じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

疫病神

2021-03-26 19:29:58 | 盗作童話
運の無い男がいた。
その名は吾作。

吾作は下野の在の生まれだったが故郷を追われた博打打ちの父ちゃんに手を引かれ七つの頃に江戸に出てきた。
そんなだからガキの頃から駄賃仕事に忙しく寺子屋も行けず読み書きそろばんはできなかった。

それでも吾作は下働きから叩き上げ、いつしか材木を刻ませたら寸分違わず尺を取る一端の大工になっていた。

先月の棟上げ式の時、酒が入って調子に乗った吾作は屋根の上で足を滑らせ叩き落ちた。
不幸中の幸いで命は何ともなかったが骨を傷めてしばらく仕事ができなくなった。
長屋ではこれが本当の骨休めだと笑い話になっていたが吾作にとっては一大事だ。

多少の蓄えで当面の家賃や食い扶持に事欠くことはなかったが次に控えていた大きな仕事をふいにしたのを悔やんでいた。

吾作の失敗は大概が酒であった。
屋根から落ちたのもそうだったがそれ以前にも酔って堀にはまって死にかけたり、いつぞやは酔い覚ましに水を飲もうと井戸を覗き込み叩き落ちたこともあった。

その度に悔いるのだったがまるで疫病神でも憑いているかのように災難は回ってきた。

吾作はその夜も手製の松葉杖を支えに長屋の先の川端の太鼓橋の角に立つ屋台の蕎麦屋に来ていた。

屋台は平素からさほどの人数はいないのだがこの夜は吾作一人だった。
なのでいつも座る柳の下の縁台で呑まず軒下に身を置いた。

豆に来ていて顔見知りではあったがおやじと向き合っても吾作に話すことは無かった。

「冷」と言う吾作の声を切っ掛けにおやじが口を開きぼそっと「棟梁は運がいいやね」と言った。

その声にむっとした吾作は「俺のどこが運が良いってか」と吐き捨てるように言い返した。

するとおやじは「棟梁の肩には福の神が居なさるんだからそりゃぁ幸運にきまってますがね」と吾作の顔を覗き込むようにして言った。

いよいよ腹のたった吾作は「この怪我した姿が見えねぇのかトンチキめ」と両の肩を手で払い「ここにしがみ付いているのは疫病神に決まってるだろうが」と声を荒げた。

すると蕎麦屋の親父は何かが取り付いたように突然形相を変え「そうまで言うんなら俺とあんたの間もおしまいだ、いままで死神が取り付きそうになるたびに追い払ってやったのに、次は死ぬよ」と、ニタリと笑いながら言った。



なんちゃって、似たような話が多いパクリでした、と。







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2021-03-23 09:04:56 | 盗作童話
昨夜、夢の中で大きな地震にみまわれた。
それは10年前の3.11東日本大地震ほどでは無いけれど先週の震度6強の揺れよりも大きく、紐で押さえてあった天井まで届く本棚の本を全部吐き出す揺れだった。

本は飛び散り布団をかぶって小さくなっている自分に降り積もった。
それは夢なのに怖かった。

その後もう一段強い揺れがきて本棚が倒れ自分の頭に当たった。

布団に潜っていた自分だったが揺れが収まりかけた時、明かりを点けようと顔を出し、無防備の頭を直撃したのだった。
それは夢でも痛かった。

しかし、だから夢なのだろう。
出血するでも無く漫画の焼き餅のようなたんこぶが膨らんだところで目が覚めた。

覚醒との閾値にいた自分は周囲になんの変化もないことを見て地震が夢だったことに安堵した。

その後眠れないまま寝返りを繰り返していたが、頭が枕と擦れた時に違和感を覚えた。

まさか、と手を当てるとたんこぶがあった。

うそだぁ、なんで、と思いつつ起き上がり鏡を見て仰天した。
たしかにそれはたんこぶなのだが盛り上がったおでこには見覚えのある四角い穴が空いていたのだ。

穴はプラスティックでどう見てもUSBの差し込み口だった。
自分はまさかと思いつつもUSBの線を穴に差し込んでみた。

あらぁ、ぴったり入ったじゃないか、と驚いた。
混乱した自分は地震の夢のところから記憶をたぐろうと、とりあえずコップで水を一口飲んだ。

その時、洗面台の鏡に映った黒い電線がぶら下がる頭を見て可笑しくなった。
俺って新しいタイプの人間ってことかな、と少し嬉しくなった。

鏡に映ったUSBケーブルを見て閃いた自分はそれをスマホに繋いで見た。
ああ、やっぱりだ、とスマホが脳の外付けハードディスクとして機能することがわかった。

幾つかのことを試して脳とスマホのアクセスが自在なことを確認すると自分は身震いした。
そうか、苦節八年挑戦しているあの試験もこれならいけるとほくそ笑んだ。

しかし、こんな能力を身につけたのにあの程度のことしかしないのは勿体ないと考え、棋士になることにした。

これさえあれば今を時めく藤井聡太二冠にも勝てないわけがないと意気込んだ。

自分は最高スペックのスマホを手に入れありとあらゆる将棋の情報を詰め込んでその世界に入った。

下から登り続けやっと藤井聡太七冠と対戦する時が来た。

完敗だった。
そして、負けた理由はすぐにわかった。

藤井棋士がよく前屈みになるのには理由があった。
それは、羽織を着た背中にパソコンを背負っているので長時間の対戦では重いのだった。

そういうことなのだ。
藤井聡太七冠の髪にそって隠されたUSBケーブルは同じたんこぶを持つ自分にはすぐに見破れたが、相手のパソコンのスペックは自分のスマホを軽く凌駕していたのだ。


  おしまい。



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つる のはなし 1

2020-01-30 13:19:04 | 盗作童話
昔々のその昔し、冬になると白鳥がたくさんやってくる村があったんだと。


いや、その村には大きな湖があって白鳥が越冬するのに都合が良かったんだとさ。






ある年の秋の頃にふらっと現れ、村はずれの湖のほとりに小屋を建てて住み着いた権太ちゅう男がいたったんだと。


そこは、夜には白鳥がたくさん集まって寝てるところの近くだったんだとさ。


その年はいつに無く寒い冬だった。


権太は囲炉裏の薪を秋の頃にたくさん割って積んであったんだけれども、寒いもんでどんどと焚いちまってさっぱりと無くなったんだと。


あいやぁ、薪採って来なくては寒くてたまんねぇな、と言って、権太は雪ばかき分けて山に入ったんだと。


そんで橇ば引っ張って湖のほとり回って山に入っていくと、なんだか鳥がギャーツコ・ガーツコと騒いでいたんだと。


権太、わさわさと駆けつけてみれば怪我した白鳥にカラスが掛かっていたんだと。
そこで権太は棒切れ振り上げて「これカラス、白鳥ばいじめんでねぇ」と大声でぼったくったんだと。


そんで、カラスが逃げた所さ駆け寄ってみれば、ばたらばたらと暴れて飛べねぇ白鳥が権太のまなこ見据えて「助けてけろ」と訴えだんだと。


いや、ここだけの話だしだども、権太が湖の淵に小屋建てたのはわけがあったんでがすと。
じつは、権太は夜中に白鳥ば捕って羽っこむしって鶏肉にして隣の村で小銭稼いで暮らし立ててだんだと。


そんな権太だけんど、涙溜めた白鳥のまなこば見てしまったら切ねくてはぁ「しょうがねぇな、拾って帰んべない」と、手ぬぐいで羽ばくるんで背負い籠に入れて小屋さ連れ帰ったんだと。


まず、権太の心算では、面倒になったら肉にして売ってしまえば良いと思っていたんだっけ。
それでも、芋や野菜くずをやってるうちになついた白鳥に情が移った権太は白鳥に「つる」と名前をつけて可愛がったんだと。


そりゃそーだわ、元気になった白鳥は権太のそばから片時も離れねぇで付いて回るんだも、誰だってめんこいと思うさな。


そんな権太だつたけれども、夜になると相変わらず白鳥の寝込みを襲っては肉にして売っていたんだっけ。


そして春が近くなって湖の氷も緩んだ頃、権太と一緒に薪採りに出た「つる」がばさばさと羽ばたいて湖で群れている白鳥の中に混じったんだと。


したらば「つる」が来るのを待っていたかのようにして他の白鳥がくぉ~くぉ~と声をあげ、一斉に飛び立ったんだと。


それは白鳥の北帰行だったんだね。


権太は白鳥のことはよく知っていたから、元気で国に帰れなぁ~と群れとともに飛び立つ「つる」に声をかけたんだと。


さて、また寒い冬が来て、湖には白鳥が渡ってきたんだと。


権太は春から秋は湖で魚を獲って暮らしていたんだけれども、白鳥が来たらまたあの猟を始めたんだと。


そして、冬も本番になった吹雪の寒い夜、権太の小屋を訪ねるものがあって、とんとんと戸を叩き「もーしもーし権太さん」と呼ぶおなごの声がしたんだと。


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つる のはなし

2020-01-30 13:07:15 | 盗作童話
前号までのあらすじ


村はずれの湖のほとりに住む権太は、夏は魚漁、冬は白鳥を獲って暮らしていた。
とある冬の日、権太は薪拾いの途中で一羽の怪我をした白鳥を助け「つる」と名付け介抱した。
やがて春が来て白鳥は北の国に帰える時期が来た。
「つる」は他の白鳥の群れとともに北の国へと旅立った。


年が変わった初冬の吹雪の夜、権太の小屋の戸を叩く者があって、若いおなごの声で「もーしもーし権太さん」と呼ばれたんだと。




続きはここからだない。


権太は吹雪か風のいたずらか空耳だろうと囲炉裏の火に当たって酒っこ飲んでだったと。
そんでも、またすぐに「権太さん居たんだべし、中さ入れてくれろ」と女の声がしたもんで、慌てた権太は太い薪を一本掴んで立ちあがり「なんだぁ~狐かムジナが化けやがったか」と心張り棒を外して戸を開けた、と。


そしたら、真っ白いべべ着た若い娘っこが立っていたんだと。
それを見た権太はあっぱ口(方言でぽかーんと開いた口)開けて立ちすくんじまったんだと。
その訳は、言うまでもねえ事だけんど、娘っ子があんましめんこがったもんで"どでん"したんだなぃ(どでん=動転)。


そんで突っ立っている権太に娘っこは「権太さん、外は寒いっけ中さ入れてくれろ」と語ってきょとんとしてた権太のまなこ見つめたと。


吹き込む雪の冷たさで我に返った権太は「あいや、あの、おめが狸だかムジナだかはわからねぇども、まずは凍えっちまうから中さ入れっちゃ」と促したと。


雪っこ払って小屋さ入ったおなごは上がり框さ三つ指ついて「権太さん、去年の恩返しに戻ってきたつるでやんす、どーかここに置いてやって下せぇ」と語ったんだと。


そんで、わけが分からねぇままに腰ば抜かした権太につるは微笑みながら「んだらば権太さんよろしくお願いしやす、今日からここに置かせてもらいやす」と語ったと。


そしてつるは白いべべば脱いで小さな風呂敷包みから出した野良着みてぇなのに着替え、竃ば起こしなんでかんで支度ば始めだったと。


つるが支度をしたのはささやかな祝言の膳で、どこから持ってきたもんだか、小せえもんだが昆布や鯛までが乗っかっていたんだとさ。


そんでも権太はまだ心の中で「狐だべがムジナだべか、いやあの鶴なわけがねぇ、食い物だってどーせ葉っぱかどんぐりだべ」と、もじゃらくちゃらの気持ちでいたんだけれども、うまそうな匂いにつられてご馳走を口に運んでしまった、と。


つるはというと、傍に座り酌などしつつ「あれまぁ、そげにこぼしてはぁ~」と権太の口元を拭うなど、すっかり夫婦気分であったんだとさ。


さて、食ったし呑んだしで夜も更けて、囲炉裏の奥の間に床をとったつるが「権太さん、そういうことなんで今夜から枕ば並べさせていただきてぇと思うすが、なにぶんにもおら"おぼこ"だもんで、よろしくお願ぇします」と語って行灯の火ば落としたと。


まあ、あとは語るもんではねぇで、ほれ、男とおなごだもの、そういう事だったんだべぞ。


そんなわけで権太とつるは仲睦まじく暮らしていたんだども、やっぱしなぁ、権太は漁師で食ってるもんだで夜の白鳥狩りは止められねぇのす。


ある日の事だったと。


つるが「権太さん、わたしが魚ば獲ってくっから夜の狩りば止めてけらんねぇべか」と語ったんだとさ。


それを聞いた権太は困ったつうか、つるが本当に白鳥の化身だとは信じきれずにいたもんだし、で「やんだ、おらおなごに食わせてもらうほど甲斐性無くはねえし、おめ冬の湖でどーやって魚捕るってか」と言ったんだと。


つるは心底悲しそうな顔をしていたとさ。


その夜はあんまし口もきかねぇで床に入った権太だったども寝付かれなくてはぁ、つるが寝息ば立てているのを見て籠背負って道具持って夜の漁に出たんだと。


んで、夜中に小屋さ戻った権太は、獲った白鳥ば籠に入れて転がして寝床にもぐろうとしたっけ、つるが居ねぇんで魂消たと。


「あいや、つるだら俺とこ"ごっしゃいで"(方言で怒って)隠れっちまったんだべか」と、心配した権太は、また蓑ばかぶってそこら中探しまわったんだとさ。


そんで、なんぼ探してもつるは見つからねぇで、憔悴した権太は寝もしねぇで朝を迎え、籠の中で静かに震える白鳥ば茹で釜に浸けて羽ばむしるべと、竃に火ば焚べたんだと。


いい位の時間が経って釜の湯がぐらぐらと煮立ったのを見計らった権太は籠の中の白鳥ばむんずと掴んで引っ張り出し、放り込もうと釜の上さかざしたんださ。


そしたらば、かたかたと震えていた白鳥が小さな声で「権太さん」と鳴いたんだと。


へっ、なんだと、とどでんした権太はへなへなと力を失って白鳥ば釜の中に落としてしまったんだと。


煮えたぎった湯に落ちたつるは「くわぁっ」と短く鳴いて息絶えたんださ、哀れだなぃ。


そんで鶴の声聞いて魂消た権太は慌ててつるを拾い上げたんだけれども後の祭りさは。




もはやつるが鳴く事はあるはずも無いで、ぐたっとしたつるば抱きしめて権太は泣いたと。
泣いて、泣いて、三日三晩泣いたっけ権太ぁ気が触れっちまったんたべなぃ。


蓑ば着て傘かぶって外さ出て行ったんだとさ。


そして、湖さ行くと沖の方に群れている白鳥に向かって「つるぅ~ つるぅ~」と呼んで回ったんだと。


そんな事ばしていたら群れの中の一羽が「くわぁっ」と鳴いたんだない。
それを聴いた権太は「つる」と一言言うとわらわらと湖に入って行ったんだとさ。


あとは語らねぇでも分かりすぺは。
氷が張ってる湖だものなぃ。


まんず、そういう事で、村はずれの湖でそんな事があったつう昔語りよ。


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仕返し・・・

2019-01-16 10:58:28 | 盗作童話
私はハンドルを握りながら、FMラジオの軽妙な話と笑い声に苛立っていた。
しかしいつも気を落ち着かせる時に聞くナベサダのアルトサックスに変えても気持ちは落ち着かなかった。

北環状線は混んでいて車は信号のたびに止まるのにも苛ついた。

向かっている先は区役所だった。
区役所には先週も来ていて今日はその結果を聞くために足を運んでいた。


事の起こりは3ヶ月前のことだった。
安いチケットが手に入ったので5日間の駆け足でフィリピンに行った。

フィリピンで仕事をしていた事があった私はこの国に馴染んでいた。
そして、当時の思い出を引きずって薄ら汚れた街を徘徊するのが好きだった。

フィリピンに行ってする事といえば、昼間はプールサイドでビールを片手に本を読み、日没頃からはバーが密集するいかがわしい路地をそぞろ歩いて店を物色し、一本150円のビールを舐めるように飲む事、それだけだった。

その日も幾つかのバーを冷やかし飲み歩いていたのだが、何故かホテルから離れた店に腰を落ち着けていた。

自分のテーブルには客の財布の中身を狙って数人の娘が集まっていた。
彼女らは口々に「日本人か」「いつ来た」「いつまでいるの」「この街は初めてか」「名前は」と一通りの定型的な質問をすると「一杯おごって」と攻めて来るのだ。

円形のテーブルには3人分の椅子しか無いのだが隙間に体を割り込ませ与し易そうな日本人からレディースドリンクをせしめようと必死なのだ。

外は小雨が降ったり止んだりで人通りが少なかった。
だから店も閑散としていて、こんな時の日本人客は絶好のターゲットになる。

私は言葉が分からない素振りで娘たちの攻撃をかわしていると、背後から「クムスタ ナ マサヤ」と女の声がした。

振り返るとこの街で出会う筈の無い女が笑みを浮かべて立っていた。
彼女の名前はクリスティーン。
自分がフィリピンから引き上げる以前に少し関係のあった娘だ。

クリスティーンとはセブのバーで知り合って1年ほどの間飲み友達として付き合った。
フィリピン娘の多くが外国人の男と出会うと結婚を迫るのだが彼女にそれが無いのを良いことに、私は都合よく遊んだ。

当時の私はクリスティーンをバーから連れ出してはカラオケバーに行き、彼女が歌うマライアキャリーの曲を聴くのが好きだった。

カラオケバーには日本語の歌が少しあった。
「マサヤどの曲が好き」と尋ねられた時、てきとうに開いたページに載っていた尾崎豊のI LOVE YOUを指差した。
次に会った時、クリスティーンはI LOVE YOUを歌って聴かせてくれた。
それは少し怪しい日本語だったけれど私を驚かせるには十分だった。

クリスティーンと出会って一年になる頃だった。
どんなに遅くても家に帰る彼女が、その日は珍しくベットにもぐったままだった。
そして、I LOVE YOUの歌詞を英語にしてくれと言った。

私は適当な意訳を加えた歌詞をノートに書いて渡した。
すると彼女は私にしがみつくようにして鳴き声を殺しながら「帰らないで」と言ったのだった。
私はそれから一月ほどしてフィリピンから引き上げ、クリスティーンに会う事はなかった。

27歳になったクリスティーンだが面影は少しも変わっていなかった。

私はテーブルに集まっていた女たちに一杯ずつおごって追いはらい二人きりの席を確保した。
「クムスタ」「OK ラン」・・・元気だったか? 変わり無い、と8年前と変わらない会話が始まった。

私と出会った頃のクリスティーンは香港のエンターティメントビザを取る金が欲しくて夜の街に出ていた。
だが、その費用をバーで稼ぎ出すのは不可能なのを彼女は知っていた。
それでもスーパーの店員などよりは幾らか稼げたし、運良が良ければスポンサーに出会えるチャンスに望みを託し夜の街に身を置いていた。

彼女から見せられた書類でエージェントに払う金額を知っていた私はフィリピンを出る直前にまとまった金を渡した。
それは言いたかった言葉を口にしなかった彼女に対する私の償いであった。

そして私はフィリピンを引き払い日本へ戻り、彼女はマカオのカジノのステージに立つはずだった。

私は忘れかけていたビサヤ語を思い出しながらクリスティーンにその後を尋ねた。
「アヤウ サバ」・・・そんな事尋かないで、と微笑んでいたが、この街にいる事自体が彼女のその後を物語っていた。

この街はフィリピンでも有数の歓楽街だが、彼女が目指した歌手の仕事はほとんど皆無だ。
僅かにカジノのホテルのステージなどは有ったが、歌手の仕事があるのなら場末のバーにいる筈は無かった。

クリスティーンは私に、なぜこの街にいるの? 仕事? ああ、また悪い遊びなんでしょう、と質問しては勝手に納得していた。

その夜私はクリスティーンを連れてホテルに戻った。
ホテルの屋上のバーで静かに飲みたかったし、彼女のその後にも少なからず興味があった。

「香港には行ったのか」「うん 行った」「成功しなかったのか」「話が違っていた」「やはり歌うだけじゃなかったんだな」「うん」と、こんな会話をして一杯飲み終えるとクリスティーンが部屋で飲もうと言い出した。

部屋に戻った私はシャワーも浴びずにクリスティーンを抱きしめた。

朝、目が覚めるとクリスティーンは窓際の椅子に腰掛け外を見ていた。
私が起きたのを見た彼女が「高いビルから眺めるこの街って錆だらけね」と言った。
そして「いつ帰るの」と。

私はそれには答えず「I LOVE YOUはまだ歌えるか」と尋ねると「もう忘れた」とうつむいた。
「ねえ、いつ日本に帰るの」とまた聞くので「今夜」と答えた。
「そう、貴方はいつだって帰ってしまう人なの」と窓ガラスに映る私に向かって言った。

Facebookのアカウントを尋ねるクリスティーンにお前のを教えろよ俺が探すから、と言うと今はNoveって名前なのと照れたように言った。

「金に困っているのか」と尋ねると「今夜は何時の飛行機、見送りに行く」と話をそらした。
更に問い詰めるように聞くと「貴方にお金の話はしたくない」と少し悲しそうな目をして言った。

私は財布の中のペソ札をクリスティーンの手に握らせた。

日本に戻った私は、クリスティーンの事は気掛かりだったが連絡はしないでいた。
お互いに距離が離れ過ぎたし、なによりも自分の年齢が彼女を遠ざけていた。

帰国してから数日後、Facebookにメッセージが入っていた。

It is bad news.
I am a career in HIV. hehehe!!
If you get angry with me, you ought to come here soon,and kill me.

あまり冗談の得意では無い彼女だが、これは流石に悪ふざけだろうと思った。
下手に驚いて返事を返せばまた深みに嵌まるのでは無いかと自重し放置した。

そしてまた数日後、And this is my revenge for you.とメッセージが来た。

何の仕返しだ今更と思いつつ、問い質したいのを我慢していた。

フィリピンのあの夜から3週間も過ぎた頃、私は微熱と風邪のような怠さに見舞われていた。
1週間が過ぎても微熱は続き、私は慌て始めた。
これはそのままHIVの初期症状では無いかと。

そして私は市が匿名で受け付けているHIV検査を先週、区役所で受けたのだった。

今は結果を聞きに区役所に向かっているところなのだ。

ナベサダのサックスが煩く聞こえるようになってきた。



これは創作であり私のことではありません。

へっ・・・結果ですか❓ 陰性に決まっているでしょ!!!











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