10月23日(水)3日続けての最上三十三観音巡礼に出かけました。天気の良いうちに終わそうと、乗りかかった船には船酔いしない程度に乗ることにしました。山形近郊の観音巡礼は昨日で終えたので、今日からは足が伸びます。おにぎり、お茶、冷水、飴、雨具など回を重ねるごとに準備は万端にわたります。
今日の最初は寒河江の第15番札所京集山観音寺「落裳観音」です。まず漢字が読めなくてはと調べましたら、‘おとも’と読むんだそうです。寒河江駅西の新興住宅街の中にありました。境内は奇麗に清掃されていて、お茶のサービスのほか玉コンニャクも売っておりました。絶世の美人と言われた小野小町が開創したのだそうです。女性の方は是非一度詣でて小町にあやかりたいものです。正面に松の枝が垂れ邪魔なので、脇から写真を撮ったらあまりいい構図でありませんでした。
次に、第16番札所長岡山長念寺「長岡観音」です。寒河江の中心街から小路を一つ入った所にありました。ここの観音堂は長念寺と一つになっており、観音堂には五智如来が並び、本堂には県内随一と言われる木造不動明王が鎮座しておりました。
第17番札所は西川町睦合いにある寒江山長登寺「長登観音」です。‘ながのぼり’と読むのだそうです。御朱印所の門前に「庭も見てください!!」の看板があり、入る前から人柄を感じました。笈摺に若い女の方が押印するのを見ながら声を掛けます。「この辺にケンチャンて居りますよね?」の私の問いに女の方が答えます。「イケメンのケンチャンですね。国道を挟んだ向かいの家です。うちとは親戚なんですよ!!」楽しい会話にホッとします。きれいな庭を見ながら辞去します。小さなお子さんが手を振って送ってくれたのが印象に残ります。急な石段を上ります。昇り口に石段の数が書いてありましたが、ハアハアと荒い息づかいで頭の中は空っぽになりました。112号線の真上にありましたが、車での往来では気が付きませんでした。
第18番札所恵日山慈眼院「岩木観音」です。河北町の紅花資料館から北に入ったところにありました。鬱蒼と茂る木立の中に静謐なたたずまいです。カミサンが私を呼びます。呼び声のする手水舎を見ると、手押し式ポンプで水を汲みあげています。う~ん、こういう井戸がまだあったんだ。
次の観音様への途中一寸亭本店で昼食を取り、「おふくさん」にもお参りしました。
第19番札所は東根山秀重院「黒鳥観音」です。東根市役所東方の田圃はずれの小高い山にありました。車で少し山に入ると駐車場があり、傍らに展望台もありました。埴生の宿のような御朱印所にお婆さんと中年の男の人がいて、何となく霊力を感じました。よく見ると私たちは裏から入ったようです。観音堂を少し行くと山門があり、その先に苔むした小径が連なっていました。山門は朽ち物置と化して門前雀羅というものです。自動車による参拝道路ができたため、昔の通路は使われなくなったようです。鐘を突きながら「勿体ない山門!!」
本日の最後は、第20番札所青蓮山清浄院「小松沢観音」です。村山市の東方、山形県環境化学研究センターと雪上観音の間から山に向かって入ります。車の擦れ違いがやっとの狭い道をくねくねと上ります。別当が住む家屋もなかなか趣があります。元旦参りがここであると聞いて、喫驚するばかりです。山門に大きな草鞋が掲げてあります。これは二つ作ったものの一つを東京・浅草の浅草寺に、もう一つがここに掲げられているのだそうです。草鞋だけでいえば「小松沢観音」と「浅草寺」は兄弟・姉妹なのです。草鞋は男性名詞?それとも女性名詞?帰路バスはどうするんだろうと考えます。雪上観音前にバスを停め、8キロメートルの道を1時間40分かけて参詣する難所なのだそうです。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、有り難味も増すとうものです。それにしても雪上観音前の石鳥居がなくなっていたのには残念です。
この後、東根の‘大けやき’‘漬物の壽屋’‘ふ’などを回って16時40分自宅到着です。
今日の最初は寒河江の第15番札所京集山観音寺「落裳観音」です。まず漢字が読めなくてはと調べましたら、‘おとも’と読むんだそうです。寒河江駅西の新興住宅街の中にありました。境内は奇麗に清掃されていて、お茶のサービスのほか玉コンニャクも売っておりました。絶世の美人と言われた小野小町が開創したのだそうです。女性の方は是非一度詣でて小町にあやかりたいものです。正面に松の枝が垂れ邪魔なので、脇から写真を撮ったらあまりいい構図でありませんでした。
次に、第16番札所長岡山長念寺「長岡観音」です。寒河江の中心街から小路を一つ入った所にありました。ここの観音堂は長念寺と一つになっており、観音堂には五智如来が並び、本堂には県内随一と言われる木造不動明王が鎮座しておりました。
第17番札所は西川町睦合いにある寒江山長登寺「長登観音」です。‘ながのぼり’と読むのだそうです。御朱印所の門前に「庭も見てください!!」の看板があり、入る前から人柄を感じました。笈摺に若い女の方が押印するのを見ながら声を掛けます。「この辺にケンチャンて居りますよね?」の私の問いに女の方が答えます。「イケメンのケンチャンですね。国道を挟んだ向かいの家です。うちとは親戚なんですよ!!」楽しい会話にホッとします。きれいな庭を見ながら辞去します。小さなお子さんが手を振って送ってくれたのが印象に残ります。急な石段を上ります。昇り口に石段の数が書いてありましたが、ハアハアと荒い息づかいで頭の中は空っぽになりました。112号線の真上にありましたが、車での往来では気が付きませんでした。
第18番札所恵日山慈眼院「岩木観音」です。河北町の紅花資料館から北に入ったところにありました。鬱蒼と茂る木立の中に静謐なたたずまいです。カミサンが私を呼びます。呼び声のする手水舎を見ると、手押し式ポンプで水を汲みあげています。う~ん、こういう井戸がまだあったんだ。
次の観音様への途中一寸亭本店で昼食を取り、「おふくさん」にもお参りしました。
第19番札所は東根山秀重院「黒鳥観音」です。東根市役所東方の田圃はずれの小高い山にありました。車で少し山に入ると駐車場があり、傍らに展望台もありました。埴生の宿のような御朱印所にお婆さんと中年の男の人がいて、何となく霊力を感じました。よく見ると私たちは裏から入ったようです。観音堂を少し行くと山門があり、その先に苔むした小径が連なっていました。山門は朽ち物置と化して門前雀羅というものです。自動車による参拝道路ができたため、昔の通路は使われなくなったようです。鐘を突きながら「勿体ない山門!!」
本日の最後は、第20番札所青蓮山清浄院「小松沢観音」です。村山市の東方、山形県環境化学研究センターと雪上観音の間から山に向かって入ります。車の擦れ違いがやっとの狭い道をくねくねと上ります。別当が住む家屋もなかなか趣があります。元旦参りがここであると聞いて、喫驚するばかりです。山門に大きな草鞋が掲げてあります。これは二つ作ったものの一つを東京・浅草の浅草寺に、もう一つがここに掲げられているのだそうです。草鞋だけでいえば「小松沢観音」と「浅草寺」は兄弟・姉妹なのです。草鞋は男性名詞?それとも女性名詞?帰路バスはどうするんだろうと考えます。雪上観音前にバスを停め、8キロメートルの道を1時間40分かけて参詣する難所なのだそうです。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、有り難味も増すとうものです。それにしても雪上観音前の石鳥居がなくなっていたのには残念です。
この後、東根の‘大けやき’‘漬物の壽屋’‘ふ’などを回って16時40分自宅到着です。