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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

デイビット・カン講演 サムエルの経験 第10回  

2017年05月08日 | 日記

私は牧師として、安手礼を受けた牧師として長年働いてまいりました。しかし、それにもかかわらず、神様の言葉が本当に理解できていなかったのですね。確かに神学的に理解し、教えていました。神学校へ行って学びました。そこで学位も受けました。ですから自分は神様のことは分かっていると思っていたのです。しかし実際にはそうではありませんでした。自分では分かっていると思っていました。そして実際に説教もしました。色んな良い説教をしました。色んな人たちから、カン先生の説教は素晴らしいと言われました。あなたこそが将来の私たちの教会の指導者にふさわしい、と言われました。にもかかわらず、悔い改める人がいなかったのです。そのことは分かっていました。私の説教を聞いて、回心して悔い改める人が現れなかったのです。そこで自分自身の心と闘いました。私の何が間違っているのだろう?もっと勉強すべきだろうか、もっと説教学の深い技術を会得すべきだろうか。

そして分かったことは、私の魂のうちに聖霊が欠けていたということでした。聖霊が私の心を支配しておられるなら、その証拠が見られるに違いありません。その証拠とは何でしょうか、罪に勝利するという証拠なのです。それはどういう意味でしょうか?神様の戒め、聖霊に従うことが出来るようになることです。そのことが分かってきたのです。そして私は悔い改めに導かれました。イエス・キリストの死のいさおしによって、私の魂が聖霊に抵抗しなくなってきました。自分自身を神様の祭壇にささげて献身しました。自分が本当に邪悪な罪人であるということを、私は神様の前に認めたんです。そして神様の憐れみ、恵みを請い願いました。「イエス様どうぞ私を憐れんで下さい」と・・・。

それから私は、聖書が本当の意味で分かるようになってきたのです。私にとって証の書が全く新しいものになってきました。神様の言葉、イエス・キリストの啓示が見えてきたのです。それから私は語り始めました。人々に今までとは違う、新しい語りかけをしたのです。そしたら奇跡が起こり始めました。人々の心が揺り動かされて、揺さぶられて、イエス様の前に悔い改める人が増えてきました。泣いて自分の罪を告白し、神様の赦しを請い求める人が現れてきたのです。そこで私は思いました。「これは何なんだろう、どういうことだろう、今まで見たことのない現象だ、なぜ人々が悔い改め始めたのだろうか、自分にその力はないはずだから、誰がそれをやっているんだろう。これは神様のみ業に違いない。聖霊の業に違いない」。ですから自分の手柄にすることはできませんでした。そして恐れの心が出てきたのです。