人間はいかにして「痛み」を言語化することができるのか。
「ことばはどのように感覚を《指し示す》のか。ーーーここには何ら問題などないように見える。われわれは毎日のように感覚について語り、それらを名指してはいないだろうか。だが、どのようにしてその名と名指されたものとの結合がつくり出されるのか。この問いは、どのようにしてひとりの人間が感覚の名の意味を学ぶのか、という問いと同じである。たとえば『痛み』という語の意味。ことばが根源的で自然な感覚の表現に結びつけられ、その代わりになっているということ、これは一つの可能性である。子供がけがをして泣く。すると大人たちがその子に語りかけて、感嘆詞を教え、のちには文章を教える。かれらはその子に新しい痛みのふるまいを教えるのである。『すると、あなたは、<痛み>という語が本来泣き声を意味している、と言うのか』。ーーーその反対である。痛みという語表現は泣き声にとって代わっているのであって、それを記述しているのではないのである」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二四四」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.177』大修館書店)
ウィトゲンシュタインが指摘するのは、「泣き声」という言葉と「痛み」という言葉が並列してあるのではなく、ただ単なる「泣き声」(叫び声・呻き声・啜り泣きーーー)が「痛み」という言語へ翻訳されうるということだ。なるほど「泣き声」には様々な「泣き声」があるだろう。しかし「痛み」を現わしているに違いないと考えられる「泣き声」に限り、それは「痛み」という言語へ置き換えることができるといっているのだ。ところが実際の、たとえば身体の或る箇所の「痛み」と、言語としての「痛み」とを置き換えることはもちろんできない。問題はあくまで「泣き声そのもの」(ぎゃあぎゃあ、わあわあ、おえおえへ〜ーーー)は「痛み」という言語と変換可能であるということでなければならない。そしてこの場合「痛み」という語は色々な「泣き声」を意味内容として包括的に含み込んでしまうため、ただ単なる「痛み」だけでは伝達不可能な部分が残されてしまうことも事実だ。
「それなら、どうしてわたくしはこれ以上、言語をもって痛みの表現と痛みとの間に入りこむことなど望みえようか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二四五」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.178』大修館書店)
という問いが出て来ざるをえない。そして実にそれこそが言語機能の限界として問題とされなければならない。無限の説明必要性という事態に陥ってしまうからだ。無限の説明必要性という悪循環に陥っているとき、人々は、或る種の「言語ゲーム」内での限界を思い知らされることになる。にもかかわらず、それゆえに、別の仕方で組織されている別の「言語ゲーム」=「他者の言語」、という可能性へ賭けることになっていく。
さて、「変身=分身」の系譜はまだ続く。というより注意深く拾っていけばきりがないのかもしれない。なぜなら、モデルとなりうる作品が少な過ぎるのではなく、逆に多過ぎるからなのだが。
「エイハブ船長はモーヴィ・ディックとともに抗しがたい<鯨への生成変化>に巻き込まれる。しかしそれと同時に、モーヴィ・ディックなる動物もまた、耐えがたいほど純粋な白さに、まばゆいばかりに白い城壁に、銀の糸になって伸び、少女の『ように』しなやかになり、鞭のようによじれ、さらには城塞のように聳えなければならない。文学も、ときとして絵画に追いつき、さらには音楽にさえ追いつくことがありうるのだろうか?そして絵画が音楽に追いつくこともあるのだろうか?」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.300」河出文庫)
ここでもしあえてウィトゲンシュタインを持ち出すとすれば間違った行為だろうか。「泣き声」=「痛み」の変換可能性ということ。それは或る限定的な範囲では十分可能だった。では文学はどうだろう。文学は絵画あるいは音楽に追いつくことができるだろうか。少なくとも変換することはできる。だが追いつくことは、実はなかなかできない場合が多い。絵画や音楽のほうが文学を追い越し置き去りにしてしまっている場合のほうがずっと大量だからだ。始めから死体化してしまっている文学ならよく見かけるに違いない。そして逆に絵画や音楽によってそれらが再生されるとき、何とかして再び蘇ってくる文学を世界は持っている、という程度でしかないのではないだろうか。この問いは低迷するばかりの文学に突き付けられた数々の問題を再定義し直さなければ文学自身にとってもよく見えてこない領域にあるのだろう。問題は文学なのだとはいえ、実をいえばそれ以前に、文学者あるいは作家自身とその周辺がとうとう足元を凝視しなければ垂直的落下の無意味な逃走線を逃走もしないままただひたすら自己償却していくことになるだろうような問いなのだ。文学を活性化させてきたのはいつも「周縁の力」だった。「周縁」といっても何も辺鄙な土地とか田舎とかのことではまったくなく、逆に都会の只中であっても当然「周縁」は存在する。たとえば、ニューヨークの只中を斜めに走り抜けるブロードウェイ。ニューヨークの直線とブロードウェイの斜めの線とが交錯する地点で事件は発生する。あるいは発生しない時の不思議な静けさ。両者の摩擦による発熱あるいは発狂。そういう強度の暴力的変容が「周縁の力」として作用する。ただこのような視野に立つとき注意すべきことがある。中心と周縁とを対置させるばかりではただ単に相互が変換し合うだけの二項対立関係が成り立つに過ぎないということ。そこには何らの歴史性も生じてこないこと。歴史性を脱落させた文学はなるほど文学として認められはしようものの、しかし何ら生成してくるものがない。だから中心と周縁とをただ単に対置させるだけではまた駄目なのだ。むしろ摩擦・抵抗・速度・闘争・逃走・鎖列・脱節・破壊・溶融・分裂・踏査・罠・倒錯・浸透・崇高・愚劣・狡知・放縦・舞踏・静寂・挑発ーーー、それらが常に進行形をとらざるを得ないという変態性を備えていなければ歴史性など発生しようもない。そしてこの領域は実際の作品がその領域に置かれて始めて目に見えるものとして出現するほかないような領域なのだ。領域とはもともとそういうものかもしれないが。
エイハブの生が大いに躍動し遂に狂気化していく過程。そうなるのはモーヴィ・ディックが怪物として大いに活動していてこそだ。エイハブの生成変化は、エイハブのモーヴィ・ディック化あるいはモーヴィ・ディックのエイハブ化と同時進行で展開する。ここで「白鯨=モーヴィ・ディック」は「リヴァイアサン」に《なる》のだが、小説の途中で変身するわけではなく、あらかじめ与えられた状況で既に「リヴァイアサン」として「白鯨=モーヴィ・ディック」だ。エイハブもまた「白鯨=モーヴィ・ディック」に《なる》のだが、この動物への生成変化は、エイハブの「リヴァイアサン」としての「白鯨=モーヴィ・ディック」化でもなければならない。怪物同士の果たし合いにしか思えない小説ではあるものの、まさにその叙述によって、両者は「少女のようにしなやか」に振る舞い合う。エイハブとモーヴィ・ディックとは旧知の間柄のように互いが互いをよく知り合っている。
「いいか、すべて目に見ゆる物とは、ボール紙づくりの仮面にすぎぬ。だが、おのおのの出来事ではーーー生ける行動、疑う余地なき行為においてはじゃーーーかならず、そのでたらめな仮面の背後(うしろ)から、正体は知れぬがしかもちゃんと筋道にかなったものが、その隠された顔の目鼻だちを表面(おもて)に現わしてくるものなのだ。人間、壁をぶちやぶるなら、その仮面の壁をぶちやぶれ!囚人が壁を打ち破らんで外へ出られるか?このおれには、あの白鯨が壁になって、身近に立ちはだかって居(い)おるのだ。そりゃ、その壁の向う側には、何もないと思うこともある。だがそれでも同じじゃ。あいつがおれにはたらきかけ、おれにのしかかってくる」(メルヴィル「白鯨・上・P.273」新潮文庫)
「この鯨にあれほど深刻な恐怖感がつきまとうにいたらしめたのは、その異常な巨驅でもなく、めざましい体の色でもなく、まして怪奇な形した下顎でもなくーーー事情通の言葉によればーーー彼がその闘争において幾度となく発揮したところの、無類の理知的な兇悪さであった。何よりも引き揚げどきの腹黒さに凄味(すごみ)があった。意気ごんで追いかける敵の前方を、いかにも狼狽(ろうばい)したように泳いでゆくかと思うと、急に向き直って襲いかかり、ボートを粉微塵(こなみじん)に打ちくだいたり、敵をして慌てふためいて本船へ逃げ帰らせたりすることが幾度かあった。すでに幾人かは彼との闘いに非業の最期をとげた。もちろん同様の不幸な災厄は、陸上にはあまり伝わっていないとしても、捕鯨業ではかならずしも珍しくはなかったけれども、それにしても多くの場合、この白鯨の悪鬼のごとき企み深い獰猛さを目撃した者にとっては、彼によって五体を引き裂かれ、殺されるのが、とても無知な動物の手で惹(ひ)き起された禍害とは認めることができなかったのだ。されば、読者よ、想えーーーわけても死物狂いに彼を狩ったひとびとの心のうちを──砕かれたボートの破片や、ちぎれて沈んでゆく仲間の四肢のただようなかを、白鯨の不気味な憤怒に白濁した海面を泳ぎ抜けて、いまいましいほど静穏な、まるで誕生か結婚の日のように微笑(ほほえ)んでいる日光の下まで辿(たど)りついたとき、想いみよーーーかれらの心に狂おしく燃えさかる激怒が、いかにすさまじいものであるかを。三隻のボートが彼の周囲で難破している。櫂(かい)も人も渦潮にまきこまれている。短剣をふりかざした一人の船長が、打ち砕かれた舳から、敵をめがけたアーカンソーの決闘者そのままに鯨めがけて飛びかかり、その六インチの刃で巨鯨の生命の奥底ふかく徹(とお)れとばかり、死物狂いで突き刺そうとしている、ーーーその船長がエイハブだった。と、次の瞬間、モーヴィ・ディックは、いきなりその鎌形の下顎をエイハブのからだの下へ回したかと思うと、まるで野の青草を切る草刈人のように、その片脚を切りとってしまった。ターバン巻いたトルコ人も、ヴェニスやマレイの傭兵(ようへい)も、これほど明らさまな残忍さで、彼に噛(か)みつくことはできなかったであろう。してみれば、まさに紙一重で生命にかかわるところだったこの格闘以来、エイハブが白鯨に対して、狂おしい復讐心(ふくしゅうしん)を抱きつづけたということを、疑う理由は毛頭ないが、そればかりではすまず、さらに進んで、もはや病的にまで激昂(げっこう)したエイハブは、あらゆる肉体的苦悩ばかりでなく、おのれのあらゆる思想上精神上の憤怒までも、すべてモーヴィ・ディックそのものと同一視するところまで行ってしまった。深刻な人物には間々あることだが、おのれの身中に感ずる邪悪な魔の使いども、それにわが身を蝕(むしば)まれ、ついには心臓も肺も半分だけで生きてゆかねばならなくなる、そうした魔性の悪念が凝って、眼前を遊弋(ゆうよく)する『白鯨』の姿と化したものと、エイハブの眼には映った。この捉えがたい悪こそは、世の始まりから存在していたのだ。近代のキリスト教徒すらも諸世界の半分はそのものが支配する領域だと考えた。また古代東邦の拝蛇教徒は、それを魔神像として拝跪(はいき)したーーーエイハブはかれらのように身を屈して拝みはしなかった。譫妄(せんもう)にもその観念をおのれの憎む白鯨に移し入れ、不具の身をもってそれに対して闘いを挑んだ。もっともひとを逆上させ苦しめ苛(さいな)むすべてのもの、およそ事を荒立てるすべてのもの、邪悪を内に蔵するすべての真実、かの筋骨を砕き肝脳を地に塗(まみ)れさせるすべてのもの、生活と思想とを蝕むすべての狡猾(こうかつ)な悪魔性ーーーこれらのすべての悪は、狂えるエイハブにとっては、モーヴィ・ディックという目にみえる個体と化し、現実に攻撃可能な対象となって現われたのだ。彼はアダム以来全人類が感じた怒りと憎しみとの全量をば、ことごとくあの鯨の白瘤の上に積みかさねておいて、さておのれの胸郭を臼砲(きゅうほう)になぞらえ、灼熱(しゃくねつ)した心臓に蓄えた榴弾(りゅうだん)をそこで炸裂(さくれつ)させたのである。彼のこの偏執が、まさにその肉体の一部を奪われたその瞬間において即座に高潮したとは考えにくい。短剣を揮(ふる)って怪物に飛びかかったあのときには、ただ突如として全身にみなぎった忿怨(ふんえん)の激情に身をまかせたにすぎない。またその身を引き裂く一撃を受けたときにしても、おそらく肉体の分断される激痛は感じただろうが、それ以上のことはなかった。しかしこの衝突によって帰航を余儀なくされ、幾月にもわたる毎日、毎週、エイハブはその痛みと二人づれで一つ吊床(ハンモック)に横たわったまま、冬の真中、暗澹(あんたん)たる風浪を衝いてパタゴニア岬を回航したときーーーそのときこそ、彼の壊(やぶ)れた肉体と傷ついた魂とは、互(かた)みに流す血を味わい、血と血を交えて一つになり、ついに彼の気を狂わせたのだ。彼が決定的に執念の鬼になったのは、まさにこの格闘後の帰航の途においてだった、ということは、次の事実によっても、ほとんど確実だと思われる──すなわち彼はこの航海のあいだ、ときどき間をおいて、狂暴な錯乱状態に陥り、それがこの譫妄状態で一層はげしく昂(たか)ぶったので、やむをえず航海士たちは彼を固くしばりつけ、それでもまだ吊床(ハンモック)のうちで暴れながら航海したというのである。狂人用の締胴着(しめどうぎ)にくるまり、疾風(はやて)のはげしい動揺に、ふりまわされるにまかせていた。やがて船もやや凌(しの)ぎよい海域へ入って、微風に補助帆を張りながら、安らかな熱帯の海をわたって行ったが、その頃はどこから見ても、エイハブ老人の乱心は、ホーン岬の時化(しけ)とともに過ぎ去ったと思われ、やがて彼も暗い穴籠(あなごも)りから出て、日光と大気の恵みに浴した。そのときすでに、まだ蒼(あお)ざめてはいたが厳然と落ちついた額の色をみせ、冷静な命令をふたたびみずから発するようになったから、航海士たちは、ようやく怖ろしい狂気も鎮まったことを神に感謝したが、実はその頃もなお、人知れぬ心身の底ふかくでは、エイハブは荒れつづけていたのだ。人間の狂気には、しばしばきわめて狡猾な猫のようなところがある。癒(なお)ったと思っていると、実はただもっと陰険な形に姿を変えているにすぎない。エイハブの心にあふれた狂気も、鎮まったのではなく、いよいよ深く底のほうへ身を縮めていたにすぎないので、あたかもあのハドスン河に水の減ずるということがなく、このけだかい北方の河が山地の渓谷を流れるとき、河幅は狭くなっても、かえって底知れず深くなるのと同然である。しかしエイハブの場合では、狭く底ふかく流れている狂的な偏執のうちに、あの溢(あふ)れんばかりの狂気は一分一厘も減ぜず流れつづけていたし、またそのゆたかな狂気の流れのなかで、彼の天賦の偉大な知力は、一分一厘も失われてはいなかった。かつては活力ある行動の主体だった知力が、いまは偏執に使われて働く道具となった。もし乱暴な譬(たと)えが許されるならば、局部的狂乱が全体的健全を強襲してこれを占領し、かくて手に入れたすべての砲門をば、おのれの狂気が敵とする標的にむかって集中させたのであって、したがってエイハブは、その剛力を失うどころか、ただかの一念に真っ向に、かつて正気だった頃、何か一つのまともな目的に対して注いだよりも、千倍も強い潜勢力で立ち向うことになったのだ」(メルヴィル「白鯨・上・P.305~309」新潮文庫)
「千倍も強い潜勢力で立ち向う」というのは、もとより狂気の影が差しているどころか、既に狂っているわけだが、しかしーーー。「狂えるエイハブ」と同時に「ゆたかな狂気の流れ」、とある。狂気は分子状に「流れる」からだ。逆に、しなやかに「流れ」ないでモル状に一点に固執してしまう場合、「パラノイア」=「神経症」だということになる。モル状に固まって一点に固着するのは確かに体によくない。ここでは変身を通して何らかの「生理学」が共に語られているのではとすら思えてくる。ドゥルーズ&ガタリが注意を促しているように、エイハブはあくまで「狂人《への》生成変化」なのであり「狂人《の》生成変化」ではない。むしろ「狂人《の》生成変化」は容易に信じ難いほど高速・多彩・多様・静的・切断的・交配的・パッチワーク的・変身的・横断的だ。ところで、「人間の狂気には、しばしばきわめて狡猾な猫のようなところがある」、とメルヴィルは書いている。とすれば「狡猾な猫」にとっては最大の賛辞とまではいかないにしても、逆に、「普通の」(狂人でない)人間にとって「狡猾な猫」という形容は偶然にも最高の知性に向けて与えられる〔適切な〕表現の一つには違いない。なぜなら「狡猾」とは、利発・賢明・顧慮・学習・不羈・意志・計略・闘争・逃走・俊敏・静止・緊張・睡眠・忘却・記憶など、時間を掛けて始めて獲得できる最良の人間性にほかならないからだ。もっとも、猫にとっては「狡猾かどうか」などという基準の勝手な持ち込みはかえって迷惑だろう。
「この色の与える最奥の観念のうちには、何かしら捉えがたいものが潜んでいて、あの血の色の紅がひとを脅(おびや)かすよりもっと強い恐怖で心を打つのである。この捉えがたい性質こそは、われわれがこの白色の観念を温雅な連想から切り離し、それ自体おそろしい事物と結びつけるとき、その恐怖感を限りなく高める根源なのである。極地の白熊や熱帯の白鮫を目のあたり見るがよい。そのなめらかな、ふわふわとした白さを措(お)いて、何がかれらを超絶的な畏怖そのものたらしめているか?あの幽霊のような白色こそが、かれらの冷々黙々たる風姿に、怖ろしいというよりはむしろいやらしい、ぞっとするような柔媚(じゅうび)な感じを与えるのだ。それゆえ、あの猛だけしい牙をむいた虎の、紋章つきの上衣すらも、熊や鮫のまとう白屍衣(きょうかたびら)ほどには、ひとの勇気を挫(くじ)けさせる力はない」(メルヴィル「白鯨・上・P.315」新潮文庫)
「白」ということ。メルヴィルは自分でさっさと説明してしまう。まず最初に引用した部分では「壁」に《なっ》っていたわけだが。「われわれがこの白色の観念を温雅な連想から切り離し、それ自体おそろしい事物と結びつけるとき、その恐怖感を限りなく高める根源なのである。極地の白熊や熱帯の白鮫を目のあたり見るがよい。そのなめらかな、ふわふわとした白さ」「幽霊のような白色こそが、かれらの冷々黙々たる風姿に、怖ろしいというよりはむしろいやらしい、ぞっとするような柔媚(じゅうび)な感じを与える」。そしてそのような「白さ」であるがゆえ、「あの猛だけしい牙をむいた虎の、紋章つきの上衣すらも、熊や鮫のまとう白屍衣(きょうかたびら)ほどには、ひとの勇気を挫(くじ)けさせる力はない」という。モーヴィ・ディックの「白さ」は「なめらか」で「ふわふわ」としている。もしこれが小動物ならさぞ可愛らしいだろうような「白さ」でもあろう、と考えられないだろうか。事実、世界は、動物園の檻の中でパンダの子供がころんと転がってその白いお腹を観客に見せるとき、その「白さ」があれほど驚嘆すべき柔軟性を伴っていなかったとしたら、今のような反応を示してはいなかったに違いない。モーヴィ・ディックもまた「白い」わけだが、けれども、大きく成長した「極地の白熊」のように畏怖の対象へと変容している。とすれば「白さ」とは一体どのような事態を言うのか。たとえば「白紙に戻す」という時、人々は一体頭の中で何を表象しているのだろうか。一旦計上された「七兆九〇〇〇億円が白紙に戻った」と聞かされたとき、或る人はまた別の人とは違った仕方で何かを考えるのだろうが、そのとき或る人は何をどのように考えるのだろうか。あるいは考えないのだろうか。考えないとすればその時その人は何をどのように考えないでいるのか。
「エイハブの場合には、おのれのあらゆる想念と想像とをば、ただひとつの至高至上の目的に捧げつくし、その目的は、みずからの意志の偏(ひと)えの凝りかたまった頑(かたく)なさによって、神を悪魔もあらばこそ、一筋に思いつめた独立不覊(ふき)の一存在にまで、みずからを仕立てあげたものと見るほかない。いな、この一念は、これと道連れになっている凡常な生活力が、許されざる私生児のごときこの狂執の誕生に戦慄(せんりつ)して逃れ去っても、なお執拗(しつよう)に生きつづけ燃えつづけることができたのだ。さればエイハブその人のごとく見えた《もの》が船室から跳り出るとき、その肉体の眼から燃えほとばしったもの、虐げられた精霊は、その瞬間は藻抜(もぬ)けの殻であり、形なき夢遊病的な存在であり、生ける光の一束ではあるにちがいないが、色づけるべき目的物を持たぬ光であり、したがってそれ自身において空白にすぎぬものであった。あわれ神にも見放された老人よ、御身の思念は御身のうちに、もう一つの生きものを造りあげた。おのれの熾烈な一念によって、かくみずからプロメテウスとなった人間。禿鷹(はげたか)は永遠に彼の心臓を啖(くら)って生きるーーーしかも彼みずからの創造物たるその禿鷹が」(メルヴィル「白鯨・上・P.335」新潮文庫)
とあるように、「許されざる私生児のごときこの狂執」「エイハブその人のごとく見えた《もの》」「もう一つの生きもの」、とエイハブの変態過程における多層性が一気に叙述されている。
「嵐に先立ち、それを予言するものとしか思えぬ深沈たる凪というものは、おそらく嵐そのものよりもっと怖ろしいようにーーーいわばこういう凪は、嵐の包紙か袋にほかならず、見かけは何ともない小銃が、命取りの火薬と、弾丸と、爆発力とを包蔵しているように、凪それ自身のうちに嵐が隠れているのだからーーーあたかもそのように、この鯨索がいとも閑雅にやすらっている姿、いよいよ実際に踊り出すまで、漕手の身のまわりに黙々として長蛇のごとく纏(まつわ)りついているーーーこれこそ、この危険な事態のほかのいかなる様相よりも以上に、真の恐怖を覚えさせる点なのである。だが、なぜ《より以上に》というのか?人間はみな鯨索に囲まれて生きているのだ。人間はみな生まれながらに頸に縄をかけられているが、無常迅速の死の手に捕えられたときでなくては、この黙々たる、陰微なる、常住の生の危険を認識するものではない。そしてもし諸君が哲人なら、捕鯨ボートのなかに坐しても、夕の炉辺に銛ならぬ火掻棒(ひかきぼう)を傍に置いて坐する折りにくらべて、いささかたりとも《より以上の》恐怖を心に感ずることはあるまい」(メルヴィル「白鯨・下・P.39」新潮文庫)
「黙々たる、陰微なる、常住の生」。この「生」を拡張しよう、拡張したいとドゥルーズは考えている。ただしひたすら「黙々と」「陰微に」であって、間違っても大声を上げたりしない。ラカンのいう「現実界」の闖入が、社会的規模で再びあり得ないかどうか、もまた問われている。なぜなら、社会的規模での「現実界」の闖入こそが、歴史を凡庸な眠りから覚醒させる魂なのだから。ところがもし魂という語に何らかの意味を込めるとすればそれは「生気論」と呼ばれるべきではないか。インタヴューでドゥルーズは「そうだ」と答えている。その意味で「生の哲学」はファシズムに点火する理論的契機としてベルクソンと同じように取り扱い注意なのだが、だからといってニーチェの読者のほとんどがファシストにならないことと同様に、ファシズムには哲学・思想とはまた違った何か奇妙なものが入り混じっている。「生の哲学」は決して排他的でない。むしろ自己と他者との交合を歓待する。社交もし、性交もする。しないという選択肢も始めから用意されている。どう見ても肯定的だ。にもかかわらずファシストの「生の哲学」は極めて排他的だ。自己と他者との差異の肯定は自他の違いをありのまま肯定的に捉えるために不可欠な実践的認識にほかならないが、彼ら彼女らファシストは、自他の違いを捉えて自他ともに認め合おうとするどころか、逆に、他者だけを取り出してどんどん選別し対立的に排除すると同時にとことん貶め限りない屈辱を与えつつ放置してしまうばかりで、自己とその同一的血縁的相続的関係しか認めようとしない。その意味でニーチェ・ベルクソン・ドゥルーズの「生の哲学」はファシストとはまったく無縁である。なぜ一緒にされることがあるのか、さっぱりわからないというほかない。
「人間の目にみえぬ定かならぬ天上の会議や、劫火(ごうか)の燃える地獄の怨み深い魔王たちが、地上のエイハブと何かの関係が有ろうと無かろうとエイハブの知ったことではなく、目下の脚の問題に関しては、彼は分りやすい実際的な手続をとったーーーつまり大工を呼んだのだ。そして職人が彼の前に現われると、彼はさっそくに新しい脚を造る仕事にかかれと命じ、航海士らを指図して、これまでの航海で充分に蓄まった(抹香鯨の)顎骨の間柱(あいばしら)なり根太なりをみな大工に見せて、いちばん頑丈な、上質の材料を慎重に選び出させるのに遺漏のないようにと言いつけた。これがすむと大工に、その夜のうちに脚を造りあげ、また現に使っている信用ならぬ脚に付属しているものとは別個に、すべての付属品をもこしらえろという命を与えた」(メルヴィル「白鯨・下・P.299」新潮文庫)
エイハブ=モーヴィ・ディックのあいだにはもう境界線が消滅しつつある。両者は広大な海へ消えてしまう。海がすべてを覆い隠していく。
さて、少し前(二〇一九年二月六日)にLGBT差別問題に絡んでプルーストから三箇所を取り上げておいた。「ポピュラーな」ものとしてという条件付きで。しかし当然のことだが、フロイトの言葉からも引いたように、性的諸関係には「定型」というものは存在しない。常に非定型であり多形倒錯的だ。定型化ということのほうがむしろ倒錯した抽象的観念に過ぎない。したがって「区別」は不可能ということになる。だから導入部として、あえて「ポピュラーな」と付しておいたわけだが。さらに次のセンテンスを引いておこう。
「この領域においては、接続の働きは常に部分的であって、まとまった姿態をなす人物にかかわることがない。連接の働きは流浪的で多義的である。離接の働きは包含的で、ここでは同性愛と異性愛とを区別する《可能性》さえ閉じられている。ここは、横断的な種々のコミュニケイションの世界であり、ここにおいては、最後に獲得された非人間的な性が、種々の花々と一体をなしているのだ。ここは、欲望がその分子的な要素と流れとに従って作動している新しい大地なのである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・第四章・P.378~379」河出書房新社)
スピノザから。「愛」「欲望」「勇気」「寛仁」について補足的に上げておきたい。
「憎しみは憎み返しによって増大され、また反対に愛によって除去されることができる。ーーー自分の憎む者が自分を憎み返していることを表象するは人は、そのことによって新しい憎しみが生ずる〔のを感ずる〕。しかも最初の憎しみはなお依然として存続しているのである。しかしもし反対に、自分の憎む者が自分に対して愛を感じていることを表象するなら、彼は、そのことを表象する限りにおいて自分自身を喜びをもって観想する。またその限りにおいてその人の気に入ろうと努めるであろう。言いかえれば彼はその限りにおいてその人を憎まないように、またその人を悲しみに刺激しないように、努める。この努力はそれを生ぜしめる感情の度合に比例して《より》大でありあるいは《より》小であろう。したがってもしこの努力が、憎しみから生ずるあの努力、自分の憎むものを悲しみに刺激しようと努めるあの努力よりも《より》大であるならば、それは優勢を占めて憎しみを心から除去するであろう」(スピノザ「エチカ・第三部・定理四二・P.214~215」岩波文庫)
「すべて、働きをなす限りにおいての精神に関係する感情には、喜びあるいは欲望に関する感情があるだけである。ーーーすべての感情は、我々が与えたその定義から分かるように、いずれも欲望、喜びあるいは悲しみに関係している。ところで悲しみとは精神の思惟能力を減少しあるいは阻害するものであると我々は解する。したがって精神が悲しみを感ずる限り、精神の認識能力すなわちその活動能力は減少されあるいは阻害される。したがって働く限りにおける精神にはいかなる悲しみの感情も帰せられえない。帰せられうるのはただ、働く限りにおける精神にも関係する喜びおよび欲望の感情のみである。ーーー妥当に認識する限りにおける精神に関係する諸感情から生ずるすべての活動を、私は《精神の強さ》に帰する。そしてこの《精神の強さ》を勇気と寛仁とに分かつ。《勇気》とは《各人が単に理性の指図に従って自己の有を維持しようと努める欲望》であると私は解する。これに対して《寛仁》とは《各人が単に理性の指図に従って他の人間を援助しかつこれと交わりを結ぼうと努める欲望》であると解する」(スピノザ「エチカ・第三部・定理五九・P.233」岩波文庫)
次にスピノザは理性を宗教的な次元で扱っている。しかし実際のところ宗教の教義とは何の関係もない。むしろ諸宗教の現状はどうか。スピノザが破門された理由は、このフレーズが、権力闘争に明け暮れるばかりの教会に対する、極めて妥当な当てつけにしか読めなかったということにもあるだろう。
「理性の導きに従って生活する人は、できるだけ、自分に対する他人の憎しみ、怒り、軽蔑などを逆に愛あるいは寛仁で報いるように努める。ーーーすべて憎しみの感情は悪である。ゆえに理性の導きに従って生活する人は、できるだけ憎しみの感情に捉われぬように努めるであろうし、したがってまた他人にもそうした感情に悩ませないように努めるであろう。ところが憎しみは憎み返しによって増大し、反対に愛によって消滅されうるのであり、こうして憎しみは愛に移行する。ゆえに理性の導きに従って生活する人は他人の憎しみその他を逆に愛で、言いかえれば寛仁で報いることに努めるであろう。ーーー自分の受けた不法を憎み返しによって復讐しようと思う人は確かに惨めな生活をするものである。これに反して憎しみを愛で克服しようとつとめる人は、実に喜びと確信とをもって戦い、多くの人に対しても一人に対するのと同様にやすやすと対抗し、運命の援助をほとんどまったく要しない。一方、彼に征服された人々は喜んで彼に服従するが、しかもそれは力の欠乏のためではなくて力の増大のためである。これらすべては単に愛および知性の定義からのみきわめて明瞭に帰結されるのであって、これを一々証明することは必要でない」(スピノザ「エチカ・第四部・定理四六・P.59」岩波文庫)
このような態度について「一々証明することは必要でない」に違いない。
なお、「白鯨」は一九五一年発表。日本でいう嘉永四年。太平天国の乱。ロンドン万博開催。ニューヨーク・タイムズ創刊。ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日クーデター。中浜万次郎をアメリカ船が琉球に送り届ける。水野忠邦没。株仲間再興。「抜け参り」ブーム。
BGM
「ことばはどのように感覚を《指し示す》のか。ーーーここには何ら問題などないように見える。われわれは毎日のように感覚について語り、それらを名指してはいないだろうか。だが、どのようにしてその名と名指されたものとの結合がつくり出されるのか。この問いは、どのようにしてひとりの人間が感覚の名の意味を学ぶのか、という問いと同じである。たとえば『痛み』という語の意味。ことばが根源的で自然な感覚の表現に結びつけられ、その代わりになっているということ、これは一つの可能性である。子供がけがをして泣く。すると大人たちがその子に語りかけて、感嘆詞を教え、のちには文章を教える。かれらはその子に新しい痛みのふるまいを教えるのである。『すると、あなたは、<痛み>という語が本来泣き声を意味している、と言うのか』。ーーーその反対である。痛みという語表現は泣き声にとって代わっているのであって、それを記述しているのではないのである」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二四四」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.177』大修館書店)
ウィトゲンシュタインが指摘するのは、「泣き声」という言葉と「痛み」という言葉が並列してあるのではなく、ただ単なる「泣き声」(叫び声・呻き声・啜り泣きーーー)が「痛み」という言語へ翻訳されうるということだ。なるほど「泣き声」には様々な「泣き声」があるだろう。しかし「痛み」を現わしているに違いないと考えられる「泣き声」に限り、それは「痛み」という言語へ置き換えることができるといっているのだ。ところが実際の、たとえば身体の或る箇所の「痛み」と、言語としての「痛み」とを置き換えることはもちろんできない。問題はあくまで「泣き声そのもの」(ぎゃあぎゃあ、わあわあ、おえおえへ〜ーーー)は「痛み」という言語と変換可能であるということでなければならない。そしてこの場合「痛み」という語は色々な「泣き声」を意味内容として包括的に含み込んでしまうため、ただ単なる「痛み」だけでは伝達不可能な部分が残されてしまうことも事実だ。
「それなら、どうしてわたくしはこれ以上、言語をもって痛みの表現と痛みとの間に入りこむことなど望みえようか」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二四五」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.178』大修館書店)
という問いが出て来ざるをえない。そして実にそれこそが言語機能の限界として問題とされなければならない。無限の説明必要性という事態に陥ってしまうからだ。無限の説明必要性という悪循環に陥っているとき、人々は、或る種の「言語ゲーム」内での限界を思い知らされることになる。にもかかわらず、それゆえに、別の仕方で組織されている別の「言語ゲーム」=「他者の言語」、という可能性へ賭けることになっていく。
さて、「変身=分身」の系譜はまだ続く。というより注意深く拾っていけばきりがないのかもしれない。なぜなら、モデルとなりうる作品が少な過ぎるのではなく、逆に多過ぎるからなのだが。
「エイハブ船長はモーヴィ・ディックとともに抗しがたい<鯨への生成変化>に巻き込まれる。しかしそれと同時に、モーヴィ・ディックなる動物もまた、耐えがたいほど純粋な白さに、まばゆいばかりに白い城壁に、銀の糸になって伸び、少女の『ように』しなやかになり、鞭のようによじれ、さらには城塞のように聳えなければならない。文学も、ときとして絵画に追いつき、さらには音楽にさえ追いつくことがありうるのだろうか?そして絵画が音楽に追いつくこともあるのだろうか?」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.300」河出文庫)
ここでもしあえてウィトゲンシュタインを持ち出すとすれば間違った行為だろうか。「泣き声」=「痛み」の変換可能性ということ。それは或る限定的な範囲では十分可能だった。では文学はどうだろう。文学は絵画あるいは音楽に追いつくことができるだろうか。少なくとも変換することはできる。だが追いつくことは、実はなかなかできない場合が多い。絵画や音楽のほうが文学を追い越し置き去りにしてしまっている場合のほうがずっと大量だからだ。始めから死体化してしまっている文学ならよく見かけるに違いない。そして逆に絵画や音楽によってそれらが再生されるとき、何とかして再び蘇ってくる文学を世界は持っている、という程度でしかないのではないだろうか。この問いは低迷するばかりの文学に突き付けられた数々の問題を再定義し直さなければ文学自身にとってもよく見えてこない領域にあるのだろう。問題は文学なのだとはいえ、実をいえばそれ以前に、文学者あるいは作家自身とその周辺がとうとう足元を凝視しなければ垂直的落下の無意味な逃走線を逃走もしないままただひたすら自己償却していくことになるだろうような問いなのだ。文学を活性化させてきたのはいつも「周縁の力」だった。「周縁」といっても何も辺鄙な土地とか田舎とかのことではまったくなく、逆に都会の只中であっても当然「周縁」は存在する。たとえば、ニューヨークの只中を斜めに走り抜けるブロードウェイ。ニューヨークの直線とブロードウェイの斜めの線とが交錯する地点で事件は発生する。あるいは発生しない時の不思議な静けさ。両者の摩擦による発熱あるいは発狂。そういう強度の暴力的変容が「周縁の力」として作用する。ただこのような視野に立つとき注意すべきことがある。中心と周縁とを対置させるばかりではただ単に相互が変換し合うだけの二項対立関係が成り立つに過ぎないということ。そこには何らの歴史性も生じてこないこと。歴史性を脱落させた文学はなるほど文学として認められはしようものの、しかし何ら生成してくるものがない。だから中心と周縁とをただ単に対置させるだけではまた駄目なのだ。むしろ摩擦・抵抗・速度・闘争・逃走・鎖列・脱節・破壊・溶融・分裂・踏査・罠・倒錯・浸透・崇高・愚劣・狡知・放縦・舞踏・静寂・挑発ーーー、それらが常に進行形をとらざるを得ないという変態性を備えていなければ歴史性など発生しようもない。そしてこの領域は実際の作品がその領域に置かれて始めて目に見えるものとして出現するほかないような領域なのだ。領域とはもともとそういうものかもしれないが。
エイハブの生が大いに躍動し遂に狂気化していく過程。そうなるのはモーヴィ・ディックが怪物として大いに活動していてこそだ。エイハブの生成変化は、エイハブのモーヴィ・ディック化あるいはモーヴィ・ディックのエイハブ化と同時進行で展開する。ここで「白鯨=モーヴィ・ディック」は「リヴァイアサン」に《なる》のだが、小説の途中で変身するわけではなく、あらかじめ与えられた状況で既に「リヴァイアサン」として「白鯨=モーヴィ・ディック」だ。エイハブもまた「白鯨=モーヴィ・ディック」に《なる》のだが、この動物への生成変化は、エイハブの「リヴァイアサン」としての「白鯨=モーヴィ・ディック」化でもなければならない。怪物同士の果たし合いにしか思えない小説ではあるものの、まさにその叙述によって、両者は「少女のようにしなやか」に振る舞い合う。エイハブとモーヴィ・ディックとは旧知の間柄のように互いが互いをよく知り合っている。
「いいか、すべて目に見ゆる物とは、ボール紙づくりの仮面にすぎぬ。だが、おのおのの出来事ではーーー生ける行動、疑う余地なき行為においてはじゃーーーかならず、そのでたらめな仮面の背後(うしろ)から、正体は知れぬがしかもちゃんと筋道にかなったものが、その隠された顔の目鼻だちを表面(おもて)に現わしてくるものなのだ。人間、壁をぶちやぶるなら、その仮面の壁をぶちやぶれ!囚人が壁を打ち破らんで外へ出られるか?このおれには、あの白鯨が壁になって、身近に立ちはだかって居(い)おるのだ。そりゃ、その壁の向う側には、何もないと思うこともある。だがそれでも同じじゃ。あいつがおれにはたらきかけ、おれにのしかかってくる」(メルヴィル「白鯨・上・P.273」新潮文庫)
「この鯨にあれほど深刻な恐怖感がつきまとうにいたらしめたのは、その異常な巨驅でもなく、めざましい体の色でもなく、まして怪奇な形した下顎でもなくーーー事情通の言葉によればーーー彼がその闘争において幾度となく発揮したところの、無類の理知的な兇悪さであった。何よりも引き揚げどきの腹黒さに凄味(すごみ)があった。意気ごんで追いかける敵の前方を、いかにも狼狽(ろうばい)したように泳いでゆくかと思うと、急に向き直って襲いかかり、ボートを粉微塵(こなみじん)に打ちくだいたり、敵をして慌てふためいて本船へ逃げ帰らせたりすることが幾度かあった。すでに幾人かは彼との闘いに非業の最期をとげた。もちろん同様の不幸な災厄は、陸上にはあまり伝わっていないとしても、捕鯨業ではかならずしも珍しくはなかったけれども、それにしても多くの場合、この白鯨の悪鬼のごとき企み深い獰猛さを目撃した者にとっては、彼によって五体を引き裂かれ、殺されるのが、とても無知な動物の手で惹(ひ)き起された禍害とは認めることができなかったのだ。されば、読者よ、想えーーーわけても死物狂いに彼を狩ったひとびとの心のうちを──砕かれたボートの破片や、ちぎれて沈んでゆく仲間の四肢のただようなかを、白鯨の不気味な憤怒に白濁した海面を泳ぎ抜けて、いまいましいほど静穏な、まるで誕生か結婚の日のように微笑(ほほえ)んでいる日光の下まで辿(たど)りついたとき、想いみよーーーかれらの心に狂おしく燃えさかる激怒が、いかにすさまじいものであるかを。三隻のボートが彼の周囲で難破している。櫂(かい)も人も渦潮にまきこまれている。短剣をふりかざした一人の船長が、打ち砕かれた舳から、敵をめがけたアーカンソーの決闘者そのままに鯨めがけて飛びかかり、その六インチの刃で巨鯨の生命の奥底ふかく徹(とお)れとばかり、死物狂いで突き刺そうとしている、ーーーその船長がエイハブだった。と、次の瞬間、モーヴィ・ディックは、いきなりその鎌形の下顎をエイハブのからだの下へ回したかと思うと、まるで野の青草を切る草刈人のように、その片脚を切りとってしまった。ターバン巻いたトルコ人も、ヴェニスやマレイの傭兵(ようへい)も、これほど明らさまな残忍さで、彼に噛(か)みつくことはできなかったであろう。してみれば、まさに紙一重で生命にかかわるところだったこの格闘以来、エイハブが白鯨に対して、狂おしい復讐心(ふくしゅうしん)を抱きつづけたということを、疑う理由は毛頭ないが、そればかりではすまず、さらに進んで、もはや病的にまで激昂(げっこう)したエイハブは、あらゆる肉体的苦悩ばかりでなく、おのれのあらゆる思想上精神上の憤怒までも、すべてモーヴィ・ディックそのものと同一視するところまで行ってしまった。深刻な人物には間々あることだが、おのれの身中に感ずる邪悪な魔の使いども、それにわが身を蝕(むしば)まれ、ついには心臓も肺も半分だけで生きてゆかねばならなくなる、そうした魔性の悪念が凝って、眼前を遊弋(ゆうよく)する『白鯨』の姿と化したものと、エイハブの眼には映った。この捉えがたい悪こそは、世の始まりから存在していたのだ。近代のキリスト教徒すらも諸世界の半分はそのものが支配する領域だと考えた。また古代東邦の拝蛇教徒は、それを魔神像として拝跪(はいき)したーーーエイハブはかれらのように身を屈して拝みはしなかった。譫妄(せんもう)にもその観念をおのれの憎む白鯨に移し入れ、不具の身をもってそれに対して闘いを挑んだ。もっともひとを逆上させ苦しめ苛(さいな)むすべてのもの、およそ事を荒立てるすべてのもの、邪悪を内に蔵するすべての真実、かの筋骨を砕き肝脳を地に塗(まみ)れさせるすべてのもの、生活と思想とを蝕むすべての狡猾(こうかつ)な悪魔性ーーーこれらのすべての悪は、狂えるエイハブにとっては、モーヴィ・ディックという目にみえる個体と化し、現実に攻撃可能な対象となって現われたのだ。彼はアダム以来全人類が感じた怒りと憎しみとの全量をば、ことごとくあの鯨の白瘤の上に積みかさねておいて、さておのれの胸郭を臼砲(きゅうほう)になぞらえ、灼熱(しゃくねつ)した心臓に蓄えた榴弾(りゅうだん)をそこで炸裂(さくれつ)させたのである。彼のこの偏執が、まさにその肉体の一部を奪われたその瞬間において即座に高潮したとは考えにくい。短剣を揮(ふる)って怪物に飛びかかったあのときには、ただ突如として全身にみなぎった忿怨(ふんえん)の激情に身をまかせたにすぎない。またその身を引き裂く一撃を受けたときにしても、おそらく肉体の分断される激痛は感じただろうが、それ以上のことはなかった。しかしこの衝突によって帰航を余儀なくされ、幾月にもわたる毎日、毎週、エイハブはその痛みと二人づれで一つ吊床(ハンモック)に横たわったまま、冬の真中、暗澹(あんたん)たる風浪を衝いてパタゴニア岬を回航したときーーーそのときこそ、彼の壊(やぶ)れた肉体と傷ついた魂とは、互(かた)みに流す血を味わい、血と血を交えて一つになり、ついに彼の気を狂わせたのだ。彼が決定的に執念の鬼になったのは、まさにこの格闘後の帰航の途においてだった、ということは、次の事実によっても、ほとんど確実だと思われる──すなわち彼はこの航海のあいだ、ときどき間をおいて、狂暴な錯乱状態に陥り、それがこの譫妄状態で一層はげしく昂(たか)ぶったので、やむをえず航海士たちは彼を固くしばりつけ、それでもまだ吊床(ハンモック)のうちで暴れながら航海したというのである。狂人用の締胴着(しめどうぎ)にくるまり、疾風(はやて)のはげしい動揺に、ふりまわされるにまかせていた。やがて船もやや凌(しの)ぎよい海域へ入って、微風に補助帆を張りながら、安らかな熱帯の海をわたって行ったが、その頃はどこから見ても、エイハブ老人の乱心は、ホーン岬の時化(しけ)とともに過ぎ去ったと思われ、やがて彼も暗い穴籠(あなごも)りから出て、日光と大気の恵みに浴した。そのときすでに、まだ蒼(あお)ざめてはいたが厳然と落ちついた額の色をみせ、冷静な命令をふたたびみずから発するようになったから、航海士たちは、ようやく怖ろしい狂気も鎮まったことを神に感謝したが、実はその頃もなお、人知れぬ心身の底ふかくでは、エイハブは荒れつづけていたのだ。人間の狂気には、しばしばきわめて狡猾な猫のようなところがある。癒(なお)ったと思っていると、実はただもっと陰険な形に姿を変えているにすぎない。エイハブの心にあふれた狂気も、鎮まったのではなく、いよいよ深く底のほうへ身を縮めていたにすぎないので、あたかもあのハドスン河に水の減ずるということがなく、このけだかい北方の河が山地の渓谷を流れるとき、河幅は狭くなっても、かえって底知れず深くなるのと同然である。しかしエイハブの場合では、狭く底ふかく流れている狂的な偏執のうちに、あの溢(あふ)れんばかりの狂気は一分一厘も減ぜず流れつづけていたし、またそのゆたかな狂気の流れのなかで、彼の天賦の偉大な知力は、一分一厘も失われてはいなかった。かつては活力ある行動の主体だった知力が、いまは偏執に使われて働く道具となった。もし乱暴な譬(たと)えが許されるならば、局部的狂乱が全体的健全を強襲してこれを占領し、かくて手に入れたすべての砲門をば、おのれの狂気が敵とする標的にむかって集中させたのであって、したがってエイハブは、その剛力を失うどころか、ただかの一念に真っ向に、かつて正気だった頃、何か一つのまともな目的に対して注いだよりも、千倍も強い潜勢力で立ち向うことになったのだ」(メルヴィル「白鯨・上・P.305~309」新潮文庫)
「千倍も強い潜勢力で立ち向う」というのは、もとより狂気の影が差しているどころか、既に狂っているわけだが、しかしーーー。「狂えるエイハブ」と同時に「ゆたかな狂気の流れ」、とある。狂気は分子状に「流れる」からだ。逆に、しなやかに「流れ」ないでモル状に一点に固執してしまう場合、「パラノイア」=「神経症」だということになる。モル状に固まって一点に固着するのは確かに体によくない。ここでは変身を通して何らかの「生理学」が共に語られているのではとすら思えてくる。ドゥルーズ&ガタリが注意を促しているように、エイハブはあくまで「狂人《への》生成変化」なのであり「狂人《の》生成変化」ではない。むしろ「狂人《の》生成変化」は容易に信じ難いほど高速・多彩・多様・静的・切断的・交配的・パッチワーク的・変身的・横断的だ。ところで、「人間の狂気には、しばしばきわめて狡猾な猫のようなところがある」、とメルヴィルは書いている。とすれば「狡猾な猫」にとっては最大の賛辞とまではいかないにしても、逆に、「普通の」(狂人でない)人間にとって「狡猾な猫」という形容は偶然にも最高の知性に向けて与えられる〔適切な〕表現の一つには違いない。なぜなら「狡猾」とは、利発・賢明・顧慮・学習・不羈・意志・計略・闘争・逃走・俊敏・静止・緊張・睡眠・忘却・記憶など、時間を掛けて始めて獲得できる最良の人間性にほかならないからだ。もっとも、猫にとっては「狡猾かどうか」などという基準の勝手な持ち込みはかえって迷惑だろう。
「この色の与える最奥の観念のうちには、何かしら捉えがたいものが潜んでいて、あの血の色の紅がひとを脅(おびや)かすよりもっと強い恐怖で心を打つのである。この捉えがたい性質こそは、われわれがこの白色の観念を温雅な連想から切り離し、それ自体おそろしい事物と結びつけるとき、その恐怖感を限りなく高める根源なのである。極地の白熊や熱帯の白鮫を目のあたり見るがよい。そのなめらかな、ふわふわとした白さを措(お)いて、何がかれらを超絶的な畏怖そのものたらしめているか?あの幽霊のような白色こそが、かれらの冷々黙々たる風姿に、怖ろしいというよりはむしろいやらしい、ぞっとするような柔媚(じゅうび)な感じを与えるのだ。それゆえ、あの猛だけしい牙をむいた虎の、紋章つきの上衣すらも、熊や鮫のまとう白屍衣(きょうかたびら)ほどには、ひとの勇気を挫(くじ)けさせる力はない」(メルヴィル「白鯨・上・P.315」新潮文庫)
「白」ということ。メルヴィルは自分でさっさと説明してしまう。まず最初に引用した部分では「壁」に《なっ》っていたわけだが。「われわれがこの白色の観念を温雅な連想から切り離し、それ自体おそろしい事物と結びつけるとき、その恐怖感を限りなく高める根源なのである。極地の白熊や熱帯の白鮫を目のあたり見るがよい。そのなめらかな、ふわふわとした白さ」「幽霊のような白色こそが、かれらの冷々黙々たる風姿に、怖ろしいというよりはむしろいやらしい、ぞっとするような柔媚(じゅうび)な感じを与える」。そしてそのような「白さ」であるがゆえ、「あの猛だけしい牙をむいた虎の、紋章つきの上衣すらも、熊や鮫のまとう白屍衣(きょうかたびら)ほどには、ひとの勇気を挫(くじ)けさせる力はない」という。モーヴィ・ディックの「白さ」は「なめらか」で「ふわふわ」としている。もしこれが小動物ならさぞ可愛らしいだろうような「白さ」でもあろう、と考えられないだろうか。事実、世界は、動物園の檻の中でパンダの子供がころんと転がってその白いお腹を観客に見せるとき、その「白さ」があれほど驚嘆すべき柔軟性を伴っていなかったとしたら、今のような反応を示してはいなかったに違いない。モーヴィ・ディックもまた「白い」わけだが、けれども、大きく成長した「極地の白熊」のように畏怖の対象へと変容している。とすれば「白さ」とは一体どのような事態を言うのか。たとえば「白紙に戻す」という時、人々は一体頭の中で何を表象しているのだろうか。一旦計上された「七兆九〇〇〇億円が白紙に戻った」と聞かされたとき、或る人はまた別の人とは違った仕方で何かを考えるのだろうが、そのとき或る人は何をどのように考えるのだろうか。あるいは考えないのだろうか。考えないとすればその時その人は何をどのように考えないでいるのか。
「エイハブの場合には、おのれのあらゆる想念と想像とをば、ただひとつの至高至上の目的に捧げつくし、その目的は、みずからの意志の偏(ひと)えの凝りかたまった頑(かたく)なさによって、神を悪魔もあらばこそ、一筋に思いつめた独立不覊(ふき)の一存在にまで、みずからを仕立てあげたものと見るほかない。いな、この一念は、これと道連れになっている凡常な生活力が、許されざる私生児のごときこの狂執の誕生に戦慄(せんりつ)して逃れ去っても、なお執拗(しつよう)に生きつづけ燃えつづけることができたのだ。さればエイハブその人のごとく見えた《もの》が船室から跳り出るとき、その肉体の眼から燃えほとばしったもの、虐げられた精霊は、その瞬間は藻抜(もぬ)けの殻であり、形なき夢遊病的な存在であり、生ける光の一束ではあるにちがいないが、色づけるべき目的物を持たぬ光であり、したがってそれ自身において空白にすぎぬものであった。あわれ神にも見放された老人よ、御身の思念は御身のうちに、もう一つの生きものを造りあげた。おのれの熾烈な一念によって、かくみずからプロメテウスとなった人間。禿鷹(はげたか)は永遠に彼の心臓を啖(くら)って生きるーーーしかも彼みずからの創造物たるその禿鷹が」(メルヴィル「白鯨・上・P.335」新潮文庫)
とあるように、「許されざる私生児のごときこの狂執」「エイハブその人のごとく見えた《もの》」「もう一つの生きもの」、とエイハブの変態過程における多層性が一気に叙述されている。
「嵐に先立ち、それを予言するものとしか思えぬ深沈たる凪というものは、おそらく嵐そのものよりもっと怖ろしいようにーーーいわばこういう凪は、嵐の包紙か袋にほかならず、見かけは何ともない小銃が、命取りの火薬と、弾丸と、爆発力とを包蔵しているように、凪それ自身のうちに嵐が隠れているのだからーーーあたかもそのように、この鯨索がいとも閑雅にやすらっている姿、いよいよ実際に踊り出すまで、漕手の身のまわりに黙々として長蛇のごとく纏(まつわ)りついているーーーこれこそ、この危険な事態のほかのいかなる様相よりも以上に、真の恐怖を覚えさせる点なのである。だが、なぜ《より以上に》というのか?人間はみな鯨索に囲まれて生きているのだ。人間はみな生まれながらに頸に縄をかけられているが、無常迅速の死の手に捕えられたときでなくては、この黙々たる、陰微なる、常住の生の危険を認識するものではない。そしてもし諸君が哲人なら、捕鯨ボートのなかに坐しても、夕の炉辺に銛ならぬ火掻棒(ひかきぼう)を傍に置いて坐する折りにくらべて、いささかたりとも《より以上の》恐怖を心に感ずることはあるまい」(メルヴィル「白鯨・下・P.39」新潮文庫)
「黙々たる、陰微なる、常住の生」。この「生」を拡張しよう、拡張したいとドゥルーズは考えている。ただしひたすら「黙々と」「陰微に」であって、間違っても大声を上げたりしない。ラカンのいう「現実界」の闖入が、社会的規模で再びあり得ないかどうか、もまた問われている。なぜなら、社会的規模での「現実界」の闖入こそが、歴史を凡庸な眠りから覚醒させる魂なのだから。ところがもし魂という語に何らかの意味を込めるとすればそれは「生気論」と呼ばれるべきではないか。インタヴューでドゥルーズは「そうだ」と答えている。その意味で「生の哲学」はファシズムに点火する理論的契機としてベルクソンと同じように取り扱い注意なのだが、だからといってニーチェの読者のほとんどがファシストにならないことと同様に、ファシズムには哲学・思想とはまた違った何か奇妙なものが入り混じっている。「生の哲学」は決して排他的でない。むしろ自己と他者との交合を歓待する。社交もし、性交もする。しないという選択肢も始めから用意されている。どう見ても肯定的だ。にもかかわらずファシストの「生の哲学」は極めて排他的だ。自己と他者との差異の肯定は自他の違いをありのまま肯定的に捉えるために不可欠な実践的認識にほかならないが、彼ら彼女らファシストは、自他の違いを捉えて自他ともに認め合おうとするどころか、逆に、他者だけを取り出してどんどん選別し対立的に排除すると同時にとことん貶め限りない屈辱を与えつつ放置してしまうばかりで、自己とその同一的血縁的相続的関係しか認めようとしない。その意味でニーチェ・ベルクソン・ドゥルーズの「生の哲学」はファシストとはまったく無縁である。なぜ一緒にされることがあるのか、さっぱりわからないというほかない。
「人間の目にみえぬ定かならぬ天上の会議や、劫火(ごうか)の燃える地獄の怨み深い魔王たちが、地上のエイハブと何かの関係が有ろうと無かろうとエイハブの知ったことではなく、目下の脚の問題に関しては、彼は分りやすい実際的な手続をとったーーーつまり大工を呼んだのだ。そして職人が彼の前に現われると、彼はさっそくに新しい脚を造る仕事にかかれと命じ、航海士らを指図して、これまでの航海で充分に蓄まった(抹香鯨の)顎骨の間柱(あいばしら)なり根太なりをみな大工に見せて、いちばん頑丈な、上質の材料を慎重に選び出させるのに遺漏のないようにと言いつけた。これがすむと大工に、その夜のうちに脚を造りあげ、また現に使っている信用ならぬ脚に付属しているものとは別個に、すべての付属品をもこしらえろという命を与えた」(メルヴィル「白鯨・下・P.299」新潮文庫)
エイハブ=モーヴィ・ディックのあいだにはもう境界線が消滅しつつある。両者は広大な海へ消えてしまう。海がすべてを覆い隠していく。
さて、少し前(二〇一九年二月六日)にLGBT差別問題に絡んでプルーストから三箇所を取り上げておいた。「ポピュラーな」ものとしてという条件付きで。しかし当然のことだが、フロイトの言葉からも引いたように、性的諸関係には「定型」というものは存在しない。常に非定型であり多形倒錯的だ。定型化ということのほうがむしろ倒錯した抽象的観念に過ぎない。したがって「区別」は不可能ということになる。だから導入部として、あえて「ポピュラーな」と付しておいたわけだが。さらに次のセンテンスを引いておこう。
「この領域においては、接続の働きは常に部分的であって、まとまった姿態をなす人物にかかわることがない。連接の働きは流浪的で多義的である。離接の働きは包含的で、ここでは同性愛と異性愛とを区別する《可能性》さえ閉じられている。ここは、横断的な種々のコミュニケイションの世界であり、ここにおいては、最後に獲得された非人間的な性が、種々の花々と一体をなしているのだ。ここは、欲望がその分子的な要素と流れとに従って作動している新しい大地なのである」(ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オイディプス・第四章・P.378~379」河出書房新社)
スピノザから。「愛」「欲望」「勇気」「寛仁」について補足的に上げておきたい。
「憎しみは憎み返しによって増大され、また反対に愛によって除去されることができる。ーーー自分の憎む者が自分を憎み返していることを表象するは人は、そのことによって新しい憎しみが生ずる〔のを感ずる〕。しかも最初の憎しみはなお依然として存続しているのである。しかしもし反対に、自分の憎む者が自分に対して愛を感じていることを表象するなら、彼は、そのことを表象する限りにおいて自分自身を喜びをもって観想する。またその限りにおいてその人の気に入ろうと努めるであろう。言いかえれば彼はその限りにおいてその人を憎まないように、またその人を悲しみに刺激しないように、努める。この努力はそれを生ぜしめる感情の度合に比例して《より》大でありあるいは《より》小であろう。したがってもしこの努力が、憎しみから生ずるあの努力、自分の憎むものを悲しみに刺激しようと努めるあの努力よりも《より》大であるならば、それは優勢を占めて憎しみを心から除去するであろう」(スピノザ「エチカ・第三部・定理四二・P.214~215」岩波文庫)
「すべて、働きをなす限りにおいての精神に関係する感情には、喜びあるいは欲望に関する感情があるだけである。ーーーすべての感情は、我々が与えたその定義から分かるように、いずれも欲望、喜びあるいは悲しみに関係している。ところで悲しみとは精神の思惟能力を減少しあるいは阻害するものであると我々は解する。したがって精神が悲しみを感ずる限り、精神の認識能力すなわちその活動能力は減少されあるいは阻害される。したがって働く限りにおける精神にはいかなる悲しみの感情も帰せられえない。帰せられうるのはただ、働く限りにおける精神にも関係する喜びおよび欲望の感情のみである。ーーー妥当に認識する限りにおける精神に関係する諸感情から生ずるすべての活動を、私は《精神の強さ》に帰する。そしてこの《精神の強さ》を勇気と寛仁とに分かつ。《勇気》とは《各人が単に理性の指図に従って自己の有を維持しようと努める欲望》であると私は解する。これに対して《寛仁》とは《各人が単に理性の指図に従って他の人間を援助しかつこれと交わりを結ぼうと努める欲望》であると解する」(スピノザ「エチカ・第三部・定理五九・P.233」岩波文庫)
次にスピノザは理性を宗教的な次元で扱っている。しかし実際のところ宗教の教義とは何の関係もない。むしろ諸宗教の現状はどうか。スピノザが破門された理由は、このフレーズが、権力闘争に明け暮れるばかりの教会に対する、極めて妥当な当てつけにしか読めなかったということにもあるだろう。
「理性の導きに従って生活する人は、できるだけ、自分に対する他人の憎しみ、怒り、軽蔑などを逆に愛あるいは寛仁で報いるように努める。ーーーすべて憎しみの感情は悪である。ゆえに理性の導きに従って生活する人は、できるだけ憎しみの感情に捉われぬように努めるであろうし、したがってまた他人にもそうした感情に悩ませないように努めるであろう。ところが憎しみは憎み返しによって増大し、反対に愛によって消滅されうるのであり、こうして憎しみは愛に移行する。ゆえに理性の導きに従って生活する人は他人の憎しみその他を逆に愛で、言いかえれば寛仁で報いることに努めるであろう。ーーー自分の受けた不法を憎み返しによって復讐しようと思う人は確かに惨めな生活をするものである。これに反して憎しみを愛で克服しようとつとめる人は、実に喜びと確信とをもって戦い、多くの人に対しても一人に対するのと同様にやすやすと対抗し、運命の援助をほとんどまったく要しない。一方、彼に征服された人々は喜んで彼に服従するが、しかもそれは力の欠乏のためではなくて力の増大のためである。これらすべては単に愛および知性の定義からのみきわめて明瞭に帰結されるのであって、これを一々証明することは必要でない」(スピノザ「エチカ・第四部・定理四六・P.59」岩波文庫)
このような態度について「一々証明することは必要でない」に違いない。
なお、「白鯨」は一九五一年発表。日本でいう嘉永四年。太平天国の乱。ロンドン万博開催。ニューヨーク・タイムズ創刊。ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日クーデター。中浜万次郎をアメリカ船が琉球に送り届ける。水野忠邦没。株仲間再興。「抜け参り」ブーム。
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