前回までは1982年か1983年の新曲だけのページを参照して書いていたんですが、本日からは「歌手別ベストヒット」から拾うことになりました。
で、当然「あ」から始まる訳でして「あ」で一番早いのはと見当をつけてみると・・・「ああ・・・」は無いので「あい・・・」かと思うんですが、あいざき進也、かな❓
まっ、ページを開いてみましょう。
ナントぉ~ あいざき進也はもっと後なんですね、で、出たのが「アイ・ジョージ」でありまして、赤いグラス・ガラスのジョニーの二曲が載っておりました。
が、この歌は知ってますけれども自分の年代ではリアルタイムで思い出を絞り出すことはでき無いので却下であります。
で、次に出たのは「あおい輝彦」でありまして、曲は「あなただけを」であります。
1976年発売ですので自分は21歳でありますか❓
いや、この歌は知っているんですけれども自分はあおい輝彦というと役者のイメージが強く、ネタにできるほどの思い出が無いのであります。
さて、次の歌手は・・・「青江三奈」でして、そーなると曲は「伊勢佐木町ブルース」であります。
これは1968年の曲でして、自分は14歳・・・中学生ですかぁ~❓
で、歌詞の内容なんてガキに分かるはずも無いんですが、ドゥドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥバー 灯がともる、の処だけが脳みそに染み込んでいるのであります。
と、言うことで、この歌もなんの思い出も思い入れも無い歌でしてネタにできません。
いや、青江三奈さんの「盛岡ブルース」はカラオケで歌えるレパートリーとして馴染んでいるんですけれども、それはその地で歌うとウケが良いという、営業の悲しい性の産物でして好きだ歌っていた訳では無いのでやっぱし割愛であります。
そして登場するのが・・・青山和子が歌う「愛と死を見つめて」であります。
が、これは歌の思い出というよりも映画でありま。
しかも、映画を見た思い出というのがとても変な思い出でありまして、まっ、いわゆる、忘れようとしても思い出せない類のものな訳であります。
いや、この映画の封切りは1964年だそうで、自分は9歳であります。
小学2年くらいですかね❓
アレです・・・恋愛映画なんて見たもチンプンカンプンと言いますか、意味不明であったと記憶しております。
で、見に行った映画館は東日の出と言う参番館なので封切りの翌年ですかね、翌々年かもしれませんで、10歳か11歳になっていたのかも、であります。
で、思い出は何かというと、大きなスクリーンの真ん前に座っちまって動く画面を目で追っていたら酔ったらしく気持ちが悪くなった、と言うことであります。
いや、あれから暫く映画ってのは気持ちが悪くなるものだと思って敬遠していた訳でありまして、そのトラウマから抜け出すのは網走番外地シリーズにハマる頃までと、長かったのであります。
いや、このシリーズもだんだんと手詰まり感が否めないんですが、フォークソングが出ましたらネタがあるんですけれども・・・まっ、そう言う事なんであります。
で、当然「あ」から始まる訳でして「あ」で一番早いのはと見当をつけてみると・・・「ああ・・・」は無いので「あい・・・」かと思うんですが、あいざき進也、かな❓
まっ、ページを開いてみましょう。
ナントぉ~ あいざき進也はもっと後なんですね、で、出たのが「アイ・ジョージ」でありまして、赤いグラス・ガラスのジョニーの二曲が載っておりました。
が、この歌は知ってますけれども自分の年代ではリアルタイムで思い出を絞り出すことはでき無いので却下であります。
で、次に出たのは「あおい輝彦」でありまして、曲は「あなただけを」であります。
1976年発売ですので自分は21歳でありますか❓
いや、この歌は知っているんですけれども自分はあおい輝彦というと役者のイメージが強く、ネタにできるほどの思い出が無いのであります。
さて、次の歌手は・・・「青江三奈」でして、そーなると曲は「伊勢佐木町ブルース」であります。
これは1968年の曲でして、自分は14歳・・・中学生ですかぁ~❓
で、歌詞の内容なんてガキに分かるはずも無いんですが、ドゥドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥビ ドゥバー 灯がともる、の処だけが脳みそに染み込んでいるのであります。
と、言うことで、この歌もなんの思い出も思い入れも無い歌でしてネタにできません。
いや、青江三奈さんの「盛岡ブルース」はカラオケで歌えるレパートリーとして馴染んでいるんですけれども、それはその地で歌うとウケが良いという、営業の悲しい性の産物でして好きだ歌っていた訳では無いのでやっぱし割愛であります。
そして登場するのが・・・青山和子が歌う「愛と死を見つめて」であります。
が、これは歌の思い出というよりも映画でありま。
しかも、映画を見た思い出というのがとても変な思い出でありまして、まっ、いわゆる、忘れようとしても思い出せない類のものな訳であります。
いや、この映画の封切りは1964年だそうで、自分は9歳であります。
小学2年くらいですかね❓
アレです・・・恋愛映画なんて見たもチンプンカンプンと言いますか、意味不明であったと記憶しております。
で、見に行った映画館は東日の出と言う参番館なので封切りの翌年ですかね、翌々年かもしれませんで、10歳か11歳になっていたのかも、であります。
で、思い出は何かというと、大きなスクリーンの真ん前に座っちまって動く画面を目で追っていたら酔ったらしく気持ちが悪くなった、と言うことであります。
いや、あれから暫く映画ってのは気持ちが悪くなるものだと思って敬遠していた訳でありまして、そのトラウマから抜け出すのは網走番外地シリーズにハマる頃までと、長かったのであります。
いや、このシリーズもだんだんと手詰まり感が否めないんですが、フォークソングが出ましたらネタがあるんですけれども・・・まっ、そう言う事なんであります。