人はなぜ苦しむのか 第24回
*苦痛は特権である
ある人は、キリストと共に苦難にあずかるというようなことを聞くと、負担に思われるかも知れません。もしそうだとすれば、使徒パウロの次の言葉に耳を傾けるべきです。「あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜わっている。あなたがたは、さきにわたしについて見、今またわたしについて聞いているのと同じ苦闘を、続けているのである」(ピリピ1:29、30)。パウロはここで、苦難はクリスチャンの特権であり賜物であると言っています。クリスチャンにとっては、キリストを信じて救われることも特権ですが、イエス様の真理のために苦難を受ける特権も、同時に受けるのです。苦難をこのような観点から見るクリスチャンが、あまりにも少ないように感じます。もし皆さんが、苦難をこのような観点から見ることが出来るなら、皆さんは真理のゆえに、み名の栄光のために苦難を受けているのですから、あらゆる苦難の中で、神様に喜ばれる者とされているのです。
絶望から希望へ 第26回
自分のプライドは捨てずに、常に私たちは、嫉妬し、非難し、陰口を言ったりしてきました。そのような姿を、サタンはどんなにか喜んでいたことでしょう。私たちは神様を侮った者でした。神様が与えてくださった時間、タレント、物質、才能、健康、知識、それらを皆さんどのように使ってきましたか?自分を喜ばせるために、利己的な満足のために生きてきたのではありませんか。主から与えられ預けられたものを、全部自分のために使い果たして、ここまできたのではありませんか。皆さん、これ以上罪の奴隷となって生きる必要はありません。私たちが遺伝的に受け継ぎ、また後天的に習慣となっていた罪があったとしても、もうこれ以上罪に溺れて生きる必要はありません。