ひげ爺さんのお散歩日記-3

日々新た、今日は今日、明日は明日の風が吹く

「ソテツ(蘇鉄)」 ソテツ科 

2021-08-03 13:42:45 | 日記
       「ソテツ(蘇鉄)」 ソテツ科 ☆7月31日の誕生花☆
               花言葉は… 雄々しい



 今朝の最低気温は午前6~7時の25.0℃。  最高気温は午後3時の30.6℃。
昨日のブログに⇒ 「明日はまたお日様マークがズラリと並んでいます」 と書いているんですが…
今朝はシトシト雨が降っていました。 天気予報のバカヤロ~、ってか降った方が良いんですがね 
どっちやねん?!(笑。 小雨で最高気温が少し下がっていますが、湿度85%と蒸し暑い一日です。
明日はまたお日様マークがズラリと並んでいます ←明日はほんまかいな(笑。


  小学校1年生の描いたスイカ…  タイトル  「うまいっ!」
良く冷えたスイカはウマイですよねぇ。 最近はこの絵のような、皮付きのスイカは食べた事が有りません。
赤い果肉のところを3センチ角のブロックにして、食後に2~3切れをデザートにいただきます。

 「旬の食材百科」 よりスイカは果物?野菜?
〖スイカはつる性の瓜科植物なので、本来であれば野菜の扱いをされるべきなのですが、
皆さんがそうであるように食べ方から見ると果物ですね。
という訳で、園芸分野では野菜として扱われますが、市場や栄養学上では果物として扱われています。
メロンもそうですね。もちろん、この「旬の食材百科」でも果物として扱っています。

 原産はアフリカで、中国より西の方から伝わったウリであるため「西瓜」と呼ばれるように
なったそうです。「スイカ」という名前も外来語のひとつのようなもので、
中国でのサイクワァから訛ってスイカになったのだそうです。
今ではすっかり日本の夏を彩る果物になっていますね〗


 今日の花は南国情緒の有る 「ソテツ(蘇鉄)」 です。
「ソテツ」 の名は、木が弱ったとき、株元へ鉄を埋めたり、釘を打ち込むと
元気が戻ったことから 「蘇鉄(鉄で蘇る)」 と名付けられたそうです。
以前NHKのテレビ番組 “ぶらタモリ” で大島紬の泥染めをやっていました。
泥田に含まれている鉄分が作用して布が黒く染まる訳ですが、
何度も同じ泥田を使っていると、当然田に溶けている鉄分は減る訳で…
そこで、この 「蘇鉄」 の葉を泥田に沈めておくと泥田が甦ると話していました。

大きくなると高さは8mにもなるそうですが、成長は遅く1m成長するのに
40年程かかるそうです。 
開花は10年に1度と言われていますが、結構毎年あちこちで咲いているような…(笑。
「ソテツ」 は♂雄の木、♀雌の木が有り、片方の株だけでは受粉しません。
花を見ればどちらが♂雄で、どちらが雌かは一目瞭然です(笑。

まず♂雄花の紹介から ↓





↑ ♂雄花は円柱状で高さ70cmほどになり、表面は鱗で覆われたように見えますね(6月末の様子です。

♀雌花の赤ちゃんです ↓



大胞子葉の集まり(種子錐)はピッタリ閉じられています(6月末の様子です。
♀雌花は綿毛で包まれたようですが、あの綿毛の先って尖っていて触ると痛いです。

7月中旬の♂雄花です。





この鱗(小胞子葉)の裏側には魚の卵のようなブツブツが有るのが見えますか?
その粒々の中に花粉(小胞子)が入っているのです。

その頃(7月中旬)、ピッタリ閉じられていた♀雌花の大胞子葉が少し緩んで来ます。
♂雄花の胞子を受け入れる準備ですね ↓


その大胞子葉の隙間を覗くと、奥の方に緑色の玉(胚珠)が見えます ↓


「蘇鉄」 は風によって受粉します。   



受粉が終わると、大胞子葉どうしが密着しあい、再び胚珠は外から遮断されます ↑ (8月末の様子。

そして11月初旬頃になると大胞子葉の間から赤い実が顔を出します ↓





「ソテツ」 は裸子植物(種子が果肉などに包まれず、そのまま露出している植物)で、
恐竜時代に栄えた植物の生き残りなのだとか。
“イチョウ(銀杏)” と共に最も原始的な植物の一つだそうです。

で、役割を終えた♂雄花の方は…


          
雄花のなれの果て… 男としては身につまされます (涙・汗・笑。


 “ソテツ地獄”… 「ソテツ」 の赤い実は毒抜きをすれば食べる事が出来るそうですが、
ウィキペディアに依ると…  【種子にはアゾキシメタンを含み有毒であるが、
澱粉分も多いので、皮を剥ぎ、時間をかけて充分に水に晒し、発酵させ、乾燥するなどの
処理をすれば食用になる。 沖縄県や鹿児島県奄美群島では、飢饉の際に食料として
飢えをしのいだとの伝承もあるが、正しい加工処理をせず毒により死亡する人もいた。
大正末期から昭和初期にかけて、第一次世界大戦後の恐慌のため沖縄は極度の貧困、
食料不足に陥り、この悲惨な状況を例えて 「ソテツ地獄」 と呼ばれている。
与論島でも、戦後から本土復帰(1953年)のあと数年は島民の生活は大変貧しく、
ソテツの種子で飢えをしのいでいた。 その様子も「ソテツ地獄」と言っている】


   過去の 「ひげ爺の子供見守り隊」 の紹介です  
 2015年05月12日  家庭訪問も終わり、今日から通常の下校時間です。
6年生の男の子が帰って来ました 「おかえり~」 「ただいま~」
「今日はおっちゃん元気が無いんじゃ。 何か学校で面白い事でも無かったか?」
「…別に無いなぁ」 「ほうか~」(汗。 「面白い事じゃないけど、今日野菜炒めを作った」
「おうおう、野菜を切るところからやったんか?」 「うん」 
「ほいで上手い事出来たか?」  「めっちゃ美味しかった」 
「ほうか~、ほいじゃ今度家でも作ってお母さんをびっくり させてやらにゃいけんの~」 
「おれ、切っただけやねん、味付けは他人がやってん」
「おっちゃんも時々野菜炒めを作るけど、塩胡椒云う調味料があるじゃろぅ、
適当に振りかけといたら結構食べれるもんじゃ」 「へ~、今度作ってみる」(笑。

 2015年05月13日  今日の見守りは2時半と3時半の2回。 3時から見守って来ました。
4年生の女の子が2人、足を上げたり降ろしたり… なんか踊りながら帰って来ました。


「おかえり~」 「ただいま~」 「そりゃぁ何の仕草や?」 「運動会のダンス」
「おうおう、もう運動会の練習をしよるか? 運動会はいつや?」
「6月7日、おっちゃんぜっ・・・・・たい、見に来てや。 面白い踊りやねん」
「おうおう、ぜっ・・・・・たい、見に行く」(笑。

 2015年05月15日  3年生の女の子が帰って来ました 「おかえり~」 「ただいま~おっちゃん遠足」
「ほ~、そりゃぁ楽しみじゃのぅ、ほいでどこに行くんや?」 「万博公園」
「ほうかぁ、おやつはなんぼまでや?」 「200円までやけどなぁ、チョコやガムはアカンねん」
「そうらしいの、チョコは溶けるし、ガムは飲み込んだらイケンけぇじゃろ?」
「うん、ほんでなぁ、先生に “コンビニのお弁当でもいいんですか?” って聞く子がいてん」
「おうおう、先生はなんて?」 「いいって」 「まあお母さんが忙しかったら仕方ないの~」
「でも、ずっこいわ~。 うちのお母さんは5時から作るんやで」
「う~ん、まあ、いろんな家庭が有るんじゃけぇ、しょうがないじゃ~」(汗。

 2015年05月19日  今日は一斉下校ですが、1・6年生は校外学習です。 3時から見守って来ました。
見守りエリアに向かう途中の交差点。 信号で大型バスが2台停まっていました。
車体に天女の絵が描かれていて、初めて見る奇麗なバスです。 
どこの観光バスだ? と見ると “羽衣バス”。 そして車窓から誰か手を振っていました。
ひげも見守り棒を振って応えました。
6年生の女の子がリュックを背負って帰って来ました 「おかえり~」
「ただいま、おっちゃんさっき私が手を振ったの見えたぁ?」
「おうおう、どっかの観光バスじゃ思うとったが、ありゃぁお前らじゃったんか?」(笑。
窓ガラスに黒いフィルムが貼ってあって誰だか良く分からなかったのです。
「ほいでどこへ行ったんや?」 「奈良の飛鳥。 おっちゃん聞いて」
「おう、何や」 「先生、大うそつきやで」 「ふん、何でや?」
「先生なぁ、今日は曇り時々晴れって言ってん。 でもお昼時間はザァ~ザァ~降りやで」(笑。
「そりゃ大変じゃったの~、まあ、そう言うな、先生も天気予報を聞いて言うたんじゃろう」
「ぜったいゆるせん!」(笑。
コメント (4)
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