消費者物価が高騰していて、特に我々年金生活者にとって日々の食費や光熱費などの値上がりが応えている。スーパーには、イチゴなども並んでいるが、値段を見ると、昔のようには手が出なくなっている。偶々、NHKラジオR2、カルチャーラジオ歴史再発見の「古代中国の日常生活」(柿沼早大教授)を聞くことがあり、秦漢時代の庶民の生活のことを話していたが、当時の庶民は、単衣の着物をようやく手に入れられるような状態であり、粟や稗などの穀物を食べていたとのこと。それを聞いていたら、万葉集の山上憶良の貧窮問答歌を思い出した。その時代に比べると、私などは、年金生活者で余裕がないと言っていても、例えば、16時間ダイエットをして食事量を抑えているというのも、ある意味では太りすぎで運動不足という、贅沢をしている反意でもある。
それにしても、いつの時代でも庶民の生活は苦労の連続であり、特に戦争などがあれば余裕もなくなり生きているのが精一杯となるのだろう。ウクライナ戦争の報道などを見ていると、全くプーチンの勝手な思い込みで両国の何千万人もの庶民が塗炭の苦しみを与えられていると思う。更には、この戦争の影響が資源高につながり、世界中の物価に影響を与えていることを思えば、彼は当に悪魔の所業をしているとしか思えない。彼のような独裁者はともかく、SNSなどで高額なバイトに募集につられて闇バイトに応募して、挙句の果てに強盗犯人にまで陥ってしまうような若者も地獄行きは確実だろう。(最近の治安の荒れは、格差の拡大の時代の一現象なんだろうか。)
※ 貧窮問答歌
風雑(ま)じり 雨降る夜の雨雑じり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除(われお)きて 人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引きかがふり 布肩着ぬ 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ このときは 如何にしつつか ながよはわたる
天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明(あか)しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く しもととる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道 世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明(あか)しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く しもととる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道 世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば