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ひまわりさんより(2月13日)
ふと明日の日課の所を見たら、このように書いてありました。「神の息子たちは、名利を追う人ではない。なぜなら、心に受け入れられた真理は、魂を純潔にする手段であり、品性を変え、これを受け入れた人を神と同じ考え方にする手段だからである。人が神と同じ考え方をする者とならない限り、その人はまだ生来の堕落したままなのである」(エレン・ホワイト『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』より)。このような言葉を読むと、以前だったら絶望しかありませんでしたが、今は、イエス様の動機と希望を植え付けて下さることによって、これが可能なのだという思いが強くなってきました。
イエスの信仰を養う 9
そのような中にあって、イエス様は、父なる神様の言葉を思い出されたのです。そして、人類を信頼することにされたのです。信仰によって、イエス様は未来をご覧になりました。信仰によって、イエス様は、ペテロが一日に3000人を導くのをご覧になったのです。あまりに暗くて、イエス様は、墓の向こうを見通すことができませんでした。つまり、十字架にかかっておられるとき、自分がよみがえるということを、見通すことができなかったのです。
しかし、十字架上でイエス様は、ヨハネを信用することにされました。疑い深いトマスを、信じることを選ばれました。ピリピやアンデレを信頼することを選ばれたのです。信仰によってイエス様は、私たちを信頼することを選ばれました。十字架上でイエス様は、信仰によって、私たちが、皆さんが、2000年後に、日本という国で生まれるのを見られたのです。そして、機会をとらえて福音を受け入れるようになることを、イエス様は信じられたのです。福音を受け入れて、イエス様を信じるようになることを。そして、皆さんが聖書のみ言葉に信頼を置くようになることを。そして、イエス様に心を捧げるようになることを。そのことをイエス様は、信仰によってご覧になりました。サタンの言葉ではなく、私たちを信頼することを選ばれたのです。この真っ暗闇の時に…。そして叫ばれました。「すべてが終わった」と。突如として、天から光が射しました。すべての闇が追い払われてしまいました。その時に、闇ではなくて、光が十字架を覆いました。『各時代の希望』には、イエス様は勝利者として死なれた、と書いてあります(下巻。282頁参照)。これこそが、「イエスの信仰」であります。私たちは、このような信仰を自らに養わなくてはならないのです。