日々の事から

日々のあれこれ
by Kirari

ごめんなさいの効用。 2

2014-08-08 12:45:17 | 日記
ツヅキ。


そういうヤツは惚婆だが、ブーもそういう傾向。
あ~。 類友か。そうか。

仕事を覚えようとせず(理解できる能力はない)、簡単な事も繰り返し誰彼に訊いて、仕事が完成すりゃあ
礼は言っときゃ
―それでいいってタイプだね。
私の謝罪の重さとは全く違う感覚。


もう少し、『言葉の重み』を体得すべきだろう。
挨拶が好きなヤツはいるが、できないヤツのパフォーマンスに違いない。

すりゃあ済む?最悪な態度だと思う。
そういう感覚はちゃんと相手に伝わっている。

私は、やたらに挨拶をするヤツは嫌いなので、自分が何かする度に『有難うございます』とか言われると、腹が立つ。

もし身近に、お礼言ってんのに不機嫌な人がいたら、私と似たタイプかもしれない。


些細な挨拶にも返事しろっての?
なんでアンタの行動のマーキングに私を参加させるわけ?
‥そう考えてしまうのだ。

謝罪、お礼、挨拶は、ここぞという時にすればいい。


幼い決意はまだまだ続くのだ。



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ごめんなさいの効用。

2014-08-08 12:38:06 | 子どもの思い..
自分は頑だ、と自覚している。
多分、小さい 無邪気な頃は素直に ごめんなさいが言えていたはずだ。

ところが幼いある日、『すぐ謝るけど、謝ったからって済まない事があるんだからね!』と言われる問題が勃発。
兄さんが親に言われてたのを耳にしたか、自分が言われたかしたんだと薄く記憶する。

幼い知識では、ごめんなさいが通らないなら、どうすればいいのか、想像できなかった。
だったらどうすりゃいいのか‥分からなかった。

昔流行ったけど、『ごめんで済みゃ警察要らん』とケンカした子どもが言い放つ時代だった。

東北の素朴な育ちの私たち。
故郷から700kmも離れた新しい地域に慣れようと、随分気張っていた。


兄さんと、それならどうすりゃいいのかを意見交換した気がする。


結局、『私はやたら謝ることはやめよう』と心に決めてしまったのだ。

そうなのだ。
幼い決意は一生付きまとう。
それからは、謝ることは敗北感を伴う行為となってしまったのだ。


職場に、すぐ謝るヤツがいる。
簡単なのにやれない仕事がたくさんあり、他人に聞く→謝る格好で毎度 礼を言う。

逆に言えば、お礼を言えばできない仕事ができてしまう訳だ


ツヅク‥


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