お爺さんは山へ柴刈りに

東鳩会の開催概況

J1出陣ー山形県スポーツ振興21世紀協会第23回通常総会

2009年01月30日 16時34分40秒 | Weblog
 ㈳山形県スポーツ振興21世紀協会第23回通常総会が平成21年1月30日(金)、山形県総合運動公園大会議室で開催されました。最初に海保宣生理事長の挨拶があります。「収入以上の投資はしない身の丈に合った運営を行う。1試合11千人の観客の動員に努める。ユースアカデミーを通して青少年の育成に寄与する。この3つを重点目標とする」との話に安堵します。その後遠藤栄次郎副理事長を議長に選び、「平成21年度事業計画(案)」「平成21年度収支予算(案)」「役員の退任(案)」が審議されます。予算額が10億円を超え、収入項目のほとんどが未確定なのが少し心配です。そして副理事長の日野副知事が辞任を申し出て、知事選の影響がもろに出ます。続いて会務報告があり総会が終わろうとしますが、会員の誰一人として意見を述べる方がおりません。私は我慢ができず挙手をします。「昨年の暮‘フルモデルチェンジ構想’でマスコミを賑わしたが、総会には一言の話がないのは遺憾です」と質します。海保理事長は言い訳を述べますが、最後には手続きの誤りを陳謝します。私は県民のモンテディオ山形が活躍してくれればいいのですから、それ以上のことは追及しません。

新藤一晴氏送別会

2009年01月26日 16時34分15秒 | Weblog
 新藤一晴氏送別会・山形県サッカー協会新年会が平成21年1月25日(日)、山形県サッカー協会拡大常務理事会の終了後に開かれました。新藤一晴氏は3年前日本サッカー協会から本県協会に出向され、モンテディオ山形を担当しJ1昇格に貢献されましたが、この度日本サッカー協会に復帰することになります。これまでのご労苦に感謝し送別会を開催する運びとなったものです。

 桂木会長が主催者の挨拶をします。3年前日本サッカー協会に出向きモンテディオ山形強化のため、本県出身の新藤一晴氏の力を貸して欲しいと時の川渕キャップテンにお願いしたいきさつから話します。そして2年の約束が1年延長していただいた温情など話します。日本サッカー協会からJ2チームに職員を派遣することは内密にと川渕さんから言われましたと、もう時効だろうと話します。話の端端に感謝の気持ちがにじみ出ます。会長の長い話には本会員は皆免疫です。

 桂木会長から新藤一晴氏に本協会からの記念品が贈呈されます。寒い日にはこれを首に巻いて温もって下さいとマフラーの贈り物です。決して困った時に首に巻いて引き戻そうなどとは考えてないそうですので、安心してご利用下さいとは蛇足です。

 思い出をこめて新藤氏が挨拶をします。いろいろ勉強させていただき、J1昇格という機会に立ち会えたことは素晴らしい体験です。と飽くまでも控えめです。この静かな人に全国を相手に仕事するエネルギーが何処のあるのだろうと感心します。聞くところによれば‘山形の蕎麦’が原動力らしいです。
 このあと新藤氏の高校の先輩で出身地でもある佐藤攻米沢地区会長、金村元M山形GMからそれぞれねぎらいの言葉が贈られます。

 ここで新年会に戻って川越専務理事から桂木会長にご苦労様と記念品が渡されます。あれ!と思いきや桂木会長がこの度で山形県スポーツ振興21世紀協会の副理事長をお辞めになるのだそうです。

 どさくさに紛れ呑気なご隠居は能天気です。春まだ遠いのに鼻(花)の下だけは伸びてます。金子元理事長は八十八歳だそうです。元気に酒呑む姿に驚き、ここでは私もまだまだ鼻たれです。

 後ろで佐藤(利)監事が眼を凝らしています。ミワコチャンとマサコチャンは本協会の大黒柱です。飲んでいるのはウーロンワインらしいです。知事選挙の開票は始まったのかな気になります。知事と国会議員がいつも二人連れで観戦していたからね。

モンテディオ山形を応援しよう!

2009年01月26日 15時39分11秒 | Weblog
 NPO法人山形県サッカー協会の拡大常務理事会が平成21年1月25日(日)、山形グランドホテルで開催されました。川越専務理事より議案の提案があり、桂木会長の議長によって会議は進められます。‘如何にしてモンテディオ山形を支援するか’が主な議題です。スポーツ振興21世紀協会のチケット販売方法の変更、市町村で始めた募金活動などにどう対応してゆくかについて、現状を確認し合いながら議論が続きます。観戦入場の慫慂、地区協会の正会員加入努力などを確認し、予定の時間を超過して終わります。隣席の長堀鶴岡地区会長が囁きます「今朝鶴岡を発つとき風雪警報が出て雪が舞っていたが、山形は雪がないんだね」私は「ご苦労さん」と労をねぎらいます。さあ~場所を変えて「新藤一晴氏の送別会」です。

東鳩会第49回例会

2009年01月20日 14時51分18秒 | Weblog
 今年初の東鳩会第49回例会は平成21年1月19日(月)、みちのく亭例会場で開かれました。「新年おめでとう。今年もよろしく」と当番のコイチロチャンの音頭で新年を寿ぎます。今年の‘古希の祝い’何時、何所でしようか?平日か、土日か?などの話になりましたが、幹事会に委ねることにします。この話はあっさり終わり酒の肴にはなりません。あっ!お年玉があります。今年もヨシアキチャンがサクランボの差し入れを約束してくれました。寒中に雨が降ると豊作と言いますから、今日の雨は6ヶ月後を楽しみにしてくれます。

 ヨシアキチャンが指でサインを送ります。右手の「銚子二本!」は分かるのですが、机の下の左手が読めません。彼の熱演に水を差してはと深く尋ねません。「俺は45歳から酒を呑み始めました。親父の酒呑む姿を見るととても飲む気にはなれなかった。確執?そうそうそれそれ‘トラウマ’だな~」とヨシアキチャンの熱演が沸騰します。馬を敬うって「驚く」だそうですが、虎と馬が一緒になったらこれはこれで大変なことなんでしょうと私はない知恵を絞ります。

 ノリチャンが中座したとおもいきや「ハラチュウクンの好きな焼酎を買ってきた」というのです。ハチヤクンが言います「俺もそれ好き、ハラチュウクンと同じように作って!」と競ってお代わりを催促します。‘若さの秘訣は女性を意識することか!’と自分なりに納得します。「色気もいいけど食い気が大事!」とカキチャンが牡蠣をよそってあげます。

 今夜の仕上げは‘なめこ蕎麦’に‘ニシンの味噌煮’です。東音会の打合せのため早退したチバチャンには「旨かった」と後で報告することにします。次回は節目の50回です。みなさん来てね!!
 <出席者>蜂屋会長、中山副会長、千葉事務局長、原田、柿崎、朝倉、丹羽、伊藤(光)、石黒、奧山の諸氏

山形東高体育部OB会理事会

2009年01月10日 16時44分49秒 | Weblog
 山形東高体育部OB会第2回理事会が平成21年1月9日(金)、市内金澤屋牛肉店で開かれました。青山会長、勝見学校長の挨拶のち、青山会長の議長で議事は進められます。予算決算案、役員改選案、会計年度の規約改正案の了承を得た後、総会・懇親会の進行、功労賞受賞者、総会出席者数のそれぞれの確認をします。目の前にあるしゃぶしゃぶ鍋からたつ湯気が議事の進行を円滑にします。

 第二回役員会のメーンは何と言っても‘しゃぶしゃぶ’を老舗で食べる新年会です。丑年のせいか今年の肉はことさら旨く感じます。今年で会長職を退く青山先輩、退職する勝見学校長がそれぞれ楽しく飲んでいただけただろうか?私の箸が忙しく、お二方にお酌をするのをすっかり失念しおります。

二冠会

2009年01月03日 16時18分59秒 | Weblog
 新年おめでとう。平成21年1月2日(金)は二冠会開催の日です。定例会場であったオーヌマホテルが廃業したため、今年の会場はホテルキャスルとなりました。20回を記念するこの会に、県内外から15名の往年の‘名’プレイヤーが集まりました。山形東高サッカー部OB会からは武田元会長(二冠会会長)、清野会長、奧山副会長それに山形東高サッカー部元顧問鈴木元監督が出席しました。

 武田二冠会会長の挨拶に続き、奧山OB会副会長の乾杯で会は始まりました。吉田君の進行は警棒を持ってするともっと上手にできたのかなとふっと思いました。武田会長と鈴木元顧問が目を細め、会員の近況をジーと聞きます。康由君から「誠君がランニング仲間と旧冬12月に入籍。三澤君からは‘NOスタで会いましょう’」の欠席者のメールが紹介されます。

 「ビデオで‘キヤップテン翼’見せたけどサッカーしてくれないのよ。うちの息子!!」と直樹君が嘆きます。「章洋君を見習って子供4人だから数に不足ないんだけど、審判してるとやりにくいんだ」と峰田君が応えます。菅原君が「去年4月から院長になりました。内視鏡のポラロイド写真欲しい方是非どうぞ」とPRした後「父の葬儀の際は二冠会の絆の深さと東高サッカーの価値を知らされました」と述懐します。

 「芸工大近くの自宅からヤマコービルの職場まで毎日徒歩50分の通勤をしてます。夜遅く帰って3回ほど職務質問されました。どうしてでしょうね?」と荒木君がいぶかります。「それから、あっそうそう、佐藤宏昭君が2月に結婚するって」章洋君が「うちの子サッカー止めてバスケしだしたのよ」と嘆きますが、どうもモンスターが原因らしい。「週刊誌のヤクザ担当をしてます」と大滝君が怖い話をします。「事業者と週1ぐらいでフットサルをやっています」と優等生の発言は一郎君です。

 「モンテディオ山形J1昇格えがったね。号外俺が担当したの、見てくれた」沢井君が披瀝します。「モンテディオ山形背伸びしないで従来通りの予算でやって欲しいな~」矢作君が心配しながら相槌を打ちます。隆行君が言います「2年生のコーチしてるけど人工衛星の設計より難しいな!」「モンスターペアレンツと言われるガラの悪い親がいて、子どもが素直でなくなる。ここにもそれらしい親がいるよ」と吉見君が現場からの声として同調します。「家を新築し東根市民から山形市民になりました。これからは単身赴任を覚悟してます」と吉田君が決意を話します。「昨年妻が亡くなりましたが、今は安らかな気持ちになりました。二冠会皆さんの弔慰に感謝してます」と心情を話す渋谷君にご冥福を祈るのみです。野口君が私に言います「卒業して25年、先輩から世話になった時の年齢に私たちもなりましたが、遠くにいて後輩には思うようにいきません」「物を借りたら借りた人に返しなさい。心に借りを感じたら現在の周りの人に世話しなさい」と私は答えます。私はその倍の50年になります。元主将野口君の締めでお開きとなりました。
《二冠会とは》
 山形東高サッカー部が1984年(昭和59年)山形東高等学校創立100周年の年に全国高校総合体育大会山形県大会優勝、全国高校選手権大会山形県大会優勝の二冠を制覇しました。この偉業を成し遂げた3年生から1年生までの在籍した全部員で組織し、1990年(平成2年)1月3日第1回を開いた会です。そして武田OB会長が終身会長に要請され、就任しました。