キッチンスタッフ6名
洗い場1名ひんのいい可愛いひとでした
そんな小さなイタリアンレストランでの
修行時代の事 接客スタッフより
お客様がお呼びです 声がかかり
思いあたる事 おしかりの事と覚悟を決め
白衣を変え整えて お客様のもとえ
君がこの (食べ終えたシチューを)作ったのかね
「はい そうです」
とても旨かったよ これからも頑張っていい料理作って下さい
と握手まで求められ
周りで食事をしていたお客様が
一斉に拍手をしてくれた
この時は 感動でした
うれしかった~っ
この人は一流ホテルの料理長です
この時の事は 私の人生を変えました
料理に対する考えが変わったのです
フレンチ料理へのキッカケとなり
日本料理に負けない日本の食材を生かす
フランス料理を目指したその結果
現在のシチュー屋 四日坊主があります
この頃 悲しく切なく 楽しい思い出が沢山
女も仕事も・・・・・当時21歳
ブランデー 赤ワイン思い出のいっぱい沁み込んだ
現在の四日坊主シチューが
あるわけです
四日坊主シチューを食べた 貴女はそれを感じて
くれるでしょうか??・
写真中央が当時の四日坊主です
ここのお店のイタリア人シェフ(ジョン フランソァ)の
印象が深く今でも覚えています
懐かしさのあまり よくこのページを開きます
一番仕事が楽しい時期でした
休日は車に乗り伊豆、箱根、軽井沢、葉山、と
出かけ知らない料理を求めた思い出がよみがえります当然助手席は・・・
若者よ経験を積み自信をつけろ
後継者を沢山つくり家族と共に人生を楽しんで!!!
茨城県協和町 スプリングフィルズゴルフ俱楽部
(総武都市開発株式会社)の新設オープンのゴルフ場に務めた事も
歌手の尾崎豊さんはメロディーや詩が
頭の中で湧いてきたと語っていた
まさに自分もオリジナル料理が湧いてきた
そんな時期でした
でも自分の得意な料理を披露する事が少なかった
調理場のスタッフがなかなかそろわず
ゴルフ場というイメージからいい料理は
出来ないだろうというイメージから
そらまでのゴルフ場の料理は定番定食が多く高い
バブル時代 料理もコースもサービスも高級志向と
変わったそんな時の新規オープンゴルフ俱楽部
四日坊主が本社採用された理由はフレンチが出来る事
それと水戸プラザホテル料理長からの紹介とゆうこともあって
歌手大月みやこさんがメンバーでした
定番の昼食 メニューは何時も同じ 今でも覚えています
懐かしく思い出されます
現在もTV で変わらぬ大月さんを見ると
スプリングフィルズゴルフクラブを思い出します
当時(チーフさんプレーご一緒しましょう)と
声をかけて頂きましたが・・
一緒にプレーする程の腕前ではなかった
丁重に断りました
社員食堂 レストランを任され
若い連中を休憩やキャデー教育に出し
こっそり新作料理を
一人で楽しむ事が多かった
この時代頃から仕事に対する意欲がわれわれの時代とは
変わったことになんとなくきずいた
蹴られ 殴られ洗い場作業をしながら先輩の仕事を見
覚えようとしたが四日坊主が自立したころからか
生活が豊かになるにつれ高卒コック志望も少なくなり
指導の仕方の難しくなった
差支えない事だけを教え 本筋は抑えた
コックにもいろいろいて 預かりコック
自分の身内コックを修行に他店預ける
我が厨房にも二名ほど預かっていた
この頃本気で仕込もうという内弟子を
見つけ育てる事が出来なかった
今でこそ若い男女がゴルフをスポーツとして
楽しんでいますが昭和が終わり平成へと景気が良く
金持ち紳士淑女の
スポーツそんなイメージでした
ゴルフはお金持ちの遊び
とにかく有名人、芸能人 沢山見えました
現在はゴルフ場の名前は変わりません健在です
スプリングフィルズ ゴルフ俱楽部
最後の若い経営者 転勤を指示した人
現在 経営者が変わりました
当時ゴルフ プレーよく誘われた
歌手 大月みやこさん
いい思い出だけを心の支えに
当時の一枚
新人キャデーさんの教育実習にコースにかりだされる
部長いわくゴルフがうまい人では
キャデーの教育にならないと
ゴルフが下手くそがコースにかり出された
可愛い新人キャデーの顔を見る余裕もなかった
新年度の新入社員 歓迎料理が本社より
支店は数多くあるが
スプリングの食堂課へ
確か30人ぐらいの人数だったと
喜んで気合を入れ フレンチコース料理に取り組んだ
若い連中にはやらせず
自分で楽しんだ
理事会ともなれば社長 重役 数百名の大宴会
立食パーティー料理も楽しんで献立をくんだ
レストラン ホールのほかに
ビップルームがあり
プレー後にたびたびメンバーのビップルームの利用があり
メニューにない料理を
提供した当然四日坊主の仕事でした
振り返ってみると
プレー後のメニューにない料理を楽しんで
いたようにも思う
食材も満足するものを取り入れ
お客様に提供した
オープンから築き上げいい形に
なって来た頃
約4年目頃 幹部
入れ替え 転勤
どうにも我慢が出来ず
退社
上司である大和田部長は今 思うと
やりすぎ
会社が決めた部長なので自分なりに不満は
あったが尽くした
仕事上少々衝突もあった
総武カントリークラブ 勝俣部長
大変お世話になりました
今でも総武都市開発にお世話になった事
名誉に思い
自信 経験と 大きくしてくれました
当時の人達は今 何を?
この一枚は
自分を育ててくれた
恩師と出会った頃です
セイユー別館
チロルイタリアンレストラン
ここのオーナーに
食品衛生管理者の資格の推薦
メニュー構成 分析
原価計算
仕入れ
お客様接客などの
基礎をしこまれた
料理はあまり教わった記憶が無いが
のちにお店を持てる
大きな力と
昭和54年自分のお店オープンに当たっては
お祝い(お金)はあげられないがと
包丁 皿 酒を
厨房の配列 流れ(動き)など相談に
そんな事も思い出される
お金に換える事の出来ないものを頂いた
酒ローヤルは今だ開封せずに
持っている
包丁はだいぶ小さくなった
牛刀 ペティナイフ
一番上の牛刀は
頂いたものでずっと使っている
ペティナイフはすごく使い いいので
もっつたいなく
しまいっぱなし
UPのペティナイフは
ゴルフ場から持ち帰ったもの
この年になって
k kさんは地元の恩師と気が付く
今があるのはk kさんの教えが
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