第一章 2 自然の営みと縄文文化
貴方様は縄文文化について明るいですかぃ?
私しゃアレです・・・縄目の土器が出たので縄文、で、竪穴式住居と土偶と勾玉でほぼ90点は確保していたと記憶しているんですけれども・・・何分にも50年以上も前の事なんで定かではありませぬが。
で、教科書を読んでいて成る程なぁ~と唸ったのが「氷河時代の終焉とともに海水面が上がり大陸から分離し、暖流が日本海に流れ込んで気温が上がり針葉樹が後退し広葉樹が増え大型動物が絶滅し猪や鹿や兎などの小動物が増えた・・・これらのすばしこい小動物をとらえるために弓矢が発明され、犬を猟犬としてつかうようになった」の記述であります。
いや、自然の変化のその辺は知ってていましたが、猪や兎を捕るのに弓矢が発明されたとは驚きと言いますか、考えりゃ当然とも思いますけれども、しかし、縄文人賢かったんだな、と、唸っちまった訳であります。
ナンとなれば昭和人の私がナンの前知識も無く兎を捕ろうとしたら弓矢の発想では無く落とし穴程度の事しか思いつかないと確信するからであります。
更に驚いたのは、縄文土器に拠る煮炊きがおこなわれ、あく抜きなどの技術を発達させた、と言う事であります。
あく抜きでスゼぃ・・・ドングリやらを拾って生で齧っていたら猿ですけれども流石に人類であります。
煮て食べようとしたらエグかったんであく抜きをしたんでスゼぃ・・・既に相当の味覚を持っていたと見て間違いないでしょう・・・和食の技術のは既に縄文時代まで遡る事が可能だと言って良いと思うのは私だけでありましょうか?
しかし今イチ納得出来ないのが竪穴式住居であります。
穴を掘って屋根を掛けた住居・・・簡素であります、が、その理由であります。
ナンとなれば既に火を使い土器を焼き煮炊きが出来る文化を持っていたのに穴を掘って屋根を掛けた住居と言うのが解せないんであります。
で、無学な私が適当に考えたアレは・・・この時代の日本列島は雨が少なかったのかな?と、思う訳であります。
なんとなれば高台に作ったとしても穴を掘って床面を作れば水が溜まるのは必定・・・違いますかぃ? ナニっ? 狩猟採集の生活なんですぐに移動するから宜しい、とな? まっ、いいでしょう
ところが、青森の丸山三内遺跡では約5500年前の定住の跡が出て来ちまった訳であります。
しかも1500年もの長い間の定住である事が分かっているらしい・・・でストぉ。
で、既に農耕の痕跡や稲作(陸稲)も行なわれていたらしいけれども当時の日本列島は食料に恵まれていたので大規模な農耕や牧畜が始まるにはいたらなかった、そうであります。
なんか縄文時代が羨ましくなるのは私だけでありましょうか?
父ちゃんは弓矢を持って鹿狩りに行き母ちゃんは植物の採集に出掛け、竪穴式住居では年寄りが囲炉裏の番をしていた・・・でも乳幼児は母親と一緒でしょうね。
粉ミルクは無かったので母乳だったでしょうからね。
それにしても昭和頃の農村や漁村と大して違わない風景が展開していたのかと思うと胸熱じゃありませんかぃ? 日本人は昔から日本人なんでありますねぇ。
で、土偶やら漆塗りの装飾品なども出土していると言うのを鑑みますと生活にはゆとりがあり既に信仰もあったのかと伺える訳であります。
ちなみにこの時代の漆製品は世界最古だそうであります。
で、土偶なんですけれども、妊娠した女性をかたどった物だそうでして「縄文のビーナス」としてナニなんだそうであります。
いや、子供が国の宝であった事が伺え、そしてやっぱし「カカア天下」であったのかと私しゃ思うんですけれども・・・そこら辺もヤッパし日本的でありますねぇ。
いや、なんか縄文を少し齧っただけで気持ちがホンワカしちまったんですけれども・・・ナンと申しましょうか、太古の昔から「和」の文化なんでありますね。
それがずーーーーっと変らない日本人の気質なんでありましょう・・・だから争いの得意な国には意外とあっさりナニしちまうアレは否めない様な・・・。
貴方様は縄文文化について明るいですかぃ?
私しゃアレです・・・縄目の土器が出たので縄文、で、竪穴式住居と土偶と勾玉でほぼ90点は確保していたと記憶しているんですけれども・・・何分にも50年以上も前の事なんで定かではありませぬが。
で、教科書を読んでいて成る程なぁ~と唸ったのが「氷河時代の終焉とともに海水面が上がり大陸から分離し、暖流が日本海に流れ込んで気温が上がり針葉樹が後退し広葉樹が増え大型動物が絶滅し猪や鹿や兎などの小動物が増えた・・・これらのすばしこい小動物をとらえるために弓矢が発明され、犬を猟犬としてつかうようになった」の記述であります。
いや、自然の変化のその辺は知ってていましたが、猪や兎を捕るのに弓矢が発明されたとは驚きと言いますか、考えりゃ当然とも思いますけれども、しかし、縄文人賢かったんだな、と、唸っちまった訳であります。
ナンとなれば昭和人の私がナンの前知識も無く兎を捕ろうとしたら弓矢の発想では無く落とし穴程度の事しか思いつかないと確信するからであります。
更に驚いたのは、縄文土器に拠る煮炊きがおこなわれ、あく抜きなどの技術を発達させた、と言う事であります。
あく抜きでスゼぃ・・・ドングリやらを拾って生で齧っていたら猿ですけれども流石に人類であります。
煮て食べようとしたらエグかったんであく抜きをしたんでスゼぃ・・・既に相当の味覚を持っていたと見て間違いないでしょう・・・和食の技術のは既に縄文時代まで遡る事が可能だと言って良いと思うのは私だけでありましょうか?
しかし今イチ納得出来ないのが竪穴式住居であります。
穴を掘って屋根を掛けた住居・・・簡素であります、が、その理由であります。
ナンとなれば既に火を使い土器を焼き煮炊きが出来る文化を持っていたのに穴を掘って屋根を掛けた住居と言うのが解せないんであります。
で、無学な私が適当に考えたアレは・・・この時代の日本列島は雨が少なかったのかな?と、思う訳であります。
なんとなれば高台に作ったとしても穴を掘って床面を作れば水が溜まるのは必定・・・違いますかぃ? ナニっ? 狩猟採集の生活なんですぐに移動するから宜しい、とな? まっ、いいでしょう
ところが、青森の丸山三内遺跡では約5500年前の定住の跡が出て来ちまった訳であります。
しかも1500年もの長い間の定住である事が分かっているらしい・・・でストぉ。
で、既に農耕の痕跡や稲作(陸稲)も行なわれていたらしいけれども当時の日本列島は食料に恵まれていたので大規模な農耕や牧畜が始まるにはいたらなかった、そうであります。
なんか縄文時代が羨ましくなるのは私だけでありましょうか?
父ちゃんは弓矢を持って鹿狩りに行き母ちゃんは植物の採集に出掛け、竪穴式住居では年寄りが囲炉裏の番をしていた・・・でも乳幼児は母親と一緒でしょうね。
粉ミルクは無かったので母乳だったでしょうからね。
それにしても昭和頃の農村や漁村と大して違わない風景が展開していたのかと思うと胸熱じゃありませんかぃ? 日本人は昔から日本人なんでありますねぇ。
で、土偶やら漆塗りの装飾品なども出土していると言うのを鑑みますと生活にはゆとりがあり既に信仰もあったのかと伺える訳であります。
ちなみにこの時代の漆製品は世界最古だそうであります。
で、土偶なんですけれども、妊娠した女性をかたどった物だそうでして「縄文のビーナス」としてナニなんだそうであります。
いや、子供が国の宝であった事が伺え、そしてやっぱし「カカア天下」であったのかと私しゃ思うんですけれども・・・そこら辺もヤッパし日本的でありますねぇ。
いや、なんか縄文を少し齧っただけで気持ちがホンワカしちまったんですけれども・・・ナンと申しましょうか、太古の昔から「和」の文化なんでありますね。
それがずーーーーっと変らない日本人の気質なんでありましょう・・・だから争いの得意な国には意外とあっさりナニしちまうアレは否めない様な・・・。