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my diary

個々人の多様性を認める社会である必要性

2023年02月06日 | 日記
 民主主義の長所は、個々人の多様性を認める社会にあると思う。例えば、指導者が決定したことに国民は文句の一つも表明することを許されず従わなければならない社会は、その指導者が間違っていた時の弊害は大きいし、国民の抱える閉塞感はとんでもなく大きいことになる。日本社会が現在抱えている問題の多くは、戦後保守政治が続き、家族や地域の絆を大事にしようという主張はうなずけるにしても、その為に、少しでも変わった者や、脱落者を許さないという閉鎖的な構造にある。安倍元首相の功罪が論議されているが、彼の罪は、彼が伝統的な政治家一家である安倍家の息子であって、その価値観から抜け出ることが出来なかったという点にある。この為、「美しい国日本」と抽象的な価値観を述べ、天皇中心の戦前の国家体制への愛着から、「天皇は男系男子でなければならない」とかと、場合によっては、天皇自身の意志をも無視する国家思想を拭い切れず、その一方では、お友達や思想傾向を同じにする人物を偏重し、統一教会のような他国の反日主義者も選挙の為に利用しようとしたりした。現代の我が国は、福沢諭吉の教育立国主義が行き過ぎていて、東京大学卒などの学歴エリートが幅を利かす世の中になっているが、例えば、キャリア官僚達の前例主義、縦割り・横並び思考が、いかに行政を歪め、多くの国民に害を与えていることか。現代の政治家や官僚達は、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)などと言っても理解できないであろうが、高い地位にある者は、庶民や国の為を思う道徳的・精神的な義務があるが、現代の政治家達は、自らの当選や利権の獲得、官僚は定年後の天下り先などのことしか考えていないようにしか思えてならない。かといって、全ての人の平等を掲げた共産主義は、エリート達の独裁の場に過ぎないことは、旧ソビエト連邦の崩壊によって明確になったし、独裁主義や専制国家は、一時期には繁栄しても、結局は、衰退するしかないだろう。
 それに比べて、民主主義は、人々の多様性を尊重することにあるのではないかと思う。日本は、まだまだ、学歴偏重主義がまかり通り、価値観が違う人が差別をされたり、脱落者の再チャレンジが許されにくいという閉鎖的な社会であり、例えば、首相秘書官がLGBTQに嫌悪感を示したり、その息子が、警察官に対して高卒呼ばわりをしたり、強盗殺人まで犯すに至った犯罪グループの指示役であるルフィらと十年前に知り合いだったということで、芸人の兼近が批判されたりしている。東大生の多数が富裕な家庭の子弟であったり、政治家に二世が多かったり、TL小説や漫画などでも富裕者層との恋愛に憧れたりする女子が描かれたりと、それ以外の人々には、特に、非正規で毎日懸命に働いている若者に閉塞感を抱かせ、結婚や育児への夢を破壊する世の中になっているのではなかろうか。
 今の物価高騰により貧富の格差が広がりつつあるが、それ以上に、社会的格差、教育格差、健康格差までも広がりつつある。このような社会をそのままにしていては、幾ら予算を積んだとしても、少子化対策には成功しないだろうことは目に見えている。官僚や行政は、綺麗ごとしか言わないが、実際に、この閉塞感に満ちた社会を変えるにはどうすれば良いか、真剣に議論してもらいたいものだ。それが出来ないとするならば、労働力人口の減少、インフラの老朽化、本当に能力のある人々の海外への転出などが進み、それに加えて自然災害の多発などがあれば、いよいよ我が国は二流国、三流国への転落が目に見えているような気がしてならない。
 岸田首相は、異次元の少子化対策として、児童手当など経済的支援の強化、学童保育や病児保育、産後ケアなどの支援拡充、働き方改革の推進、の三つを挙げているようだが、それだけでは不十分であり、個々人の自由な生き方が尊重されるよう、教育制度の改革、結婚制度の改革、移民を認めることなど、我が国の社会制度、政治システムの改革にまで踏み込まなければ、効果的ではないだろう。
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