NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年004月029日(日)ド深夜のたわ言

2007-04-29 | 休み
ポストイットって何であんなに高いんだろう。
高々小さな紙の束でしかないのに。
あの糊を付けるのに職人さんがいる…
わきゃない。



音楽は記憶のポストイットというのは正に金言で
あるなぁと毎度のごとく思うのですが…


90年代半ばごろの楽曲を去年の秋口から今年の初めに
かけて頻繁にローテーションをしていたら
正にその楽曲が見事にポストイットと化してしまったです。

先ほど、何か本を読みながらも邪魔にならない曲は無いかな
なぞと思ってHDDを漁っていたらBonieさんが。
しかも『Even So』とか『Heaven'Kitchin』みたいな
90年代Bonieさんのアルバムが…
というよりも
それくらいしか持ってないというのが正解。

もうダブルポストイットで。

90年代のその当時
Bonieさんの名前だけ知っていたくらいで
楽曲はほぼ知らなかった僕だけれど
買った当時の記憶よりも、90年代の記憶が
脳みその片隅から湧き出てくる。
何だろうかあの日々はと。
校舎中を走り回っていた記憶。
良い記憶も、嫌な記憶も含めての僕の90年代。
ナインティーズ。

そして昨年の秋口からの記憶も。
何であんなに寒かったのかとか、何であんなに黒づくめだったのか
一応本人的にはマシなつもりの黒使いだったけれど
今振り返ると、真っ黒だななぁと、後悔の念も。
靴でメリハリは付いていたはずだろうだとか。

授業の記憶、誰かと話した記憶(感覚といった方が正確)
寒い中を歩く楽しさ、図書館の異様な暖房の暑さと人ごみ。
首のマフラーの感覚。山手線の車内。ロマンスカーの車内。
ワードを前に朦朧とする時。本を読んでいる時。
あがいてる時。
日をまたいだ時の、またぎそうな時の帰り道とか。
そんな感じで細切れに記憶というよりも、背筋がむず痒くなるような
感覚とともに色々な記憶がサルベージされていっちゃう感覚。
(否能動、JUST受動!)




オザケンさんとかUAさんとかじゃ、出てこないのに
Bonieさんとかオエイシスゥとか聴いちゃうと
あふれ返って、無為に感傷的になっちゃって
困る!!歯が痒い…



記憶を溜め込んでおくのって
何だか色々とコスト高なんだぁ。