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ひまわりさんより(10月5日)
今日の日課の言葉です。「過労は時々自制心を失う原因となるが、主は決して急いだ複雑な働き強いたりはされない。多くの人は、憐れみ深い天父が彼らに授けられていない重荷をかき集めている。私たちがあまりに多くの重荷を背負うと、私たちに過度の負担がかかり、心が疲れ、頭脳がつかれて苛立ち、がみがみ言うようになって、神のみ名に栄光を帰さないということについて、私たちが気づくことを神は望んでおられる。私たちは、主を信頼しつつ、私たちの心を純潔でやさしく思いやり深く保ちながら、主が私たちにお与えになる責任だけを担うべきである」。
私は、この11月から、新しい仕事を始めますが、張り切りすぎて、あれもこれもと手を広げないようにしなければと思いました。
イエスは私たちの主(デビット・カン講演19)
イエス様が私たちの主となっていただくとはどういうことでしょうか。自分自身を塵に伏させるということです。自分自身の栄誉、栄光を塵に伏させるということです。完全に屈服するということです。そして、自分自身を神様にささげるということです。そして、神様の前に告白します。「主よ、私にはできません。しかし、あなたはおできになります。ですから、わたし自身を土の器としてあなたにおささげします。どうぞ私の心の中に入ってきて、私の品性を形作ってください。そして、あなたの命を、私のうちで生かしてください」
時々私は、単純な歌を歌います。「今日、私の心の中に入って、とどまってください」という歌です。主なる神様だけが、私の救いの可能性なのです。