「メンカ(綿花)/コットン」 アオイ科 ☆10月18日の誕生花☆
花言葉は… 繊細・有用な・偉大・崇高
今朝の最低気温は夜中0時の20.3℃。 最高気温は午後3時の21.6℃。
未明から降り出した小雨が今も降っています。 梅雨のようなシトシトと降る雨です。
最高と最低の気温差が1.3℃。 家にじっとしていれば快適な気温です。
今日は一歩も家を出ず、録画しておいた番組を見て過ごしました。
録画メニューを見ると “おんな城主・直虎” が12週分も溜っていました(笑。
その内、今日見れたのは5週分。 続けて見ると筋が良く分っていいですね。
今日の花は 「メンカ(綿花)/コットン」 です。
綿を収穫するためではなく、たぶん生け花用だと思います。
「綿花」 と云っても綿の花ではなく、綿の実が弾けて花に見えるものです。
綿の花は同じアオイ科の “オクラの花” にそっくりで、花だけ見たら
見分けはが付かないほど良く似ています(花の写真は8月初旬に撮ったものです。
この写真の花は花弁全体が薄黄色ですが、中心が濃い茶褐色の花もあるようです。
そしてこの辺りで見る綿の花は、夕方にはピンクに色を変えます(酔芙蓉みたいですね。
原産地はメキシコ、インド、アフリカなどと云われています。
メキシコでは紀元前五千年前、インドでは紀元前三千年前の栽培跡が見付かっているとか。
日本には戦国時代末期に渡来し、盛んに栽培されるようになったそうで、
それまでは綿と云えば蚕から糸を取った “真綿” を指していたそうです。
今ではほとんど見掛ける事が無くなった 「綿の実」 ですが、
私の子供の頃は、郊外(広島市)に行けば綿畑を見る事が出来ました。
調べてみると、戦中を除く戦前と戦後は 「綿花」 の輸出量世界一だった事もあったとか。
その後、安い外国の「綿花」におされ、現在の自給率は0%なのだそうです。
私が子供の頃に見た綿畑は、最も綿の生産が盛んな頃のものだったのですね(感慨。
ひげが小学生だった頃、父のお母さん(祖母)は広島市内で “綿屋” を営んでいました。
当時は “綿屋さん” は有っても “布団屋さん” は無かったようです。
布団は自分の家で生地を縫い、綿を買って来て中に詰めて自前で作っていましたね。
布団は各家庭で作るものだったんです。
そして3年、5年使ってペッタンコになった布団は “綿の打ち直し” に出していました。
祖母の店でも打ち直しの取り次ぎをしていたので、持ち込まれた綿をリヤカーに乗せて、
1㎞ほど先の “打ち直し屋さん” に運んでいました(ひげも手伝っていました。
打ち直しと言っても綿を洗う事はなく、機械(多分、ブラシの付いたドラムみたいな)に
かけて綿を解す(ほぐす)のです。 これで綿はふかふかになります。
しかし、その時の綿ホコリの凄い事…(笑。
子供心に “これは健康に良くないなぁ” と思ったものです(笑。
と云う事で、打ち直しに出すと綿は2~3割目減りします。
その分を祖母の店で、綿を買い足してもらうと云う訳です(笑。
今では敷き布団は化学繊維やウレタン、掛け布団は羽毛やダウンなどが主流のようで、
打ち直しに出す、なんてほとんどないのでしょうね。
洗濯出来るものまで有りますから。
今日の歩数 0歩。
花言葉は… 繊細・有用な・偉大・崇高
今朝の最低気温は夜中0時の20.3℃。 最高気温は午後3時の21.6℃。
未明から降り出した小雨が今も降っています。 梅雨のようなシトシトと降る雨です。
最高と最低の気温差が1.3℃。 家にじっとしていれば快適な気温です。
今日は一歩も家を出ず、録画しておいた番組を見て過ごしました。
録画メニューを見ると “おんな城主・直虎” が12週分も溜っていました(笑。
その内、今日見れたのは5週分。 続けて見ると筋が良く分っていいですね。
今日の花は 「メンカ(綿花)/コットン」 です。
綿を収穫するためではなく、たぶん生け花用だと思います。
「綿花」 と云っても綿の花ではなく、綿の実が弾けて花に見えるものです。
綿の花は同じアオイ科の “オクラの花” にそっくりで、花だけ見たら
見分けはが付かないほど良く似ています(花の写真は8月初旬に撮ったものです。
この写真の花は花弁全体が薄黄色ですが、中心が濃い茶褐色の花もあるようです。
そしてこの辺りで見る綿の花は、夕方にはピンクに色を変えます(酔芙蓉みたいですね。
原産地はメキシコ、インド、アフリカなどと云われています。
メキシコでは紀元前五千年前、インドでは紀元前三千年前の栽培跡が見付かっているとか。
日本には戦国時代末期に渡来し、盛んに栽培されるようになったそうで、
それまでは綿と云えば蚕から糸を取った “真綿” を指していたそうです。
今ではほとんど見掛ける事が無くなった 「綿の実」 ですが、
私の子供の頃は、郊外(広島市)に行けば綿畑を見る事が出来ました。
調べてみると、戦中を除く戦前と戦後は 「綿花」 の輸出量世界一だった事もあったとか。
その後、安い外国の「綿花」におされ、現在の自給率は0%なのだそうです。
私が子供の頃に見た綿畑は、最も綿の生産が盛んな頃のものだったのですね(感慨。
ひげが小学生だった頃、父のお母さん(祖母)は広島市内で “綿屋” を営んでいました。
当時は “綿屋さん” は有っても “布団屋さん” は無かったようです。
布団は自分の家で生地を縫い、綿を買って来て中に詰めて自前で作っていましたね。
布団は各家庭で作るものだったんです。
そして3年、5年使ってペッタンコになった布団は “綿の打ち直し” に出していました。
祖母の店でも打ち直しの取り次ぎをしていたので、持ち込まれた綿をリヤカーに乗せて、
1㎞ほど先の “打ち直し屋さん” に運んでいました(ひげも手伝っていました。
打ち直しと言っても綿を洗う事はなく、機械(多分、ブラシの付いたドラムみたいな)に
かけて綿を解す(ほぐす)のです。 これで綿はふかふかになります。
しかし、その時の綿ホコリの凄い事…(笑。
子供心に “これは健康に良くないなぁ” と思ったものです(笑。
と云う事で、打ち直しに出すと綿は2~3割目減りします。
その分を祖母の店で、綿を買い足してもらうと云う訳です(笑。
今では敷き布団は化学繊維やウレタン、掛け布団は羽毛やダウンなどが主流のようで、
打ち直しに出す、なんてほとんどないのでしょうね。
洗濯出来るものまで有りますから。
今日の歩数 0歩。