




以前「高純度」と書かれた、結構量が多いモノを買った事がありますが
あまりいい印象はありませんでした、汚れも落ちないし
良い音しなかった気がします
そのオイルは、全部誰かさんの脚にタップリと塗られた気がします

以前「高純度」と書かれた、結構量が多いモノを買った事がありますが
あまりいい印象はありませんでした、汚れも落ちないし
良い音しなかった気がします
そのオイルは、全部誰かさんの脚にタップリと塗られた気がします
良い音の秘訣は何ですか?
時々そんな質問がきますが、お答え致しましょう!
そんな秘訣が有るわけないでしょう~
日々精進し、日進月歩で良い音を目指しますが、山あり谷ありの険しい道のり
此処を変えてみたら、おっ思い通りに少し良く鳴ったそ
よし!更に良くしよう、と他も変えてみると、
あら?、なんで〜
逆に悪くなった~!
そんなことを繰り返しながらも
時にはチョッピリ進んでいく、そんな事をただひたすら虚しく繰り返す
それが正しいオーディオマニアの姿ですよ
相手は分っているようで、全然わからない「電気」と
天邪鬼な空気振動の「音」
昨夜徹夜で仕上げた最高のお音が、朝になって聴いてみると
「たいしたことない」なんて事はよくある事、
昨夜の最高に良いと酔いしれた音は
真空管が最高に温まった時の音だったのか
励磁コイルが熱を持って動きが最高に良かったのか
部屋の空気の温度と密度が最高に融合されたのか
長時間聴いていて、聴き手の体調や興奮が最高潮だったのか
それとも、アルコールの飲み過ぎで幻聴を聴いていただけだったのか
理由は分らないが、二度と奏でられないような感動の演奏も何度かあった
良い音の秘訣が分かっていれば、いつでも感動的な最高の演奏が奏でられるが
なかなかそんな訳にはいかないですね
多くの様々な不確定な要因が重なって、感動的な音を奏でる事が有るが
その音が毎日続くわけではない
音は一期一会
今日はネットワークの部品を交換しました
古いWEのコンデンサーよりも新しい部品の方が、数値が正確で
音も狙い通りだと思うが
どうなんだろう^_^
出来ることならこのサウンドが
明日も素晴らしいサウンドで鳴り響いて欲しいと
祈りながら今日も電源を切りました
おやすみなさい
キャンピングカーで旅していて「日本の原風景」
と看板があったので寄り道してみました
新潟の星峠の棚田の写真です、もう数日後だったらもっといい写真が撮れたかもしれませんが
なるほど、日本の原風景ね~
確かに今はきちんと整地された四角い田んぼも、俺が子供の頃はこんなふうだったな~
と眺めていましあが、近くに同年代の方もいて同じように感じたのか、子供や孫にその頃の事を語っていたが
子供や、孫たちの反応は「へ~そうだったんだ、和だったんだね」
そんな気のない返事で、早く次へ行こうと話していたようだった
なるほど、日本の原風景、と言って昔を懐かしんでこの風景を眺めるのは、
我々昭和の世代だけなのかもしれない
平成世代、令和世代の日本の原風景はまた違うのかもしれないですね
原体験とは、心の底に刻まれた思い出なのでしょうか
心に刻まれるには、やはり何か心動かされた「感動が」あったからかもしれません
そう、心が動く感動があると「原体験」として心に刻まれ思い出に残るのかもしれません
嫌な事は忘れて、良い思い出の「原体験」を残したいものです(笑)
オーディオの話になりますが、
ちょっと大げさですが、オーディオは原体験が全てだと思っています
私がオーディオにのめり込んだのは、中二で連れて行って頂いた「オーディオフェア」で
JBL L200Bのサウンドを聴いたのがオーディオ原体験です
小学生の頃、叔父からセパレートステレオを頂き、FMを録音するために
中一で新聞配達をして、SONYを辞めた同級生の父親の店でカセットデンスケを購入、
その、同級生の父親が連れて行ってくれたのが、そのオーディオフェアでした
愛読書「レコパル」でしか見た事のない数多くの日本製のスピーカーやアンプが並ぶ姿は壮観で感激しました
すげ~、とか言ってその製品の姿を眺めていましたが、とあるブースの裏の荷物と一緒にあったような一角
派手なブーストのすぐ隣の、ちょっと古臭いイメージのスピーカー(カッコいいとは思いませんでした)
そのスピーカーが奏でる音のリアルな事、驚きました、
他のブースとは根本的に何かが違う
私:店員さんに、なんでこれはこんなに音が違うんですか?
店員:これは世界一のJBLのスピーカーなんだよ
私:JBLかすげー
もう私のオーディオはJBL一筋でした(笑)
デンスケのローンが終わると、直ぐに憧れのJBLをローンを組んで購入することに
JBLは高い~、とても新聞配達では買えない、大人になるまで新聞配達をする気がした(笑)
何とか手が出たのはLE8Tのユニットのみ、それでも一年半ぐらいのローンだったと思う
SONYの店では扱っていないが、取り寄せてもらえることになった
コンサートの良し悪しを、大きく左右するがPAだと思います
様々なLIVEやコンサートがありますが
オーケストラなどのクラシックは、ホール自体による影響が大きいと思いますが
その他の多くのコンサートでは
そのPA装置によって「コンサートの良し悪しの印象」は大きく変わると思います
先日の、宇崎竜童さんのエネルギッシュなソロアコースティックLIVEのPAは最高でしたが
PAで苦い思い出も沢山あります、有名な中島○○○のコンサートで厄介(夜会)では素晴らしいサウンドなのに地方のコンサートだと酷いもんでした、スピーカーの前に座ってしまいその音の悪さに耐え切れず、途中で逃げ出した事があります、わりと高額なチケットでしたが悔しい思い出です
1,000人規模のコンサートホールは座る席によっても大きく変わってきますね
我が街には、事務所から歩いて5分程度の所に500人弱の小規模のコンサートホールがあります
前橋市との合併前の大胡町の時代は、ここで多くのコンサートが毎月のように開かれていましたが
今はつまらない催しばかりで殆ど行きません
素晴らしい響きを誇るとまでは言えませんがそこそこの音響で
当時は出来る限り毎回のようにコンサートに参加さて頂いていました、あの頃は楽しい時代でした
この程度の小さなホールでもPAの影響は大きく、その印象は大きく左右されましたね
故河島英五さんも、亡くなる前年だったと思いますがこのホールに来てくれて、彼は
「私はプロだから生声で皆に感動してもらい」と、
客席まで上がってきてマイクを使わずに数曲歌ってくれました
流石プロです、今も心に残る感動的な歌声でした
その後、ステージでマイクを使っても殆ど生声と変わらぬ声だったのが印象的でした
きっと素晴らしいPA装置だったのでしょうね
そんな心に残るコンサートの良し悪しを印象付けてしまうPA装置
まずPAの語源は
Public Address、直訳すると公衆伝達という意味だと言われています
何のこっちゃ?、ですよね
1917年にマグナボックスからPAの特許が出されていますが
Addressには「演説」という意味があります
要は当時の権力者や政治家の「演説用拡声器」ですね
当時の米国大統領が広場で民衆に向けてPA装置を使って演説を行ったのが始まりと言われています
集まった多くの民衆へ支配者がその思想を語るのですが、
生声では届かない隅々の人々まで、拡声し演説を届けた装置がPublic Address「PA」
当時、このPAによる拡声はとても効果的とされ、米国と対立するヨーロッパのドイツでも
当時の有名な独裁統治者がその思想を多くの人に植え付けるたっめに
PAを効果的に使って人々を洗脳したと言われています。
ドイツと米国の国家思想の違いは、音色の違いとして今でもそれを伺えます
当時の支配的実力者がその思想を民衆に伝えるために使われたPAですから
生の声よりより効果的に、美的に、官能的に
その声を使って、民衆の人々に思想を「洗脳」したと聞いています
WEでは、更に効果を高めるため心理学も研究されて
人が嫌う音はどんな音か、
魅力に感じる音はどんな音なのか
聞く人を酔わせ洗脳する「音の研究」が行われたと言われています
戦時下ですから、音による兵器としての心理的研究が行われたらしいです
思想を広める「演説の声」も、同盟国と無線ではなく有線で結んで「話す声」の為に
当時、国家予算を掛けて同盟国に電話線を張り巡らした電話会社のWEでしたから
より音についての研究は長けていたと思われます
ベル研と共に、WEのホーソン工場で行われたホーソン実験の心理作用では有名です
この実験は、その後のプラシボー効果等の元になったとも言われています
「声」が国を動かし、「音」が最も重要で利益を生んだ時代だったと思います
そんな、「人々を魅力する音」がいちばん効果的に発揮されたのが
当時絵だけの無声映画から、音声を加えたトーキー映画の出現だったのでしょうね。
人々は俳優の声に魅了され陶酔し映画が発展たとき聞きます
あくまでも私的な意見ですが、この様な背景からも、
PAとは、聴きての人々に「より良い音で印象的な美音」を使って
生声よりも
人々の「心に印象深く刻まれる音造り」
が施された拡声装置が「PA」
だと思っています
聴き手の人間にどう伝わるか、それを考えて作られた装置です
聴くのは「人間」です
求めるのは「印象深く心に刻まれる」ことです
ですから機械的に特性がどう優れていても意味が無く
性能や特性等ではなく
聴いた人がどう感じるか、それが重要だと私は思っています
演じるミュージシャンや演奏家がその音に酔いしれ
多くの聴衆もそこに引き込まれていく
そんな感動の共有ができる拡声装置が
本当の「PA」だと本気で思っています