TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

屋根裏部屋の片付け

2020-12-01 16:06:00 | 日記
我が家には屋根裏部屋があります。

父や母と住むようになり、父が描いた絵などを置く場所に困り、大工の経験がある知人に頼み、2階の子ども部屋の壁を抜いて拵えてもらいました。

1階の屋根の棟部分を利用して無理やり作ったので、高いところでも1mを少し超える程度で、両端は屋根の傾斜があるので次第に低くなっています。

その屋根裏部屋には、父の絵や書、絵を描く時に使っていた絵の具や顔彩、筆、スケッチブック等の他にも、我が子が小さかったころ使っていた玩具や本、百科事典等、様々なモノを押し込んでいます。

仕事に一区切り着いたら、屋根裏部屋の整理をしたいと思っていたのですが、旅行やら我が家のメンテナンスやらにかまけてなかなか手が付けられないままになっていたのです。

2、3週間前からやっと少しずつ手を付け始めました。

先日、屋根裏部屋で父のスケッチブックをパラパラめくっていたら、1枚の手紙が出てきました。裏には赤い葉をつけた植物の絵が描かれていました。

絵の横に『昭和十九年』と書いてあるのが読めます。

黒の万年筆で書かれた手紙は達筆で、最初は何が書かれてあるがわかりませんでしたが、一文字一文字目で追っていくとで段々と手紙の内容が分かってきました。


その手紙は、父が24歳の誕生日に、戦地(中国南部の街)から自分の母親に出した手紙でした。

母親(私の祖母)が、戦地にいる息子(私の父)へ、万年筆や手帳、現金などを送ってくれたことへのお礼を綴ったものでした。

手紙の裏に描かれていた絵は、




戦地の南支でよく見かける植物だそうです。

手紙の最後には、こう綴られています。

『此の次は、歌によくある「リラ」を御送りい多しませう  では、御身を大切に 
  三月△日
 母上様          ○○より 』


満24歳の誕生日を戦地で迎えた父が、故郷で帰りを待つ母親を思い、絵を描き、手紙を書く姿が目に浮かびました。


大学にも行かせてもらい、好きなことを好きなようにさせてもらった自分と、戦争に翻弄された青春時代を送った父… 。

一世代違うとはいえ同じ時代に生きていながら、この差異は何なんだろうか。

そして、父が自分の親を思い、感謝しているのに比べ、私は父に何をしてあげられたのだろうか… 


そんなことを考えさせられた父の手紙でした。