エリコの戦い
今イエス様、神様が、エリコとその王と大勇者たちをあなたに渡すと約束されました。しかし渡すには条件があるんですね。すべての軍隊は町の周りを一日に一度回って、六日間そのようにしなさい。七人の祭司たちはラッパをもって契約の箱の前に先立ちなさい。そして七日目には七度回ってラッパを吹き鳴らしなさい。祭司たちは雄羊の角を長く吹き鳴らし、その音があなた方に聞こえる時、民は皆大声で呼ばわり叫ばなければならない、神様はこのように言われました。
これ、皆さんちょっとおかしな話ではないでしょうか?理解できないようなことなんです。これが戦争でしょうか?散歩しているわけではないんですよ。見物しているんじゃないんです。これが神様の戦いの方法だったんですね。カナンの地に入る前に、最も強力な、最も堅固な城を持っていたエリコは、ここに勝たなければ約束の地に入れなかったのです。ところがそのエリコを攻める時に、もう何もせずにただ回りなさいとおっしゃったのです。なぜでしょうか?ちょっと変ですよね、これはもう知恵に合っていない、理論的でもないんです。論理的でもないんです。
ところが神様は回りなさいと言われました。回りながら、人々が神様のみ言葉に信頼する心を育てるためにこのようなことをされたんですね。それが一つの大きな理由でした。もう敵は、理解に苦しんだのです。いったい、何を、どうしようとしているのかと思ったでしょう。イスラエルの民は、神様の約束に信頼することを学ぶために回ったんですね。証の書を読んでみますと、理由はただ、天来の指導者であられる神様に全く信頼するようになるためでした。しかしこれはもう笑われるような事なんですね。
世の中の人が私たちを見る時に、ここに書かれてある、エリコ城を回ったイスラエルの民のように見えるかもしれません。もう笑われるような、変だと、そのような目で人々は私たちを見るかも知れません。
ところで、イスラエルの人々は、大きな声で呼ばわったんですね。もう考えてみて下さい。戦いに出て敵を滅ぼさなければいけない人が、いきなり大声を出したのです。弓矢でも剣でもなくただ大声を出しただけなんです。戦いにおいては敵に気づかれないように、むしろ静かに攻めなければならないのに、ここに居ますよ、これから攻めますよ、と言うかのように大声で叫んだのです。
しかしこれが、終わりの時代に私たちが勝たなければならない戦いの方法と、世の中の人々の戦いの方法の違いなんですね。全く違います。ここに書いてあるのは、ラッパの音が聞こえた時に、大声で呼ばわり叫びなさいと、その時周囲の石垣が崩れて民は攻め上ることができると言うのです(ヨシュア6:5)。ここを見てみますと、石垣が崩れ落ちるのは人々がやったからではなく、神様が崩すとおっしゃったからです。
私、大学生の時ある考古学の文書を読んだのですね。その本を読んでみますと、もうずいぶん昔の話ですが、今でも記憶に残っています。その本の中に、考古学を勉強してみると変なことがある。エリコと言うのはエルサレムからちょっと離れた、東の方にあるんですけれど、そこに行ってみますと、ほかのお城と違う崩れ方をしているのです。他の城は、ふつう外側から内側に城壁が崩れています。ところがエリコの城壁は内側から外に不思議な壊れ方をしているというのです。これはどうしてかというと、神様が内側から城壁を崩された、そのことが証明されているのではないでしょうか?