じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

懐かしの歌 その9

2018-12-28 17:01:23 | 想い出の唄
前回までは1982年か1983年の新曲だけのページを参照して書いていたんですが、本日からは「歌手別ベストヒット」から拾うことになりました。

で、当然「あ」から始まる訳でして「あ」で一番早いのはと見当をつけてみると・・・「ああ・・・」は無いので「あい・・・」かと思うんですが、あいざき進也、かな❓

まっ、ページを開いてみましょう。

ナントぉ~ あいざき進也はもっと後なんですね、で、出たのが「アイ・ジョージ」でありまして、赤いグラス・ガラスのジョニーの二曲が載っておりました。

が、この歌は知ってますけれども自分の年代ではリアルタイムで思い出を絞り出すことはでき無いので却下であります。

で、次に出たのは「あおい輝彦」でありまして、曲は「あなただけを」であります。

1976年発売ですので自分は21歳でありますか❓ 
いや、この歌は知っているんですけれども自分はあおい輝彦というと役者のイメージが強く、ネタにできるほどの思い出が無いのであります。

さて、次の歌手は・・・「青江三奈」でして、そーなると曲は「伊勢佐木町ブルース」であります。

これは1968年の曲でして、自分は14歳・・・中学生ですかぁ~❓

で、歌詞の内容なんてガキに分かるはずも無いんですが、ドゥドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥバー 灯がともる、の処だけが脳みそに染み込んでいるのであります。

と、言うことで、この歌もなんの思い出も思い入れも無い歌でしてネタにできません。

いや、青江三奈さんの「盛岡ブルース」はカラオケで歌えるレパートリーとして馴染んでいるんですけれども、それはその地で歌うとウケが良いという、営業の悲しい性の産物でして好きだ歌っていた訳では無いのでやっぱし割愛であります。

そして登場するのが・・・青山和子が歌う「愛と死を見つめて」であります。

が、これは歌の思い出というよりも映画でありま。
しかも、映画を見た思い出というのがとても変な思い出でありまして、まっ、いわゆる、忘れようとしても思い出せない類のものな訳であります。

いや、この映画の封切りは1964年だそうで、自分は9歳であります。
小学2年くらいですかね❓ 
アレです・・・恋愛映画なんて見たもチンプンカンプンと言いますか、意味不明であったと記憶しております。
で、見に行った映画館は東日の出と言う参番館なので封切りの翌年ですかね、翌々年かもしれませんで、10歳か11歳になっていたのかも、であります。

で、思い出は何かというと、大きなスクリーンの真ん前に座っちまって動く画面を目で追っていたら酔ったらしく気持ちが悪くなった、と言うことであります。
いや、あれから暫く映画ってのは気持ちが悪くなるものだと思って敬遠していた訳でありまして、そのトラウマから抜け出すのは網走番外地シリーズにハマる頃までと、長かったのであります。

いや、このシリーズもだんだんと手詰まり感が否めないんですが、フォークソングが出ましたらネタがあるんですけれども・・・まっ、そう言う事なんであります。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの歌 その8

2018-12-25 16:55:44 | 想い出の唄
懐かしの唄と銘打っている以上知らない歌では話にならない訳であります。
しかし、前回の45ページから先は歌謡曲というよりも演歌の部類に入ったようでして、はっきり言って知らない歌ばかりなのであります。

アレです・・・昭和51年頃まで、自分は訳あって有線放送が入っている店でバイトをしていた訳であります。
なので1981年までの歌なら殆ど全部知っている・・・まっ、あまりに古い歌は有線で掛からないと言いますかチャンネルが違うんで聞いてないんですが、それでも当時の年齢にしては古い歌も知っていた訳であります。

しかし、只今参照している歌の本が1983年のヒット曲から始まっていまして、ちょうど自分が流行歌に疎くなった時代になる訳であります。

と、いう事で、1983年に左程流行らなかった演歌は流石によく知らないのであります。

が、捨てる神あれば拾う神ありとは良く言ったもんであります。
大ヒット曲がありました・・・あの有名な、アレです!!!

作詞.作曲 小椋佳 歌 梅沢富美男

夢芝居

恋のからくり夢芝居 
台詞ひとつ忘れもしない
誰のすじがき花舞台
行先の影は見えない
男と女あやつりつられ
細い絆の糸引きひかれ
稽古不足を幕は待たない
恋はいつでも初舞台

いや、一番を全部書いちまいましたが、まっ、歌詞がわからないと先が見えないので仕方が無い訳であります。

このころの梅沢富美男は下町の玉三郎と呼ばれ大衆演劇の花形だった訳であります。
まっ、そんな事は敢えて書かなくても皆様ご存知と思いますが、でも、この歌の味噌はそこだと思うんであります。

流石に小椋佳でありますね。
完全に梅沢富美男をイメージして歌詞と曲を作り上げていると思う訳であります。
舞台役者の梅沢富美男に歌わせるために書いた詩と曲ですから嵌らないはずが無いんであります。

そして、文字としては殆ど意味が無い言葉を紡いで曲に乗せると恋の舞台が見えるのであります。
それを歌唱して演じきったのが梅沢富美男・・・曲を作った小椋佳はまさしく天才と思いますが、それを絵にした梅沢富美男もまた大した役者であるな、なんて思うんですが、ドーでしょうか❓

さて、1983年 昭和58年はどんな年でありましたでしょうか❓

本日のニュースで知ったんですが、錦織圭くんがハワイアンオープンでラオニッチを下して優勝したんだそうであります。

と、いう事でハワイつながりで引っ張る訳でも無いんですが・・・ワイアン・オープンで青木功が日本人初のアメリカPGAツアー優勝を果たす。
と、いう事で、これは快挙でありましたね。
青木と尾崎って・・・まっ、中島もいましたかね❓
日本人ゴルファーなんて世界では目糞か鼻糞だった時代にアメリカに出て行った青木が優勝したんですから、そりゃぁインド人もびっくり、でありました。

またこの頃は猫も杓子もゴルフでして、ゴルフやらないとサラリーマンとしては先が無いと言われた時代であります。

で、その他には・・・東京ディズニーランド開園とか大韓航空機撃墜事件なんてのが起こっている訳であります。

そして・・・出かける時は、忘れずに、のCMもこの年なんだそうであります。
ねっ、CMにジャック・ニクラウスって、ゴルフブーム時代の象徴でしょ❓





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの歌 その7

2018-12-23 16:33:01 | 想い出の唄
総ページ数435もある歌の本を捲って参照している訳であります。
で、本日は45ページ目でありまして、まだ1割しか進んでいないのであります。

先は長いなぁ・・・まっ、一気に端折るのも可能ですが出来れば末長く引っ張ってネタにしたいと思いますのでよろしくお願い致します。

と、言うことで、本日は「めだかの兄弟」であります。

作詞 荒木とよひさ 作曲 三木たかし 歌 わらべ であります。

ススメの兄弟が 電線で

大きくなったら何になる

大きくなったら鷹になる

大きくなったらペンギンに

チュンチュン チュンチュン~

だけど 大きくなっても

すずめはすずめ~ チュンチュン

と、まぁ、こんな歌でありました。

いや、この歌を拾う前に迷ったのがアルフィーの唄う「メリーアン」でありました。
しかし、歌詞をネタにしたくて拾った場合メリーアンを今読み返すととても空虚といいますか、まっ、曲と切り離して文字にするには辛いものがあるなと思ってやめた次第であります。
いや、この歌にイチャモンをつけるつもりは毛頭無い訳でして、時代がそう言うイメージを受け入れていた・・・勢いがあったんですね、日本に、ナンちゃって。

さて、スズメの兄弟は鷹になれなかった訳ですが、以下には子猫の兄妹が兄は虎になると言い、妹はライオンになると語ったんですけれども、やっぱし猫は猫だったと。
で、次はメダカの兄妹でして、大きくなったら鯉になり、また鯨になると言ったんですが、やっぱしめだかはめだか~スイスイ、で終わる訳であります。

私ゃこの歌を聴いた時、これは笑い話の歌であると思い微笑ましく聴いた訳であります。
まっ、曲が軽いといいますか幼児や子供でも歌える童謡タイプであったことも歌詞の意味を読み違えた原因と私ゃ思います・・・が、はいっ、異議を認めます。

が、しかし、本日只今読み返してみたら・・・笑えないどころか泣きたくなっちまう程に切ない歌じゃありませんか。

いや、マジで涙さえ流しそうになった訳でして・・・俺の人生そのままだなとつくづく、そしてしみじみ思ったのでありました。

オラぁめだかの子だったんだなぁ・・・大きくなったもめだかはめだか~、と。

さて、1983年(昭和58年)・・・のヒットチート・15位までを記しますと

1位 大川栄策:「さざんかの宿」
2位 細川たかし:「矢切の渡し」
3位 わらべ:「めだかの兄妹」
4位 薬師丸ひろ子:「探偵物語/すこしだけやさしく」
5位 佳山明生:「氷雨」
6位 杏里:「CAT’S EYE」
7位 松田聖子:「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」
8位 中森明菜:「セカンド・ラブ」
9位 アイリーン・キャラ:「フラッシュダンス」
10位 ラッツ&スター:「め組のひと」
11位 原田知世:「時をかける少女」
12位 ヒロシ&キーボー:「3年目の浮気」
13位 中森明菜:「1⁄2の神話」
14位 村下孝蔵:「初恋」
15位 日野美歌:「氷雨」

と、なる訳なんですが、皆様の心に残る思い出の歌はどれでありましょうか❓
私ゃ松田聖子ちゃんのSWEET MEMORIESですかね。

いや、今のバイト先の営業終了のお知らせの曲がこれなんであります。
で、これを聞いたら間も無く解放される訳でして・・・まっ、そんな理由であります。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの唄 その6

2018-12-20 17:59:12 | 想い出の唄
本日のお題は「ボヘミアン」であります。

葛城ユキがど迫力の歌声で聴かせたボヘミアン・・・ところで、ボヘミアンってナニ❓

いや、漠然とは知っているんですけれども、正確を期すために調べてみたら、まっ、大体思った通りでありました。

Bohemian (=ボヘミアの住民。移動生活をするジプシーに対して言った称)

おっ!!!スズキのジプニーはアメリカのジープから来てると言うよりもジプシーから発生しているのかも❓ 調べてみようっと。

で、ボヘミアンなんですが、歌詞がドーのコーのと言うよりも葛城ユキの声だけの記憶になる訳であります。

自分は葛城ユキはボヘミアンのヒットの後に出た1983年発売のL.A SpiritsというCDを一枚持っているだけなんですが、どんな曲が入っていたのか思い出せないんであります。

いや、探してみました・・・で、音を出してみたんですがこんな曲記憶に無い、でありました。

ナント申しましょうか、あまりにも個性的な声と歌い方のためにどの曲を聴いても同じ味に感じるという・・・まっ、好き好きでありましょうけどね。

さて、ボヘミアンを選んだページにはepoの「う・ふ・ふ・ふ」や山下達郎の「高気圧ガール」なども有るのでどれでも良かったんですけれども、敢えてボヘミアンにしたのは作詞が「飛鳥涼」だったからであります。

あの、お騒がせをした飛鳥涼さん・・・やっぱし音楽に関しては昔から凄い人なんですね。

で、ボヘミアンの日本的解釈の意味を見ると・・・「世間の習慣など無視して放浪的な生活をする人」とある訳です。

ナルホドなぁ・・・飛鳥さんはボヘミアンだったんですね。
だから自由にシャブってみたりしたくなる人だったんですね。

で、歌詞の中に・・・Oh ボヘミアン ためらいがちのさよならと 「また来る」の言葉残して立ち去った男・・・と、あるんですが、ここはこの歌の肝でありましょうか❓

場末の酒場にふらりと入りちょっといい女が居ると口説いては遊び「また来る」と言って絶対二度と行かない・・・あぁ、飛鳥さんは遊び人だったんだなろうなぁ~と、妄想する訳であります。

と、いう事で葛城ユキの「ボヘミアン」は自分にはナンの思いでも無い歌でありました。

さて、1983年とはどんな年でありましたでしょうか❓

・初代農林水産大臣・中川一郎代議士が自殺する

・大韓航空機撃墜事件起こる。

と、二つ選んでみましたが、自分としては中川一郎の自殺がナントもカントも切ない事件であったな、と思うのであります。

いや、息子の中川昭一も重ねて書きたいところですがそれだと10ページ書いても終わらないので端折ります。

今はネットの時代なので調べれば色んな事が出てくる訳ですが、中川一郎は自殺では無くCIAに消された説を自分は信じております。

簡単に書きますと、ソ連の工作員コワレンコと接触していた中川一郎を危ない人物としてアメリカがCIAを使って消した、と言う説であります。

まっ、自殺説を裏付ける証言や状況証拠は山ほど出ているんですけれどもそんな物は本人が死んでいるのでドーにでもできると思うのであります。

そして、自分がCIA説を信じる根拠に・・・NHKの取材の質問に対してCIAは「中川一郎に関する情報は、国防および外交上の機密に関するため、いかなる情報も公開できないと回答してきた」と言うのを読んだからであります。

なにっ❓ あなた様は全く興味が無い、ですか❓
まっ、興味を持とうが持つまいが消費税は上がるし歳はとる訳であります。

でもね、東西冷戦が終わって今日ただいま・・・また別の枠組みで世界が動いている訳であります。
そんな世界で日本の立ち位置って気になりませんか❓ 

まっ、ならないんでしょうなぁ・・・。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしの唄 その5

2018-12-19 16:41:08 | 想い出の唄
思い出の歌と題してはいますが、そんなに劇的な人生を歩んでもいない訳です。
なので適当に選んだ歌に思い出なんて無いのが正直な話なのであります。
が、そー言ってしまっては身も蓋も無い訳でして、講釈師見て来たような嘘を言いの喩えを受け、私も嘘八百を並べ立てようと思う次第であります。

作詞 作詞 康珍化 作曲 林哲司 歌 上田正樹

悲しい色やね

いや、私はただの今まで大きな勘違いをしていました。
この歌の題名を・・・悲しい色やねん、と信じて疑わなかったのであります。

にじむ街の灯を    ふたり見ていた  
Dm    Am7   B♭m7 F Em7 A7

桟橋に止めた 車にもたれて・・・と、こんな感じの歌い出しであります。
この歌は今でも譜面無しで弾いて歌える、自分の大好きな歌であります。

何と申しましょうか・・・まっ、はっきり言って音域が狭く唄いやすい割には聴かせやすい、と勝手に解釈しております。

しかし、弾き語りなら最後の繰り返しを適当に端折って終われますけどカラオケだと延々と続く・・・ 

HOLD ME TIGHT 大阪ベイブルース
今日でふたりは 終わりやけれど・・・

で間が持てなくなるのであります。
この歌をカラオケで唄って最後まで聞かせられる人はそーいないと思うんであります。

ほほぉ・・・自信がおありですかぃ❓ 
義理で付き合う人以外は大概飽きて雑談してますぜ・・・これホントです。

で、私の記憶が確かならば上田正樹はインドネシアに住み込んじまったはずであります。
そしてこの歌を英語で歌って彼の地でもヒットさせたと風の噂に聞いている訳であります。

いや、自分もフィリピンにいた時に英語でこの歌を唄っていた訳でして・・・Tonight we're watching city lights From a car, down by the sea We count the twin、と、まっ適当ですけど、こんな感じであります。

しかし、ナント申しましょうか、上田正樹さんもお歳を召したのか、若い頃の歌い方とは違って当然と思いますが、後の方で出したアルバムなどに収録されている「悲しい色やね」は私としては好きじゃ無いのであります。

シンプルさが良かったのに、妙に艶といいますそんなものを出そうとしちまってぶち壊したな、と思うんですが、蓼食う虫も好き好きですからね。

さて、1982年とはどんな年であったのか❓

・タモリ司会の番組「笑っていいとも!」「タモリ倶楽部」が放送開始。

・NECがパーソナルコンピュータPC-9801を発売。

と、まぁ、他にも色々あるんですけれども、自分が選んだのはタモリとPC98でありました。
で、タモリのことは語らずとも皆様ご存知のことでありますが、PC98は残念でしたね。
私はパソコンの世界と言いますか業界は全く知りませんけど、エロゲーとか美少女モノなら98だったと、記憶している訳であります。

しかし、残念なことに品行方正な私はその頃既にMacの道にはまり込んでいましてヨダレを垂らしながらPC98用の豊富なHなソフトを横目で見たいたのでありました。

アレです・・・1985年発売と言いますからエロゲーもお盛んになり伸び盛りの頃でありましょうか❓
「天使たちの午後」と言う、名作はMacしか知らない私でも知っているのであります。

と、言うことで、あれこれ書くのも面倒になってきたので拾ってきた1982年のヒット曲ランキングを張っておしまいにしたいと思います。

1位 あみん:「待つわ」
2位 薬師丸ひろ子:「セーラー服と機関銃」
3位 岩崎宏美:「聖母たちのララバイ」
4位 中村雅俊:「心の色」
5位 細川たかし:「北酒場」
6位 中島みゆき:「悪女」
7位 近藤真彦:「ハイティーン・ブギ」
8位 サザンオールスターズ:「チャコの海岸物語」
9位 近藤真彦:「情熱☆熱風☽せれなーで」
10位 近藤真彦:「ふられてBANZAI」
11位 松田聖子:「渚のバルコニー」
12位 松田聖子:「赤いスイートピー」
13位 Sugar:「ウエディング・ベル」
14位 郷ひろみ:「哀愁のカサブランカ」
15位 松田聖子:「小麦色のマーメイド」


自分的には14位 哀愁のカサブランカ が懐かしいですね。
今でもたまに聴いてますし、他の歌手のも聴いております。

あなた様の心に残った思い出の曲は15位以内にありましたでしょうか❓

では、また。





コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする