時に4コマブログ 『この世はパラダイス』

世の中いろいろありますが、ココロはいつも夢幻郷。

目は大切に

2007-07-28 11:32:17 | 4コママンガ

 

 


目には良くない時代ですねー。

 

 

 

 

 

 仕事が紙の上からパソコン上に変わってから、ほとんど一日中ディスプレーを見続けているので、目がホントに疲れます。疲れ目は冷やすのがいいのか暖めるのがいいのか良く分かりませんが。

 10年位前から時々目の奥から頭痛がするようになってきていたのですが、歳も歳だし、ひょっとして緑内障か何かだったらいけないから一応診てもらおう、としばらく前に駅前の眼科に行きました。

 診察前の眼圧の検査結果を見た医者は、「眼圧は正常ですね」と言うのでまずは一安心。「しばらく前から頭痛がして、どうも目の奥から痛むようなのですが、何か病気じゃないでしょうか・・・」と症状を訴えました。

 医者は「じゃちょっと目を見せてください」、とペンライトとレンズで私の両眼をしばらく見ていましたが、何かちょっと不審げな様子。左右の目を何回か互い違いに見た後しばらくして、「うーん・・・視神経が少し消失してる可能性がありますね」、とあっさり言いました。

 緑内障では眼圧で視神経の障害が起こると言う程度の予備知識はあった私は、「え、・・・・・」と絶句してしまいました。「眼圧は正常では・・・」と言ったところ、「正常眼圧緑内障というのもありますので・・・」、などさらに不安をあおることを言われました。

 「まずは詳しい検査をしましょう」とのことでしたが、検査は予約が必要とのことで、改めて一週間先に予約を入れました。それまでの一週間、私の胸は不安でいっぱいでした。

 一週間後、視野検査の機械(あちこちに出てくる光の点滅が見えたらボタンを押す)でかなりの時間をかけて検査しましたが、結局視野にも異常はありませんでした。

 医者は「たまに生理的にもともと視神経が見えにくい人がいるんですよねー」とのことでした。「だったらそれも早く言ってくれよ」と思いましたが。

 結局「頭痛は多分近視が原因でしょう」、とのことで視力検査をやり直し、生まれて初めて眼鏡を作りました。

 学校時代から、また社会人になってからもずっと視力は良くて眼鏡はしたことがなく、遠くまで何でもはっきりくっきり見えていたんですがねえ。仕事がほとんどパソコン上になったことが原因なのは間違いないですね。

 この歳になって突然眼鏡をかけると、まず間違いなく、「あ、とうとう始まりましたか」、と老眼と思われるので、しばらく会社で初めて眼鏡姿で会う人ごとに、何か言われる前に必ず、「これ近視用なんです」と言わなければならず、とっても疲れました。

 眼鏡をかけるのはパソコンを使う時だけですが、頭痛は眼鏡をかけ始めてからウソのようにぴたりと治まりました。ですので医者には感謝してます。老眼はまだ大丈夫ですが、目は大事にしたいものです。


備えは万全?

2007-07-22 11:42:21 | 4コママンガ

 

 


地震怖いですねー。

 

 

 

 

 

 歳がばれますが、昔の1964年の新潟地震の時のことが思い出されました。

 私の幼稚園の担任の先生が新潟の出身で、田舎に戻って見てきた惨状を後で私たち園児に話してくれたことが、うっすらと記憶に残っています。倒壊した大きな建物の様子や、避難する人々のことなどを黒板に絵を描きながら説明してくれたのが、子供心に強烈な印象でした。現在避難されている方々は大変と思いますが、早く復興されることを願っています。

 私の勤め先の本社は秋に近くの新築のビルに移転するのですが、その最大の理由が今のビルの耐震強度。古―いビルのため最近のビルのような耐震構造になっておらず、大きな地震の際には従業員の生命の保証ができないとのことで、移転が決まったそうです。

 従業員に思いやりのあるやさしい会社だなー、と思いましたが、考えてみれば重役さん達も一緒にいるわけですから何も従業員のためだけではないですね。

 八王子の分譲マンションの中には、欠陥工事による耐震強度不足で建て替えているものもありますが、今住んでいるマンションは理事会によれば比較的新しいので大丈夫とのことでした。まあホントのところは実際に地震が起きてみなければ分かりませんが。

 入居する前は、社宅よりはずっと広いので余裕で暮らせると思っていましたが、いざ荷物をすべて運び込んで入居してみると、やはり現実はそう甘くはありませんでした。

 寝室もタンスやキャビネットや本棚を置くと布団2枚を敷くのもぎりぎりで、嫁さんと私のどっちがタンス側に寝るかでひともめありました。結局口では全く勝ち目のない私が押し切られてタンス側に寝ることになりましたが。

 もし倒れてきたらとても無事では済まないようなごつい嫁入り道具のタンスなので、安眠には良い環境ではないですね。でも書斎として確保した和室も山やサイクリングの道具でいっぱいでとても寝るスペースは確保できず、仕方なくリスクは承知の上でタンスの脇で寝ています。

 大地震が来たら、建物は地震に耐えられても私はつぶされるんじゃないかと恐れてます。


釣った獲物は...

2007-07-15 10:57:07 | 4コママンガ

 

 


最近は釣った魚は逃がすのが主流なんでしょうかね...。

 

 

 

 

 

 釣って逃がすというのは、どうも単に遊び目的のためだけに魚をいじめているような気がして、ちょっと違和感があります。魚篭やバケツに入れているうちに弱って死んでしまうことも多いですしね。私は食べられる魚を釣って、感謝しておいしくいただく方針です。

 ちょっと矛盾してるような気もしますが、その方が魚も釣られがいがあるのではないかと思います(ないですかね)。最近は子供等も一緒に行ってくれないので、釣りはすっかりご無沙汰してますが。子供らが小さい頃は横浜、久里浜、秋川渓谷の他、海水浴(大洗、伊東など)に行ったついでなど良く釣りをしてました。

 新入社員のときに教育のため瀬戸内沿岸の工場にしばらく仮赴任していたので、週末には職場の仲間としょっちゅう海釣に行ってました。東京ではほとんど食べる人はいませんが、あちらの方でギザミと呼ぶ魚(学術名はキュウセン。一般にはベラと言うようですが)が良く釣れて、これが焼いても煮てもおいしいんです。東京では食べたことはなかったですが。

 その瀬戸内の工場の独身寮住まいの頃に船釣りに行って、山ほど魚(グチ。こちらではイシモチ)を釣って帰ってもてあまし、食堂の調理のおばさんに渡して全員の追加のおかずとして焼いてもらったことがあります。今思うと、余計な仕事を増やされておばさん達も迷惑だったのではないかと思います。

 東京に来てからも、秋川渓谷にニジマス釣りに行って山ほど釣って持ち帰り、社宅で配って回ったことがあります。ありがた迷惑と感じた人も多かったのではないかと思います。釣れるとなると欲張って、ついつい食べられる限度を超えて釣ってしまうんですよねー。

 街は夏のバーゲン真っ盛りですが、バーゲンも一緒で、あの雰囲気に乗せられてついつい必要以上に買ってしまいがちですね。これももう大昔、阪神が1985年に優勝した時のことですが、たまたま出張で大阪にいて、帰りについでだからと阪神百貨店の優勝セールを覗いたところ、ものすごい熱気でした。

 その雰囲気に乗せられ、ついセーターを買ってしまいましたが、東京に帰ってから冷静になって考えると大して好みのものでもなく、「何でこんなもの買ったんだろう」、としばらく落ち込んでしまいました。若かりしころのミスですが、今はまず衝動買いはしないので、どんな催眠商法に会っても多分大丈夫だと思います。


Boys, be ambitious!

2007-07-08 15:13:14 | 4コママンガ

 

 


政治の世界では相変わらず困った問題が続きますねー。

 

 

 

 

 

 

 先日おかしなことを言った大臣は更迭はされずに辞任とのことでしたが、またまた事務所費問題が出てくるなど、企業の不祥事ばかりでなくマスコミはネタに困りませんね。

 エライ方々とて人間ですから、一部の週刊誌などのように一挙手一投足についていちいち上げ足を取るような見方をするのは考え物ですが、ちょっと???な状況ですね。

 ここ最近のエライ方々の更迭や辞任問題のドタバタを見ていると、どうも去り際が美しくないですね。能力不足ならまだしも、普段の浅はかな思考回路が露呈してそんな事態になるようなのはちょっとさびしいですね。

 私は幸か不幸か今のところ更迭してもらえるような立場にはないので、そのような心配は全くありません。息子達には男たるもの(女もですがね)、力及ばず更迭されることになってもいいから、俺を越えてその位の地位を目指せ!と言いたいところなんですが。

 まあ自分ができないことをやれと言うのも何なので、どのような立場であっても、お天道様に恥ずかしくない(ほとんど死語ですね)生き方をしてくれれば十分です。

<おまけ>

 昨日は富士山で体力を使い果たして帰宅し、何もする元気がなかったので、更新がちょっと遅くなってしまいました。

 金曜日の昼過ぎに八合目まで登って山小屋に泊まり、昨日登頂後、お鉢めぐりをして下山しました。金曜日は晴れ時々曇りで、眺望はないものの、登山にはちょうど良い天候でした(写真下:五合目より)。

 ご来光を頂上から見るには夜中に出発しないとならないので、八合目の山小屋から拝みました。雲の色の移り変わりがとてもきれいでした(写真下:雲海のかなたのご来光)。

 登頂までは雨も降らず、風もそれほどでなくまずまずのコンディション。高山病から来る頭痛と、山小屋で癒しきれなかった疲労に耐えながら何とか頂上にたどり着きました。

 さあお鉢めぐりをしよう、というところで雨がかなり落ちてきましたが、ここまできて最高地点に行かない手はなかろう、と一回りしてきました。神社付近には人は結構いましたが、さすがに雨の中をお鉢めぐりをしている人はほとんどいませんでした(写真下:神社側から見た剣ヶ峰)。

 その後5合目に降りるまでずっと小雨でしたが、駐車場にたどり着いた時には疲労困憊して動く気力もありませんでした。山小屋で十分睡眠がとれなかったので無理もないですね。

 ピーク時に比べれば人はずっと少ないとは言え、山小屋の割り当てスペースは子供用の布団より小さいくらい。しかも荷物はすべて(ザックや靴まで)その中に置け、とのこと。覚悟はしていましたが、赤岳の時とは雲泥の差でした。

 しかも懸念された周囲の音もやはり相当なもの。「ンガぁ...」、「ウゴゴゴ、んぐ...」、と激しいいびきに混じって、「ゴホッ、ゲヘッ、グフッ」、「プウーッ」など、人間の発するありとあらゆる言語外音声に一晩中悩まされました。

 カプセルホテルみたいなユニットを積み重ねた山小屋はできないものですかねえ。


苦難の先には...

2007-07-03 23:51:32 | つなぎ

 

 

 

 6月19日のつなぎで触れた、赤岳での体験です。

 去年の10月の第一週の土日に、いつもの先輩と2人で赤岳に登りました。強い低気圧が近づいていて不安定な天候だったものの、先輩の方針はいつも「よほどのことがない限り決行」なので、まあまだ寒くはないし、何とかなるだろう、と出かけました。

 ガイドブックによる頂上までの行程は5時間20分。時折ぱらつく雨の中、西側の登山口を出発し、ほぼ行程時間通りに中腹の山荘に着きました。しかしそこはなぜか異様に前庭に人が溢れ返っていて、屋外の木のテーブルも満員でした。こんな天気なのに良くこんなに来るなー、と自分等を棚に上げて思いました。

 それでも何とかテーブルの空いた隙をを見つけて割り込み、弁当を食べていると、近くで小屋の主人らしき年配の人が、何人かの客に山の上の方の状況を説明していました。上の小屋からの連絡があったようで、上は暴風の荒天で登山には不適とのことのようでした。あきらめきれずに、迂回コースがないか等食い下がる客に、「やめといた方がいいねー。私だったら行かないね。」と冷たく告げていました。

 これを聞いてようやく、ごった返していたのは、皆ここまで来たものの先に進めず足止めされているためだと気づきました。しかし先輩は当然のように、「行けるとこまで行って、万が一ダメだったら引き返そう」、と予想通りの判断でした。

 先輩の判断に従い意を決して登り始めると、しばらくして途中で引き返してきたという親子連れが下りてきて、「上は風速40mくらいでとても進めないよー」とのことでした。40mはオーバーだろ、と思いつつ、忠告に礼を言いながらも無視して先に進みました。

 さらにしばらく行くと、今度は学生とおぼしき男女のパーティーが下りてきました。あいさつすると、やはり途中で引き返してきたということで、「行くんですかあ?」、「やめといた方がいいですよお」、「吹き飛ばされますよー」、とやはりありがたい忠告を残しながら降りていきました。

 しかしこの程度でめげる先輩ではなく、「とにかく行ってみよ」ということでさらに登っていきました。尾根の上に出ると、なるほどものすごい強風で、吹き飛ばされそうでした。風速はどの程度か分かりませんが、ストックで支えることなく前に倒れかかっても倒れないくらいの強さでした。

 幸い雨はほとんど降っておらず、パラパラ程度で、気温もそれほど低くはなかったので、姿勢を低くして風を押しのけながら這うように進んでいきました。私は3,000m級の山は始めてだったので、さすがにちょっときつかったです。

 それでも何とか夕方には赤岳頂上小屋にたどり着きましたが、苦難の先にたどり着いたそこは...天国でした。

 小屋に先に到着していたグループも後から到着したグループもそれぞれ数名だけで、私たち2人を含めて全部で3、4パーティーの10人ほど。小屋自体は300人は収容できる大規模なものですが、ほとんど半独占状態なので、3人分の布団を占領してとりあえずどーんと大の字になってゆっくり休みました。

 食堂も余裕で悠々と数人分の席を占め、食後にゆたっりとくつろいでいた傍らで、テレビのニュースでは、発達した低気圧の影響で、白馬と奥穂高で2パーティーが遭難したことを伝えていました。

 帰宅後のニュースで、結局合計11人が遭難し、うち5名が亡くなったことを知り、先輩と「あれで雨が降って気温が低かったら俺達も危なかったなー」、と生きて帰れた喜びを分かち合いました。

 翌朝は少しは天気も回復するかとの期待も裏切られ、朝小屋を出てみると一面真っ白の霜が覆い、視界は数十メートル、気温も0度でした。朝食後しばらくのんびり待ったものの、好転の兆しが全く見えませんでした。あきらめて小屋前と頂上で記念撮影(写真下)して、前日とは別ルートで下り始めました。

 ルートは岩にペンキで描いてある矢印とところどころにある道しるべが頼りなのですが、どちらも凍り付いていて良く見えず、道しるべも古くなって文字が良く見えませんでした。こんな真冬並みとは思わなかったので、持っていた手袋は軍手と薄いフリースのものだけで、重ねてはめても凍傷で指を失うんじゃないかと心配なくらい冷たかったです。初秋だからと言って甘く見てはいけませんね。

 この辺が分岐点のはずなんだが、というところまで来て道が分からず、道はどこだー、と探していると、下から登ってくるパーティーが見えました。「助かったー」とほっとして、「文三郎道はここでいいんですか?」と聞くと、「われわれもそう思って下ったものの、分からなくなって引き返してきたんです」とのこと。

 つかみかけた希望のつるがするりと逃げ、またその周辺をあっちでもない、こっちでもないと探し回りました。ようやくあたりを付けて進み、何とか道にたどり着いたものの、へたをしたら下りでも遭難ものでした。

 登りも下りも大変な登山になってしまいましたが、中腹まで降りた頃にようやく晴れて、山頂まで全容が見渡せました。一面の霧氷に覆われた山腹がキラキラ輝いて、とても幻想的でした(写真下)。昨年の2月に丹沢で見た霧氷もきれいでしたが、こちらのはさすがにスケールが違います。

 こんな大変な登山ではあったものの、こういう記憶は後々鮮明に残り、貴重な思い出になるんですよねー。でもこれまでの山での最大の危機は入社2年目の時に行った知床の羅臼岳で、若気のいたりで、極めて無謀な山登りをして本当に遭難しかけました。この時のことはまたいつか。

 富士山は一応山開きはしたようですので、今週の金曜に休みをとって一泊で行く予定にしてます。あまりに天気が悪そうだったらさすがに延期しますが、今回は装備も万全にして、気をつけて登ってきたいと思います。


向上心はいつまでも

2007-07-01 10:01:54 | 4コママンガ

 

 


私は要領のいい方ではありません。

 スポーツでも何でも、何かできるようになるまでに人より大抵数テンポ遅れます。

 スポーツは子供の頃から嫌いではなかったものの、運動オンチで気持ちに体がついていかず、人並み以上にできたものはほとんどありません。運動会の徒競走は6人中の4着が定位置。

 小学校の2,3年の頃だったか、近所の同じような運動オンチの野球好きが集まった弱小チームで練習の真似事をしていたものの、あまりにレベルが低くて相手をしてくれるチームがなく、試合をした記憶がありません。

 野球のユニフォームがどうしても着たくて買ってもらって、得意顔のピッチングフォームできめている写真はありますが、プレー中の写真は一枚もありません。運動具店のおじさんに、「背番号はいくつがいい?」と聞かれて18!」と言って、ユニフォームの背中に付けてもらったときの記憶は鮮明に頭に刻まれているんですがねえ。

 水泳も小学校以来クロールで25mを泳げず、社会人になってもずっとトラウマとして引きずっていました。しかし結婚して子供が生まれて、「こいつをプールに連れて行って、自分がろくに泳げないのではオヤジの面目が立たん!」と思い、市民プールで練習を始めました。

 人間メンツのためとなると何とかなるもんで、格好はともかく、子供が物心つくころまでにはクロールで何とか25mは泳げるようになりました。でも未だに長距離を連続ですいすいと言うわけには行かず、25mごとにヘエヘエ息を整えながらでないと続きません。きわめて効率の悪い泳ぎ方をしているのは間違いないですね。

 勉強にしても仕事にしても、周囲のペースからはかなりずれてます。乗り物に例えれば自転車ですね。今の職場で周りを見渡すとバイク並みの人、スポーツカー並みの人、いろいろいます。まあ世界にはまだまだ上は際限なく存在して、ジェット機並みの人、ロケット並みの人等々きりがないですが。

 若い頃は周囲と比べた要領の悪さでコンプレックスの塊でしたが、歳とともに徐々に開き直ってきて、特に意識しなくても人との無意味な比較はしないようになりました。

 学生の頃や入社当時に友人等と良く行った車や列車の旅の後に、スローペースの自転車の一人旅を続けて、自転車でなければ見えない景色(目に見えるものだけでなく)を十分楽しんできたことも大きく影響していると思います。人生も同じで、あまりハイペースだと見逃してしまうことも多いのではないでしょうか。

 ペースが遅い分、何事も自分には大きく伸びる余地がまだまだ無限にあると思えば、多分死ぬまで飽きることはないですね。の絶対の尺度を持って、自分の持つものを最大限引き出せれば、自転車人生でもジェット機人生でも、人生の満足度は同じように得られるのではないかと思います。

 最近も「クロールがきれいに泳げるようになる!」というタイトルに惹かれて本を買いました。まだ読んでから一回しか泳いでないですが、本の通りにやってみたところ、少し楽にすいすい進んだような気がしました。まだまだあきらめず上達を目指したいと思います

 自分