7.第4条を変更した理由
キリスト教会が、土曜安息日から日曜日に礼拝日を変更した主な理由は、異教徒たちをキリスト教会へ引き入れるためでした。日曜日は太陽の日(Sunday)であり、太陽を崇拝する異教徒たちの礼拝日でした。キリスト教がローマ帝国の国教となり、教会は世俗的には繁栄しましたが、霊的には深く堕落していったのです。そして、教会の勢力を広げるために、異教徒徒たちが簡単に教会に入ってこれるように、聖書の教理を妥協させ、偶像教徒たちが満足するような聖人像を教会内に取り入れ始めたのです。そして異教徒たちのために、安息日を、彼らの太陽の崇拝日である日曜日へと変更しました。A.D.321年には、ローマ帝国のコンスタンチヌス皇帝が、ローマにあるキリスト教会の指導者たちと手を結び、“日曜日は皆が休むべきである”という“日曜日休業令”を発布しました。そして、人々を強圧的に日曜日に教会へ行かせようとしたのです。
その時に下された、世界最初の日曜日休業令は、次のように始まります。「すべての法官、各都市の住民、すべての商人は、尊敬すべき太陽の日に休むべきである」。これは何という驚くべき発言でしょうか?
また、日曜礼拝に変わったもう一つの理由は、その当時ローマ帝国内で、ユダヤ人がローマ人たちの憎悪の対象だったことがあげられます。ユダヤ人は土曜日に礼拝する特異な人種として目をつけられていたので、クリスチャンたちが、自分たちはユダヤ人とは違うということを表すために、日曜日にも礼拝を捧げるおかしな風習を取り入れていったのです。今日、プロテスタント教会の指導者や牧師たちも、この事実を知らない人がたくさんいます。また、知っていたとしても、あまりにも教会の伝統や習慣に深く染まっているため、その重要性に気づけずにいるようです。それはまるで、イエス様の時代に、多くの教会指導者たちが、自分たちが理解していた聖書解釈や、教会の伝統に縛り付けられていたために、イエス様が約束のメシアであることを悟れなかったことに似ています。聖書をよく知っている人々さえも、偏見や思い込みによって、メシヤを拒むことがあるのですから、偏見というものがどんなに大きな問題なのか知ることができます。
また、エリヤの時代にも、ユダヤ人全体が間違った教えにだまされていたのです!その時代に、神様の真の民はごく少数でした。聖書の歴史は、多数がいつでも真理の保管者となっているのではないという事実を私たちに教えてくれます。いくら学識があり地位があっても、神様のお言葉に沿っていなければ、その人の語る言葉は真理ではありません。「ただ教とあかしとに求めよ。もし彼らがこのことばに従って語らなければ、彼らのうちに光がないからである」(イザ 8:20・欽定訳)。昔、東方から来た博士たちが、エルサレムまでやってきて、「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか」(マタイ2:2)と聞いた時、教会の指導者たちは全く無関心でした。世界の歴史が変わる大きな出来事が、聖書に預言されていた通りに起きているのに、学者たちは何も知ろうとしていなかったのです。彼らは「人間のいましめを教として教え、 無意味にわたしを拝んでいる。あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している。また、言われた、あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ」(マルコ 7:7-9)と言われるような状況に陥っていました。