NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02009年002月014日(土)今日

2009-02-14 | 休み
高校時代、女の子と付き合った経験とかが無い頃、彼女の居た友達に「○○(彼女の名前)って運命の人みたいなの?」と嫉妬半分からかい半分に聞いたことがあったのですが、そんなアホなぼくの質問に「いや、今は○○が最高だとは思うけれど、将来はわかんないし運命とかそういうんじゃ無い」と返されてしまいました。正直ぼくが期待したようなノロケとか照れとかではなくて、ずいぶんと冷静な返答に拍子抜けしました。

モテないと、ついユダヤよろしく選民思想というか、「自分には運命の人がいるから!」みたいなある種の、それもとても独りよがりで気持ちの悪い、運命論に帰してしまいがちなんですが、この言葉って凄いなと後々になって思いました。色恋だけに当てはまる話でもなくて、運命の人が、或いはモノやら何やらがあるんじゃなくて、出会った人なりモノなり何なりを受け入れるかどうかって言う問題でしかないんじゃないかなぁと。それを運命って言ったりするのかも知れません。

とか思っていたのですが、こんな日なのでちょこっと夢を見たくなり、手元にあった本のナイーブ過ぎる一文を引用したくなりました。フィクションの世界くらい夢を見たいものです。

「―この世界の誰一人、見たことがないものがある。
それは優しくて、とても甘い。
多分、見ることができたなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。
だからこそ、誰もそれを見たことがない。
そう簡単には手に入れられないように、世界はそれを隠したのだ。
だけどいつかは、誰かが見つける。
手に入れるべきたった一人が、ちゃんとそれを見つけられる。

そういうふうになっている。」
(『とらドラ!』第一巻 序文)

『とらドラ!』第1話冒頭部分


最後の一文だけ違ってんだぁ。(追記)じゃなくて、中盤は文章が大分入れ替わってるんだなぁ。アニメ版の序文の方が収まりが良くて好きです。


なんか「チョコレート・ディスコ」を仕掛けようと満々のPerfume陣営せいかどうかは分かりませんが、なんとかのひとつ覚えのように街中でかかっていそうなので、今日は外に出るのは控えましょう。