思考と言うとなにやら高尚な雰囲気だけれども、思うことを考えたら思考なので思うを想うに入れ替えたら大したものでは無いと思うんですが如何でありましょうか?
余談ですが、ここを大したものではない、と平仮名で書くのは嫌でして、この部分は漢字で記さないと気が済まないのであります。
あれです・・・漢字は有無を言わさぬ視覚的強さを持つと思うのでここぞと思う場面では頼りになると思うのであります。
が、同じないでも気が済まないは平仮名で良いと思うのは、説明するとややこしいので端折ります。
いや、近頃他所様のブログなど拝見すると漢字が減っているなと思うわけで、その理由って世の中は断定を嫌い曖昧を好むからか、なんてこと思考したわけであります。
で、自分は学が無いのでアレなんですが、漢字の変換も昔と違う気がするんですが、それは元々自分が間違って居たのかと、わからなくなっているのであります。
例えば・・・地面は「じめん」じゃないと一発変換してくれません。
しかし、地面の地は「ち」で出るんで、だったら「ぢめん」じゃねぇかと思うんですが、自分のMacは「じめん」しか受けつけてくれ無いのであります。
いつから地面はじめんになったのか、まっ、調べれば出るんでしょうけれども、私ゃ釈然とし無い上に日本語を壊しひいては和の精神勢までも破壊しようとする勢力が暗躍している、と思うのであります。
いや、一通り憤ったところで話を戻しますと、思考には時間が必要と思うのであります。
で、まとまった時間が無いとまとまった思考も出来無いと思うのであります。
と、いうことで、今日も含めて三日間、ほとんど家から出ずにネットと読書で過ごしたわけですが、久しぶりにまとまったことを考えられたと喜んでいる次第であります。
まっ、中身云々は不問にしたいと思いますけど。
さて、自分の机の上には付箋紙やメモ紙に書かれた単語や思いつきが幾つも散らばっているわけです。
それは思い浮かんだ言葉や切り口を書き留め後で思い出すために残しているものなのですが、あまり時間が経つと書いた意図や目的を忘れ自分の中で意味不明になることも多々あるわけです。
そんなわけで散らかっていたメモを集めてみましたが、意味不明も含め役に立つものは殆ど無かったのであります。
それを何故だろうか、と。
たぶん、所詮は思いつきの、しかも断片となるとメモを読んでいる自分の興味は他に移っているからだ、と思うわけです。
所詮元々が唯の思いつきなので簡単に色褪せるのでありましょう。
で、このことを広げて解釈すると、自分の考えたことなんてのは断片であり連続性など無い唯の思いつきで、メモ書きだろうと多少長い文章だろうと本質に違いは無く、早い話が落書き程度であると落ち込むわけであります。
いや、何を語ってやがるのか意味不明だぞ、と言う声は了解していますが、年末にあたり散らかっている机の整理をしていて思いついたのを認めたまででもとより深い意味は無いのでありす・・・なんちゃって。
あれです、意味不明を解釈しますと・・・読書して、作者の脳内生産物を受け取り、それを基にものを考えるってのは楽しいな、と言いたいわけであります。
言ってみれば読書という形で一気に捲し立てられた言葉に対して頷くなり反論なりをしつつ対話するって生身の人間相手では危なくてできませんが本を読んで罵詈雑言を吐こうとも相手には届きませんから気楽ということであります。
あいやぁ・・・余計に話が見えなくなりましたかね?
まっ、いいでしょう。
さて、メモの中から比較的良質と言いますか、多少はネタになりそうなものが有ったので晒します。
チンドン屋 飛行機 紙ビラ ネット・・・なんてのが有りまして、これは広告の変貌と言いますか、自分が育ってきた時代を振り返った時のメモで有ります。
皆様はチンドン屋を生で見たことはありますか?
自分は子供の頃に何度か見たことがありその記憶はかなり鮮明であります。
時節は不明なんですが駅裏の商店街で新装開店がありチンドン屋が居たのであります。
で、記憶の中で一番強いのはラッパ(クラリネットかも知れ無い)を吹いて居た人がピエロの格好なのにお爺さんで皺だらけの白塗りの顔が怖かったのが忘れられません。
チンドン屋は四人構成でありました。
一番前の女性が踊りながらチラシを配って、次は木枠に吊るした数個の鐘を叩き調子を取る男性で、その後が太鼓で、次がピエロのラッパでありました。
いや、ビラって言葉は使いませんでしたか?
自分が子供の頃、駅前の大通りならサンドイッチマンがビラ配りをしていましたが、次のビラはそれではありません。
たぶんこの記憶は小学校に入る前でチンドン屋より少し古いと思います。
ビラは低空飛行するセスナからばら撒かれるものでして、稲刈りの終わって開けた田んぼに現れるものでありました。
田んぼで何をして居たのか定かでは無いのですが遠くから飛行機のエンジン音が聞こえるとやがて拡声器から当時流行りだしたスーパーの店名が聞こえてくるのでありました。
で、軽飛行機からはビラが撒かれるわけですが、それはひらひらと宙に舞い中々落ちてこないのであります。
やがてビラは少しずつ広がりながら風に運ばれ田んぼから離れ住宅地の方に流れていくのであります。
自分はそれを追いかけて行くのですが結構遠くまで飛び滅多に拾えなかったものであります。
そして、ビラやチラシの時代も様変わりし、無差別攻撃的なダイレクトメールが花を咲かせた時代などを経て、今では紙を必要とし無いネットや電子メールが主流になったと・・・こんなことを書く予定でメモったものと思うのであります。
しかし、ネタとしては飛行機が撒くチラシを追いかけたことやチンドン屋を面白おかしく創作してお一つ書こうかと思ったはずなんですが、止めました。
いや、このところ3日連続で見ている たけしくん ハイ の時代背景が似たようなことと、あっちの中身が秀逸すぎて恥ずかしくなったからであります。
まっ、比べるべくも無いんですけど。
余談ですが・・・ビートたけしと北野武の本は結構読んでいますがやっぱし天才なんですね。
表現や言葉の吟味もさることながら展開の妙といいますか、常に次は?と思わせる含みのある文章は好きであります。
余談と言いながら続けちまいますが、多分一番最初に読んだのが「教祖誕生」って本だったんですが、これが面白くてヤクザ映画の監督よりもこっちが良いと思うんだがなぁ、と思った次第であります。
因みにこの本が出た頃はオーム真理教の絶頂期でたけしの番組に麻原教祖が出演して居たのであります。
ああ、また取り留めもなく冗長な・・・少し早いですけど昼飯でも食べましょうか?
んじゃ・・・また。