SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 VS 獣の刻印 第2回

2017年05月11日 | 日記

1.最後に受けるどちらかの「しるし」

 

もうすぐ訪れる最後の艱難の時は、神様の真の戒めに従うか、人間の作った戒めに従うかがはっきりとさせられる時です。その時には、どうすれば神様の恵みのうちに留まれるかが最も重要な問題となり、私たちの職業やお金、この世の快楽は何の役にも立たなくなってしまいます。引き続きこの小冊子をご覧いただければ、そのことの意味を理解していただけるでしょう。

 さてここで、皆さんに最初に知っていただきたいことがあります。神様の言葉である聖書には、救われる人たちは皆、額にしるしを受けなければならないと強調していることです。不思議な話だと思われるでしょうか。なぜ額にしるしを受けなければならないのでしょう?そして、そのしるしとはどんなものでしょうか?さらに聖書には、救いを受ける人だけでなく、救われない人たちも、額に滅びのしるしを受けるとあります。要するに、これからは誰もが、額に、神様か悪魔、どちらかのしるしを受けることになるのです。救いのしるしか、または滅びのしるしです。もちろんそれは、人の目に見えるようなしるしではなく、神様と天使たちだけが識別できるしるしです。昔、出エジプトの時に、門柱とかもいに羊の血を塗った家を、裁きの天使が通り過ぎたように、神様の刑罰が、しるしを受けた者たちの上を飛び越えていくでしょう。そして、この額に受けるしるしとは、その人の心の態度や人となり、すなわちその人の品性を表します。これから、あなたがどんなしるしを受けることになるのか、次に説明する問題と深く関係があります。見てみましょう。

 ヨハネの黙示録13章14-17節には、「さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」とあります。

 今後、滅びる者たちが受けるしるしである、獣の刻印が全ての人に強要されることが預言されています。そして、聖書は大多数の人が、この刻印を押され、この刻印がないと物を買うことも売ることもできないようになると言っています。しかし、この刻印を受ける人たちが最後にどうなるかご存知でしょうか?黙示録14章9,10節には「ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる」とあります。すなわち、聖書は、獣の刻印を受ける人には、苦しみが与えられ、火によって滅ぼされると教えているのです。

 獣の刻印とは反対に、救いを得た人たちが受けるしるしがあります。黙示録22章3~5節をご覧ください。「のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する」。救いを得た者の額には、神様の名前のしるしがあると聖書は言います。救いを受ける人々の額には、救いの刻印である神様のしるしが、滅びる者たちの額には、獣の刻印である滅びのしるしが押されるのです。

 

旧約聖書の中にも、このような表現がすでに用いられています。「ここにイスラエルの神の栄光がその座しているケルビムから立ちあがって、宮の敷居にまで至った。そして主は、亜麻布を着て、その腰に物を書く墨つぼをつけている者を呼び、彼に言われた、『町の中、エルサレムの中をめぐり、その中で行われているすべての憎むべきことに対して嘆き悲しむ人々の額にしるしをつけよ 』。またわたしの聞いている所で他の者に言われた、『彼のあとに従い町をめぐって、撃て。あなたの目は惜しみ見るな。またあわれむな。老若男女をことごとく殺せ。しかし身にしるしのある者には触れるな。まずわたしの聖所から始めよ』。そこで、彼らは宮の前にいた老人から始めた」(エゼ キエル9:3-6)。