2013年10月19日(土) 1046m
山に登りたい、山に登りたい、そう思いながら日は過ぎていく。
登りたい思いだけがふくらんで足腰はしぼんでいく。
雨風が強いとならば、山には登れない。そんな日が続いていた。
それでもやっとやっとの山登り。佐賀の天山!
佐賀平野、有明の海、遠く雲仙を臨む
秋だなあ!
昔、むかーし、
天山のふもとに薄紅色の実をつけた一本の木があった。
春の光を浴びた葉の緑も美しかったが、
秋の夕暮れ、薄紅色の実がさざめくその姿は、えも言われぬほどに美しかった。
その木の名前は「まゆみ」
弓を作るのにふさわしい硬い幹をしているところから真弓と名がついた。
あるとき、
一人の若者が町で仕事を済ませた帰り、その木の下を通りかかったところ、一人の女の子がしゃがみこんで泣いていた。
こんな夕暮れにたった一人でどうしたのだろう。家では親が心配しているだろうに…
そう思った若者は女の子に声をかけた。
「こんなところでどうしたの? おうちに帰る道がわからなくなったの?」
見ると女の子は泣いているばかりか、手のひらには擦り傷のようなものがあり、寒さで震えていた。
若者は、何を聞いてもしゃくりあげているばかりの女の子の手を包んで、もう一度たずねた。
「何か手伝ってあげようか?」
すると、女の子はやっと泣くのをやめて若者を見上げ、こう言った。
「桜の花だと思ったの。桜の花をおっかさんに見せようと思ったの」
「おっかさん、桜の花が見たいって、そう言ったの」
「だから、わたし、家からここまで駆けてきて、この木を見つけたの」
「それなのに、それなのに…」
「桜の花じゃなかった…桜の枝を折っておっかさんに持って帰りたかったのに」
「桜じゃなかった…」
女の子はまた泣き出した。
涙が次から次へとあふれて、たもとを濡らした。
女の子の母親は咳が止まらず、もう長いこと寝込んでいたのだ。
父親は女の子が生まれる前に亡くなっていたので、女の子は父親の顔を知らない。
母娘二人で、何とかしのいできたのだが、梅雨冷えの頃から母親が体調を壊してしまった。
そしてこのところ、しきりと「桜の花が見たい」というようになったのだ。
季節は秋。
桜なんて咲いていようはずがない。
しかし、とうとう母親は布団から起き上がれなくなった。
毎日、うわ言のように
「桜…桜…」
と言っては、天山のふもとに目をやるのだった。
その様子を見て、女の子は居ても立ってもおれなくなり、桜の花を探しに家を飛び出し、山のふもとまで駆けてきたのだ。
「桜の花を持って帰らないと、おっかさんが死んじゃう」
女の子は思いつめていた。
「名前はなんて言うの?」
若者はたずねた。
「え?名前?」
「そう、おまえさんとおっかさんの名前」
「わたしは咲、おっかさんは真弓」
若者は頷きながら、ふところから一枚の手拭いを取り出して、女の子の涙を拭いてやった。透き通るような若者のまなざしは、寂しそうであったが、何かを懐かしんでいるようでもあった。
「さあ、もう暗いからお家にお帰り。家まで送って行ってあげよう」
「でも、桜の花を持って帰らないと、おっかさんが、おっかさんが・・・」
「大丈夫だよ。いま涙を拭いたその手拭いを見てごらん」
女の子が手拭いを広げてみると、
そこには一面の桜の花が描かれていた。
ほんのりと薄紅色の桜が、流れる川の水面を覆いつくすように咲いている。
花びらの一枚一枚が、今にも手拭いから浮き出て、あたりを舞い始めるに違いない。
「あの、これ…」
「おっかさんに持って帰っておやり」
「はい、でも・・・」
女の子はその手拭いを自分の懐に入れて、何度もまゆみの木を振り返った。
振り返りながら、若者といっしょにおっかさんの待つ家に向かった。
あたりはいつの間にか暗くなり、足元がおぼつかなかったが、
若者と一緒に歩くことで女の子の心は弾んでいた。
「おっかさんに手拭いの桜をみせよう」
「本物の桜ではないけれど、きっと喜んでくれるに違いない」
「この手拭いをくれた、親切な男の人のことも話してあげよう」
やがて、まっすぐ向こうに、家のわずかな灯りが見えた時、
女の子はうれしくて、駆けはじめた。
「おっかさん、おっかさん!」
「桜の花だよ、ほら、こんなにきれい!」
「おっかさん、桜の花だよ。見て、見て」
布団から起き上がった母親に、女の子は懐から手拭いを差し出した。
「こ、これは・・・」
「この手拭いの、この桜は・・・」
「おっかさん、これはね、木の下で男の人が・・・」
「あれっ?」
家までついてきてくれている、と思ったその若者の姿はなかった。
「おっかさん、この手拭い、ここまで送ってくれた男の人にもらったの」
「おっかさんに見せろって。桜の花がたくさんだからって」
「ここまで送ってもらったのに、あたし、お礼を言うのを忘れちゃった」
「そこまで見てくるね」
「咲、咲、もういいんだよ」
「もう追いかけなくていいんだよ」
見るとおっかさんは、桜の手拭いを頬に押し当てて泣いていた。
泣きながら、大きく息を吸い込んでこう言った。
「桜のにおいがする。あの人のにおいがする」
「あの人が会いに来てくれた。この手拭いを持って会いに来てくれた」
「うれしい・・・」
「おっかさん、どうしたの?」
「清一さんだよ。お前のおとっつぁんだよ」
「え? だって、おとっつぁんはとっくの昔、あたしが生まれる前に死んだって言ったじゃないの」
「それにあたしが山で出会った人は、若いお兄ちゃんみたいな人だったんだよ」
「おとっつぁんなら・・」
「咲、まちがいないんだよ」
「この桜の手拭いは若い頃、私が清一さんに送ったものなんだよ」
「ほら、この隅に真弓と縫い取りがあるだろ。これは私が縫ったんだよ」
「清一さんが会いに来てくれたんだ」
確かに手拭いの四隅の一つに、赤い糸で真弓という文字の縫い取りがあった。
咲は訳がわからなくなかった。
しかし、やせて青白かったおっかさんの顔が、幾分ふっくらしてきて、頬も桜色に染まってきた。
懐かしむように、手拭いを胸に抱きしめるおっかさんは若い娘のようだった。
おっかさんが元気になった。
桜の手拭いのおかげで、おっかさんが笑うようになった。
咲といっしょに畑仕事もどんどんこなす。
姉さんかぶりの手拭いがよく似合う。
咲は思う。
あの時の若者はいったい誰だったのだろう。
どうしておっかさんとわたしの名前をたずねたのだろう。
咲はもどかしい思いを抱えながらも、おっかさんが元気になったことがうれしかった。
だから、その後はおっかさんにあの若者のことはたずねなかった。
おっかさんも何も言わない。
「おーーい」
咲は天山に呼び掛けてみたが、鳥のさえずりが響くばかりだった。
ってな、昔話を作ってみた。
どうかしら?
真弓の木は、冬になり葉を落とすと、薄紅の外皮が裂け、中から真っ赤な実が垂れ下がる。キジバト、ツグミ、ヒヨドリ達の格好のえさとなる。
真弓の木
天山からの眺めはいつも美しい
初めて、天山に登った時は82歳の山紳士、今回は真弓の木。
今度天山に登った時は、どんな物語が生まれるのかな?
山に登りたい、山に登りたい、そう思いながら日は過ぎていく。
登りたい思いだけがふくらんで足腰はしぼんでいく。
雨風が強いとならば、山には登れない。そんな日が続いていた。
それでもやっとやっとの山登り。佐賀の天山!
佐賀平野、有明の海、遠く雲仙を臨む
秋だなあ!
昔、むかーし、
天山のふもとに薄紅色の実をつけた一本の木があった。
春の光を浴びた葉の緑も美しかったが、
秋の夕暮れ、薄紅色の実がさざめくその姿は、えも言われぬほどに美しかった。
その木の名前は「まゆみ」
弓を作るのにふさわしい硬い幹をしているところから真弓と名がついた。
あるとき、
一人の若者が町で仕事を済ませた帰り、その木の下を通りかかったところ、一人の女の子がしゃがみこんで泣いていた。
こんな夕暮れにたった一人でどうしたのだろう。家では親が心配しているだろうに…
そう思った若者は女の子に声をかけた。
「こんなところでどうしたの? おうちに帰る道がわからなくなったの?」
見ると女の子は泣いているばかりか、手のひらには擦り傷のようなものがあり、寒さで震えていた。
若者は、何を聞いてもしゃくりあげているばかりの女の子の手を包んで、もう一度たずねた。
「何か手伝ってあげようか?」
すると、女の子はやっと泣くのをやめて若者を見上げ、こう言った。
「桜の花だと思ったの。桜の花をおっかさんに見せようと思ったの」
「おっかさん、桜の花が見たいって、そう言ったの」
「だから、わたし、家からここまで駆けてきて、この木を見つけたの」
「それなのに、それなのに…」
「桜の花じゃなかった…桜の枝を折っておっかさんに持って帰りたかったのに」
「桜じゃなかった…」
女の子はまた泣き出した。
涙が次から次へとあふれて、たもとを濡らした。
女の子の母親は咳が止まらず、もう長いこと寝込んでいたのだ。
父親は女の子が生まれる前に亡くなっていたので、女の子は父親の顔を知らない。
母娘二人で、何とかしのいできたのだが、梅雨冷えの頃から母親が体調を壊してしまった。
そしてこのところ、しきりと「桜の花が見たい」というようになったのだ。
季節は秋。
桜なんて咲いていようはずがない。
しかし、とうとう母親は布団から起き上がれなくなった。
毎日、うわ言のように
「桜…桜…」
と言っては、天山のふもとに目をやるのだった。
その様子を見て、女の子は居ても立ってもおれなくなり、桜の花を探しに家を飛び出し、山のふもとまで駆けてきたのだ。
「桜の花を持って帰らないと、おっかさんが死んじゃう」
女の子は思いつめていた。
「名前はなんて言うの?」
若者はたずねた。
「え?名前?」
「そう、おまえさんとおっかさんの名前」
「わたしは咲、おっかさんは真弓」
若者は頷きながら、ふところから一枚の手拭いを取り出して、女の子の涙を拭いてやった。透き通るような若者のまなざしは、寂しそうであったが、何かを懐かしんでいるようでもあった。
「さあ、もう暗いからお家にお帰り。家まで送って行ってあげよう」
「でも、桜の花を持って帰らないと、おっかさんが、おっかさんが・・・」
「大丈夫だよ。いま涙を拭いたその手拭いを見てごらん」
女の子が手拭いを広げてみると、
そこには一面の桜の花が描かれていた。
ほんのりと薄紅色の桜が、流れる川の水面を覆いつくすように咲いている。
花びらの一枚一枚が、今にも手拭いから浮き出て、あたりを舞い始めるに違いない。
「あの、これ…」
「おっかさんに持って帰っておやり」
「はい、でも・・・」
女の子はその手拭いを自分の懐に入れて、何度もまゆみの木を振り返った。
振り返りながら、若者といっしょにおっかさんの待つ家に向かった。
あたりはいつの間にか暗くなり、足元がおぼつかなかったが、
若者と一緒に歩くことで女の子の心は弾んでいた。
「おっかさんに手拭いの桜をみせよう」
「本物の桜ではないけれど、きっと喜んでくれるに違いない」
「この手拭いをくれた、親切な男の人のことも話してあげよう」
やがて、まっすぐ向こうに、家のわずかな灯りが見えた時、
女の子はうれしくて、駆けはじめた。
「おっかさん、おっかさん!」
「桜の花だよ、ほら、こんなにきれい!」
「おっかさん、桜の花だよ。見て、見て」
布団から起き上がった母親に、女の子は懐から手拭いを差し出した。
「こ、これは・・・」
「この手拭いの、この桜は・・・」
「おっかさん、これはね、木の下で男の人が・・・」
「あれっ?」
家までついてきてくれている、と思ったその若者の姿はなかった。
「おっかさん、この手拭い、ここまで送ってくれた男の人にもらったの」
「おっかさんに見せろって。桜の花がたくさんだからって」
「ここまで送ってもらったのに、あたし、お礼を言うのを忘れちゃった」
「そこまで見てくるね」
「咲、咲、もういいんだよ」
「もう追いかけなくていいんだよ」
見るとおっかさんは、桜の手拭いを頬に押し当てて泣いていた。
泣きながら、大きく息を吸い込んでこう言った。
「桜のにおいがする。あの人のにおいがする」
「あの人が会いに来てくれた。この手拭いを持って会いに来てくれた」
「うれしい・・・」
「おっかさん、どうしたの?」
「清一さんだよ。お前のおとっつぁんだよ」
「え? だって、おとっつぁんはとっくの昔、あたしが生まれる前に死んだって言ったじゃないの」
「それにあたしが山で出会った人は、若いお兄ちゃんみたいな人だったんだよ」
「おとっつぁんなら・・」
「咲、まちがいないんだよ」
「この桜の手拭いは若い頃、私が清一さんに送ったものなんだよ」
「ほら、この隅に真弓と縫い取りがあるだろ。これは私が縫ったんだよ」
「清一さんが会いに来てくれたんだ」
確かに手拭いの四隅の一つに、赤い糸で真弓という文字の縫い取りがあった。
咲は訳がわからなくなかった。
しかし、やせて青白かったおっかさんの顔が、幾分ふっくらしてきて、頬も桜色に染まってきた。
懐かしむように、手拭いを胸に抱きしめるおっかさんは若い娘のようだった。
おっかさんが元気になった。
桜の手拭いのおかげで、おっかさんが笑うようになった。
咲といっしょに畑仕事もどんどんこなす。
姉さんかぶりの手拭いがよく似合う。
咲は思う。
あの時の若者はいったい誰だったのだろう。
どうしておっかさんとわたしの名前をたずねたのだろう。
咲はもどかしい思いを抱えながらも、おっかさんが元気になったことがうれしかった。
だから、その後はおっかさんにあの若者のことはたずねなかった。
おっかさんも何も言わない。
「おーーい」
咲は天山に呼び掛けてみたが、鳥のさえずりが響くばかりだった。
ってな、昔話を作ってみた。
どうかしら?
真弓の木は、冬になり葉を落とすと、薄紅の外皮が裂け、中から真っ赤な実が垂れ下がる。キジバト、ツグミ、ヒヨドリ達の格好のえさとなる。
真弓の木
天山からの眺めはいつも美しい
初めて、天山に登った時は82歳の山紳士、今回は真弓の木。
今度天山に登った時は、どんな物語が生まれるのかな?