サムエルを召される
ハンナは、教会の真の神様の民を代表していて、本当の子供を神様からいただきたいと神様と格闘する人、その象徴であったわけです。ハンナは祈っていました。本当に神様に息子を与えて下さいと熱心な祈りを捧げていました。そして彼女が聖所で、教会で祈っていたら、祭司エリがそれを見て、ハンナは頭がおかしいと思ったわけです。自分の魂を注ぎだして、彼女は神様に熱心に祈りをささげていたわけですね。当時も今も、多くの人たちが聖所にやって来て、教会にやって来てお祈りをしますね。でもたいていのお祈りは、他の人と何ら変わりない普通のお祈りなんです。ある時には、ただの儀式的な形式的な祈りと化しています。それは本当の祈りではないですね。しかしハンナは、神様に心を注ぎ出して祈っていました。神様と格闘していたのです。ところがそういった様子は、大祭司エリにとっては狂信的に見えたのです。その状況を私たちの経験とあてはめてみて下さい。エリは彼女が酔っ払っているのではないかとさえ思ったのです。そしてその結果エリはハンナの所へ行って「どうして神の家であなたは酔っ払っているのだ」、と彼女を叱ったわけです。サムエル記上の1章10節11節をご覧ください。
「ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。そして誓いを立てて言った、『万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません』。
ハンナもまた教会に神様の霊が、聖霊が欠けているのを見ていました。そこで彼女は、神様から息子を授かったならば、教会の霊的指導者にしたいと願ったわけです。日本にもハンナのような人物がいますか?イスラエルの母、教会の回復を強く願っている人物、皆さんも教会のために祈っていますか?聖霊に満たされるべき指導者たちのために、皆さん祈っていますか?
その後彼女は、自分が身ごもっていることを知りました。その時から彼女は聖所に行くのを止めまして、祈りのうちに、サムエルという授かった子を彼女は懸命に育てました。何年かたちまして、まだ幼い子サムエルを聖所に連れて行き、そして聖所の働きに息子を捧げたわけです。ハンナの物語は皆さんもよくご存知だと思うのですけれど、サムエルがその後どうなったか、皆さんご存じのように、ある晩彼が寝ていたら「サムエル、サムエル」という声がしました。サムエルは飛び起きて大祭司エリの所にやって来まして、「私を呼ばれましたか?私はここにいますよ」、と言いました。「いや、私は呼んでいないよ」とエリは言いました。「あなたはまだ子供でしょう。何か変な声が聞こえるのか、何かありもしない声が聞こえてくるのか?まあ、とにかく戻って寝なさい」。そこでサムエルは自分の床に戻って寝たわけです。そしたら再び声が聞こえてきまして、「サムエル、サムエル」と呼ぶわけです。そこで飛び起きてエリの所へ行って、「今私を呼びましたか、私はここにおります」。「いや、私は呼んでいない」とエリは言うわけです。「頭がどうかしていないか、何かおかしな声が聞こえるのか、こんな真夜中に、他には誰もいないのだから、誰がお前を呼ぶんだ。私は呼ばなかったよ、何か頭の中がおかしなことになっていないか」と言うわけです。「まあ、戻って寝なさい」。そこでサムエルは再び床に戻って寝るわけです。三度目に神様は「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれました。サムエルは、再び飛び起きてエリの所に行って「私を呼びましたか」と言いました。どうしてサムエルはそういうことをしたのでしょうか?今まで、神様の声を直接聞いた人に彼は会ったことがなかったのです。大祭司もそういう人ではありませんでした。他の教師たちもラビたちも、神様の声を聞いたと言う人はいなかったのです。彼らは義の標準というのがよく分かっていなかったのです。神様の声、神様の言葉を聞いて理解するという、そういうお手本をサムエルは見たことがなかったのです。ですからよく分からなかったので、彼はエリの所に行くしかなかったのです。