じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

兼六園に 行ってみた

2017-07-22 19:41:21 | 軽トラで行った 山陰の旅
石川県は、あの有名な「兼六園」に行ってみた訳であります。

もー、今更シロートが多くを語るべき場所では無い訳でして、下手に語っちまったら,もの言えば唇寂し秋の風、ってな感じで、梅雨も開けていない我が家地方に寒い風が吹いちまいます。


面白い積み方だが、建物あっての石垣、か?


普通に素晴らしい日本庭園に人が溢れている


石橋と琴柱灯籠と、さり気ない石 美しい


流石に大名庭園 思いつく限りの贅沢な庭


雪見灯籠と石橋と松 言う琴無しの組み合わせ

いや、天下にその名の轟く兼六園・・・食事に喩えたら、懐石料理の所々にうな重が饗されたり鮎の塩焼きも出て来たり、下手したらすき焼きも喰えよな、と勧められている感じとでも申しましょうか・・・和食=日本庭園の様式てんこ盛り、であります。
まっ、枯山水はドーすんのよと言うのはアレなんですが、石と松と水、財力の成した業と言いますか、権力者にしか出来ない庭だな、と思いました。

で、ご存知の事とは思いますが、兼六園の名前の由来は・・・中国宋の詩人「李格非」が書いた「落葉名園記」の文中から、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼備すると言う意味で「兼六園」となったと・・・パンフに書いてある訳です。

ここに行ったのが土曜日の昼頃だったんですよね・・・日時を間違った感じで小汚いオッサンは場違いでありました。

で、外国人も沢山居まして、へぇぇぇぇ~と観察してたんですけれども、コレなんでこんな形なの? 何の意味があるの? と、外国語のパンフレットも読まず、殆ど日本庭園の下知識は無い模様で、かき氷が秒殺される炎天下にゾロゾロ歩いても面白くネェだろうなぁ~ナンて見てましたけど。

で、兼六園のあとは一気に家まで帰るつもりだったので大事な事は腹ごしらえ、でありました。
なので観光地の門前で飯は喰うな、と言う親の遺言を無視して、とても安そうな、まっ、ハッキリ言って貧相な飯屋に入ったんですけれども・・・塩味の牛肉丼一杯、キュウリ二切れと味噌汁付きで1000円、と言う高級な牛丼など食して軽トラを走らせた訳であります。

いや、兼六園の周囲には美術館やらナニやら沢山在りまして見ようと思ったら2日は必用かと思うんですが、今回の目的は「庭」と言う事で止めた次第であります。

兼六園もソーですが、今回見て回った庭は四季折々の顔がある訳でして、言ってみれば今時は一番味が薄い季節な訳であります。
だからこそ色に惑わされずに形やら配置、そしてそれらの総合的な趣などが見られたとも思う訳です。
しかし、桜の季節やら紅葉の時期に見たら見事だろうな、と言う庭が殆どでして、結果から申し述べれば・・・夏の炎天下に日本庭園巡りはあまり好ましい物ではなかった、と言う結論に達したのであります。

コレにてこの旅の一切はお終いであります。

長々と読んで頂き恐縮至極であります。
では、皆様の今後のご多幸とご健勝を祈願しまして私の挨拶とさせて頂きまして・・・さようなら、合掌。



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那谷寺に 行ってみた

2017-07-21 20:51:57 | 軽トラで行った 山陰の旅
那谷寺・・・石川県は小松市那谷町の古刹であります。

私しゃこの手の古刹に出会うと切に思う事がある訳です・・・廃仏毀釈から良くぞ逃れてくれました、と。
まっ、闇の向こうの明治維新とその後の動乱・・・神道(天皇)を無理矢理担がん為に推し進めた廃仏毀釈に対して、ナンて事をしやがったナンだと憤りますし、その後の日本国の歩みはこれで良かったのか? ナンて事をしみじみ想った時代も有ったんですが、今となってはそれを踏まえつつ・・・いや、認めると言う事では無く、結果的に今の日本はこれなんだから仕方が無いよな、と言う後ろ向きの感覚なんですが、やっぱし現実は今なのだと言う事で、古寺、古刹に出会うと、まずは良かったなぁ~と、想う訳です。

いや、この前に立ち寄ったのが福井の一乗谷の朝倉氏の遺跡だった訳ですが、那谷寺の坊舎などは朝倉影隆に焼き尽くされたんだそうであります。
250ヶ坊もあったと言われる那谷寺・・・ドンだけの僧が学び修行したのだのでありましょうか?

なぁ~ンて事はパンフを読めば書いてありますんで、もしも訪れた際にはキッチリと御浄財を喜捨し有り難いパンフを貰って下さい。


この道をどれ程の僧が通ったのか?


さり気ない手入れ 自然だと言うけれど・・・


長い年月 僧が鐘楼に歩み 道が掘れたのか?


美しさと威厳に圧倒された 護摩堂


修験道では無いけれど そこそこ歩きます


遊仙境 歩いて周遊出来ます 名勝です


三重塔 山中で敷地が狭く引きが取れません


ご本尊 十一面千手観音(33年振り御開帳)

いや、岩窟の中の小さなお堂に小さな観音様が祀られていたんですけれども、台座の金ピカと暗さに惑わされご本尊の存在を知らずに適当にシャッターを切った訳です。
そしたら、小さな千手観音像が写っていたと言う、不思議な御縁でありました。

で、33年に一度の御開帳に当たっただけでも強運なのに、さらに、大枚1000円も納めまして、ご祈祷までして貰った次第であります・・・いや、住所や名前も記帳してちゃんと読んでくれるらしいですゼぃ。
ナンなんでしょ・・・普段は偶像崇拝は否定派なんですが、この日は素直に喜捨したくなっちまいました。
恐るべし十一面千手観音様・・・。


この先本堂

赤い鳥居が見えますが、この辺りに違和感を感じるのは考え過ぎでありましょうか?


琉美園 (自然派の日本庭園)

いや、那谷寺のホントの狙いは琉美園だった訳です、が、もう寺全体が名勝と言いますか、自然体の名庭園な訳でして、正直行って琉美園はおまけになっちまいました。
いやいや、良い庭なんですよ・・・しかし、ここで自分の趣向がハッキリと掴めました。
さぁ~見て頂戴、凄いでしょ,的な庭は好きじゃないと言う事であります。
刈り込まれて形の整ったツツジや松やヒバなんかがキレイに列んでいる庭はどれを見ても一緒・・・言ってみれば、ボリショイサーカスと木の下大サーカスの違いみたいなもんでして、自分としては、明確な違いが分からず、あぁソーですか、と言う事になる訳であります。

いや、日本庭園を愛でる趣味は未だ始まったばかりですので刈り込みばかりと分かっている庭も積極的に見に行く所存ではあります。
が、これからは庭として有名ではなくても古刹があったら立ち寄るべし、と、決めた次第であります・・・寺、いいなぁ~・・・信心は薄いですが。

いよいよ最終回 兼六園 へつづく







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丸岡城 へ行ってみた

2017-07-19 20:02:10 | 軽トラで行った 山陰の旅
まず最初に言っときますけど、山陰から越前への旅も予定ではあと三つで終わりますからね。
いや、分かっているんですってば・・・もう飽きてるって。
でもね、こう言う性格ですからね、書き始めた以上は予定の所までやらないときが済みませんから、どーも、済みませんね。

と、言う事で、丸岡城であります。

越前丸岡城・・・福井県坂井市丸岡町に在る小さな城でありました。
で、丸岡城と言うと知らない人も多いかも知れませんけど「日本一短い手紙の館」で知っている、と言う人が多いかも。
その館はお城と同じ敷地内にあって、城の入場券を買うと同時にそっちの館も入れる仕組みであります。
が、私は訳あって見に行かなかったんですけど。
なんで短い手紙の館なんて物が有るのかと申しますと・・・「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の有名な短い手紙の本多作左衛門所縁の地だからなんだそうであります・・・本多作左衛門の息子が後に丸岡城の城主になるんですね。


この地方はホントに石の庭が多いですね


小さな弩迫力? 私は好きであります


凛とした姿 しみじみ 城だなぁ~


急な石段は防御の為か?


天守閣から見下ろす庭

丸岡城の石垣は端正とか美しいと言うよりは質実剛健と言いますか、まっ、言ってみればこれこそ野面積だ、と言う感じで私しは好きです。
で、すぐ傍が近江でありますから石垣を積んだのは穴太衆で、石垣も穴太衆積み、とパンフレットには書いてありました。

で、今は国の重要文化財ですけれども、昭和23年の福井大震災で倒壊するまでは国宝でありました・・・復元なので位が下げられた?
しかし、日本最古の天守閣だと書かれていると言う事は、天守閣は残ったと言う事でありましょう・・・材木の草臥れた感じなどからたぶんそうだと思います。

ナンと申しましょうか、大きな城を眺め、圧倒的迫力に溜息をつくのも悪く無いんですけれども、このような、機能としては大きな城と遜色の無い小さな城を見ると、城の仕掛けとその役割がとても良くわかる訳であります。
私はこの手の質実剛健実用的な城が好きだなぁ~・・・。

いや、城には特徴的な事柄が沢山有るんですけれども、まっ、私が書く事でもないと思うんで端折ります。

で、付随する資料館なんですが、面白い物がありまして「中将棋」と言うモノです。

駒が沢山在って面倒臭そうですが・・・

いや、私が無知なだけでして、今でも生きている将棋だそうであります。
で、江戸の頃、特に武家で将棋と言えばこれだったとか。


達磨下坂大身槍

その他にも戦国時代の槍など展示されていたんですが、多少腕力に自信のある私ですが、アレを振り回すとか突き出すなんて芸当は出来ないと思いました・・・とても武将にはなれません。

さて、庭なんですが、再現なのか、それとも公園整備で作られた庭なのかは分かりませんが、良いモノでありました。
いや、島根・鳥取・福井と庭を見て来て思った事は、やっぱし本場であるな、と言う事であります。
あまり手入れの良く無い庭でも基本は透かし剪定が為されているか、為されたあと、な訳です。
東北と言うと現場の仕事ではドーしても刈り込みが主だったりして、透かしって少ないと思うんですよね。
アレかなぁ~? 仙台あたりの親方衆は二言目には京都は違う、と言うんですけれども、技術の事は敵わないにしても気持ちと言うか姿勢が違うんじゃ無いのかな? ナンて思ったんですけど・・・シロートが何をほざくか、でありますね。

那谷寺 へつづく






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一乗谷朝倉氏遺跡 に行ってみた

2017-07-18 19:28:37 | 軽トラで行った 山陰の旅
ここへは突然行く事になった訳でありまして、時間的余裕が無く、無理してスっ飛んで行ったのであります。
と、申しますのは、先に訪れた養浩館で庭の手入れをしていた若い庭師と話し込み、他にお勧めは無いかと尋ねた所、石組みを見るなら価値有り、と勧められたのが一乗谷朝倉氏遺跡だった訳であります・・・しかし、その時既に5時少し前、有料施設は閉館して入れないだろうけれども庭や石組みは見られると言うので飛んで行った次第であります。


諏訪館跡庭園


低い石組みだが力強さが漲る


石は一つでも悪く無いが組んだ時に生きると思う


殿様が「今戻った」と言い、若い奥方が黙って頷く


門だけなのに安普請の我家より威厳がある

いや、勉強になりました。
この前に「静」の養浩館を見た事がそうさせたのか、この庭は「動」と言うか、力の漲る石組みが見事であるなと魅入った次第であります。

庭を見るのに必用な館は既に無く存在の意味を失った庭ではありますが、往時を偲ばせる石組みの力強さは少しも色褪せる事無く私を魅了したのでありました。
武将の館の庭と言いますか、実際は朝倉義景の妻の館でありますが、戦国の世を彷彿とさせる物でありました。

で、写真の他にもかつては水をたたえた池と石組みだったであろうと思われる「湯殿跡庭園」がある訳です。
こちらの石組みはもっと荒々しく,その気勢も鬼気迫る物を感じるんですけれども、惜しむらくは水が無いので鶴亀の岩と思われる中島も今一つ判然としない訳であります。

恐らく、館が健在であった頃の庭には滝があり水が豊富に走っていた物と思う訳です。
それを想像しても十分見応えのある庭でありましたが、本音は、水の流れが有ったらどれ程見事であったか、と思ってしまうのでありました。

余談ですが・・・石組みと石垣の違いはご存知ですか?
簡単に言うとキレイな表の中には大小の石が詰まっているのが石垣でして、石組み、若しくは石積みは単に石を積み上げただけ、と言う事になります。
なので排水などを考慮していない石積みは人の背丈程度が限界と言われている・・・らしいであります。

いや、やっぱし時間切れで武家屋敷や町人屋敷の再現村は見られなかった訳です。
残念ですけれども、素晴らしい石組みを見られただけでも若い庭師に感謝であります。


越前 丸岡城 へつづく





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御泉水屋敷 に行ってみた

2017-07-18 16:33:48 | 軽トラで行った 山陰の旅
天橋立を早々に立ち去り、目指したのは、割りと本命の福井市の養浩館庭園・・・旧御泉水屋敷でありました。

アレです・・・庭を見に行ったんですが福井市の歴史博物館とセットになってまして、しばし福井市の歴史など学んじまった訳であります。
いや、けっこう戦火にやられているんですね・・・こう言う歴史を見るといつも思うんですが、知られていない街でも普通に戦争の惨事は有ったのだな、と言う事で、日本人ってホントに終わった事に寛容と言いますか、大仰に蒸し返さない民族であるな、ナンて関心した次第であります。
いや、戦中の惨禍とその後の展示や写真を見ると終戦と同時にGHQと米軍を歓迎している笑顔には、毎度複雑な思いにさせられます。


石と池と水辺の草の調和は見事でした


建物が庭に対して主張しない、これも調和ですね


見事な仕立ての松と石の配置


石と岩で構成する人口とは思えない浜


殿様の座から眺める庭


水に浮かんで見える館

いや、この庭には何も言えません。
見事だとか美しいなんて言葉は無用でありまして、これこそが日本庭園のの真髄と言った感じでありました。
敢えて拙い表現をしてみれば・・・侘びと寂びが備わった静寂の庭、とでも申しましょうか。

静かであります、が、人気が無いからの寂びではなく、空間の広がりがそれを作り出しているのだと自分は感じたのでありますが・・・。

で、館と庭は来訪者にとても寛容でして、館は殿様の御座まで立ち入り、座り込んで庭を眺められるのであります。
閉館時刻まで、ズーッと眺めていたい気分で有りました。

庭は、石の配置や植栽の妙など見るべき物は多いのですが、そんな見方をしていたら、庭に些末な事に捕われて見るな、と笑われそうな雰囲気であります。
石も木も館も、全く主張する事無く全体としての調和で成り立っていると感じる庭でありました。
戦後再建された庭ですが、再現した庭師に感服であります。

最後に庭師見習いとして・・・極上の透かし剪定も素晴らしいもので、これ見よがしに刈り込んだ丸物仕立ても無く、何もかもが自然なのでありました。

いや、ホントーの本物に出会っちまうと多くは語れないと言いますか、ホント、何も言えねぇ~でありますね。

一乗谷朝倉氏遺構 へつづく





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