの辺で遊んだ事があると言う自慢話を聞かされて辟易した。
席を立とうとするとまぁ座れよとビールを奢ってくれた。
爺様がいい加減酔った頃女房が迎えに来て連れて行った。
暇だった。
ドイツ人とビリヤードをして大負けして600Bも巻き上げられた。
今夜も彼女は誰かに送られて戻って来た。

2006年 某月 某日
彼女とボーリングに行った。
街の外れのショッピングセンターと併設のボーリング場はがら空きだった。
料金と所得水準を計れば空いているのも頷ける。
全自動でスコアーが画面に出る最新式のレーンだった。
ふたりとも殆どゲームにならなかった。
だって俺ベロベロに酔っぱらったんだもん。
ゲームをしながら酒も呑めるし食事も出来るので呑み過ぎた。
帰り道は彼女の運転でホテルに戻った。

夜,店に行ったら彼女のボスから意見された。
閉店後の事だから口出ししたくは無いけれど,幾らかでも払ってやってくれと言われた。
オカマのボーイが睨んでいたのでビールを奢ってやった。
彼女の友達がま俺にきつく言った。
彼女は連れ出そうとする客を全部断わっているから儲けにならない。
俺が責任もって面倒見てあげなければ可哀想だと。
毎晩勝手に来るのにと言いたかったが黙ってビールを呑んで頷いた。

2006年 某月 某日
今日は店に行きたく無いと言うのでバイクで島を適当にドライブした。
途中で大雨に降られびしょ濡れになって雨宿りに安宿に入った。
彼女を抱いた。
勝手にホテルに来るようになってからは初めて抱いた。
彼女が泣いた。
自分もなんだか悲しくなって抱きしめながら泣いた。
二人とも涙でぐしゃぐしゃなのでキスは塩っぱかった。
結局朝までホテルに居た。

2006年 某月 某日
今日も店は休むと言ったが携帯に呼び出しが入っていた。
拙い事になりそうだと直感し,彼女に内緒で店に行った。
一週間分のペイバー(彼女を自由にする金)を支払った。
彼女に水着を着せたかったので街へ行った。
水着と着替えと身の回りの物を少し買った。
帰り道に「タイ鍋屋」へ寄った。
肉や野菜やエビや魚やラーメンを大量に食べる彼女なのに何故太らないのか?
食後にどぎつい色のアイスクリームを美味そうに食べる。
食べろと言うので舐めてみたが酷い甘さだった。

2006年 某月 某日
後数日でタイを離れる事を伝えた。
意外にも驚きもせず騒ぎもしなかった。
自分は,日本に帰るのか,フィリピンへ帰るのか決め兼ねて居た。
フィリピンへ行くなら航空券が必要だ。

今更ドゥマゲッティーに帰ってどうなるのかが想像できなかった。
フィリピンであいつはもう俺は戻って来ないと思って踏ん切っているはず。
今更戻ったらピエロになるかも知れない。
航空券も面倒だから日本に帰ろう。
明日飛行機の予約を入れよう。

2006年 某月 某日
街へ飛行機の予約をしに行くと言うと一緒に行くと言う。
まさかと思ったが一緒にバンコクまで行くのかと尋ねたらYESだった。
このまま店を辞めてノーンカーイに帰ると言う。
バンコクからのバス代くらいは出してやろうと思った。
夜,飲み屋に行って彼女と親しい娘に借金の有る無しを確認した。
良く分からないが前借りは無いはずだと言うので安心した。
勘が冴えていて、日本へ連れて行くのかと問われた。
パスポートも無ければ日本のビザも無いから無理だと答えた。
風に逃げるビーチボールを追いかける彼女の姿が無邪気だった。
砂まみれで戯れ合っていた時間が楽しくて少し泣けた。
結局飛行機は未だ取らなかった。

2006年 某月 某日
小さな旅行代理店で彼女の航空券と自分の予約を頼んだ。
明後日で急じゃないかと尋ねると店にある荷物は要らないから今でも行けると答えた。
バッグを買いに街を歩いていたら彼女の友達に出会った。
結婚したのかと問われたらしく照れながら否定していた。
ボックス型のガラガラを買おうとしたがディパックが良いと安いナイキの偽物を買った。
何かに付け地味で質素な方を選ぶ。
身の回りの物ももう少し必要だろうと思い自分で買えと5000B渡した。
マッサージ屋に居るからと言って別れた。
凡そ一時間後,計ったように戻って来た。
買い物はどこの娘も楽しいらしくいつに無い笑顔だった。
安そうなポリバッグに入った着替えや下着はショッピングセンターの物では無く市場近くの路上の店で買った事を物語っていた。
お釣りだと言って3500Bを返して来た。
彼女の手を取ってショッピングセンターに行きジーンズと少し気の利いたTシャツとスニーカーを買った。
時計売り場の隣に指輪やペンダントが有った。
18金なら大した価格じゃないので小さなペンダントを買って首に掛けた。
生活に困ってすぐに売り払われるのだが今は飾ってあげたかった。

2006年 某月 某日
夕日を反射して雲が黄金色に輝いた。
バンコクエアウェーズには枕も毛布も無く,寒くて寝られなかった。
ホテルに荷物を置き夕食に出掛けた。
少し良いレストランに入った。
彼女が落ち着かない様子なのでさっさと切り上げた。
路地裏では英語が通じないので彼女が主導権を取った。
屋台に腰を下ろしぬるいビールを呑む。
彼女は別の屋台からフルーツジュースを買って来て飲む。
彼女の家に行ってみたくなった。
しかし悪ふざけはここまでで十分だ。

2006年 某月 某日
バスターミナルまで送ると言うのを断わってホテルを出た。
昨晩も静かだった。
とてもすっきり,客と旅人の関係で清算される。
少しの時間だったけれども,塩っぱいキスもしたのに少し拍子抜けだった。
タクシーを拾えそうな所に立ち「フォンさようなら」と言った。
彼女は目に一杯の涙をためて俺の目を見つめていた。
「電話番号は絶対に替えないからタイに戻ったら電話をちょうだい」と言った。
「うん約束するよ」と答えてタクシーを見送った。

これは、実話のようなフィクションです。





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