日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

負けることも大切・・・

2020-07-11 08:20:54 | 生き方
 人間、負けることも大切ですね。
 今回、藤井君が負けて、私、内心、ホットした気持ちです。周りから、勝つのが当たり前だと思われると、後が、大変ですから。それに、まだ、チャンスは、2回もありますからね。
 勝負の世界、勝ち負けは、仕方ないですね。それに、ずっと勝ち続けると、負けた人の気持ち、分からなくなるのでは。
 有名中学・高校→東大→官僚ってエリートコースで、他人が羨む感じになっていても、実際には、(パッとしない?)大臣の原稿を書いて、それで、多くの国民の反感をかっているとしたら、正に、裸の王様で、悲劇ですね。
 いろんな人と切磋琢磨して、自分と違ったいろんな価値観を知り、実際に、未知のいろんなことを経験して、人間は、成長して行くんじゃないのかなあ・・・。
 今回、藤井聡太君が、(現在最強と言われている)三冠の渡辺さんに負けました。渡辺さん、今まで、一度も藤井君に勝ったこと、なかったんですね。最後の方、時間が藤井君よりもタップリあったこともあってか、渡辺さん、凄く、慎重に指していましたね。ほぼ勝っているのに、それを何度も確かめる感じで・・・こんなに慎重な渡辺さん、珍しいと、解説者も、言われていましたが。
 負けた藤井君、今回を反省して、次の試合に生かしたいと言われていました。立派ですね。負けても、最後まで全力を尽くす藤井君の最後の粘り、今回も、見応えありましたね。
 勝つことよりも、負けることからの方が、得るものが多いと言う人がいます。負けても、それも、必然的なこと、人間に、無駄なものはない何て言う人もいます。
 かっての羽生さんみたいだ、何て言われる藤井君も、プロになる前の奨励会で、6連敗(!)もしていたことがあったんですね(母親の裕子さん、藤井君が小さい時、負けた聡太君を慰めるの、大変だったみたいですが・・・)。
 まあ、人生、思った通りにならない方が多いと思っていた方がいいかも知れません。賢い人は、失敗を無駄にせず、次に生かしますね。同じ失敗を何度もする生き方は、問題ですね。


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線状降水帯・・・

2020-07-10 08:42:12 | エッセイ
 令和2年7月9日(木)の0:00過ぎ、叩きつける感じの雨が降っていましたが、朝起きた時には、小雨になっていました。
 九州に「線状降水帯」が居座って、なかなか消えなくて、それが次第に東の方に移るも、新たに、又、「線状降水帯」が出現して、九州では、沖縄県以外のどの県も、難儀しています。幸いに、今回は、佐伯市は、難を逃れていますが、まだ、油断は出来ません。
 令和2年1月27日(月)の時を思い出します。この時、11時頃から、雨が強く降り、風も強く吹き出し、折しも、この日、K内科で、水痘・帯状疱疹の予防接種を、家内と一緒に、午後から受ける日となっていて、最悪の中、傘を差して行き、二人の傘が、帰る時には、見事に折れ、何でこんなに強い風と雨が、と思いましたが・・・。この時、延岡市と佐伯市、1時間に120mmもの雨で、この量、佐伯市では観測史上最高の雨量でしたが・・・。
 日本全国、こんな感じでいつどこで「線状降水帯」が現われても、不思議でない感じがしています。目が覚めたら、水が枕のとこまで来ていた何て、被害者が、テレビで言われていましたが、普段から直ぐに動ける様にしてないといけないなあ・・・。(→命あっての人生ですから!)
 バッグを一つ背負って、それに大切なモノ(携帯や財布やカード)を入れ、長い棒を持って(傘でもいいかな)、動きやすい履き物を履いて・・・間に合わない時は、「垂直避難」も考えないといけないなあ。ライトや水の入ったペットボトルや非常食なども、用意できれば、それにこしたことはないと思うけど・・・。
 日本は、「線状降水帯」で、大変ですが、隣の中国も、(テレビで何故かあまり騒がれませんが)長江の三峡ダム周辺、大変です。
(令和2年7月9日夕方記載)
https://www.youtube.com/watch?v=rxe4TTM2Bts


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教育雑感・・・

2020-07-09 09:05:01 | 教育
 教育って、本来は、どうあるべきでしょうか?
 改めて、考えて見ると、奥が深いですね・・・学校の先生に尋ねてみると・・・→中学3年生の時、英語のK先生が、「教育の目的とは、人格形成の為」と言われたのが印象的で、ずっと、教育とは、人格形成の為なんだと、思って来ていましたが・・・→
 しかし、当時は、団塊世代、競争競争で、試験が終わると、1学年500人以上いるマンモス校で、100番まで、成績をずらっと張り出していましたが・・・内心、こんなことで、人格形成が出来るのかなあと思ってはいましたが・・・。土台、入試なんて、どんなに頑張っても、合格する数は決まっている訳だから(→落とすための試験)。
 高校に入ると、それが更に加速してきて、補習が多く、夏休みや冬休みもかなり削られ、勉強とは、我慢するもの、競争は避けられないものって感じになっていました。
 で、そんなに理不尽な高校生活をしてきたのに、高校3年の時のクラスの約半分もが浪人し、大学にストレートで入った人達も、学生運動に少なからず加わったりして、留年多く、これって、教育、一体、何なんだろうか・・・と考え込んでいましたが・・・。
 日本の教育は、皆で渡れば怖くないって感じで、家庭も学校も、周りに流されて行くのが主流になっている感じがしてなりません。
 反抗期もない感じで、自分の進みたい道を断念して、親の進めるままに進路を決め、学校の先生の勧めるままに学校を受験し、何も疑問を持たずに(何を学びたいかではなく、如何に楽をして、留年しないで卒業出来るかを考えて)学校を卒業して、社会人となり、そこで、初めて、これで良かったのか、何て考えても、遅いのでは、いや、それに気が付くだけでも、いいのかも知れないかな・・・?!

https://www.youtube.com/watch?v=ifzuf3lUgco(←教育とは)

*写真は、佐伯市の茶室「汲心亭」で、茶箱のお点前をする次女。


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したいことと出来ること・・・

2020-07-08 10:53:03 | 生き方
 林修先生が、テレビで言われていましたが・・・→「自分の書きたくない内容で、本をと言われ、何故か、大いに売れて、意外でした・・・で、自分の書きたい内容で、本を出版したら、全く売れなかった。」と。
 そうなんです、したいことが必ずしも、お金に結びつかないんですね。
 したくないことでも、生活の為に我慢してしているケース、多いと思います。そんな時、そのまま(家族の為に)我慢を続けて行くか、どうしても耐えられなくて、やむなく、辞めて他の仕事に就くってこともありますが・・・。
 逆に、したくてたまらない事が、しても、あまりお金にならなくて、やむなく、中断ってこともありますが・・・。
 趣味のことをしたくて、したくない仕事を我慢してしている人、多いです。
 ある内科のドクターが私に、「小児科は、親を納得させないといけないから、大変ですね。こちらペースで医療が出来ないでしょう・・・抗生物質を下さいとか、検査してくださいとか・・・」と。
 ある(私と親しい)建築家が私に、「お金はいくら要ってもいいです、設計士さんのいい様に、設計して下さい・・・何て、一度でいいから、言われてみたいけど・・・自分の思う様に設計させてもらえなくて、どこまで、それに近づけるかに、凄いエネルギーがいりますね・・・」と。
 どうしてもしたくて、しかも、出来るとなると、全く、問題ないですね。これが理想的ですね。
 したいけど、出来ないとなると、まあ、先々、出来る見込みがあればいいのでしょうが・・・少し問題かな・・・。
 したくないけど、出来るとなると、まあ、経済的なことを考えると、ケースバイケースかな?!
 したくないし、出来ないとなると、もう、これは、初めから手を出さない方がいいみたいですね・・・しかし、出来そうなことも、したいことも、全くないとなると、本人の問題になるのかな?
 この4通りで考えると、出来て、それが社会から要求されていて、しかも、それが好すで好きで、しょうがない状態だったら、最高にいいですね。正に、天職ですね。初め好きでなくて・・・それが、している内に、次第に好きになり、収入も次第に多くなり、これ以外の仕事ないって感じになっている人もいる様ですが・・・。
 仕事中、殆ど笑わない人、仕事を離れても、殆ど人と話さない人、時にいますが、やはり、楽しく仕事が出来て、周りと、笑顔でコミュニケーションが上手に取れることが、生きる上では、出来る出来ないと言う前に、大切かなと思います。

*写真は、開業時の院内の「お茶会」で、院長室で私が点てている所。


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自分のしたいことは何・・・

2020-07-07 09:13:06 | 生き方
 私が大学を卒業した時、就職するのに、大学(病院)に籍を置く人が大部分でした。それが今は、半分になり、まだまだ減少傾向にある感じですが・・・。
 大学では、少ない症例しか経験できませんが、救急医療を積極的にしている基幹病院では、症例が豊富で、卒後直ぐにそんな所で研修すると、臨床の腕がドンドン上がって、実りが多いと思いますが・・・。
 医師は、毎年9000人もが国家試験に合格し、毎年、増加しています。弁護士も、公認会計士も、都会では、過剰気味で、歯科医師に至っては、国家試験も難しいし、更に、過剰にあります。
 そんな中で、先を見通して、どう進んで行けばいいのか・・・誰も、100%の答えが期待できない感じですが・・・。
 東大に合格しても、それを蹴って、海外の大学に行くケースも現にあります。名門大学でなくても、大学で頑張って、海外に留学などして、卒後、国際的に活躍している人も、少なからずいます。大学生の時に、会社を立ち上げる人も、時にいますが・・・。
 一方、有名な大学、更には、そこの大学院を出たのに、いいポストがなくて、難儀している例もあります。(医師の場合、卒業して大学院に行く人がいますが、時に、入局者全員に大学院を強いる医局もありますが、お金をもらえるどころでなくて、大学院では、お金を大学に払わないといけませんが・・・)
 医師は、先々、勤務医になるのか、開業医になるのか、研究医になるのか、大きくその3つの道しかありません。自分のしたいことは何か、先々自分はどうありたいのか、上司の言われていることは、自分の為に言っているのか・・・周りがそうだからと言って、それが自分にいいとは限らないし・・・そんなこと、考えるゆとりも、大切ですね。
 今回のコロナ禍で、時間にゆとりが出来て、そんなことをじっくりと考えた人、少なからずいたと思います。
 忙しくても、時間にゆとりがあること、大切ですね。

*写真は、ある開業医(故人となられましたが)の(インターネットに記載されていた)診療時間です。このドクター、ホントに、24時間365日、永いこと、頑張られていました。そこで開院当初よりずっと勤務していたナース(←私と、2年余、一緒に仕事をしました)が、言われました、「先生は、仕事が趣味でした。趣味だから、身体が壊れていても、最後までしたんですよ、仕事が好きだから・・・」と。

https://www.youtube.com/watch?v=pKippAnjJUM&t=329s(←お金と学歴)


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中国語初級講座・・・

2020-07-06 08:58:11 | 語学
 令和2年7月5日(日)、昼過ぎに、同級生の世話役のM君が来て、ラインが通じないので、とのことで、自宅に来てくれました。
 4月から、佐伯市主催の「中国語講座初級」の開始が、コロナの影響で、遅れて、9月頃からになりそうで、その前に、オンラインでとのことで、ラインを勧められ・・・初めてのことなので、よく分からず・・・ラインがつながらないまま、M君が私の自宅に来て、操作してくれて、やっと、出来ました。ありがとうございます。
 フェイスブックに慣れ親しんでいるので、いきなり、ラインをと言われても、初め、出来そうになくて・・・しかし、慣れれば、出来そうですが・・・。
 今の所、参加者は、6人で、今週中に、一応、公民館に集まって、顔見知りになろうって感じになるみたいですが・・・。
 中国語、大学の教養部の時に、日中友好協会主催の中国語の入門編(15回)に参加して以来、中国語の先生から教わることなく、NHK教育テレビでの独学できていて、直に、中国の人から教わるのは、今回が、初めて。中国生まれの先生と中国語で話して、自信を付けたいのですが・・・。
 ドバイに行った時、いきなり、中国語で、あるマスコミからマイクを向けられて・・・その時、私、直ぐに、中国語で、「私日本人です」と言うと、「すみません」と言われて、それで、それ以上、聞かれることはなく終わったのですが・・・まあ、中国語(北京語)、知っておくと、いいですね。中国語(北京語)、台北でも使われていますし、中国に行かなくても、中国人と会った時に、重宝かなと思います。

*台北で、家内と行った時、ホテルを探すのに、ずっと歩いて行って、地図を持っているのに、ホテルの周りを何度も行ったり来たりしました。何せ、ホテルを、「飯店」と書かれているので、まさか、ホテルだ何て、思ってもみなかったです(この時、台湾語を少し勉強していましたが、台北では、台湾語でなく、北京語が話されていることを、その時、初めて知りました)。「酒店」だと、もっと、高級なホテルとのことですが・・・(今では、飯店は、レストランを指すとのことですが・・・)。
 タクシーに乗って、〇〇ホテルまでと言う時、ホテル名を紙に書いて差し出して、「タオ ファンティエンfàndiàn」と言えば、何とか、そこに行けると思いますが・・・。




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シンハラ語・・・

2020-07-05 09:08:27 | 語学
 令和2年7月4日(土)、夕方、家内と散策後に、夕食を摂りました。
 BALは、空いていたのに、運悪く、行った時には、終了で(中で食べるつもりで行ったのですが)、「ひょうたん小路」も、一杯とのことで断られ、「グリコ」も多くて・・・以前、行ったことのある「〇〇〇〇」に行くと、カウンターだけ空いていて・・・そこで、食べることにしました。
 驚いたのは、インド系の顔をした若い男女が2人いて、給仕してくれました。こんなこと、あまりないことでした。顔つきがしっかりとしているので、恐らく、APU(別府にある、アジア太平洋大学)の学生さんではと、察しましたが・・・バングラデシュあたりかなとも、思いました。
 笑顔が全くない、今回、ここでは初めての仕事かなあ、緊張しているのかなあ・・・と思ったりもしましたが・・・。
 そこで、とても美味しく食べて、帰る時に、目が合ったので、「どこから?」と尋ねると、男性は、「スリランカ」と答えました。「(シンハラ語で)アーユボーワン(こんにちは)・・・だね」と言うと、この時、初めて笑顔が見れて、又、帰る間際に、「ストゥティイ(ありがとう)」と言うと、更に、驚いた顔になって、ホント嬉しそうな顔をしていました。
 かって、イスタンブールに行った時、「こんにちは」と、すれ違う見ず知らずの子どもが言うのを聞いて、驚きましたが、きっと、そんな感じだったのでは・・・?!
 ちょっとした挨拶言葉、重宝だなあ・・・!!

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北朝鮮の人々・・・

2020-07-04 10:31:59 | 生き方
 北朝鮮の事が、マスコミで、しばしば放映されていますが、その中でも、金正恩や金与正のことが取り上げられることが多いのですが、北朝鮮の一般の人々の立場になって、真剣に考えること、少ないと思います。
 中国にしても、中国共産党体制はおかしいと言っても、一般の中国人、情に厚いし、全く普通ですね。(私自身、中医学でお世話なっていたし・・・)
 北朝鮮の人も、同じだと思います。表向きの顔と本当の顔は、違うと思っています。北朝鮮の人たちの多くは、日本をうらやんでいるケースが多いかと思います。北朝鮮の人は、特に、若者は、北朝鮮の体制の不自然さに少なからず気が付いているはず?!忠誠心の強い北朝鮮の外交官でさえ、しばしば脱北しているぐらいですから。
 北朝鮮では、自分の国が世界で一番いい国で、隣の韓国では、ホームレスばかりって感じで教育を受けていたとのことですが(←今は、どうだか分かりませんが)、ソウルの夜の明るい姿を見て、今までの教えが嘘だと気付いた北朝鮮の政治犯がいたけど。(金賢姫キム・ヒョンヒ 김현희)
 北朝鮮では、兵役の義務が、男性には、10年、女性には、6年もありますが(←2019年より)・・・。
 外からの情報が国により遮断され、個人の自由が強く制約される何て、どう考えても、不自然で、良くないですね。

https://www.youtube.com/watch?v=PdxPCeWw75k(TED:北朝鮮からの脱出)

*写真は、2012年5月8日、家内と一緒に、利川空港(イーチョン)から清州市(韓国の中央にあり、海に面した所がない)まで、利用したバス。それと、2001年9月に清州市に演奏で行った時に、帰る時に、お土産で頂いたもの(家に飾っています)。



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信・・・

2020-07-03 09:06:37 | 雑感
 令和2年7月2日(木)、持ち時間8時間の王位戦の2日目、木村王位との終盤、私、ずっと、パソコンの前から動かず、真剣に見ていました。
 飛車も角もなく、2つの歩の「と金」を敵陣に入れて、最後は、見事に勝ちました。飛車と角がない何て、私だったら、初めから諦めるなあ。藤井君、小学生の時、現在永世名人の谷川さんと飛車と角抜きで対戦して、決着がなかなか付かず、谷川さんの意見で、やむなく引き分けにしたら、藤井君が、大泣きしていたとのこと・・・?!、
 今回も、私が見ると、終盤、詰みそうでないのに、解説者やAIは、藤井君優勢とのことで・・・やはり解説者とAIの予想通りで、藤井君が、勝ちました。詰め将棋ナンバーワンの藤井君ですから、時に、AI以上だったりして・・・本当に、強いですね。
 この調子だと、渡辺さんに3連勝、木村さんに4連勝して、タイトル2つ奪還ってことになったりして、いや、なりそうだなあ・・・?!
 暑いのにも気が付かず、パソコンの前から動かず、ずっと見ていたら、家内が来て、暑くないのって言われて、そうか、暑かったんだなと気が付きましたが・・・。
 こんな感じでどんどんタイトル保持者に勝って行って、藤井君8冠、無敵何てなったら、どうかなあ、将棋界、面白くないんじゃないのかなあ何て考えたりもしますが・・・。羽生さんにしても、7冠は、わずか1回しかなかったし・・・維持は、難しそうだなあ・・・?!
 あるオリンピック選手が言われていましたが、「目標がなくなったから、頑張れない・・・」と。
 目標を持って、頑張って、勝ったり負けたりしながらも、次第にトップになって行く方が、している方も見てる方も、一番楽しいのかなあ・・・?!
 と言いながらも、藤井君に、出来るだけ早く2冠が取れて、出来れば、「九段」の段位も、出来るだけ早めに取れるのを楽しみにしている私ですが・・・。
 勝利後の藤井君の記者会見の内容、満点ですね。どう見ても、高校生の会見とは、思えませんね。
 対戦の前、「決意を表す一字を」と求められると、藤井君は「長い戦いですけど自分を信じて最後まで指したいです」と説明して「信」と書きました。又、(初めての)2日間の対戦終了後の会見で、体力の大切さを説いていました。自分を信じることと自分の身体をいたわること、ホント、大切ですね。(←天才の言葉、重みがありますね!)


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開業時代

2020-07-02 10:28:13 | 生き方
 「たはら小児科医院」を入院設備を持って、小児科だけで、開業していましたが、経営的に行き詰まり、8年半余後に閉じました。閉じたのは、平成11年5月31日でした。
 多額の借金を抱えることなく終えて、良かったと、今は、思っています。
 土台、19床での小児科単科の開業、無理だったなあと、今になって見れば、思えます。当時は、それなりにやる気満々で、ホントに、365日24時間って感じで、他のドクターの応援なく、頑張っていました。実際には、応援、頼んだのですが、出来ないと言われ、最後まで、小児科医私独りで頑張りました。
 毎日、20時に集めて診ていました。もちろん、ちょっと遅れたりしたことも多かったのですが、又、深夜0時過ぎると、きつくて、診たくなかったのですが、眠い目をこすりながらも、我慢して、診ていました。平日の朝は、7:30に遅れること一度もなく、始めていました。多い時は、9:00までに(朝の1時間半で)、30(~50)人、診ていました。
 幸いに、運が良かったのでしょうか、患者さんに恵まれて、死亡診断書一通も書くことなく、開業生活が終わりました。
 閉院して、職員が誰もいなくなって、家内と二人だけで後片付けをする時の空しさ、今、思い出してもつらいです。
 それから、福岡県大川市→大分県大分市戸次→熊本県上天草市と転々と移動し、やむなく、永い永い単身赴任生活(←私が一番避けたかったことですが)となりました。
 亡くなった母から、次の様に、言われたことがありましたが・・・→「趣味をした分だけ、得したね!」と。
 そうですね、もちろん、ここまで無事に来れたのは、多くの人のお陰ですが・・・それに、私に沢山の趣味があったことも、大きな要因だと思っています。
 今思えば・・・→毎日、その都度、統計を執ることも、そして、開業しても、月報を14日に遅れずに(←西田病院時代から、毎月、投稿していましたが)、ずっと出し続けたことも、そして、平日に昼、職員に、茶道を覚えてもらったことも、私の趣味でした。

*写真の左の緑の屋根の建物が、かっての「19床のたはら小児科医医院」でした。今は、駐車場になっています。
*深夜時間外患児数とは、22:00~6:00の時間帯に診た患児数です。




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