さて、先日、元祖貧乏旅行作家「下川裕治」の事を、歳とったなぁ~と書いた訳であります。
いや、その時に読んだ本から受けた印象を素直に述べた物だった訳なんですが、それは当たっていたと、新刊の本を読んで確信した次第であります。
「シニアひとり旅」が表題でありまして、下には「バックパッカーのすすめ アジア編」となっている訳であります。
と、言う事で、単刀直入に感想を述べると・・・過去の取材旅の焼き直し良いトコ取り、かと思うと言うのは言い過ぎでありましょうか?
いや、第一章から第九章までありまして、中国・香港・台湾・韓国・タイ・ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー・・・と、それぞれの国の良さみたいな物が書かれている訳であります。
が、特に強く感じたのは、中国関係・・・中国本土・台湾・香港の記事は歴史的背景に重きを置いた蘊蓄が光っている訳であります。
しかし・・・しかしであります。
ディープな読者を自認する私としましては、下川裕治が何故ここにシニア向けの蘊蓄を傾けたのか・・・見えちまうのでありますよぉ~・・・と。
アレです・・・昨年の6月頃に「ディープすぎるユーラシア縦断鉄道旅行」と言う本が出版されているんですけれども、下川裕治は恐らく、中国関係の歴史の多くはこの時に調べたと私しゃ睨んでいる訳です。
ナンとなれば、この旅はお茶の交易ルートを辿る旅でもあってその頃の歴史を調べずには書けなかった本だと思うからであります。
そして、どちらかと言うと裏歴史とでも言いますか、表舞台の出そうなモノでは無いので下川裕治のスタイルには新鮮なネタであったろうと思うのであります・・・などと勝手に決めつけてますが、まっ、個人の感想なので いいでしょう。
では、国別に批評しますかね?
ちなみに、九章の国は自分も軽くですが一応訪れております。
まずは・・・第一章中国、でありますが、シニア層を意識したからか? それとも、書き手としてのデビューが朝日新聞系だったからか? 微妙なニュアンスでぼかしてはいるが、ハルピンの七三一部隊跡を取り上げ、朝日新聞的見解など織り交ぜている訳です。
私としてはバックパッカー下川裕治がこの手の事を書くのは筋が違うと思うので初っ端から嫌な気分にさせられちまいました・・・シニアと言うとそっち系と思うのか下川裕治?その感覚は既に周回遅れだぜぃ、と。
で、上海についての文章は、古き良き時代の回想と、日本人に拘る歴史的建物などの探訪のすすめであります。
しかし、今の上海は生き馬の目を抜くほどの大都市な訳でして、ある種殺伐と下町の雰囲気を鑑みると、尋ねる価値云々以前にシロートには荷が重過ぎます。
そして、冒頭で触れた中国茶を尋ねて云々と来るんですけれども、下手に中国茶の店に入って試飲などしたら高級中国茶を買わずに出るのは至難の業・・・私としては、香港のお茶も同様に近付かない事をおすすめします。
で、次は香港なんですが・・・このぉ~下川裕治ぃ~香港まで行ってもマカオには一言も触れないのな、と言う事で、この人はアジアの有る一面には絶対に触れないのであります。
で、当たり障り無くスターフェリーで香港島へ渡り、トラムで山に昇って云々、と回想などする訳です。
九龍も変わり尖沙咀地区ネイザンロードの重慶大厦も今では恐いもの見たさの観光客のメッカになり敢えてシニアが行くべき所では無いと、暗に宣っているのか?
だったら取り上げるなよな、と思うんですけど。
第三章 台湾
いや、下川裕治の台湾の鉄道をネタにした本は秀逸でして、その事情には滅法明るいのであります。
なので、この章に関しては自分如きがなにかを語る何ぞはおこがましい・・・いや、ホントに、文庫本で台湾のローカル線の本が有りまして、いつの日かアレを手本にして戦前の日本人が残した歴史の跡をたどる列車の旅をしてみたいと思っている訳です・・・なのでこの章は花丸でした、と。
第四章 韓国
まっ、最近の私はインチョン空港でトランジット、か、待ち時間が長い時にソウルの市内で一泊程度の事なので深い事は語れませんけど・・・下川裕治ほどの旅の度胸が無いと日本人のシニアと言いますかオッサンが一人で地元民しか居ない食堂で飯を食うのは無理じゃないかと思いますゼぃ。
いや、筆者は盛んに、韓国に旅したら小さな飯屋で食事をしろと勧めているんですけれども、街外れの小さな飯屋は言葉が分からないとナニが出て来るのか判らない・・・と、言う事は、食材も味も判らずに注文すると言う事な訳でして、そこまでして韓国に馴染む必然を私しゃ感じないと、全面的に否定します。
2泊3日の旅ならば、明洞あたりで飲み食いするのが無難でありましょうぞ。
それでも、適当に路地を歩くと地元民しか居ない店はナンボでも有る訳でして、そこでもスリルは味わえますから・・・日本人だと判ると地元民にチラ見されたりもしますし。
第五章 タイ
いや、タイを語らせたら日本一と太鼓判の下川裕治が書いた事に私如きが何を言うか、でありまして、何も言えません。
と、言いたい所ですが・・・タイの北部からラオスに陸路行く話しなどでノンカーイやらが出て来るんですけれども、バスの出るウドンターニの核心的な話しなどは出さない訳です。
ここはタイでも昔ながらの置屋が有る町でして、それはその筋の日本人には有名な訳です。
私しゃ品行方正じゃないんで昔はその手の街やらの噂を聞くとサッサと乗り込んで行った物でありましたが、しかし、タイも豊かになりまして、その手の場所で働いているのはタイ人ではなくラオ人だったりする訳です・・・タイも豊かになって変わったと書いてますが、北部の変化の核心はここでしょ?
若しくは、ノンカーイからの出稼ぎの女性でタイの夜の観光は成り立っている、ナンて事には触れないんですね。
で、タイから陸路で越えられる国境を幾つか紹介していて、鉄道で行く事を勧めているんですけれども、タイも田舎に行くと英語が通じませんから、ローカル線の旅でタイ語が出来ないと相当難儀します・・・これ、ホントです。
いや、日本人ならず欧米人でもバックパッカーは少なくなって昔の安宿街のカオサン通りも様変わりしたと書いてますが・・・タイだけが変化したんじゃなくて世界中の変化の現れがカオサンにも出ているんだと思う訳です。
で、この人はお色気系の事には絶対に触れないのでプーケットやチェンマイなども殆どネタにしません・・・まっ、バックパッカーが行く所じゃないと言えばソーなんですけれども。
でも、フィリピンのエルミタやアンヘルスやタイのパッポンなんかの歓楽街は全部ベトナム戦争の置き土産だった訳で、それを抜いちまうと昭和のアジアの本当の姿は語れないと思うんですけどね。
しかし、タイから陸路で隣国へ行くと言うのは暇なシニアには良い暇潰しになるのでこの本を教科書にトライしてみるのは悪く無いと思います。
つづく。
いや、その時に読んだ本から受けた印象を素直に述べた物だった訳なんですが、それは当たっていたと、新刊の本を読んで確信した次第であります。
「シニアひとり旅」が表題でありまして、下には「バックパッカーのすすめ アジア編」となっている訳であります。
と、言う事で、単刀直入に感想を述べると・・・過去の取材旅の焼き直し良いトコ取り、かと思うと言うのは言い過ぎでありましょうか?
いや、第一章から第九章までありまして、中国・香港・台湾・韓国・タイ・ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー・・・と、それぞれの国の良さみたいな物が書かれている訳であります。
が、特に強く感じたのは、中国関係・・・中国本土・台湾・香港の記事は歴史的背景に重きを置いた蘊蓄が光っている訳であります。
しかし・・・しかしであります。
ディープな読者を自認する私としましては、下川裕治が何故ここにシニア向けの蘊蓄を傾けたのか・・・見えちまうのでありますよぉ~・・・と。
アレです・・・昨年の6月頃に「ディープすぎるユーラシア縦断鉄道旅行」と言う本が出版されているんですけれども、下川裕治は恐らく、中国関係の歴史の多くはこの時に調べたと私しゃ睨んでいる訳です。
ナンとなれば、この旅はお茶の交易ルートを辿る旅でもあってその頃の歴史を調べずには書けなかった本だと思うからであります。
そして、どちらかと言うと裏歴史とでも言いますか、表舞台の出そうなモノでは無いので下川裕治のスタイルには新鮮なネタであったろうと思うのであります・・・などと勝手に決めつけてますが、まっ、個人の感想なので いいでしょう。
では、国別に批評しますかね?
ちなみに、九章の国は自分も軽くですが一応訪れております。
まずは・・・第一章中国、でありますが、シニア層を意識したからか? それとも、書き手としてのデビューが朝日新聞系だったからか? 微妙なニュアンスでぼかしてはいるが、ハルピンの七三一部隊跡を取り上げ、朝日新聞的見解など織り交ぜている訳です。
私としてはバックパッカー下川裕治がこの手の事を書くのは筋が違うと思うので初っ端から嫌な気分にさせられちまいました・・・シニアと言うとそっち系と思うのか下川裕治?その感覚は既に周回遅れだぜぃ、と。
で、上海についての文章は、古き良き時代の回想と、日本人に拘る歴史的建物などの探訪のすすめであります。
しかし、今の上海は生き馬の目を抜くほどの大都市な訳でして、ある種殺伐と下町の雰囲気を鑑みると、尋ねる価値云々以前にシロートには荷が重過ぎます。
そして、冒頭で触れた中国茶を尋ねて云々と来るんですけれども、下手に中国茶の店に入って試飲などしたら高級中国茶を買わずに出るのは至難の業・・・私としては、香港のお茶も同様に近付かない事をおすすめします。
で、次は香港なんですが・・・このぉ~下川裕治ぃ~香港まで行ってもマカオには一言も触れないのな、と言う事で、この人はアジアの有る一面には絶対に触れないのであります。
で、当たり障り無くスターフェリーで香港島へ渡り、トラムで山に昇って云々、と回想などする訳です。
九龍も変わり尖沙咀地区ネイザンロードの重慶大厦も今では恐いもの見たさの観光客のメッカになり敢えてシニアが行くべき所では無いと、暗に宣っているのか?
だったら取り上げるなよな、と思うんですけど。
第三章 台湾
いや、下川裕治の台湾の鉄道をネタにした本は秀逸でして、その事情には滅法明るいのであります。
なので、この章に関しては自分如きがなにかを語る何ぞはおこがましい・・・いや、ホントに、文庫本で台湾のローカル線の本が有りまして、いつの日かアレを手本にして戦前の日本人が残した歴史の跡をたどる列車の旅をしてみたいと思っている訳です・・・なのでこの章は花丸でした、と。
第四章 韓国
まっ、最近の私はインチョン空港でトランジット、か、待ち時間が長い時にソウルの市内で一泊程度の事なので深い事は語れませんけど・・・下川裕治ほどの旅の度胸が無いと日本人のシニアと言いますかオッサンが一人で地元民しか居ない食堂で飯を食うのは無理じゃないかと思いますゼぃ。
いや、筆者は盛んに、韓国に旅したら小さな飯屋で食事をしろと勧めているんですけれども、街外れの小さな飯屋は言葉が分からないとナニが出て来るのか判らない・・・と、言う事は、食材も味も判らずに注文すると言う事な訳でして、そこまでして韓国に馴染む必然を私しゃ感じないと、全面的に否定します。
2泊3日の旅ならば、明洞あたりで飲み食いするのが無難でありましょうぞ。
それでも、適当に路地を歩くと地元民しか居ない店はナンボでも有る訳でして、そこでもスリルは味わえますから・・・日本人だと判ると地元民にチラ見されたりもしますし。
第五章 タイ
いや、タイを語らせたら日本一と太鼓判の下川裕治が書いた事に私如きが何を言うか、でありまして、何も言えません。
と、言いたい所ですが・・・タイの北部からラオスに陸路行く話しなどでノンカーイやらが出て来るんですけれども、バスの出るウドンターニの核心的な話しなどは出さない訳です。
ここはタイでも昔ながらの置屋が有る町でして、それはその筋の日本人には有名な訳です。
私しゃ品行方正じゃないんで昔はその手の街やらの噂を聞くとサッサと乗り込んで行った物でありましたが、しかし、タイも豊かになりまして、その手の場所で働いているのはタイ人ではなくラオ人だったりする訳です・・・タイも豊かになって変わったと書いてますが、北部の変化の核心はここでしょ?
若しくは、ノンカーイからの出稼ぎの女性でタイの夜の観光は成り立っている、ナンて事には触れないんですね。
で、タイから陸路で越えられる国境を幾つか紹介していて、鉄道で行く事を勧めているんですけれども、タイも田舎に行くと英語が通じませんから、ローカル線の旅でタイ語が出来ないと相当難儀します・・・これ、ホントです。
いや、日本人ならず欧米人でもバックパッカーは少なくなって昔の安宿街のカオサン通りも様変わりしたと書いてますが・・・タイだけが変化したんじゃなくて世界中の変化の現れがカオサンにも出ているんだと思う訳です。
で、この人はお色気系の事には絶対に触れないのでプーケットやチェンマイなども殆どネタにしません・・・まっ、バックパッカーが行く所じゃないと言えばソーなんですけれども。
でも、フィリピンのエルミタやアンヘルスやタイのパッポンなんかの歓楽街は全部ベトナム戦争の置き土産だった訳で、それを抜いちまうと昭和のアジアの本当の姿は語れないと思うんですけどね。
しかし、タイから陸路で隣国へ行くと言うのは暇なシニアには良い暇潰しになるのでこの本を教科書にトライしてみるのは悪く無いと思います。
つづく。