高田渡さんのアルバム「ごあいさつ」に
収録されている『鮪に鰯』
3月11日になるとこの歌が脳裏に浮かぶ。
♪鮪の刺身を
食いたくなったと
人間みたいなことを
女房が言った
言われてみるとついボクも
人間めいて
鮪の刺身を
夢みかけるのだが
死んでもよければ
勝手に食えと
ボクは腹立ちまぎれに
言ったのだ
女房はぷいと
横にむいてしまったのだが
亭主も女房もお互いに
鮪なのであって
地球の上はみんな 鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅かされて
腹立ちまぎれに現代を
生きているのだ
ある日ボクは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると
女房に言うと
女房は箸を逆さに
持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこずいて
火鉢の灰だとうそつぶやいたのだ
鮪の刺身を
食いたくなったと
人間みたいなことを
旦那も言いはじめた
作詞は山之口獏さん。
この詩に高田渡さんが曲をつけて歌っていた。
この詩は1950年代半ばにおきた「マグロ漁船第五福竜丸」事件を題材にしている。
でも僕はどうしても福島原発事故とこの歌が結びついてしまう。
当時汚染された海。
風評被害が広がり東北の魚などは店頭から消えたかと思う。
汚染された魚。非常に悲しい残念なできごとだった。
反原発の歌にも聴こえる。
あれから今日で9年が経つ。
福島原発を完全に撤去するにはまだまだ時間もかかる。
新鮮な鮪の刺身が食べたくなった。
生活を風刺するような歌は今では流行らないかもしれない。
高田渡さんが遺していった数々の歌。
若いころに聴いたときは特に何も感じなかったことが
今聴きなおすと胸に突き刺さるものがある。
恋愛や失恋の歌もいいけど、生活に密着したような歌を
もっと多くの人たちに知ってほしいとつくづく思っている。
奇麗な空気と安全・運転コストを掲げていました。が、現実は・・・この今の有り様は目を覆うばかりです。9年も年月が流れたと言うのに。
渡さんはチョット先を見て歌を作っていたんでしょうね・・・。原爆によって生まれた(?)ゴジラが映画のように地球を破壊してゆくのかな・・・。
円谷さんも暗示していたのかな・・と考えてしまいます。渡るさんは特別な人ではなく、何処にでも居る様な人の心を淡々と歌ってたんだと思います。
貧乏くさい歌で夢がないという人もいますが、
庶民の気持ちや感情などを歌にしていたところが好きでした。
もし、まだ生きていたなら今回のコロナ騒ぎ。
どのように歌にしていたのかと思ってしまいます。