人はなぜ苦しむのか 第6回
神様はヨブが純潔な信仰を持っていることをサタンに語られました。しかし、サタンは諦めませんでした。「主はサタンに言われた、『あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした』」(ヨブ2:3)。このような神様の言葉に対して、サタンはヨブが神様を呪わなかった理由は、神様がヨブに命までおびえさせるような苦しみを、許していなかったためであると言い返しました。「サタンは主に答えて言った、『皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう』」(ヨブ2:4,5)。神様は再びサタンのこのような挑戦をお受けになりました。「主はサタンに言われた、『見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ』」(ヨブ2:6)。再びサタンは、ヨブの体にあらゆる苦しみをもたらすために地球へ下りました。人間は利己的な目的を満たすために神様に仕え畏敬しているに過ぎないという、自分の主張を立証させることがサタンの目的であったからです。
絶望から希望へ 第8回
しかし大勢の人々が、「イエス様を信じます」と言いながら、聖霊の導きに従って生きることを難しく感じるため、聖書の標準を下げたのですね。新生のレベルを自分に合うようにしてしまいました。聖書に記録されている単純なみ言葉の基準を低くしたのです。自分の姿を見てみると、あまりにも自分が至らないので、自分の経験に照らしてみて、「ああ、これは実行できないから、私ばかりでなくみんながそのようであるから、私もそうだし、周りの人々もそのように生きているから、私たちの牧師先生さえそのように教えるのだから・・・」と考えてしまったのです。しかし違います!みなさん!私たちは罪人として生まれ、罪を犯しながら生き、罪の中に死んでいく、それにもかかわらず、イエス様の恵みがあって、イエス様を信じる人は赦され救われるという教えは、間違いです。
この教えは、もともとアウグスティヌスというカトリックの神学者が教えたものです。彼は自分の聖書の理解をまとめましたが、自分が体験できなかった聖書の教えは、自分の考えに合うように聖書の教えを上手に変えて神学書を書いたのです。ですから、それは聖書からの教えではありません。それはアウグスティヌスの神学なのです。しかし今のすべての教会が、こういった神学を受け入れてしまったのです。それゆえに人々は原罪説を教え込まれたのです。