人生の潤いを生み出す暮らしの空間を
設計デザインのチカラで・・・・・。
少し思想と答えの無い
至るところへの
考えなどについて
色々な話しをする時間に・・・。
思想家でもあり、
明治美術界の先覚者でもある
岡倉天心は
完成品ではなく、
未完成品ゆえに、
受け手の完成に向かう
想像力によって完成に至る、
と発していて・・・。
故に・・・ではやはり、
完成へと誘発するには
空白の重要性が存在していて
詰めすぎないデザインは
やはり大事だな
という意見に一致しつつ。
そういうところで、
空間に対する
比重の範囲を
いつも考えています。
何度も生まれる
日常のシーンにも
きちんとした余白を
空間の関係性に対して
設計を施して「程よさ」を
寸法に置き換えていますよ。
リアルで感じる
「間」の距離感を大切にして
カタチに組み立てています・・・・・。
全く異なるところから
「空白・余白」の話しと
よく聞かれると思いますが
「神は細部に宿る」という話になり、
そこでもロジカルにもラテラルに。
余白という観点から言えば、
神とはその作品側のみに
名付けられた
固定的なものではなくて、
作品とその作品を享受する
受け手との出会いの
まずは一瞬に出現する「空間」の
そのものを指すのか?
それを感じる為の
誘発させるなにか?
なんて話しは多分「スパイラル」で
ぐるぐるまわるんですけど
ある種、
思考の時間・・・。
余白は不完全というのではなくて、
手抜きで良いという訳では勿論なくて、
だからと言って、
力んで細部を詰め過ぎても、
出会いの空間となるべき「神」は
ある意味では壊れてしまう
といったところ。
細部というのは、
思った以上に儚くて
それであって感度も揺れやすく、
ある意味厄介な部分
なのかもしれないですけど、
それ故に細部には
ある感情を育む
何かが大事で・・・・・。
という、
思考作用の結果生じた「意識内容」に
考えたりする
時間の共有を愉しんだり。
すこし・・・久し振りに
思考と思想の談議。
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