2014年 4月30日(水)
お仕事25年継続!ご褒美に念願の青森へ!
青森は行くところ、行くところ、桜が満開だった。

山登りを始めて、最初が「加藤文太郎記念館」次が「植村直己冒険館」を訪ねた。
そして今年は「八甲田山雪中行軍遭難資料館」へ。
青森は遠いな~~
桜があまりに綺麗で見惚れてしまう。まずは資料館へ。


当時の様子はレプリカが展示されていた。
青森第五連隊


食料は握り飯と餅。炭。

こんな薄っぺらな軍服と、意外にも軽い雑嚢

革靴

こんな装備で冬の山に行軍するなんて、山登り初心者の私にだって愚かな行為だとわかる。
氷点下の世界では、水分のあるおにぎりは凍ってしまうし、雪水の染み込む革靴では凍傷になってしまう。
そのくらい、私にも容易に想像できるのに・・・
資料館に隣には幸畑墓苑があり、八甲田山雪中行軍遭難と大東亜、日清、日露戦争の戦没者の霊が祀られていた。
桜の花が無念の死を遂げた彼らの霊を慰めているようだった。


八甲田山雪中行軍の悲劇は新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」映画では「八甲田山」にてよく知られている。
それでも足を運んで資料を見たり、ガイドの方から詳しいお話を伺ったりすることが出来てよかった。
このあと、後藤伍長に会いに青森ゴードラインを進み、銅像茶屋まで行く。
車のナビを見ていたら、
「あれ?後藤伍長の銅像を過ぎている…何の案内も分かれ道もなかったのに・・・」
そうか・・・
後藤伍長は山の中にいたんだ。
あの日からずっと青森の方を向いて、山の中に立っているんだ。
会いに行かなきゃ。
資料館から道なりに車を走らせて、しばらく行くと

銅像茶屋に着いた。

茶屋の中は資料館になっていた。
ここでも、気のいい店主さんが、八甲田山遭難の悲劇を、青森弁で詳しく語ってくださった。
そして、後藤伍長が立っている場所を教えてもらう。
店の裏手に回ると、店は二階の半分まで雪に埋まっている。

奥へと歩いていくとダケカンバの林が現れるが、伍長の姿はまだ見えない。


明治35年1月23日に出発した青森隊は翌日から犠牲者が出たが、後藤伍長は27日に直立したまま仮死状態で発見された。
後藤伍長、まだ若かったに違いない。
彼は青森の方向を向いて屹立していたという。
第五連隊の遭難場所を教えるために、その方向を向いていたとも言われ、故郷青森の方向を向いていたとも言われる。また、茶屋の店主さんの説明では、遠く、迎え撃つべくロシアの方角を見てるらしい。
銅像は堂々として力強かった。

後藤伍長・・・
「もう、そんなとこに立っていなくていいのよ。早くおうちへお帰り。」
「寒いでしょ。寂しいでしょ。」
と言いたかった。
足を踏ん張った力強い伍長の像が、かえって切なかった。
夜桜見物・弘前城
弘前城の桜は、その季節になるとテレビでも盛んに放映される。
いいなあ、見たいなあと思っていたが、本当に見ることが出来て幸せだった。
あまりの美しさに何度もため息が出た。
特に今秋から、石垣の大規模な改修工事が行われるため、10年間は桜を見ることができないらしい。
お城もライトアップ

夜空に浮かび上がる桜

お堀に映り込んだお城と、花弁のハーモニー

色が濃い桜

古木の桜は迫力さえ感じる

美しい桜三昧でした。

弘前城の桜は1715年(正徳5年) - 弘前藩士が25本のカスミザクラなどを京都から取り寄せ、園内に植栽したことから始まり、1882年(明治15年) - 旧藩士である菊池楯衛が、ソメイヨシノ1,000本を植栽。
1897年(明治30年に再び1,000本を植栽。その後も市民の寄付などで植栽されたという。現在は50種、2600本にもなる。(wikiより)
あんなに大きくたくさんの枝垂桜を見たのは初めてだった。
美しかった。
お仕事25年継続!ご褒美に念願の青森へ!
青森は行くところ、行くところ、桜が満開だった。

山登りを始めて、最初が「加藤文太郎記念館」次が「植村直己冒険館」を訪ねた。
そして今年は「八甲田山雪中行軍遭難資料館」へ。
青森は遠いな~~
桜があまりに綺麗で見惚れてしまう。まずは資料館へ。


当時の様子はレプリカが展示されていた。
青森第五連隊


食料は握り飯と餅。炭。

こんな薄っぺらな軍服と、意外にも軽い雑嚢

革靴

こんな装備で冬の山に行軍するなんて、山登り初心者の私にだって愚かな行為だとわかる。
氷点下の世界では、水分のあるおにぎりは凍ってしまうし、雪水の染み込む革靴では凍傷になってしまう。
そのくらい、私にも容易に想像できるのに・・・
資料館に隣には幸畑墓苑があり、八甲田山雪中行軍遭難と大東亜、日清、日露戦争の戦没者の霊が祀られていた。
桜の花が無念の死を遂げた彼らの霊を慰めているようだった。


八甲田山雪中行軍の悲劇は新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」映画では「八甲田山」にてよく知られている。
それでも足を運んで資料を見たり、ガイドの方から詳しいお話を伺ったりすることが出来てよかった。
このあと、後藤伍長に会いに青森ゴードラインを進み、銅像茶屋まで行く。
車のナビを見ていたら、
「あれ?後藤伍長の銅像を過ぎている…何の案内も分かれ道もなかったのに・・・」
そうか・・・
後藤伍長は山の中にいたんだ。
あの日からずっと青森の方を向いて、山の中に立っているんだ。
会いに行かなきゃ。
資料館から道なりに車を走らせて、しばらく行くと

銅像茶屋に着いた。

茶屋の中は資料館になっていた。
ここでも、気のいい店主さんが、八甲田山遭難の悲劇を、青森弁で詳しく語ってくださった。
そして、後藤伍長が立っている場所を教えてもらう。
店の裏手に回ると、店は二階の半分まで雪に埋まっている。

奥へと歩いていくとダケカンバの林が現れるが、伍長の姿はまだ見えない。


明治35年1月23日に出発した青森隊は翌日から犠牲者が出たが、後藤伍長は27日に直立したまま仮死状態で発見された。
後藤伍長、まだ若かったに違いない。
彼は青森の方向を向いて屹立していたという。
第五連隊の遭難場所を教えるために、その方向を向いていたとも言われ、故郷青森の方向を向いていたとも言われる。また、茶屋の店主さんの説明では、遠く、迎え撃つべくロシアの方角を見てるらしい。
銅像は堂々として力強かった。

後藤伍長・・・
「もう、そんなとこに立っていなくていいのよ。早くおうちへお帰り。」
「寒いでしょ。寂しいでしょ。」
と言いたかった。
足を踏ん張った力強い伍長の像が、かえって切なかった。
夜桜見物・弘前城
弘前城の桜は、その季節になるとテレビでも盛んに放映される。
いいなあ、見たいなあと思っていたが、本当に見ることが出来て幸せだった。
あまりの美しさに何度もため息が出た。
特に今秋から、石垣の大規模な改修工事が行われるため、10年間は桜を見ることができないらしい。
お城もライトアップ

夜空に浮かび上がる桜

お堀に映り込んだお城と、花弁のハーモニー

色が濃い桜

古木の桜は迫力さえ感じる

美しい桜三昧でした。

弘前城の桜は1715年(正徳5年) - 弘前藩士が25本のカスミザクラなどを京都から取り寄せ、園内に植栽したことから始まり、1882年(明治15年) - 旧藩士である菊池楯衛が、ソメイヨシノ1,000本を植栽。
1897年(明治30年に再び1,000本を植栽。その後も市民の寄付などで植栽されたという。現在は50種、2600本にもなる。(wikiより)
あんなに大きくたくさんの枝垂桜を見たのは初めてだった。
美しかった。