イエス様と私たちの違い
ところで、私たちがイエス様の人性について学ぶ時、注意しなければならないことがあります。イエス様は私たちと同じ人性を取られましたが、違う部分が一つあります。 イエス様をこの世のすべての人間と全く同じに見てはいけないのです。
□ヨハネによる福音書1章12、13節
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである」。
ここを見ると「人の欲に」よって生まれた人と「神によって生れ」た人がいます。「人の欲に」よって生まれた人は誰ですか? 「神によって生れ」た人は誰ですか? 私たちは「人の欲に」よって生まれた者ですが、キリストを心に受け入れて生まれ変わる道が教えられています。 その後に続く言葉に驚かされます。
□ヨハネによる福音書1章14 節
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」。
これは12、13節とつながっている言葉です。言い換えれば、キリストは人間の肉体を取られましたが、私たちが新生によって「神様の霊が宿る」人になるように、キリストも肉体となってこの地に来られた時、「神様の霊が宿る」、つまり聖霊に満たされた状態で生まれたということです。もっと簡単に表現するとキリストは、「新生した人間の状態」として生まれたと言えます。この表現も適切ではないかもしれませんが、これ以上人間の言語で説明する、ふさわしい言葉を見つけられません。
□ヘブル人への手紙2章11節
「実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない」。
「きよめるかた」は誰ですか? イエス様です。「きよめられる者たち」は誰ですか?それは「生まれ変わった人たち」です。イエス様が兄弟たちと同じだということは、生まれ変わった人たちと同じ性格、つまり、新しい目的、新しい動機、新しい心を持っておられたと理解することができます。しかし、だからと言って、イエス様が生まれ変わった人たちと全く同じ品性を持っておられたとは言えません。なぜなら、イエス様はいつも聖霊によって満たされ、一瞬も罪で汚されなかっただけでなく、すべての面で模範とするべき完全無欠な品性の極致に達した方です。人間は生まれ変わったとしても、過去に犯した罪への傾向と後天的欠陥を除去する必要があり、成長しなければならない段階があります。