最上三十三観音巡礼第4日目は、10月29・30日の1泊の旅程で出かけました。12年に1度の子歳連合御開帳は10月31日までです。乗り掛かった船でも折角ですので、期間中に結願したいと気が焦ります。旅行会社に10月30日までに、銀山温泉、赤倉温泉、瀬見温泉から旅館を探してもらいました。何処も一杯で、方々にあたり漸く瀬見温泉に見つけてくれました。もう引くに引けませんから重く垂れこめた雲に雨を心配しながらも、8時45分家を発ちました。
本日の最初の参拝地は、第21番札所如金山喜覚寺「五十沢観音」です。国道13号線からの分岐を探すのに少々戸惑いましたが、五十沢のを過ぎ間もなくするとありました。路上に春日部ナンバーの車が駐車しているのに驚きました。一直線に延びる石段を上り参拝を済ませます。ここの道路は他に通り抜けるところがないため、今来た道を戻ります。
次に第28番札所塩沢山曹源院「塩ノ沢観音」です。これから大石田地区の四観音様を巡ります。広い堂宇には御開帳の終わるのを惜しむように、地元のお年寄りも加わり参拝者で一杯です。
目印の幟がなく通り過ぎてしまい漸く見つけたのが、第29番札所石水山西光寺「大石田観音」です。ここも堂宇は参拝者が一杯で中に入れません。外で般若心経を読経しました。
「大石田観音」の仁王門です。男仁王像と女仁王像の二体があり、これは男仁王像です。彫像の材料は村山市の尾上の松の松だそうです。また、この像の股を潜れば子供の麻疹が軽く済み、知恵の発達が早いと地元の信心が厚いそうですが、囲いがあって股は潜れませんでしたので、又にします。
第27番札所香林山清行院「深堀観音」です。団体巡礼者が押し寄せ、狭い堂宇から参拝者があふれています。堂宇の右手の突き出たところに、狭い部屋の御朱印所がありました。年老いた男性の堂守がおりましたが、多くの参拝者にてんてこ舞してボヤキが出ます。順を待っていた旅行会社の添乗員が堂守に言います。「私が代わって御朱印を押させていただいてよろしいでしょうか?」と堂守に了解を得ます。持ってきた大きな風呂敷包みを開くと、そこには高く積まれた「笈摺」の上に薄朱に染まった手袋があります。それを手にはめると御朱印を持ち押印します。その手際の良いこと。あっという間に押し終えると「御影(おすがた)を○○枚いただきます」と勝手に御影の束から取ります。「笈摺○○枚で合わせて○○円です。ここに1万円を入れますから、釣銭を○○円いただきます」とこれも勝手に銭箱に手を入れて済まします。う~ん経験のなせる業かと私は横目で見ながら唖然とします。それでも私はここで御朱印をいただくのに20分ほどかかりました。
第26番札所川前観音堂「川前観音」です。最上川を見下ろす小高い崖っぷちにありました。観音堂に続く次の部屋が御朱印所になって居りました。そこには女性が二人「今日は忙しいです」と団体参拝者を送り出し、ホッとしていました。
正午に合わせたように到着したのが、第25番札所弘誓山養泉寺「尾花沢観音」です。今か今かと心配していた雨がとうとう落ちてまいりました。境内にある「涼しさを我宿にしてねまるなり」の芭蕉の句碑を横目に見ながら、昼時に混むであろう食堂を敬遠して先を急ぎます。
第22番札所祥雲山「延沢観音」です。御朱印所にうやうやしく入りますと、そこに座するは中学生と思しき少女でした。繁忙期は一家総出の仕事のようです。
第23番札所光沢山円照寺「六沢観音」です。御朱印の押印をお願いすると座敷に通され、女主人が胸の前に両手を合せ挨拶します。一寸緊張しました。観音堂前の立派な鳥居です。これを見てまた観音様が仏様か?神様か?分らなくなってきます。
第24番札所宝沢山薬師寺「上ノ畑観音」です。ここの御朱印所も座敷に通され、両の手を合わせ挨拶されました。
「上ノ畑観音」の山門です。銀鉱山があった時代は賑やかだったんだろうと往時を偲びます。禅宗独特の窓をしつらえた立派な山門です。
判りにくい小路をどうにかたどり着いたのが、第30番札所鷹尾山般若院「丹生観音」です。まだ、13時30分というのに辺りは薄暗く気温も下がってきたようです。仄暗い石段を少し登った所に御朱印所があり、窓が大きく開いていましたが誰もいません。来訪を告げますがしーんとしています。前よりも少し大きな声で告げますと別当が現れ、「寒くなったので引っこんでおりました」と
山刀伐峠を超えて着いたのが、第31番札所浪高山東善院光清寺「富沢観音」です。仁王門を入ると直ぐ右に御朱印所があり、別当が参拝者に丁寧に応対してました。奇遇なことにその中にシノブチャンを見つけました。御夫婦でお礼参りに来たそうです。堂内には馬の絵がびっしりと掲げられ、馬産地が偲ばれます。
余りにも立派な[富沢観音」の仁王門でしたので、記念にとシャッターを押しました。
場所が分らず向町役場を一周しました。ここは番外札所臥龍山天徳寺「世照観音」です。‘よをてらすかんのん’と読むのだそうです。ここの本尊菩薩像は珍しいことに天徳寺の位牌堂にあるのです。参拝を終えると、仁王門の傍にある手書きの看板‘観音茶屋’が目にとまります。ボランテアの模擬店でしょうか、二・三人のご婦人が歓談しておりました。私たちはコンニャク田楽をいただきました。口の中には甘い余韻が残り、腹の底がホッコリと暖まるような感じです。食堂が見当たらずここまで昼食を食べそびれていたのです。
ここが今日の御しまい、第32番札所慈雲山明学院「太郎田観音」です。今日1日で幾つの堂を回れるか心配して来たが、予想以上の13堂を回ることができ満足しました。今夜の宿泊地は瀬見温泉です。温泉に入り冷えた体を温め、般若湯をいただきます。思わず顔がほころび口の中に唾が広がります。
15時50分、老舗旅館○○楼に着きました。仲居さんが部屋に案内してくれて、暖房を入れお茶を出してくれました。だがお茶はまずくて飲めません。部屋が暖まったらカメムシが挨拶をします。古い旅館だから仕方ないよと寛容にしています。ローマ風呂、オランダ風呂それにあったまり風呂の3種類がありますと案内されましたので、私はあったまり風呂に、カミサンはローマ風呂に入りました。あったまり風呂はぬるめのうえシャワー設備もなくどうしたものかなと躊躇してると、「ぬるくて風邪ひきそう」とカミサンの声が聞こえます。温泉を楽しむことができませんでした。それでは身体だけでも温めようと部屋にあるバスのコックを捻りましたが、ポトリともお湯は出てきません。これでもバス付というのかな~
翌日、朝食時その旨を告げると温泉のバルブを開けるのを忘れていたというので、食後今度はオランダ風呂に入り直します。私は入浴しているうちにだんだん寒くなります。“かけ流し”という案内ですが、お湯が流入しているところが見当たりません。不思議な温泉です。カミサンは温泉から上がって「温まった」と言ったので、旅館には不平不満を言いませんでした。これは観音様を巡礼しているうちに、寛恕の心が芽吹いていたのかも知れません。茨城から来たという二人連れの客は「明治時代建築の木造3階建て」というテレビを見てきたと言っておりました。そんな楽しみ方もあるのでしょうけど、温泉地と言ったら“かけ流し”の風呂ですよね~ 9時35分、青空が時折顔を見せる天候を気にしながら宿を発ちました。
この門は、三十三観音を無事に巡礼することができたことへの感謝をこめて「おかげさまで」と声に出して潜るのだそうです。私たちも最上三十三観音の打ち止めを喜び「おかげさまで」と声を出して潜ります。
第三十三番札所庭月山月蔵院「庭月観音」です。仁王門ではいつまでも足が丈夫であるようにと木の足形を撫でます。堂宇に入りゆっくりとした気持で般若心経を読経します。御朱印所では別当から「参拝は子歳だけには限りません。いつでも参拝して下さい」の教えを受けます。どうした訳か「おかげさま門」から入って出るまでの間だけ雨が降ったのです。カミサンが言います「誰かが別れを惜しんでいるのかな~」と。家内安全、身体堅固、交通安全、夫婦円満、質素倹約、整理整頓、世界平和、自然愛護、ころり往生、山形東サッカー部優勝などなどの多くの願いに観音様も今頃困っているだろうな~
最上三十三観音巡礼のおまけに紅葉を見学することにしました。ここは真室川町の高坂ダムのダムサイトです。ダム建設に命を捧げた人の慰霊碑に手を合わせご冥福を祈ります。カミサンから「紅葉綺麗だね~」と言われて満足しました。
先週カミサンから突然言われ、最上三十三観音の御札打ちを始めましたが本日をもって結願と相成りました。三十三観音に番外+ころり観音二つ+べにばな観音の都合37観音を延5日間で巡り、出かける前はいろいろと心配したものでしたが杞憂に終わりました。これにて最上三十三観音巡礼記を終わります。
本日の最初の参拝地は、第21番札所如金山喜覚寺「五十沢観音」です。国道13号線からの分岐を探すのに少々戸惑いましたが、五十沢のを過ぎ間もなくするとありました。路上に春日部ナンバーの車が駐車しているのに驚きました。一直線に延びる石段を上り参拝を済ませます。ここの道路は他に通り抜けるところがないため、今来た道を戻ります。
次に第28番札所塩沢山曹源院「塩ノ沢観音」です。これから大石田地区の四観音様を巡ります。広い堂宇には御開帳の終わるのを惜しむように、地元のお年寄りも加わり参拝者で一杯です。
目印の幟がなく通り過ぎてしまい漸く見つけたのが、第29番札所石水山西光寺「大石田観音」です。ここも堂宇は参拝者が一杯で中に入れません。外で般若心経を読経しました。
「大石田観音」の仁王門です。男仁王像と女仁王像の二体があり、これは男仁王像です。彫像の材料は村山市の尾上の松の松だそうです。また、この像の股を潜れば子供の麻疹が軽く済み、知恵の発達が早いと地元の信心が厚いそうですが、囲いがあって股は潜れませんでしたので、又にします。
第27番札所香林山清行院「深堀観音」です。団体巡礼者が押し寄せ、狭い堂宇から参拝者があふれています。堂宇の右手の突き出たところに、狭い部屋の御朱印所がありました。年老いた男性の堂守がおりましたが、多くの参拝者にてんてこ舞してボヤキが出ます。順を待っていた旅行会社の添乗員が堂守に言います。「私が代わって御朱印を押させていただいてよろしいでしょうか?」と堂守に了解を得ます。持ってきた大きな風呂敷包みを開くと、そこには高く積まれた「笈摺」の上に薄朱に染まった手袋があります。それを手にはめると御朱印を持ち押印します。その手際の良いこと。あっという間に押し終えると「御影(おすがた)を○○枚いただきます」と勝手に御影の束から取ります。「笈摺○○枚で合わせて○○円です。ここに1万円を入れますから、釣銭を○○円いただきます」とこれも勝手に銭箱に手を入れて済まします。う~ん経験のなせる業かと私は横目で見ながら唖然とします。それでも私はここで御朱印をいただくのに20分ほどかかりました。
第26番札所川前観音堂「川前観音」です。最上川を見下ろす小高い崖っぷちにありました。観音堂に続く次の部屋が御朱印所になって居りました。そこには女性が二人「今日は忙しいです」と団体参拝者を送り出し、ホッとしていました。
正午に合わせたように到着したのが、第25番札所弘誓山養泉寺「尾花沢観音」です。今か今かと心配していた雨がとうとう落ちてまいりました。境内にある「涼しさを我宿にしてねまるなり」の芭蕉の句碑を横目に見ながら、昼時に混むであろう食堂を敬遠して先を急ぎます。
第22番札所祥雲山「延沢観音」です。御朱印所にうやうやしく入りますと、そこに座するは中学生と思しき少女でした。繁忙期は一家総出の仕事のようです。
第23番札所光沢山円照寺「六沢観音」です。御朱印の押印をお願いすると座敷に通され、女主人が胸の前に両手を合せ挨拶します。一寸緊張しました。観音堂前の立派な鳥居です。これを見てまた観音様が仏様か?神様か?分らなくなってきます。
第24番札所宝沢山薬師寺「上ノ畑観音」です。ここの御朱印所も座敷に通され、両の手を合わせ挨拶されました。
「上ノ畑観音」の山門です。銀鉱山があった時代は賑やかだったんだろうと往時を偲びます。禅宗独特の窓をしつらえた立派な山門です。
判りにくい小路をどうにかたどり着いたのが、第30番札所鷹尾山般若院「丹生観音」です。まだ、13時30分というのに辺りは薄暗く気温も下がってきたようです。仄暗い石段を少し登った所に御朱印所があり、窓が大きく開いていましたが誰もいません。来訪を告げますがしーんとしています。前よりも少し大きな声で告げますと別当が現れ、「寒くなったので引っこんでおりました」と
山刀伐峠を超えて着いたのが、第31番札所浪高山東善院光清寺「富沢観音」です。仁王門を入ると直ぐ右に御朱印所があり、別当が参拝者に丁寧に応対してました。奇遇なことにその中にシノブチャンを見つけました。御夫婦でお礼参りに来たそうです。堂内には馬の絵がびっしりと掲げられ、馬産地が偲ばれます。
余りにも立派な[富沢観音」の仁王門でしたので、記念にとシャッターを押しました。
場所が分らず向町役場を一周しました。ここは番外札所臥龍山天徳寺「世照観音」です。‘よをてらすかんのん’と読むのだそうです。ここの本尊菩薩像は珍しいことに天徳寺の位牌堂にあるのです。参拝を終えると、仁王門の傍にある手書きの看板‘観音茶屋’が目にとまります。ボランテアの模擬店でしょうか、二・三人のご婦人が歓談しておりました。私たちはコンニャク田楽をいただきました。口の中には甘い余韻が残り、腹の底がホッコリと暖まるような感じです。食堂が見当たらずここまで昼食を食べそびれていたのです。
ここが今日の御しまい、第32番札所慈雲山明学院「太郎田観音」です。今日1日で幾つの堂を回れるか心配して来たが、予想以上の13堂を回ることができ満足しました。今夜の宿泊地は瀬見温泉です。温泉に入り冷えた体を温め、般若湯をいただきます。思わず顔がほころび口の中に唾が広がります。
15時50分、老舗旅館○○楼に着きました。仲居さんが部屋に案内してくれて、暖房を入れお茶を出してくれました。だがお茶はまずくて飲めません。部屋が暖まったらカメムシが挨拶をします。古い旅館だから仕方ないよと寛容にしています。ローマ風呂、オランダ風呂それにあったまり風呂の3種類がありますと案内されましたので、私はあったまり風呂に、カミサンはローマ風呂に入りました。あったまり風呂はぬるめのうえシャワー設備もなくどうしたものかなと躊躇してると、「ぬるくて風邪ひきそう」とカミサンの声が聞こえます。温泉を楽しむことができませんでした。それでは身体だけでも温めようと部屋にあるバスのコックを捻りましたが、ポトリともお湯は出てきません。これでもバス付というのかな~
翌日、朝食時その旨を告げると温泉のバルブを開けるのを忘れていたというので、食後今度はオランダ風呂に入り直します。私は入浴しているうちにだんだん寒くなります。“かけ流し”という案内ですが、お湯が流入しているところが見当たりません。不思議な温泉です。カミサンは温泉から上がって「温まった」と言ったので、旅館には不平不満を言いませんでした。これは観音様を巡礼しているうちに、寛恕の心が芽吹いていたのかも知れません。茨城から来たという二人連れの客は「明治時代建築の木造3階建て」というテレビを見てきたと言っておりました。そんな楽しみ方もあるのでしょうけど、温泉地と言ったら“かけ流し”の風呂ですよね~ 9時35分、青空が時折顔を見せる天候を気にしながら宿を発ちました。
この門は、三十三観音を無事に巡礼することができたことへの感謝をこめて「おかげさまで」と声に出して潜るのだそうです。私たちも最上三十三観音の打ち止めを喜び「おかげさまで」と声を出して潜ります。
第三十三番札所庭月山月蔵院「庭月観音」です。仁王門ではいつまでも足が丈夫であるようにと木の足形を撫でます。堂宇に入りゆっくりとした気持で般若心経を読経します。御朱印所では別当から「参拝は子歳だけには限りません。いつでも参拝して下さい」の教えを受けます。どうした訳か「おかげさま門」から入って出るまでの間だけ雨が降ったのです。カミサンが言います「誰かが別れを惜しんでいるのかな~」と。家内安全、身体堅固、交通安全、夫婦円満、質素倹約、整理整頓、世界平和、自然愛護、ころり往生、山形東サッカー部優勝などなどの多くの願いに観音様も今頃困っているだろうな~
最上三十三観音巡礼のおまけに紅葉を見学することにしました。ここは真室川町の高坂ダムのダムサイトです。ダム建設に命を捧げた人の慰霊碑に手を合わせご冥福を祈ります。カミサンから「紅葉綺麗だね~」と言われて満足しました。
先週カミサンから突然言われ、最上三十三観音の御札打ちを始めましたが本日をもって結願と相成りました。三十三観音に番外+ころり観音二つ+べにばな観音の都合37観音を延5日間で巡り、出かける前はいろいろと心配したものでしたが杞憂に終わりました。これにて最上三十三観音巡礼記を終わります。