NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

Eden of the far East

2009-06-19 | 休み
2万人のニート

プロダクションI.G.が製作と言うことを差し引いても、『機動警察パトレイバー2 The movie』と『東のエデン』とは自衛隊を用いた内部によるテロルという設定に共通しているなぁ。わざと共通させてるような気もします。レインボーブリッジだし。でも前者がテロ自体が目的で戦争状況の醸成によって日本国内の意識を刺激するところにテロルの意図があったのに比べて、後者のテロルの目的は戦争状況ではなく本当の戦争を起こし社会システムを壊す、と大きく異なります。


オウム事件や北朝鮮問題、9・11テロ、程度は低すぎますが田母神論文のようなものが出てくる世界、日本では既に戦争の危機は一定のリアリティを持って捉えられているので、もはやああいった主題はフィクション足りえないです。だから神山監督が選び取ったのは、現代の問題でよく新聞雑誌の紙面を飾る日本の”閉塞感”、広く行き渡ってしまった死に至る病のような緩やかな絶望とかだったのかもしれません。

そういった”閉塞感”の中にあって、その象徴として比較的悪者にされ易いネットやニートといった事柄が極めてポジティブに描かれていたのが何と言っても印象的でした。11発のミサイル飛来を「迂闊な月曜日」たらしめたのは一人のヒーローの力ではなく、ネットを通して集まった2万人のニートによる集合知のようなものであったり、連帯であったり。富まない国民が全員ニート化することで社会・経済を人質にとって富める側を脅そうとか。

またユニークなのは滝沢と3人のセレロンの間の対立?は決して問題意識の対立ではないところです。両者の問題意識、例えば利権構造や富の不均衡など等をどのように解決するかという実行手段が両者の対立軸というのが面白いなぁ。滝沢が下からの改革だとしたら、物部たちのそれは上からの有無を言わせぬドラスティックな改革であったと。まぁアニメ版では滝沢が彼らの改革を一応食い止めたところで幕切れしましたが。

で、劇場版では滝沢が日本国の王様、王子様となってセレソンとの政治闘争?を繰り広げてゆくようですが…まさかそこにも切り込むの?昭和ならともかく平成の代では今上天皇がどれだけ損な役回りをしても、心を痛めても”軸”としての日本社会での役割も既に機能しなくなってしまっています。そういった機能を滝沢が担うのか、昭和天皇は国民の生贄に為りきれませんでしたが。何にしろ面白そうです。でも2作とは…



ただ、最終回。椿の花が落ちてはいたけど、あれはフェイクで板津は死んではいなかったとは。板津が死んでなかったところに、「羽野海チカのキャラクターに合わせた物語にする」という神山監督の言葉の意味を見た気がします。神山監督の持ち味は深遠っぽいけど非常な分かり易さ。となると、亜東才蔵(アジアの東?)はやはり生きていて傘下のタクシー会社のドライバー?なのかも知れません。そして直列ニートが生み出した解決策が何とも正攻法だったのが、う~ん…

最後のミサイルを打ち落とす際の滝沢の演出意図は、本人も言うとおり『明日に向かって撃て』なのでしょうが、どうにも「ガンズオブパトリオット」に見えてしかたがないです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿