なぁ~ンちゃって・・・でも、ホントに俺は雑草!!!
なんて事を声高に言わずとも自他ともに認定の完璧な雑草であります。
ドー言うんですかね?
社会的常識人の言う、一般常識を否定する好ましからざる人物って奴ですかね?
ナンて事を言いつつ話題は飛ぶんですが・・・。
本日、いんげん豆の収穫の時、序でに手近な雑草も引っこ抜いた訳です。
その事で、ドー言う訳か私の心が痛んだのであります。
いや、生き物としての雑草を引っこ抜いて抹殺した事への罪悪感と言いますか・・・まっ、早い話が可哀想だな、と思ったんであります。
アレです・・・上手く言えないんですけれども、畑は私が作った植物の管理社会だと思うのであります。
私が立てた計画に従って種が蒔かれ、苗がが植えられ、期待する形で秩序を保って繁殖してくれたら嬉しい、野菜の管理社会であります。
私が思い描く管理者会には生産性の無い雑草は生えていないのであります。
なので徹底的に除草され、目的外の植物には生えてもらっては困るのであります。
・・・生えてもらっては困る!!!
味噌は此処でありましょう・・・私の中の予定に無いので困るのであります。
が、雑草にして見たら柔らかく耕され肥料もたっぷりと滲みた大地は絶好の生息地であります。
しかも、雑草が生える事に拠る弊害はとても曖昧で排除する確固たる根拠も無いのであります。
と、言う事は、昔からの言い伝えと、見てくれと気分の問題かも知れない訳です。
これ、ナンと無く人間社会も一緒ですね。
人間として生息し易い場所・・・要するに快適な社会には雑草は要らない訳であります。
育てれば有用な美味しい野菜や美しい花が咲くと分かった種しか受け入れないのであります。
まかり間違って風に乗って飛来した雑草の種などが芽吹こうものなら早速排除であります。
で、思ったんですが、雑草とナスやキュウリの違いは私にとっての価値でありまして、植物としては同じ生き物なんであります。
んっ? 益物か否かを定義しているのは誰だ?と考えると、雑草を生み出しているのは「俺か?」と、なるわけであります。
で、ふと我を顧みたんですけれども・・・ブランド野菜とか言う以前にスーパーで特売のやや難ありの野菜でもない自分は、完璧に雑草だよな、と。
生息が許されるのは邪魔にならない野っ原や荒れ地、であります。
花や野菜の社会の皆様のお邪魔にならないように、目立たぬように生息しろ・・・と、言う感じですかね?
雑草的人間が畑を作ったら雑草を目の敵にして排除って、ナンダかなぁ~。
で、思う事は・・・此処なんだな、人間の本性って、であります。
奴隷でも奴隷頭になれば主人に寄り添って管理する側に回ろうとする性・・・これを野菜と雑草の関係に見た時、私は鎌を持つ手が止った訳であります。
何故に雑草を刈るのか?
インゲンの生育にそれ程邪魔か?
トマトの下草がトマトを枯らすか?
と、脳内議論が始まりまして日没に至った訳であります。
人間って・・・もとい、俺って、面倒くさい奴だなぁ~と、自分でも思うんですがね。
で、明日の予定は・・・庭の草刈りでありますので、何を言ってるんだかコイツは、であります。
なんて事を声高に言わずとも自他ともに認定の完璧な雑草であります。
ドー言うんですかね?
社会的常識人の言う、一般常識を否定する好ましからざる人物って奴ですかね?
ナンて事を言いつつ話題は飛ぶんですが・・・。
本日、いんげん豆の収穫の時、序でに手近な雑草も引っこ抜いた訳です。
その事で、ドー言う訳か私の心が痛んだのであります。
いや、生き物としての雑草を引っこ抜いて抹殺した事への罪悪感と言いますか・・・まっ、早い話が可哀想だな、と思ったんであります。
アレです・・・上手く言えないんですけれども、畑は私が作った植物の管理社会だと思うのであります。
私が立てた計画に従って種が蒔かれ、苗がが植えられ、期待する形で秩序を保って繁殖してくれたら嬉しい、野菜の管理社会であります。
私が思い描く管理者会には生産性の無い雑草は生えていないのであります。
なので徹底的に除草され、目的外の植物には生えてもらっては困るのであります。
・・・生えてもらっては困る!!!
味噌は此処でありましょう・・・私の中の予定に無いので困るのであります。
が、雑草にして見たら柔らかく耕され肥料もたっぷりと滲みた大地は絶好の生息地であります。
しかも、雑草が生える事に拠る弊害はとても曖昧で排除する確固たる根拠も無いのであります。
と、言う事は、昔からの言い伝えと、見てくれと気分の問題かも知れない訳です。
これ、ナンと無く人間社会も一緒ですね。
人間として生息し易い場所・・・要するに快適な社会には雑草は要らない訳であります。
育てれば有用な美味しい野菜や美しい花が咲くと分かった種しか受け入れないのであります。
まかり間違って風に乗って飛来した雑草の種などが芽吹こうものなら早速排除であります。
で、思ったんですが、雑草とナスやキュウリの違いは私にとっての価値でありまして、植物としては同じ生き物なんであります。
んっ? 益物か否かを定義しているのは誰だ?と考えると、雑草を生み出しているのは「俺か?」と、なるわけであります。
で、ふと我を顧みたんですけれども・・・ブランド野菜とか言う以前にスーパーで特売のやや難ありの野菜でもない自分は、完璧に雑草だよな、と。
生息が許されるのは邪魔にならない野っ原や荒れ地、であります。
花や野菜の社会の皆様のお邪魔にならないように、目立たぬように生息しろ・・・と、言う感じですかね?
雑草的人間が畑を作ったら雑草を目の敵にして排除って、ナンダかなぁ~。
で、思う事は・・・此処なんだな、人間の本性って、であります。
奴隷でも奴隷頭になれば主人に寄り添って管理する側に回ろうとする性・・・これを野菜と雑草の関係に見た時、私は鎌を持つ手が止った訳であります。
何故に雑草を刈るのか?
インゲンの生育にそれ程邪魔か?
トマトの下草がトマトを枯らすか?
と、脳内議論が始まりまして日没に至った訳であります。
人間って・・・もとい、俺って、面倒くさい奴だなぁ~と、自分でも思うんですがね。
で、明日の予定は・・・庭の草刈りでありますので、何を言ってるんだかコイツは、であります。