SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

罪から逃れる道 第8回

2015年03月10日 | 日記

  

 罪から逃れる道 第8回

ヨハネによる福音書8章41節に驚くべき御言葉があります。これはイエス様がパリサイ人に対して言われた言葉なんです。

「あなたがたは、あなたがたの父のわざを行っているのである」。そうしますとパイサイ人たちは答えました。「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」(8:41)。このパリサイ人が言った意味は何でしょうか。

ここでイエス様は、パリサイ人に対して、あなた方は、あなたがたの父であるサタンのわざを行っているとおっしゃったのです、そうするとパリサイ人たちはこのように言いました。「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない」。

ここで彼らは何をここで言わんとしているのでしょうか、イエス様の出生について、「お前の方こそマリヤが結婚する前に生まれてきた不義の子ではないか。我々のことをあれこれ非難出来るような者ではないはずだ」、と言いたかったのです。彼らは、イエス様の誕生についてそういう噂を聞いていたんですね。聖書には、メシアはおとめが身ごもって生まれると明らかに言っているんですけれど、彼らはそれを認めようとしないで、イエス様の誕生が不品行の結果であることをほのめかして、イエス様の口を封じようとしたのです。

このように、イエス様はご自分の誕生にまでさかのぼって誤解され、非難を受けられ苦しまれました。パリサイ人らは、自分たちが、イエス様のように不品行の結果生まれた者ではなくて、自分たちには父親がいて、神があると、本当は悪魔のことですが、このように弁解したのです。『各時代の希望』にはこのように書かれています。

「人の運命に降りかかる苦しみの中で、キリストの味わわれなかったものは一つもない。イエスの生まれについて彼を軽蔑しようとする人々がいたので、イエスは子供の時でさえそうした人々のあざけりの目つきや、悪口のささやきに耐えねばならなかった。もしイエスが彼らに気短な言葉や顔つきで応じたり、あるいは兄弟に負けてたった一つの悪い行為でもされたら、彼は完全な模範ではなくなったであろう。そうしたらイエスは我々のあがないのための計画を実行することがおできにならなかったであろう。イエスが罪について言い訳が出来ることを認められただけでも、サタンは勝利し、この世界は失われたであろう。誘惑者サタンがイエスに罪を犯させるように、その生活をできるだけ辛いものにしようとして働いたのはこのためである」。

私たちが受ける苦しみ悲しみの中で、イエス様が経験されたことのないものは一つもないのです。私たちにとって、どれほど慰めに満ちた言葉でしょうか。またイエス様が、自分の出生のことなどで非難されたとき、気短な言葉や顔つきをされたら、それだけであがないの計画の全てが台無しになったでしょう。イエス様がそのようなことを一つされるだけで、全宇宙はサタンの言いなりになってしまうはずだったのです。ですから誘惑者サタンは、イエス様の出生のことから始まって、あらゆることで罪を犯させようとしたので、イエス様の生涯は、戦いと苦しみの連続となりました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。