お爺さんは山へ柴刈りに

東鳩会の開催概況

べにばな国体開催20周年記念の集い

2011年09月23日 13時06分01秒 | Weblog

 「べにばな国体開催20周年記念の集い」は平成23年9月22日(木)、天童温泉「滝の湯ホテル」に雨天にもかかわらず関係者約130名が集い開催されました。

 集いは2部構成からなり、第一部は記念講演「今だから話せる べにばな国体秘話」講師は当時の国体局長土屋さんです。

 国立競技場の走路が8コースなのに山形県の陸上競技場が9コースの理由(わけ)や「外国の国歌は戦いの歌が多い中日本の国歌は古今和歌集から引用している」と言って日教組と国旗・国歌の論争したとか、次々と興味ある話が飛び出します。そして、①ビニール袋からリュックサックに ②表彰状の入れ物を筒から額様楯型に ③男女ペアによる炬火点火 は山形県が初めて採用して山形方式として後催県に引き継がれているそうです。

 第二部の懇談会は発起人代表金森山形県体育協会長の挨拶で幕を開けます。「山形県のスポーツの隆盛はべにばな国体が起点です。施設の活用は勿論のこと、山形銀行のバスケット・ライヤーズ、パイオニアのバレー・レッドウイングスは全国版です。そして、モンテディオ山形をプロサッカーのJ1になると当時誰が想像したでしょうか?」  

 来賓を代表して県議会開会中の忙しい中臨席されました吉村美栄子山形県知事から祝辞を頂きます。「当時私はなぎなた連盟の事務局長、義父は県なぎなた連盟会長、義母は市なぎなた連盟会長そして夫は総合得点計算係という訳の分らない担当で、子供を留守番に一家揃って国体に明け暮れたことを思い出します。山形県の元気はここからスタートしたと思っております。それから、この度の大震災には国体の時作られた県体育館が、被災者救援物資の集積所として利用され大いに助かりました」

 乾杯です。乾杯の発声は当時の競技強化の大元締めを担当した鈴木さんです。

 県陸連と山形交通からこよなく愛された当時調整課の荒井さんと国体をとことん楽しんだ亘ちゃんです。

 当時宿泊本部の斎藤さんと高梨君です。トモちゃん弁当は当たるに当たったが、これが腹に当たってさ~大変。

 当時国体アナウンサーの智香子さん。20年経ったんですね!今はモンテディオ山形のマスコットアナウンサーです。

 

 元気にスポーツ県民歌を歌うコイツが輸送本部を切り盛りしたのです。「コイツ!コイツ!って言うなず。コウイチだず」

 山口さんの万歳三唱で懐かしさの余韻を残して幕は閉じます。

 輸送本部を悩ませた音楽担当の佐竹さんと国体中「大丈夫だ!」の一言で通した私が智香子ちゃんを引き立てます。

 今夜の立役者土屋さんと金森さんがマツタケ酒でくつろぎます。黒子の和志くんはここでは役者です。「次は10年後かな~」「10年後?身体が持たないよ。5年にして!」懐かしい話は次会に残し、十分にご馳走になりましたので、今夜はこの辺にしとうございます。