じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

成都からカトマンズへ

2014-11-30 13:50:41 | ネパール旅日記 2014
2014年 11月4日 月曜日 CA437便にてカトマンズへ

成都のホテルも快適だった。
スタッフは若く明るく快活で、どことなく日本なら東北の少し田舎ののんびりした街の人たちか? と、言う雰囲気も自分の感覚に良く馴染み、滞在中なんら緊張が無かった。

中国は飯が美味いと思った。
入国以来大したものも食べていないのだが、それでも、在り来たりのフードコートのファストフード的食事でさえも美味いのだ。

昨夜の夕食はホテルのレストランで食べた。
日替わりディナーのお得なセットがあったのだが簡体文字が読めず私はランチの案内かと見逃してしまい、単品の高い料理のメニューに目を見張っていた。

文字を読んでも解らないので写真で決め、豚肉の煮込みのような物を頼んでみた。


とろけるように煮込んだ三枚肉 微かな香味が中国でした

レストランに英語の出来る係の人は独りしか居なくて、しかも彼女はこの場の総指揮者で忙しい様子。
私独りを相手にしていられず直ぐに居なくなり注文を出せずに困っていた。
すると隣の席に座っていた数人の学生風の男性の一人が英語で話しかけて来た。
注文は彼らが他の係の人に伝えてくれ、事無きを得た。
その後彼とは何の会話も無かったが、日本人である事を意識させられる事は無く、困った旅行者に手を貸しただけと言う雰囲気であった。

おいおい、抗日・反日の中国人は何処へ消えたのだ? と、余りにも日本人と変わるところの無い中国人を見続け自分の意識がすっかり変わってしまったのを感じた。

さて、豚の三枚肉風の煮込みは、八角がほのかに利いて絶品でした。
肉の下に敷き詰めてあったのは塩気の薄い高菜漬けのような物で、これが脂っ気の多い肉との相性が良く、周りに添えてある餡の無い饅頭の皮だけのような物と一緒に食べると美味かった。

本当はビールも飲みたかったのだが、先に外のコンビニで安い中国製ビールを数本買い求めてあったのでここでは我慢して部屋で飲む事にした。

さて、カトマンズ行きの中国国際航空 CA438便でカトマンズへ向かったのだが、またもや小型のエアバス319型機に乗せられ、私は閃いた。

今まで乗って来た飛行機の飛行時間は総て4時間未満なのだ。
成る程、中国国際航空の基本は拠点空港で乗換えの中継をする事で長距離の大型機を使わない仕組みなのだな、と。
効率の良い小型機の便数を飛ばす事で一機当たりの搭乗率を上げているのだな、と。
そして、TV・機内誌・毛布・枕と、凡そ素人が目に付く物でも無駄と軽量化を図っているなと伺える仕組みは、だからこそこの価格で仙台からカトマンズまで運んでもらえるのかと納得する物だった。


青いホイルの中身は「チキンライス」と言われたが


鴨肉のローストの入ったサラダが美味いんだなぁ~

飛行機の中でランチが出る時間帯を迎えるので少し期待していた。
しかもこの便は国際線だし、と。

はたして私は、供された中国国際航空のランチをいただきつつ、またしても噂に聞くのとは全然違う、香辛菜とザーサイで食べるご飯と鴨肉のローストのサラダの美味さに感激していた。

美人だが少し冷たい感じの客室乗務員が「チキンライス」と説明したご飯は、私の思い込みと違って「鶏肉のうま煮あん掛けご飯」のような物だった。
しかし、それは良い方の食い違いであり、ケチャップ味のチキンライスよりも遥かに上品なご飯に香辛菜とザーサイを散らして食べた美味さに、私は諸手を揚げて降参したい気分であった。

まあ、実際に食べた人から、そこまで言う程の物かと言う御意見もありましょうが、今の私は「中国好きかも知れない」の方へベクトルが向いていますから・・・。

私は、他のアジアの国へ出掛けると殆どの場合日本人かと言われるのだが、近頃では中国人かと問われる事も多くなった。
しかし、中国では私は完全に「人民」だと思われていた。
何故ならば、ただの一度も日本語はもちろん英語で話しかけられる事も無かったのだから。
英語が堪能な人の居た上海の土産物屋でも、北京のラーメン屋でも、相手は何の疑いも躊躇いも無く中国語で話しかけて来た。

中国人が私を中国人だと思い込むと言う事は、私は中国人っぽいと言う事か?
それはそれで少し複雑な気持ちではあるが・・・とにかく似てるんだな、と。

10時40分に成都を出て、予定通りの12時20分にカトマンズに着いた。
時差が2時間15分あるので実際の飛行時間は3時間半程だった。

カトマンズの空港に異変があった。
昨年は到着してからビザを貰うのに、観光客がごった返す列に1時間以上も列ばなければならなかったのだが、今年は列が無いのだ。

到着便や時刻の関係なのかも知れないが、アライバルビザのフロアーには数名の人しか居なくて、列ぶ人など皆無だったのだ。

到着時刻の妙もあるのかも知れなかったが、昨年は総ての期日のビザが同じ列で処理されていたのが、期日毎に別れた上に、料金を支払うカウンターとビザを貰うカウンターが別になりとてもスムーズになっていた。

私は1ヶ月のビザのカウンターを見つけ40ドルを支払い、僅か5分足らずで入国審査まで終えた。

空港へは今度のクライミングの手配をお願いしたツアー会社の人が迎えに来ているはずだったが私の名前を書いたカードを持っている人は見当たらなかった。
私はトランクを引きずりながら出迎えの人達が列んでいる通路の向う側へ行き日本人名らしい名前のカードを持った人の前を歩いてみた。
すると、全く違う名前のカードを持った人から声が掛かった。
話してみると間違い無く自分が手配したツアー会社の人であった。
彼曰く、この後の便だと思っていたとの事で、今は違う人の出迎えに来ているのだとか。

うんうん、そんな事では動じないし怒らないし、ネパール感覚は昨年嫌と言う程学習しているから平気ですよと、日本語の堪能な彼に英語で言ってやった。

ツアー会社の彼は本来ピックアップするべき日本人を待つとの事で私は一人タクシーに乗ってホテルに向かった。

ホテルはタメル地区のほぼ中心部で昨年散々散策した場所にあった。


少し遅い昼飯 チキンカレーとエベレストビール 600円くらい

友好的な中国人に助けられ何の苦も無くカトマンズに着いたように思っていた私だったがやはり疲れていたのか、昼飯にビールを飲んだら眠くなった。
しかし、朝にタイガービールを軽くやり、飛行機内でも鴨肉をつまみに三本程いただき、そして今、と、考えてみれば朝から飲み通しではあった。

うん、明日からは登頂を終えルクラに戻るまでまた禁酒だからなと部屋に引き揚げシャワーを浴びて少し寝た。


 追記

カトマンズの安屋との温水シャワーは太陽熱か電気温水器で温めているのだが、どちらにも欠点があった。
太陽熱は、亜熱帯なのでそこそこ強いのだがカトマンズでも標高は1400mを超えていて陽が陰れば急速に冷え込む。
では電気温水器はと言うと、慢性的な電力不足から計画停電が為されているので温めたお湯を保温し続ける事が出来ずやはり日没とともに冷めてしまう。
では、日中ならある程度熱いお湯が出るのかと言うと、元々お湯に対する温度感覚が日本人とは掛け離れているネパール人の感覚で言うお湯はぬるいのだ。
ホテルの料金で言えば、価格表で50ドルと謳っていて割引して25ドルから30ドル程度のホテルになると24時間熱いお湯が出て、場合に因ってはバスタブに溜める事も期待出来る。
しかし、10ドル以下のホテルでは、ホットシャワーと謳っていても、とても冷たい水が出る水道よりは温かい、日本人に言わせると、あまり冷たく無い水程度の物でしか無い。
もしもカトマンズへ旅する事があって、夜間に冷え込む季節だとしたら、あまりケチなことを言ってホテルを選ぶと哀しい思いをするので、そこは少し奮発した方が良いでしょう。
若しくは、ネットで評判の良い安宿はお湯も出ますから、それらをまめに探すのが得策です。
格安トレッキング会社が手配したタメルの安宿は危ないと思って見た方が賢明でしょう。

つづく


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上海から成都へ

2014-11-30 10:45:57 | ネパール旅日記 2014

2014年 11月3日 日曜日 上海発 成都行き CA4597便に乗る

タバコ臭い部屋とかシーツは替えてあるのか? 等々、アレコレ気になったホテルでは在ったけれども、結局は快眠し、すっきりと起きた。

当初は経費節約の為に空港の椅子で仮眠も考えたが、寄る年波や本来の目的がヒマラヤのクライミングである事を鑑み、そこまでは体力温存健康保持の方向で行こうとホテル泊を選んだのは正しかったようだ。

9:35分発の飛行機なのだが不慣れな空港の事を考慮して7時にはホテルをチェックアウトした。
昨夜デポジットを要求され預けた200元をしっかりと回収しターミナルへ向かった。

どうしようか~・・・昨晩食事をしたフードコートで朝食をとるか? 
いや、これだけ大きな空港なのだから他にもっと在るはずと先へ行って見る事にした。

国内線への搭乗にも関わらず荷物検査の他にパスポートチェックもあって国際線と殆ど変わらなかった。
しかし、それらの手続きは至ってスムーズに行われ煩わしいとか、無用な事を形骸的に漫然とやっている感覚は無く、アジアで独裁政権が長く続いた国などで感じる嫌な雰囲気はなかった。

チェックインが済み搭乗口に向かう前に機内持ち込み荷物のエックス線検査があった。
私のザックの中のT型の物が気になるらしく、若い男性係官がカウンターの若い女性係官にチェックを命じた。

若い女性の係官は美形であった。
しかも、中々流暢な英語で話しかけて来る。
私は楽しくなり、無駄な事を話しながら、君はこれなんだと思う?と尋ねてみた。
するとエックス線のモニターを見ていた先程の係官が「シェイバー」と笑いながら答えた。
彼も英語は堪能だった。

私はわざと驚いた風に少し大袈裟に、自分もそうだと思うんだけれど、君もシェイバーだと思うんなら問題無いじゃないか?と、言ってみた。
すると彼は、規則があってね、と言うニュアンスのことを言って笑った。

私は調子に乗って、これはプラスティックのT字型のひげ剃りなんだが、プラスティックと金属までは判断出来ないのか?と尋ねてみた。
すると、解るんだが、細かい事は秘密だと言った。

私はザックからひげ剃りを取り出し再度エックス線に通し解放された。
ここでの数分間の会話の中には官憲的な威圧や日本人への特別な意識は微塵も感じられず、今まで通ったアジアの国の中で一番好感が持てた。
アジアの空港の多くで感じる、係官が持つ特権意識みたいなものが皆無だったのだ。

若くて美形の女性係官は荷物を収め直すのを手伝ってくれ、良い旅を、と、言ってくれた。

ヤバイ・・・中国のイメージがどんどんと良い方に変わって行く。
抗日・排日は何処にあるのだ。

広いターミナルビルを右往左往する事も無く的確な案内表示でスムーズに歩いて行けた。

それにしても広い。
ターミナルビルの天井の高さ、奥行き、幅、と、何処を見ても余裕だらけなのだ。
そして、他のアジアの国の例としては、供用を開始した瞬間が一番素晴らしく、後は時間とともに劣化して行くのみと思っているのだったが、上海の空港で感じるのは、維持管理や清掃が行き届いているなと言う事だった。


まるで日本の空港と変わらない飲食店


ご飯とビールで約2000円は高いと思うが

幾つかの飲食店をやり過ごし、そろそろ先が見えて来てここが最後かも知れないと思しき辺りで軽食屋風の飲食店に入った。
店の構えと雰囲気を超えたメニューに喜んだのも束の間、それらの価格に腰が引けた。

食べ物は何を頼んでも1000円以上もするのだった。
私は簡体文字のメニューに「チンジャォロース」と書かれているらしいもの頼みつつ、タイガービールの小瓶を注文した。

朝からビールでもないだろうと言う控えめな気持ちは何処にも無く、どうせ飛行機に乗って成都に行くだけだからと暢気な旅気分に入っていた。
それと言うのは、少し緊張と用心を持って臨んだ中国の空港のトランジットや格検査が余りにスムーズで、海外では結構敏感な私の警戒系態勢が解除されたからだった。

しかし、気を抜けないのが空港施設内の飲食である。
チンジャオロースを繁体文字で書くと「青椒肉絲」であり、緑の野菜の細切りとしてピーマンが入っているとばかり思っていたら緑は無くて人参の赤が出て来た。
中国の青椒肉絲は豚肉が本当であると言うのは辛うじて知っていたのでそこは良いのだが、シャキシャキとしたピーマンを期待していたので少しガッカリした。
しかし、食べてみれば、黒胡椒が程良く利いたスパイシーな味は中々の物で、何かがシャキシャキとした歯応えも醸し出していた。
正体はタケノコかと思ったが定かでは無い。

そして、一番用心しなくては成らないのが価格であった。
チンジャオロースが1300円、タイで80円程のタイガービールが700円程と、私の想像を遥かに超えていたのだ。

中国なんだから安いだろうと言う先入観から価格に対するギャプを感じるのだと言うのは否めないが、タイガービールの小瓶が700円は凄過ぎるだろうと半ば憤慨しつつも、冷えたビールは美味かった。

成都行きのゲートは一番奥だった。
搭乗開始30分前に行ってみると待ち合いの椅子は殆ど埋まっていた。

昨日の仙台~上海便には機内に電気釜の箱を持ち込んであたふたしていた中国人のおばさんが居て微笑ましかったが、ここで搭乗待ちをしている人達は仕事での移動なのか、日本の朝のビジネス便の発着時と同じ雰囲気だった。

中国国際航空 CA4592便 定刻より15分遅れて出発。

成都 流し見 1(成都の街の感想 1)

成都 流し見 2(成都の町の感想 2)

成都街の感想は・・・↑ 上記リンクに書いています。


     追記

待ち合いの椅子に座って微笑ましい母子の姿を見ていた。
3才くらいの女の子と母親の姿であった。
そのうち子供が愚図りだしたのだが母親は無視して取り合わなかった。
やがて子供が泣き出すと母親は大きな声で子供を叱った。
もとより何を言ったかは解らないのだが子供はぴたりと泣き止んで母にすがりついた。

その間、廻りの中国人は殆ど関心も持たず無視であった。
母親が大きな声を上げた時にも誰も目さえ向けなかった。
中国での叱り方として日常の事なのだろうかと思った。

その昔し、私が子供の頃の日本の母親もそうであった。
問答無用のどやし付けるような叱り方は普通であったが、今は言って聞かせるような諭し方が多いような気がする。

どうと言う事の無い風景なのだが、私にはこんなところも中国を現している事のように思え興味深かった。

つづく


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日本を出発

2014-11-29 15:54:05 | ネパール旅日記 2014
2014年 11月2日 

15時25分 仙台空港発 上海行き 中国国際航空 CA156便に乗る

本日は上海泊まりである。
いや、もっとお金を出せばこの様なまるで各駅停車の飛行機になど乗らずに済むのだが、私は無職の身、時間はなんとでもなるが金は惜しい。
なので成田や羽田発も含め検討した結果、喩え上海や次の成都で宿泊費を支払ったとしても総合ではまだまだ安いのだ。
ちなみに仙台カトマンズの往復運賃は燃油サーチャージ込みで78000円であった。

エアバス319と言うのは初めて乗った。
片側3列、通路を挟んで6列仕様、128人乗りの小さな飛行機は国際線では久し振りである。
そう、今は全機引退したと噂に聞くボーイング727以来であった。

機内は6割程度の搭乗率だろうか、空席も目立つ。
乗客は、日本人8割で中国人が2割程度か?
日本語の堪能な客室乗務員は乗っていなくて、機内アナウンスの日本語はかなり怪しかった。

中途半端なフライトなので機内食はどうかと思ったが、予想通り、軽食的なもので質素であった。
私はこれが噂に聞く中国航空会社の機内食で、噂は本当だったな、と思った。

機内も簡素であった。
今時の国際線は短距離でなければ座席毎に一つのTVモニターがあって好きな映画やゲームで暇つぶしが出来るものと思っていたが、中国国際航空機には個人のモニターは無く、5~6席毎に天井からモニターがぶら下がってで来るものだった。
これは帰りの便でボーイング777に乗っても同じだった。

17時45分 3時間20分飛んでほぼ定刻に上海の空港に着いた。


案内板が完備され 広くて歩き易い

私はネットで予約した空港ビル内のトランジット用ホテルに向かった。
ネット上の噂では相当面倒らしく書かれていた入国審査や税関はいたってスムーズで、むしろ東南アジアの無駄にのんびりしたイミグレーションよりも好感が持てた。

出入国審査のカウンターには押しボタンが在って、それは係官の態度や処理の遅滞などを評価するシステムのようだった。
簡体文字なので読めるような気がしてそう思ったが本当のところは定かでは無い。
しかし、空港の至る所に旅行者には親切にしろ、と言う雰囲気のボードが掲げられていたので、おそらく中国はイメージの刷新に努めているのだと思った。

上海の空港はだだっ広いものだったが案内表示は解り易く迷う事も無かった。

チェックインし、部屋に荷物を置いて晩飯を喰いに出た。
ホテルを探して歩いていた時にフードコートを見つけていたのでそこへ向かった。


文字を見なかったら 日本と変わらない

看板の写真はどれも美味そうで迷った。
しかし値段的には安くは無い。
写真に釣られて入った店で牛肉の煮込みとご飯とスープ、キュウリの漬け物のセットを頼むと41元=約800円ほどであった。

牛生の煮込みは、美味かった。
筋だろうと思うあまり程度の良く無い肉をじっくりと煮込んであり、とろけるようで美味かった。

アジアの空港で食事をする時に常に思うのだが、その国の所得水準を完全に無視した、まるで国際協定価格でもあるかのような価格設定に憤るのだが、自国の労働者はここでは食べないから問題は無いと言う事か?

それから考えると仙台空港のカレーライスがスープ付で750円と言うのはとても良心的だと思える。

フードコートには酒類は無く、ホテルの下の隅っこに見つけた小さなコンビニでアサヒスーパードライを買った。
330ミリの缶が1本450円程もしてまたもや国際空港価格に驚かされた。

ホテルの部屋は日本の安いビジネスホテルよりも狭く、完全にトランジットの仮眠用と割り切った作りであった。
一番いただけなかったのは、禁煙室で申し込んであったにも拘らず、部屋はやたらとタバコ臭い事であった。

部屋は清潔とは言えずシーツも替えてあるのか怪しかったが、シャワーのお湯の出が良く熱いのが救いだった。

缶ビールを飲みながらケーブルテレビを見た。
ケーブルテレビのチャンネルの半分に習 近平が映っていた。
固より言葉は解らないが、どことなく、北朝鮮のTVと似たような雰囲気が在るなと感じた。
CNNの国際ニュースを暫く見ていたのだが、香港や日本のニュースは皆無だった。

中国でもテレビショッピングが盛んなようで金の延べ板の詰め合わせセットを宣伝していた。
金の純度を100パーセントと言い切っているのが凄い。
私は99.99パーセント・・・フォーナインを持って最高としていたと思ったが中国には100パーセントが存在していた。

同じCMが延々と繰り返され、ニュースを見ても習 近平の訪問を歓迎する農村風景ばかりに辟易してTVを諦め寝た。

空港内とも言える場所なのに飛行機の爆音も左程気にならず寝付けた。



つづく

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カトマンズ 少し郊外

2014-11-29 09:44:33 | 旅と感想
お釈迦様のお生まれが何処であるか? 貴方は知っていますか?
ヒョットすると「ルンピニー」と言う地名を聞いた事がある方も多いかも知れませんね。
未だ昭和が戦前の匂いを残していた頃には仏教系の私学は少なく無くて、そんなところが幼稚園など経営していると「ルンピニー幼稚園」などと言う名前がついていたりしたものです。
仙台市にもルンピニー幼稚園は在りました。

さて、私も名前だけは子供の頃から知っているルンピニーですが、それがなんであってどんな由来の物なのかなどは知りませんでした。
そして、仏教に感心を持ってお釈迦様の生い立ちなどを聞き齧り、ルンピニー生まれの釈迦族の人であったと言うのを知ってさえも、それはインドの何処かであろうと勝手に思い込んでいました。

ルンピニーがインド国境にほど近いネパールであったと知ったのは昨年の事でした。
しかし、気になって調べてみれば、そもそもお釈迦様の時代にはネパールは存在していないし、しかも、一国の王子として生まれている訳ですから、地理的には現在のネパール領では在るらしいが、ネパールの人であったとは言えないようです。
それとても諸説があって、ルンピニー説もある、と言う事のようですし。

私が何故にその辺りに拘るのかと言いますと、ネパール人には熱心な仏教徒が多いのですが、ネパールの仏教の源は総てチベット仏教であってヒマラヤの山を越えて降りて来たものであり、ネパールはお釈迦様の時代やその後相当期間は仏教とは無縁だったと推測するからです。
そもそも王政が崩れるまでのネパールの国教はヒンドゥー教で、仏教徒は国民の10パーセント強にしか過ぎません。

あまりいい加減な推測で本職や専門家には笑い飛ばされる話しかも知れませんが、ネパールの仏教的なもので古い物と言うのは総てチベット寄りの高山にしか無く、それとても500~600年を遡るに過ぎない事を考えると、やはりネパールはヒンドゥーの国なのだろうと感じるのです。

私は、ネパール=ヒマラヤの感覚で見るし、自分が歩いて見聞きするのもヒマラヤ山中での事なので仏教がとても身近に感じられるのですが、カトマンズまで下ると一気にヒンドゥーの色が濃くなります。

これをまじめに調べ考えたらネパールの国の歴史や民族や宗教を総て紐解かなくてはなりません。
興味は在ってもそこまでやる気も無く、浅い知識を元に、私が見聞きし、そして感じた事で推測していれば楽しい、頓珍漢な自己満足で良いのです。

 
カトマンズ郊外の街並
3階建て以上の家屋ばかりです
上の階は賃貸にして家賃収入でローンを支払います



空き地が有ると自然発生の小さな市が出来る
みかん屋さん、こんなに売れるのだろうかと心配になる



ヒツジ肉専門の肉屋さん まな板が脂で白い
総合の肉屋さんは無く、豚は豚肉屋 牛は牛肉屋で買います
ヒツジは去勢されていて臭みが全く無く柔らかです



ゴミ収集車です
家庭用のゴミは決まった場所に出す決まりです
しかし 多くの人はゆっくり走るトラックに投げ込みます



日溜まりには人が集まり 日向ぼっこ?
いいえ、仕事も無く計画停電でテレビも見られないのです



王政の頃の宮殿です
今は博物館ですが 入った事は在りません



インド製 イギリス式自転車?
坂だらけの街でも自転車は大活躍
まだまだ現役の 移動と運送の車両です



お寺? と聞くと 違うとラムさんは言う
お寺にはお坊さんがいるものだから、と



道路に止まったままの大型バス
何の目印も在りませんが この辺一帯がバス停です



呆れる程多くの衣料品店がある
しかし面白いのはマネキンの肌の色 大抵はブラウンです



ゴミ屋さん? 廃品回収?
ラムさん曰く 運送屋さんだそうです



ネパール最大の商業施設
フードコートは外の屋台で立ち食いでした



ここに来られるのは ほんの一握りの人です
売っているものに高級感は感じなかったけれど
それでも 取り敢えずなんでもありました



貧困国の象徴的食品 インスタントラーメンの列
買い物カートに大量に買っていた人が居た 安いんだろうか?



全品バタークリーム でもそんなに甘く無い
ワンピース 50円くらい 見た目程美味しくも無かった


6~7年前の資料ですが70パーセント以上の国民が一日2ドル以下で暮らしているそうです。
ジニ係数は48パーセント前後で格差の大きな国である事が伺えます。
そして、失業率も5割に近く、日向ぼっこで一日が終わるのもむべなるかなと言えます。

これも6~7年前の資料ですが、国民の平均年齢は20.8歳です。
若者ばかりの国で活気があると見るか? 平均寿命が短い事の裏返しと見るか?
ちなみに平均寿命は60歳位で、65歳以上の人口構成比は3.8パーセントです。

ネパール・・・如何ですか? 行ってみたいと思いませんか?

私はネパールが好きなのでは無く、ヒマラヤが好きなのでカトマンズやタメル地区の喧噪は大嫌いです。
そして、大好きなヒマラヤですが、一年に一度、一月足らずの滞在が我慢の限界だと思っています。

そうなんです・・・ネパールに居ると言う事は、我慢比べのようなもので、忍耐や気力、それなりの体力と、免疫力の強さを要求されます。

どちらかと言うと、楽しいよりも辛かったら苦痛だったり、それらが後になって良い思い出になる一風変わった旅が味わえる・・・それがネパール、ヒマラヤ方面だと思っていますが。



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成都 流し見 2

2014-11-28 12:59:46 | 旅と感想
さて、成都市内を駆け足で見流し、ホテルへ行ってもらった。
運転手の女性は「ホテル」と言う言葉だけで状況を理解し、言葉の通じない相手との息苦しさから解放される喜びを満面の笑みで表現して頷いた。

車が止まったホテルは中々立派でボーイが飛んで来て荷物を運んでくれた。

日本で言うと都市型の中級程度のビジネスホテル風のロビーと受付であったが、制服を着たスタッフは数が多く、ああ、中国ではそこそこの格のホテルなのかなと思わせる雰囲気も在った。

チェックインは聴き取り易い英語で、インターネットからの予約も支払済である事の確認も容易だった。
しかし、前日の上海のホテルと同様に200元のデポジットは必要だった。
中国紙幣は持っていないと言うとドルでも円でも良いと言い、預かった札をそのまま返却するからと、札のナンバーを預かり証に記入していた。

部屋は12階で陽当たりも眺めも良く、何より静かなのが嬉しかった。
昨夜の上海の空港ホテルは窓も無い殺風景な寝るだけの部屋だったが、ここは解放感があって寛げた。

早速シャワーを浴び、未だ陽が当たっていたので薄手の物なら乾くかと思い下着と靴下を洗濯した。

お湯の出は申し分無く、勢いも温度も満足だったが、やはり湯船は無かった。
二人分整えてあった石けんやシャンプーをこれからのネパールの旅の為にと頂いた。

バスローブを羽織り無料で置かれているコーヒーを飲み外を見渡すと、道路を挟んだ斜向いのゲートに「中国女鞋之都」と言う文字が目に入った。
そして、良く見れば、周囲のビルの一階の小売店は全部婦人靴屋ではないか。
私はその昔し靴に関連した業種に従事した事も有って興味が湧いた。

早速服を着替え外に出てみた。


そうか 女靴の都なのか と読めたが


5階建てくらいのビルが丸ごと女鞋屋


紙型や金型はブランド物の流用か?5000円くらい


写真を拡大すると日本語の文字が読めます、が


このバイクのセンス 中国の感覚は最早侮れません


街で見掛けたスクーターも総て動力は電気でした

大きなビルが丸ごと婦人靴屋の集まりと言うのは日本にも無いと思う。
何店舗在るのか数える気にも成らない程、大小の売り場が在って、丁度今が売り時の商品であるブーツを中心に展示されていた。

うわっ・・・デザインも物も良いけど値段も良いな、俺でも高いと思うんだが、今の中国の相場はこうなのか?と、唸ってしまった。

その後、上の方の階へ行ってみると男物の靴、スニーカーやアウトドアファッションの店が在ったが、価格的には日本の方が安いかもしれないと思う程で面食らった。

中国=安物の時代はとっくに終わっているのか?そこまで認識を変えなくてはならないのかと複雑な思いでビルを出た。

隣のビルのショーウィンドーも総て靴関係だった。
そして、店の人の物なのか、店頭には決まってお洒落な電動バイクが停めてあった。
それらのデザインやカラーリングを見ても、日本よりも個性的だよな、と、唸ってしまった。

私は中国の現実と言うパンチを喰らって目眩がしていた。
私の知る中国はファッションやデザインなどはコピーや模造で背伸びしつつ、先を行く日本や欧米を追いかけるものだった。

しかし目の前の中国は、電動バイクのペインティングや靴のデザインも十分に独立した個性を持っているじゃないか。

これは、駆け足で半端に眺めただけでは済まされないな。
そうだな、中国をじっくり攻めてみなくては気が済まなくなったと私は思った。

来年、良い季節を選んでまた来よう。
うん、パンダの里も見なくては、と、緩く誓ったのだった。

・・・追記・・・

泊まったホテルの前の小さなコンビニで缶ビールと中国のクッキーやドライフルーツを買った。
若い男性は店主なのか、日本人だと知っても驚きもせずに簡単な英語で応対した。
その態度には日本人にたする偏見や屈託も無く自然だった。

ホテルのレストランで夕食を食べた。
レストラン無いの若い女性達は片言以下の英語しか話せなかったが、会計の時に、中国へ来てくれてありがとう、日本人を歓迎しますと素敵な笑顔で語ってくれた。

私はあの笑顔一つで十分中国を好きになるのだった。



コメント (2)
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