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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

日曜休業令の切迫12

2013年02月16日 | 日記

    ひまわりさんより(2月16日)

今日は車で1時間ぐらいの所にあるK教会の礼拝に出席しました。神学校へ行っている息子は聖歌隊に入っていて、聖歌隊による音楽礼拝があるというのを朝聞いて、急に出席することにしました。音楽礼拝では、学生たちが、キリストの誕生から十字架、再臨までを、劇と歌で表現していました。劇では、キリストの十字架の場面で全員がうつむいて泣いているシーンがあり、彼らが泣いていると、見ている人たちまで悲しみが起きて、会堂が一体となってイエス様の十字架の苦しみを思う心で満ちているようでした。十字架を背負って歩くイエス様役のI君や、我が家の隣の住人のA君も普段見たことのない迫真の演技で、素晴らしいものでした。そして、全員が「イエス様に感謝します。主イエスよ来りませ」と再臨の希望を語る時には、本当に再臨を待つ喜びであふれ、演技だけれども、演技を超えて、本当に再臨を待つ心になっていきました。聖歌隊をこのように指導しておられるM先生にも感謝したいと思いました。

   十字架の愛を思い出す 12

突如として、サタンはその時、私たちの過去の罪の記録を全部見せるわけです。「お前は自分が救われると思っているだろう。でもお前はこんなことをしてきたんだぞ。こんなお前に、神は憐れみを下さると思うか。そんなことは絶対ないぞ。お前は大きな間違いをしているぞ。神を拒んで私に降参しなさい。お前は全く善人なんかではないぞ」と・・・。その状況で、私たちは希望を失いかけます。過去を振り返る時、私たちは、何の良いものも見出すことができないわけです。これが、終わりの時、144000の人たちが経験することなのです。
しかしその時、彼らは、イエス様の約束を思い出します。過去においての、イエス様との良い思い出がよみがえってくるわけです。そして、十字架上で示されたイエス様の驚くべき愛を思い出すわけです。そして彼らは、神様に信頼することを選ぶわけです。天に祈りを送ります。その時、神様の御座から、光の柱が降りてきます。そして、天の中ほどで、その光の柱が、数えきれないほどの光線になって降りていきます。その光線は、すべての祈っている生徒たちの上に注がれます。韓国、中国、日本、アメリカ、あらゆる国にいる聖徒たちの上にその光は注がれます。彼らの頭の上にその光が照らされるわけです。その光が虹のように見えます。これがイエス様の承認のしるしなのです。

     市原の民話紙芝居 市兵衛の願い 第1回    

今からおよそ400年ほど昔の江戸時代、元禄8年9月(1693年)のことです。上総の国姉崎村(現在の千葉県市原市姉崎)には困った問題が起きていました。このあたりは房総半島の米どころで、その年もやがて豊かな収穫の時期を迎えようとしていました。ところが、その米をねらって、イノシシが田圃を荒らしまわっていたのです。
「あした稲刈りをしようと思っていたら、前の晩にイノシシのやつが稲を食い荒らしてしまいました」
「イノシシが田んぼに入ると、臭くなってほかの米も食えなくなってしまうんです。何とかしてください」
姉崎村の総名主、斉藤次郎兵衛(36歳)のところには、毎日村の人たちからの相談が持ち込まれていました。このままではいけないということで、姉崎村7か村の名主たちが相談して、長谷川村の猟師惣兵衛(そうべえ)に、お上から預かった鉄砲でイノシシ退治をしてもらうことになりました。

     市原の民話紙芝居 市兵衛の願い 第2回
 
イノシシ退治の日、村の人たちと犬を従えて、惣兵衛は山に入り、鉄砲を撃ってまわりました。
やがて夕方になり、惣兵衛がイノシシの出てくるのを待っていると、藪の中でガサゴソと動くものがありました。「イノシシだ!」と思った惣兵衛は、鉄砲を構え、ズドンと撃ったのです。ところが、「ギャッ!」という声がして、当たったのはイノシシではなく、深城村(ふかしろ)村の農夫久左衛門の妻お竹でした。惣兵衛はびっくりして抱き起しましたが、お竹はもう死んでしまっていました。
大変なことが起きてしまいました。そのころは、今と違って刑罰がとても厳しく、たとえ間違いであったとしても、人を殺した者は死刑になるのが当たり前だったのです。またこのことがお上に知れたら、イノシシ退治を計画した姉崎の7か村にも、どんな罰がくるかわかりません。どうしたらよいか、7か村の名主たちは困り抜いて、「ああでもない、こうでもない」と話し合いをしました。





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