恋に落ちた神様 14
人となられた神様
この宇宙の広さを、皆さん知っておられますか?宇宙がこのセミナーの会場とするならば、地球は、この点よりも小さいものです。神様を信じない地球を吹き飛ばせば、全て終わるのに、消してしまえば問題はなくなるのに、新しく創造することのできる方なのに、しかし、この最も小さい地球に住む私たちを愛するために、神様は人間になられたのです。神様がこの地球に来られて生まれた時は、小さい赤ちゃんで生まれましたね。母のお腹に宿って生まれて来られました。誰がですか?神様がですよね。赤ちゃんは、世話をしなければなりませんよね。お腹がすくと泣くし、ウンチをすると世話をしてあげなければいけません。そういった赤ちゃんとして、イエス様は生まれて来られました。「わたしは神である―」と言って来られたのではありません。人間と同じように生まれて来られました。その神様が、赤ちゃんから、だんだんと育ってこられたのです。「お母さん、お母さん、このお花の名前は何?」「それはゆりの花だよ」。創造主であったその方が、人間として生まれて、一つひとつ学ばれました。「お母さん、あの鳥、羽根が大きいね、何と言うの?」。「あれはワシだよ」。幼いイエス様と、母とが交わる光景を思ってみて下さい。宇宙を造られたお方が、物の名前を一つひとつ、人間を通して学んでいるのですよ。神様はこの地に生まれて、その名前をイエスと名づけられました。
神の火 15
今、私たちの心をきれいにしていただく、清めていただく時です。私たちが大事に抱き続けていた罪、悪習慣を捨て去るべき時です。私たちの品性の欠点を正す時です。これが今であり、印する時なのです。その働きを怠るならば、私たちのうちの罪、習慣的な罪はますます凝り固まって、化石のようになってしまいます。ついには、その罪に決して勝利することが出来ないようになってしまうのです。罪が、もう私たちの内に動かすことのできない品性の特徴となってしまいます。その時には、聖霊ですら私たちの心を変えることが出来なくなってしまいます。私たちには、常にそのような欠陥がまだ残っているわけですね。そのような罪は、捨て去らなければ、死に至ります。そういった類の罪に、もう赦しは与えられないんですね、なぜなら、もはや聖霊の声に応答することが出来なくなっているわけですから、その罪のうちに、私たちはもう凝り固まってしまうわけです。