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ひまわりさんより(10月26日)
今日は、休みだったので、たまっていた家の事をやりました。庭の草取り、肥料やり、金魚の水槽洗い、ジョイのシャンプー、それと、鯉の水槽洗いなどです。鯉たちは、最初の頃は、私が近づくだけで、逃げ回っていましたが、最近は、全然逃げなくなり、今日は私が水槽に手を入れても、むしろ近寄ってくるぐらいで、簡単に網に入れて他の水槽に移し、水槽を洗うことができました。とても、可愛いと思いました。
イエス様と恋におちいる(デビット・カン講演40)
次に、これは太陽系の写真です。木星、土星、そして一番左側に地球があります。こちらは太陽です。点で示されているのが地球です。太陽は地球よりも100万倍大きいのです。
次の写真。右側の大きい星はアークトゥールスです。その次はポルックスという星、ここに太陽がありまして、もうここまで来ると地球は、点ですらあらわせません。私たちはどれほど大きな存在でしょうか。何ものでもないのですね。無に等しいものです。
次の写真、アンタレスという星がありまして、それからベテルギュースという星があり、ここに点で表されているのが太陽です。ただの点に過ぎないのですね。もうこうなると地球というのはどうなってしまうのでしょう。私たちは無に等しい者ですよ。宇宙というのは本当に広大なものです。私たちの属している銀河系という星雲も、宇宙全体から見たらほんの小さい部分に過ぎません。私たちの住んでいる太陽系というのは、その銀河系の中のほんの小さな部分に過ぎません。その太陽系の中に地球があって、その中に小さな日本という国があって、さらにその中に小さな沖縄という島があるわけですね。その沖縄に小さな名護という町がありまして、それから本部半島が広がって、その中にある小さい建物、その中に私たちが存在しています。
皆さん、私たちはどれほど偉大な存在でしょうか。無に等しいのです。塵に等しいものですね。しかし、イエス様はそのような私たちを愛してくださっています。イエス様がおいでになったとき、全宇宙を通り過ぎて、ここにおいでになりました。たくさんの巨大な星雲あったのに、そこを通り過ぎてこられました。たくさんの太陽や星があって、それらを通り過ぎてこられました。そして、この小さな、汚れた星、地球においでになったのです。それは、私たちの罪を負うわれるためでした。
彼の義とはどのようなものでしょうか。私たちはどのようにして印されるのでしょうか。イエス様の愛によってです。毎日毎日、私たちがイエス様と恋に落ちるときに、そのイエス様の真理に根づくようになって、決して動かされるようなことはなくなります。毎日毎日、神様の払ってくださった犠牲を思うとき、理解するとき、決して彼の側から離れたくなくなります。