お爺さんは山へ柴刈りに

東鳩会の開催概況

最上三十三観音巡礼その四

2008年10月31日 17時33分37秒 | Weblog
 最上三十三観音巡礼第4日目は、10月29・30日の1泊の旅程で出かけました。12年に1度の子歳連合御開帳は10月31日までです。乗り掛かった船でも折角ですので、期間中に結願したいと気が焦ります。旅行会社に10月30日までに、銀山温泉、赤倉温泉、瀬見温泉から旅館を探してもらいました。何処も一杯で、方々にあたり漸く瀬見温泉に見つけてくれました。もう引くに引けませんから重く垂れこめた雲に雨を心配しながらも、8時45分家を発ちました。

 本日の最初の参拝地は、第21番札所如金山喜覚寺「五十沢観音」です。国道13号線からの分岐を探すのに少々戸惑いましたが、五十沢のを過ぎ間もなくするとありました。路上に春日部ナンバーの車が駐車しているのに驚きました。一直線に延びる石段を上り参拝を済ませます。ここの道路は他に通り抜けるところがないため、今来た道を戻ります。

 次に第28番札所塩沢山曹源院「塩ノ沢観音」です。これから大石田地区の四観音様を巡ります。広い堂宇には御開帳の終わるのを惜しむように、地元のお年寄りも加わり参拝者で一杯です。

 目印の幟がなく通り過ぎてしまい漸く見つけたのが、第29番札所石水山西光寺「大石田観音」です。ここも堂宇は参拝者が一杯で中に入れません。外で般若心経を読経しました。

 「大石田観音」の仁王門です。男仁王像と女仁王像の二体があり、これは男仁王像です。彫像の材料は村山市の尾上の松の松だそうです。また、この像の股を潜れば子供の麻疹が軽く済み、知恵の発達が早いと地元の信心が厚いそうですが、囲いがあって股は潜れませんでしたので、又にします。

 第27番札所香林山清行院「深堀観音」です。団体巡礼者が押し寄せ、狭い堂宇から参拝者があふれています。堂宇の右手の突き出たところに、狭い部屋の御朱印所がありました。年老いた男性の堂守がおりましたが、多くの参拝者にてんてこ舞してボヤキが出ます。順を待っていた旅行会社の添乗員が堂守に言います。「私が代わって御朱印を押させていただいてよろしいでしょうか?」と堂守に了解を得ます。持ってきた大きな風呂敷包みを開くと、そこには高く積まれた「笈摺」の上に薄朱に染まった手袋があります。それを手にはめると御朱印を持ち押印します。その手際の良いこと。あっという間に押し終えると「御影(おすがた)を○○枚いただきます」と勝手に御影の束から取ります。「笈摺○○枚で合わせて○○円です。ここに1万円を入れますから、釣銭を○○円いただきます」とこれも勝手に銭箱に手を入れて済まします。う~ん経験のなせる業かと私は横目で見ながら唖然とします。それでも私はここで御朱印をいただくのに20分ほどかかりました。

 第26番札所川前観音堂「川前観音」です。最上川を見下ろす小高い崖っぷちにありました。観音堂に続く次の部屋が御朱印所になって居りました。そこには女性が二人「今日は忙しいです」と団体参拝者を送り出し、ホッとしていました。

 正午に合わせたように到着したのが、第25番札所弘誓山養泉寺「尾花沢観音」です。今か今かと心配していた雨がとうとう落ちてまいりました。境内にある「涼しさを我宿にしてねまるなり」の芭蕉の句碑を横目に見ながら、昼時に混むであろう食堂を敬遠して先を急ぎます。

 第22番札所祥雲山「延沢観音」です。御朱印所にうやうやしく入りますと、そこに座するは中学生と思しき少女でした。繁忙期は一家総出の仕事のようです。

 第23番札所光沢山円照寺「六沢観音」です。御朱印の押印をお願いすると座敷に通され、女主人が胸の前に両手を合せ挨拶します。一寸緊張しました。観音堂前の立派な鳥居です。これを見てまた観音様が仏様か?神様か?分らなくなってきます。

 第24番札所宝沢山薬師寺「上ノ畑観音」です。ここの御朱印所も座敷に通され、両の手を合わせ挨拶されました。

 「上ノ畑観音」の山門です。銀鉱山があった時代は賑やかだったんだろうと往時を偲びます。禅宗独特の窓をしつらえた立派な山門です。

 判りにくい小路をどうにかたどり着いたのが、第30番札所鷹尾山般若院「丹生観音」です。まだ、13時30分というのに辺りは薄暗く気温も下がってきたようです。仄暗い石段を少し登った所に御朱印所があり、窓が大きく開いていましたが誰もいません。来訪を告げますがしーんとしています。前よりも少し大きな声で告げますと別当が現れ、「寒くなったので引っこんでおりました」と

 山刀伐峠を超えて着いたのが、第31番札所浪高山東善院光清寺「富沢観音」です。仁王門を入ると直ぐ右に御朱印所があり、別当が参拝者に丁寧に応対してました。奇遇なことにその中にシノブチャンを見つけました。御夫婦でお礼参りに来たそうです。堂内には馬の絵がびっしりと掲げられ、馬産地が偲ばれます。 

 余りにも立派な[富沢観音」の仁王門でしたので、記念にとシャッターを押しました。

 場所が分らず向町役場を一周しました。ここは番外札所臥龍山天徳寺「世照観音」です。‘よをてらすかんのん’と読むのだそうです。ここの本尊菩薩像は珍しいことに天徳寺の位牌堂にあるのです。参拝を終えると、仁王門の傍にある手書きの看板‘観音茶屋’が目にとまります。ボランテアの模擬店でしょうか、二・三人のご婦人が歓談しておりました。私たちはコンニャク田楽をいただきました。口の中には甘い余韻が残り、腹の底がホッコリと暖まるような感じです。食堂が見当たらずここまで昼食を食べそびれていたのです。

 ここが今日の御しまい、第32番札所慈雲山明学院「太郎田観音」です。今日1日で幾つの堂を回れるか心配して来たが、予想以上の13堂を回ることができ満足しました。今夜の宿泊地は瀬見温泉です。温泉に入り冷えた体を温め、般若湯をいただきます。思わず顔がほころび口の中に唾が広がります。
 15時50分、老舗旅館○○楼に着きました。仲居さんが部屋に案内してくれて、暖房を入れお茶を出してくれました。だがお茶はまずくて飲めません。部屋が暖まったらカメムシが挨拶をします。古い旅館だから仕方ないよと寛容にしています。ローマ風呂、オランダ風呂それにあったまり風呂の3種類がありますと案内されましたので、私はあったまり風呂に、カミサンはローマ風呂に入りました。あったまり風呂はぬるめのうえシャワー設備もなくどうしたものかなと躊躇してると、「ぬるくて風邪ひきそう」とカミサンの声が聞こえます。温泉を楽しむことができませんでした。それでは身体だけでも温めようと部屋にあるバスのコックを捻りましたが、ポトリともお湯は出てきません。これでもバス付というのかな~
 翌日、朝食時その旨を告げると温泉のバルブを開けるのを忘れていたというので、食後今度はオランダ風呂に入り直します。私は入浴しているうちにだんだん寒くなります。“かけ流し”という案内ですが、お湯が流入しているところが見当たりません。不思議な温泉です。カミサンは温泉から上がって「温まった」と言ったので、旅館には不平不満を言いませんでした。これは観音様を巡礼しているうちに、寛恕の心が芽吹いていたのかも知れません。茨城から来たという二人連れの客は「明治時代建築の木造3階建て」というテレビを見てきたと言っておりました。そんな楽しみ方もあるのでしょうけど、温泉地と言ったら“かけ流し”の風呂ですよね~ 9時35分、青空が時折顔を見せる天候を気にしながら宿を発ちました。

 この門は、三十三観音を無事に巡礼することができたことへの感謝をこめて「おかげさまで」と声に出して潜るのだそうです。私たちも最上三十三観音の打ち止めを喜び「おかげさまで」と声を出して潜ります。

 第三十三番札所庭月山月蔵院「庭月観音」です。仁王門ではいつまでも足が丈夫であるようにと木の足形を撫でます。堂宇に入りゆっくりとした気持で般若心経を読経します。御朱印所では別当から「参拝は子歳だけには限りません。いつでも参拝して下さい」の教えを受けます。どうした訳か「おかげさま門」から入って出るまでの間だけ雨が降ったのです。カミサンが言います「誰かが別れを惜しんでいるのかな~」と。家内安全、身体堅固、交通安全、夫婦円満、質素倹約、整理整頓、世界平和、自然愛護、ころり往生、山形東サッカー部優勝などなどの多くの願いに観音様も今頃困っているだろうな~

 最上三十三観音巡礼のおまけに紅葉を見学することにしました。ここは真室川町の高坂ダムのダムサイトです。ダム建設に命を捧げた人の慰霊碑に手を合わせご冥福を祈ります。カミサンから「紅葉綺麗だね~」と言われて満足しました。
 先週カミサンから突然言われ、最上三十三観音の御札打ちを始めましたが本日をもって結願と相成りました。三十三観音に番外+ころり観音二つ+べにばな観音の都合37観音を延5日間で巡り、出かける前はいろいろと心配したものでしたが杞憂に終わりました。これにて最上三十三観音巡礼記を終わります。

最上三十三観音巡礼その三

2008年10月27日 17時53分36秒 | Weblog
 10月23日(水)3日続けての最上三十三観音巡礼に出かけました。天気の良いうちに終わそうと、乗りかかった船には船酔いしない程度に乗ることにしました。山形近郊の観音巡礼は昨日で終えたので、今日からは足が伸びます。おにぎり、お茶、冷水、飴、雨具など回を重ねるごとに準備は万端にわたります。

 今日の最初は寒河江の第15番札所京集山観音寺「落裳観音」です。まず漢字が読めなくてはと調べましたら、‘おとも’と読むんだそうです。寒河江駅西の新興住宅街の中にありました。境内は奇麗に清掃されていて、お茶のサービスのほか玉コンニャクも売っておりました。絶世の美人と言われた小野小町が開創したのだそうです。女性の方は是非一度詣でて小町にあやかりたいものです。正面に松の枝が垂れ邪魔なので、脇から写真を撮ったらあまりいい構図でありませんでした。

 次に、第16番札所長岡山長念寺「長岡観音」です。寒河江の中心街から小路を一つ入った所にありました。ここの観音堂は長念寺と一つになっており、観音堂には五智如来が並び、本堂には県内随一と言われる木造不動明王が鎮座しておりました。

 第17番札所は西川町睦合いにある寒江山長登寺「長登観音」です。‘ながのぼり’と読むのだそうです。御朱印所の門前に「庭も見てください!!」の看板があり、入る前から人柄を感じました。笈摺に若い女の方が押印するのを見ながら声を掛けます。「この辺にケンチャンて居りますよね?」の私の問いに女の方が答えます。「イケメンのケンチャンですね。国道を挟んだ向かいの家です。うちとは親戚なんですよ!!」楽しい会話にホッとします。きれいな庭を見ながら辞去します。小さなお子さんが手を振って送ってくれたのが印象に残ります。急な石段を上ります。昇り口に石段の数が書いてありましたが、ハアハアと荒い息づかいで頭の中は空っぽになりました。112号線の真上にありましたが、車での往来では気が付きませんでした。

 第18番札所恵日山慈眼院「岩木観音」です。河北町の紅花資料館から北に入ったところにありました。鬱蒼と茂る木立の中に静謐なたたずまいです。カミサンが私を呼びます。呼び声のする手水舎を見ると、手押し式ポンプで水を汲みあげています。う~ん、こういう井戸がまだあったんだ。
 次の観音様への途中一寸亭本店で昼食を取り、「おふくさん」にもお参りしました。

 第19番札所は東根山秀重院「黒鳥観音」です。東根市役所東方の田圃はずれの小高い山にありました。車で少し山に入ると駐車場があり、傍らに展望台もありました。埴生の宿のような御朱印所にお婆さんと中年の男の人がいて、何となく霊力を感じました。よく見ると私たちは裏から入ったようです。観音堂を少し行くと山門があり、その先に苔むした小径が連なっていました。山門は朽ち物置と化して門前雀羅というものです。自動車による参拝道路ができたため、昔の通路は使われなくなったようです。鐘を突きながら「勿体ない山門!!」

 本日の最後は、第20番札所青蓮山清浄院「小松沢観音」です。村山市の東方、山形県環境化学研究センターと雪上観音の間から山に向かって入ります。車の擦れ違いがやっとの狭い道をくねくねと上ります。別当が住む家屋もなかなか趣があります。元旦参りがここであると聞いて、喫驚するばかりです。山門に大きな草鞋が掲げてあります。これは二つ作ったものの一つを東京・浅草の浅草寺に、もう一つがここに掲げられているのだそうです。草鞋だけでいえば「小松沢観音」と「浅草寺」は兄弟・姉妹なのです。草鞋は男性名詞?それとも女性名詞?帰路バスはどうするんだろうと考えます。雪上観音前にバスを停め、8キロメートルの道を1時間40分かけて参詣する難所なのだそうです。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、有り難味も増すとうものです。それにしても雪上観音前の石鳥居がなくなっていたのには残念です。
 この後、東根の‘大けやき’‘漬物の壽屋’‘ふ’などを回って16時40分自宅到着です。

最上三十三観音巡礼その二

2008年10月26日 17時23分58秒 | Weblog
 第二回目の最上三十三観音巡礼は翌日の10月22日(水)に行いました。カミサンの運転する車で助手席の私は地図とにらっめこの道案内です。

 今日の最初の観音様は、第8番札所六椹山宗福院「六椹観音」です。観音堂は3千万円の費用で新しく建立されたものでした。信者の力は凄いものとただただ驚くばかりですが、私には古い観音堂の方が霊験あらたかなように思えました。。弁財天を祀っているというので、その御利益にあやかろうと近郷近在の人が参拝に詣でるそうです。金融危機に際し、G8の金融担当者もここで会議をしてみてはどうかな~

 第9番札所金峰山松尾院「松尾山観音」です。半郷地区の松尾川の傍にありました。観音堂の茅葺き屋根とその方形の建物、それにその手前にある太鼓橋が印象的でした。観音堂の中に入るとほの暗い隅に酒器があり、本尊の聖観世音菩薩様は私と同じく、般若湯が好きなんだとえらく親近感を覚えました。

 第10番札所水岸山観音寺「上ノ山観音」です。石段の途中にある手水舎で清めようと手にしたら、これが熱いのです。温泉町の観音様らしく、足湯ならぬ手湯で参拝者を歓待しているようです。屋根の鬼瓦のギョロ目に愛嬌があります。

 第11番札所高松山光明院「高松観音」です。旧国道13号から急な石段が続く高台にありました。ここでする毎年12月の裸餅つきがテレビ等で紹介され有名です。その餅つきは何処でやるんだろうとキョロキョロ。この狭い堂宇でやるんだろうか?帰り一般民家の御朱印所を探してキョロキョロ。

 曲がりくねった細い道、それに道を塞ぐ下水道工事に悩まされ、漸く着いたのが第12番札所長谷山長光院「長谷堂観音」です。御朱印所から「向いの山です。15分位かかります」との案内を得て歩き始めました。ところが日ごろの運動不足も手伝って、息が切れ動悸が次第に高鳴ります。下って来る参詣者が口々に「もう少しですよ。頑張って!」励ましてくれます。私も男とカミサンの前では弱音を吐けません。下を向いて歩いていたらどうしたことか道を間違えたのです。狐に化かされたか?稲荷神社のある城山城址の頂上まで来てしまいました。天地人による‘長谷堂合戦’の幟がはためています。そして西山形を一望し、冷水を口にすると疲れが引くようです。これはいい‘おまけ’です。気を取り直して観音様に参拝します。

 長谷堂地区には「ころり観音」がある筈とカミサンが言います。漸く探し当てますと、民家の庭を御免していただき歩いた本沢川の傍にありました。扉に鍵のついた小さな堂宇です。小さな隙間から賽銭を投げ込んで、迷惑のかからない最期を二人は念じます。カミサンは二つの「ころり観音」お参りできたと喜んでいます。これも‘おまけ’です。

 第13番札所観音山常福寺「三河観音」に向います。途中遅い昼食を取ろうとしますが休業が多く、やっと山辺に来て準備中をお願いして蕎麦をいただきました。もう15時です。三河観音を参拝した後、カミサンがまだ腹が物足りないというので、用意してきた小さなおにぎりをお茶で食べます。これがまた旨かった、流石カミサン。
 今日はこれで終わりにしようと、第14番札所金剛山正法寺「岡村観音」の御朱印所を訪ねます。一般民家でした。玄関で来訪を告げると大きな男が出てきて無愛想に、「笈摺」をここへと眼で合図します。もぐもぐと口を動かし何か食べてるようです。ここには「岡村観音」と記されていますが、参考本には「岡観音」とあり、その違いを尋ねるようと思いましたが止めました。感じ悪さに観音堂の写真を撮るのを失念ました。帰宅16時45分。今日は‘おまけ’が二つ、心地よい晩酌ができたことは言うまでもありません。

今年は山形中央高でした

2008年10月25日 17時07分37秒 | Weblog
 平成20年10月25日(土)、全国高等学校サッカー選手権大会山形県決勝大会が、秋晴れのNDスタジアムでありました。去年に続き羽黒と山形中央の対戦となりました。前半、山形中央は左から長いボールをバックスの裏に通し先取点をあげます。後半20分頃、今度は羽黒が山形中央と同じように、バックスの裏を取りネットを揺らします。山形中央は交代選手3人を既に使い切っており、昨年と同様逆転劇が脳裏をよぎりました。しかし、後半40分頃、山形中央は右からバックの底をえぐり、グランダーのボールをゴール前に通しますと、これに合わせフォワードが飛び込み追加点を押し込みます。山形中央は3年ぶりの優勝です。だが、この力で全国に通用するのかな?モンテディオ山形の小林監督が観戦していましたが、見るものがあったのかな~私は桂木会長の代理で表彰式に臨みましたが、このスピーカー嫌い。話す言葉とタイムラグがあり、どこまで話したか判らなくなるのです。それからテレビ放映嫌い。いつも後ろから頭の薄い所を狙って映すのです。

最上三十三観音巡礼

2008年10月24日 15時13分25秒 | Weblog
 平成20年10月21日からカミサンと最上三十三観音巡礼に出かけました。前夜突然カミサンが「今年は12年に一度の子歳御開帳の年に当たるので三十三観音様参りはど~お」と言うのです。明日のことを今夜、さすがに私も狼狽します。「この次と言えば私はこの世に存在するかな~」とカミサンは続けます。う~ん、私も12年後といえば80歳を超えます。毎日身体を持て余しているし、ここ数日晴天は続いているし、思い立った時が吉日とばかりに「ハイ」の二つ返事をしました。決して日頃の力関係からではありませんので、誤解のないように!!

 今日の好天は私たちの旅立ちを祝福しているようです。まずは第1番の鈴立山若松寺「若松観音」に向け草鞋(嘘でした、靴です)を履きました。自家用車でくねくねとした山道を登ると、観光バスをはじめひっきりなしに車が出入りして、ガードマンは大忙しです。早速御朱印所に行き、巡礼の必需品「笈摺(おいずり)」を購入します。初体験の旨伝え観音様参拝の‘いろは’をお聞きしました。一緒にウエットスーツのようなものを着た若者がいました。カミサンは「どんな事情があるにせよ若者が一人巡礼するなんて偉いな~」と感心しきりです。

 つぎに第2番の宝珠山立石寺千手院「山寺千手院」に向かいます。線路をまたぎ参拝する珍しい観音様です。御朱印所で聴き足りなかったことを補充します。次へと踵を返したとき、下の方から若松観音出会った青年が、自転車に乗ってくるじゃありませんか!!カミサンはますます感心絶賛です。写真は省略‘電車も参拝するの’を見てね。第3番「千手堂」に行く途中おまけとして三宝岡風立寺(写真)に寄りました。正面向かって左の方を上ると「ころり観音」あるというのです。

 「風立寺ころり観音」に今後よろしくお願いしますと丁寧に参拝しました。何故かカミサンは大喜びです。

 風立寺の白亜の「べにばな観音」最近建立されたようです。カミサンは[べにばな観音」と同行二人でありたいというのかな~私もこんな柔和な顔を拝することできれば幸せだな~観音様は毎日東山を眺めながら安寧な生活を見守っているのでしょうね。

 第3番守国山吉祥院「千手堂」です。昔の地元で元旦詣りもしましたが、最近は無沙汰です。

 「千手堂」の境内で、カミサンが‘お茶の花’ですと教えてくれました。寒い時季によく頑張ってるな~

 第4番大慈山圓應寺「圓應寺」に着いたら団体参拝者で一杯です。聞くところによれば東京・浅草から参ったそうです。真言宗智山派というので裏の墓地をのぞいてみたら、空きはなかったようです。

 第5番唐松山護国寺「唐松観音」です。昔は何気なしに昼休み時々訪れたものでしたが、「笈摺」と一緒すると気持ちが引き締まります。清水寺の舞台ならぬ唐松観音の舞台から、逢魔が時の市内を眺めると夕餉の香りがします。経文を口しなければ御利益もないだろうと般若心経の小本を買い求めました。

 第6番清水山耕龍寺「平清水観音」です。耕龍寺裏の高台にありました。傍の道路を幾度となく通ったのですが、関心がないと気が付かないものです。参拝中は誰も居ずさびしく思っていたら、直ぐに団体さんが上ってきました。私たちは千歳山の麓の近道を利用したからと納得しました。

 第7番新福山般若院石行寺「岩波観音」です。岩波地区の奥深いところにありました。庭がきれいに整えてあり、暫し鑑賞しました。御朱印所は石行寺にあり、話し方の上品な住職さんでした。たそがれに足元が危なくなったので、第1日目はこれまでとして帰路につきました。16時50分漸く足を投げ出してお茶をいただきました。


山形東高同窓会まつり

2008年10月19日 16時22分07秒 | Weblog
 山形東高同窓会まつりは平成20年10月17日(金)、ホテルメトロポリタン山形に700名を超える会員が相集い開催されました。オーヌマホテルの閉館により初のメトロ山形での開催となりましたが、会場が狭く宴席がロビーにあふれて立食席ができる有様でした。

 総会、表彰式そして‘まつり’のセレモニーと続きます。長い間の想い出の空白を埋るかのようにみなさんの挨拶が長くなり、乾杯の発声まで2時間を要しました。長い待機時間のイライラを沈めるかのように、チアリーダーの演技が目を覚まさせてくれます。喜寿祝賀者には在学中考えられないことと、目を丸くして若さをチョッピリ頂いたようです。我々は励まされてますます禿が増すようです。当番幹事の四六会後藤代表に酒の追加をお願いしても、一瞥するだけで耳を貸してくれません。今年の喜寿祝賀者は東高一回卒ですので、我々は八年後です。日頃より健康管理に努めましょう。

 祝宴に入り余程喉が渇いたのか、すぐにビールが空になります。酒を注文してもなかなかテーブルに届きません。斎藤知事がビールを注ぎに我がテーブルに来ましたが、チバチャン(東音会会長)にだけ注いで向こうに行かれました。選挙で頑張ったからな~とは下衆の勘繰りです。テーブル間が狭く袢纏を着た幹事の往来だけで一杯になり、ほかのテーブルに伺うこともできません。乾杯から万歳三唱まで一時間です。二時間待って一時間の飲酒、こんなに健康的な酒呑みはほかに見当たりません。

 少し酒量が足りないと思っていたら、隣のハラチュウクンが檀家回りをすると言うので、ノリチャンと一緒することにしました。この時ばかりは宗派を超えてすぐに話がまとまります。駅前のタクシー乗り場に行きますと、これまで見たことのない長蛇の列です。タクシーの運転手さんが言います。「こんなの月に一度あったらいいのにな~」今夜私は山形の経済効果に少し寄与したと密かに自負しました。二次会の席も山形東高のOBで賑やかでした。ハラチュウクンも悟りを開いたごとく温和な顔になりましたので、今夜はこの辺にて終わりにしとうございます。

沖縄がやって来た!

2008年10月16日 16時24分03秒 | Weblog

 今日(10月16日)我が家の庭に沖縄がやってきました。沖縄のシンボルハイビスカスが咲いたのです。7年前沖縄旅行の際にいただいた挿木を育てたものですが、今年は芽吹きも遅くどうしたものかと思っていたら、暑い夏を過ぎて最高気温が20度を切ろうかという時に、小さな可愛い花を付けてくれました。カミさんの世話が良かったからかな~まあ!地球温暖化など悲観的に考えず、素直に吉兆と喜びトト・ビッグを買うことにします。

山形東高サッカー部激励会

2008年10月13日 17時43分51秒 | Weblog
 山形東高サッカー部激例会が平成20年10月12日(日)、メトロポリタン山形で開かれました。私もOB会の一員として出席しました。「何の大会の激励会?」と尋ねましたら、11月1日からの県新人大会と11月15日からの1年生大会だそうです。それでは2大会分激励しなければと気合いが入ります。以前は高校サッカーの集大成となる高校選手権の激励会でしたが、選手権の日程が早くなったのに伴い、激励の対象も変わったようです。要はこれからの全試合に勝利する激励なんだと一人納得しました。OB会は秋保幹事長、後藤HP編集長、岸機関紙編集長が臨席しましたが、清野会長の姿が見えません。何処に雲隠れをしたのか。

 鬼島保護者会長の挨拶は、日本ナショナルチーム育ての親クラマーを話題にするなどなかなか含蓄のあるものでした。

 今野監督は多くの保護者サポーターの参加に目を細めていました。近頃痛風にかかり痛い思いをしたそうですが、新妻のあま~い手料理が原因かな~矢吹病院で選手と一緒にメデカルチェックを受けましょう。

 鬼島主将が新人大会の勝利に向けて熱く決意を表明します。それにしても制服を着用するとユニホーム姿とまるで違って可愛いね。爺ちゃんの応援って嬉しいね。でも、蕎麦がのびないか心配しましたが、それは余計なお世話でした。

 堅太郎のお父さん(?)がエールを送ります。子息よりも以上に気合が入り、会場からは万雷の拍手です。

 秋保幹事長からは激励の前に「先輩、後輩のけじめをわきまえなさい!」とイエローカードが示されました。心技体は伝統に裏打ちされます。分ったね、裕介!「サッカーは人を紳士にする」とクラマーの言葉を鬼島会長が紹介したでしょう。源はもう少し走りこみましょう。

 部屋を移した二次会に誘われました。二次会にご案内を受けたのは暫くぶりです。若いお父さんとお母さん、生徒諸君よりこちらの方がエネルギー満載です。OB会?紀行の父ちゃん保護者会副会長でした。失礼しました。

 琢哉のお母さんが言います「得点されたらどうしよう。みんなに迷惑かけはしないか、いつも心配してます」応援どころじゃないようです。沢山点は取らなくていいのよ、失点より1点だけ多く得点すればいいのです。選手諸君、お母さんの心配を払拭してね。

 追っかけギャル(?)究のお母さんも「ポジション変わって心配です」と。サッカーゲームは格闘技、気合と根性でやってくれると思います。

一ぱいやはいつも突然に

2008年10月10日 17時10分01秒 | Weblog

 昨日(10月9日)夕刻突然「相手がいなくて乾杯できないよ!」の電話がありました。“一ぱいや”でT画伯が待っているというのです。私は“一ぱいや”へ急行します。少し遅れて自称保育所の先生が加わり、いつもの3人が揃いました。乾杯してコップ酒に煮込みを頼みます。そして芸術の秋に因み美術の話をしながら、焼き鳥を堪能します。90分程するとT画伯の動きが鈍くなります。「歳を重ねると回りが速くなるな」と言って「今夜はこれまで」と言います。私たち二人は一寸物足りなく‘お立ち酒’を頂き別れました。早い帰りがキリン杯サッカー日本対UAEを後半から楽しませてくれました。

電車も参拝するの?

2008年10月03日 16時34分44秒 | Weblog
 今日(10月3日)は抜けるような青空に、家に閉じ籠っている場合じゃないぞ!!♪冬が来る前にもう一度あなたに巡り会いたい~さて何処にしようかな?そうだ!過日山寺行きで残してきた山寺千手院に行ってみよう。

 山寺千手院に10時半前に着きました。着いて直ぐにびっくり、目前で電車が参拝しているじゃありませんか!人間以外万物に御利益があるんだろうと生半可な知識で納得しました。

 最上三十三所第二番霊所で千手観音菩薩が本尊だそうです。お参りを終えてあちこち眺めていたら「しばらくです!!」との声。よく見ると最上三十三観音の虎の巻を携えた、センメイチャン(元同僚)じゃあ~りませんか!彼が言う。「観音様が二人を会わせてくれたんですね!」私は霊験のあらたかさに驚き、改めて二人で参拝しました。センメイチャンも第二の職場を今春辞めて最上三十三観音を巡っているのだそうです。「観音様は仏様?神様?鈴が下がっているが拍手するの?しないの?」と尋ねられましたが、返答に窮しました。齢を重ねるだけでまだまだ修行が足りないことを痛感しました。

 ここは東照会会員のノブオチャンの地元だったな~と思いだし、ご朱印所に尋ねてみると「ここの一寸先の大きな木のところが家です。いい人でね。いま町内会長をしています」と小母ちゃんが教えてくれました。
 おばあちゃんが難儀して踏切を渡る姿を見ていると、ここに「山寺千手院」という駅を造ったら、面白山高原駅より賑やかなのではないだろうかと、ふと思ったりした。そして、私も観音様の御利益を授かろうと、早速トト・ビッグを購入して帰りました。