なんか脱力です。
日曜日に通夜、月曜日に葬式。
*(ビール)*は、父がある程度の役職についていた人なので、ちゃんとした会場で、お知らせしてやるべきであると言ったのですが、
母は、父が現役を退いてから、10年もたっているし、義理できてもらいたくない。お香典を一切いただかないでやりたいというので、今時、めずらしく、家からだしてあげることになりました。
喪主である母は、しょうがないとして、妹までも親戚の前で父の思いで語り。あの~、接待にまわってほしいんですけど。
また、あとでクレームが妹からくるのが嫌なので、口は出したくなかったのですが、
会場ではなくて、自分の家で葬式をだすので、式の進行を葬儀やさんにききながら、メモとりながら、段取りいたしました。
お寺のお坊さんの手配やら、通夜の後の忌中払いの用意やら、次の日の火葬場へのタクシーの手配やら、
2日間のこと・・式の流れを想像して、
とどこおりのないように。
妹にも「考えて、なにが足りないか。どういう風に式が進行させるかで、わからない事をきいておいて。」といっておきました。
・・・・・・・(;-_-) =3 フゥ
いいなぁ~
私だって、悲しいよ。泣いていたい。
でも、働かないと、式が進行しないのよ。泣いているヒマもなく、立ち働いている私は、冷たい娘だと思われたかも。
親戚の人に妹が
「家に帰りたいって言っていたから、
家からだしてあげたいと思って。」って、泣いてます。
私、しらけた。
帰りたいって言っても、自分たちが、大変だからと帰らせてあげなかったくせに。
たしかに大変だから、無理だと言っている妹達を私も説得できなかったんですけど。
おととし、いちじ退院の時、妹と母がどうしても家で一緒に暮らせないというので、「でも、病気が病気なので、家に帰らせてあげるなら、今のうちだよ。」と言ったら、「最期は、家でみるから、おねえちゃんちでお願いします。」って言われた。
おかげさまで、その時、病院からも遠いしうちでみるのは、大変だったけど、お世話させてもらっておいて今は、少しでも親孝行できてよかったなと思います。
だから、今更、そんな芝居がかった事を言わないで欲しい。
家に父を寝かせてあげた姿をみて
死ななきゃ、家に帰ってこれなかったんだなぁと泣けました。
まあ、腹はたつけど、
そうだからって、葬式をほうりだす訳にもいかず、やるべきことはやったつもり。
昨日、すべて終わった。
あとは、思い出して、ひとりで泣きます。
父が、仕事をしている頃は、家族を顧みずに街を飲み歩き、
自転車のうしろに知らないおねえさんを乗せてたり、(免許を持っていなかったため、交通手段がチャリでした。)
浮気したんでしょうね、家にその手の密告電話やら、無言電話がかかってきたり、
クリスマスは、家に帰らず、飲み屋で
クリスマス会をしてたし。
人に飲ませるほうが多かったんじゃないかな。
もちろん、ギャンブルもやり。
そうだ!!ボウリングブームの時は、マイボールがうちにあったり、
つりどうぐもあったし、
マージャンのトロフィーなんてのもあったし、
いろいろお遊びになられていたようです。
そうそう、
遺影の写真を選ぶのに、引き出しにいれたままの父の写真をだしてきたら、
スナックで腰掛けて歌ったり、
タバコすったりしている写真が一杯でてきました。
何枚もあって、店内の様子からするといろいろな違う店、何十件と。
楽しそうでした。
*(ビール)*は、「お父さんの人生は、りっぱだった。」と。(お~い!うらやましがるなぁ~、家族は苦労しちゃったんだからさぁ。)
そうだなぁ~。最期は、かわいそうだったけど、すごい楽しいときもあって、よかったじゃん、おとうさん!!いろいろありがとう!
もういないんだなと思うとさびしいです。
日曜日に通夜、月曜日に葬式。
*(ビール)*は、父がある程度の役職についていた人なので、ちゃんとした会場で、お知らせしてやるべきであると言ったのですが、
母は、父が現役を退いてから、10年もたっているし、義理できてもらいたくない。お香典を一切いただかないでやりたいというので、今時、めずらしく、家からだしてあげることになりました。
喪主である母は、しょうがないとして、妹までも親戚の前で父の思いで語り。あの~、接待にまわってほしいんですけど。
また、あとでクレームが妹からくるのが嫌なので、口は出したくなかったのですが、
会場ではなくて、自分の家で葬式をだすので、式の進行を葬儀やさんにききながら、メモとりながら、段取りいたしました。
お寺のお坊さんの手配やら、通夜の後の忌中払いの用意やら、次の日の火葬場へのタクシーの手配やら、
2日間のこと・・式の流れを想像して、
とどこおりのないように。
妹にも「考えて、なにが足りないか。どういう風に式が進行させるかで、わからない事をきいておいて。」といっておきました。
・・・・・・・(;-_-) =3 フゥ
いいなぁ~
私だって、悲しいよ。泣いていたい。
でも、働かないと、式が進行しないのよ。泣いているヒマもなく、立ち働いている私は、冷たい娘だと思われたかも。
親戚の人に妹が
「家に帰りたいって言っていたから、
家からだしてあげたいと思って。」って、泣いてます。
私、しらけた。
帰りたいって言っても、自分たちが、大変だからと帰らせてあげなかったくせに。
たしかに大変だから、無理だと言っている妹達を私も説得できなかったんですけど。
おととし、いちじ退院の時、妹と母がどうしても家で一緒に暮らせないというので、「でも、病気が病気なので、家に帰らせてあげるなら、今のうちだよ。」と言ったら、「最期は、家でみるから、おねえちゃんちでお願いします。」って言われた。
おかげさまで、その時、病院からも遠いしうちでみるのは、大変だったけど、お世話させてもらっておいて今は、少しでも親孝行できてよかったなと思います。
だから、今更、そんな芝居がかった事を言わないで欲しい。
家に父を寝かせてあげた姿をみて
死ななきゃ、家に帰ってこれなかったんだなぁと泣けました。
まあ、腹はたつけど、
そうだからって、葬式をほうりだす訳にもいかず、やるべきことはやったつもり。
昨日、すべて終わった。
あとは、思い出して、ひとりで泣きます。
父が、仕事をしている頃は、家族を顧みずに街を飲み歩き、
自転車のうしろに知らないおねえさんを乗せてたり、(免許を持っていなかったため、交通手段がチャリでした。)
浮気したんでしょうね、家にその手の密告電話やら、無言電話がかかってきたり、
クリスマスは、家に帰らず、飲み屋で
クリスマス会をしてたし。
人に飲ませるほうが多かったんじゃないかな。
もちろん、ギャンブルもやり。
そうだ!!ボウリングブームの時は、マイボールがうちにあったり、
つりどうぐもあったし、
マージャンのトロフィーなんてのもあったし、
いろいろお遊びになられていたようです。
そうそう、
遺影の写真を選ぶのに、引き出しにいれたままの父の写真をだしてきたら、
スナックで腰掛けて歌ったり、
タバコすったりしている写真が一杯でてきました。
何枚もあって、店内の様子からするといろいろな違う店、何十件と。
楽しそうでした。
*(ビール)*は、「お父さんの人生は、りっぱだった。」と。(お~い!うらやましがるなぁ~、家族は苦労しちゃったんだからさぁ。)
そうだなぁ~。最期は、かわいそうだったけど、すごい楽しいときもあって、よかったじゃん、おとうさん!!いろいろありがとう!
もういないんだなと思うとさびしいです。