白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

「言語ゲーム」と生成変化10

2019年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム
子どもが「痛み」を表面に表出しない場合はどう捉えるべきか。あるいはどのように考えることができるか。

「『人間が自分たちの痛みを表出しない(呻かず、顔をゆがめない、等)としたら、どうであろうか。そのときは、ひとは子供に<歯痛>といったことばの慣用を教えることができないだろう』。ーーーでは、その子供が天才であって、自分で感覚の名を考え出す、と仮定しよう。ーーーだが、その時には、もちろんそうしたことばで自分自身を〔相手に〕理解させることなどできないであろう。ーーーそれゆえ、かれはその名を理解してはいるが、その意味を誰にも説明できないというわけか。ーーーしかし、それなら、かれが<自分の痛みに名前をつけた>ということは、どういうことなのか。ーーーどのようにしてかれは、痛みに名前をつけるなどということを行なったのか?!そして、かれが何をしたにせよ、それはどのような目的をもっているのか。ーーー『かれは感覚に名前を与えたのだ』というひとがあれば、そのひとは、単なる命名が意義をもつためには言語の中ですでにたくさんのことが準備されていなくてはならない、ということを忘れているのである。そして、誰かが痛みに名前を与えるということがらについて、われわれが語っているときには、その場合の『痛み』という語の文法こそ、〔すでに〕準備されていたものなのであって、それはこの新しい語の配置される場所を指示している」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二五七」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.183~184』大修館書店)

「痛み」を伝えるということについて、そうしたい場合、「すでにたくさんのことが準備されていなくてはならない」。そしてそれはすでに準備されている。規則・文法はもうすでに用意されているのであり、さらに、何であれそれが或る種の語として取り扱われ得るのであれば、そしてその語を「新しい」と評するに妥当だろうと考えられる場合、同様の「言語ゲーム」に属する人々はその「新しい語」について、それがどこにどのように「配置」されるべきかを知っている、ということでなくてはならない。もしそうでない場合、そこには「新しい」とも「新しくない」ともいずれも言われず定義することの不可能な「言葉のような何か」が転がっているばかりの宙吊り状態に陥るだろう。先行するのはいつでも「言語ゲーム」でなければならない。その限りで(文法的配置「図」が決定条件として整っている限りで)、「痛み」(あるいはそれに属する諸々の表現)という語が何らかの「新しさ」を帯びていたとしても、同じ「言語ゲーム」の範囲内では十分伝達可能となる。

「わたくしは石になったように硬直し、わたくしの痛みがつづいていく。ーーーそのとき、わたくしが間違っていて、もはや《痛み》がないのだとしたら!ーーーしかし、それでも、わたくしがそこで間違っていることなどありえない。わたくしが痛みを感じているかどうかを疑うことには、何のいみもないのだ!ーーーすなわち、もし誰かが『自分の感じているのが痛みであるか、それとも何か別のものであるのか、わたくしは知らない』と言うとすれば、われわれはおそらく、その人が『痛み』という自国語の単語の意味していることを知らないのだ、と考え、それをかれに説明するだろう、ということ。ーーーでも、どうやって?おそらく身ぶりによって。あるいは、かれに針を刺し、『わかったかい、これが痛みというものだ』と言ってやることによって。かれはこうしたことばの説明を、他のいかなることばの説明の場合とも同様に、正しく理解したり、誤って理解したり、全然理解しなかったりする。そして、そのいずれであるかを、かれは、いつもそうであるように、その語を使用する際に示すであろう。いま、かれが、たとえば『おお、<痛み>が何であるかはわかった、でも、自分がいまここに感じている《このもの》が痛みであるかどうか、それはわからない』と言ったとすれば、われわれはただ首をふるだけだろうし、かれのことばを奇妙な反応だと思わざるをえないだろうから、それからどうしたらいいのかわからないだろう(それは、たとえば、誰かがまじめに『わたくしははっきり憶えているのだが、わたくしの生まれる少し前、自分はーーーであると信じていた』と言うのを聞いているようなものであろう)。このような疑いの表現は、言語ゲームの一部になっていない。しかし、いま感覚の表現、人間的なふるまいが締め出されているとすると、わたくしは再び疑っても《よい》ように思える。わたくしがここで、ひとは感覚をそれが実際そうであるのとは違った何かとして受けとることができるのだ、と言いたい誘惑を感ずるのは、次のようなことから生じてくる。すなわち、もし正常な言語ゲームが感覚の表現によって廃されると考えているのなら、わたくしはいまや感覚の同一性に関する基準を必要としているのであり、そのときには、誤謬の可能性もまた生じているであろう、ということ」(ウィトゲンシュタイン「哲学探究・二八八」『ウィトゲンシュタイン全集8・P.196~198』大修館書店)

それにしても一体「自国語」とは何だろうか。同じことを別の説明に置き換えることもできる。要するに、非=自国語とは何かと。いずれにしても確かなことがある。感覚と言語との《あいだ》に横たわる裂け目を完全に埋めることはできない。ここでもし、感覚を指し示す言語ではなく改めて「感覚言語」という造語をカテゴリーの中に付け加えるとしても、だからといって問題がよりよくまとまるわけでは何らない。問い方が変わっただけに過ぎない。そしてそれで何となくわかったような気分になることはあるにせよ、では何がわかるのだろうか。わかったというのは何についてどのようにわかったといっているのか、さっぱりわからないのだ。そこでウィトゲンシュタインは「自分がいまここに感じている《このもの》」が何なのか、「誤謬」しながらでもよければ伝えることはできる、と述べている。同時に、特定の「言語ゲーム」内における限りで「感覚の同一性」は可能であり、可能なのだがしかしそのためには「基準」が必要だという。規則・文法が確立されていなければならないという。規則・文法が確立されていれば「痛み」という言葉を通して「感覚の同一性」は保証される。なるほど個々人それぞれに「痛み」は様々に違っていて当然だとしても、「感覚の同一性」さえ保証されていれば、「痛み」の場所や程度や種類やどのように「痛む」のかといった諸表象について語って聞かせ、あるいは書いて述べることはできる。だがなお「基準」の実在ゆえに、かえって「誤謬」も生じるというパラドクスを忘れてはならない、というのだ。基準のないところでは正解もなければ誤謬もない。何をどう解釈しても間違っているとは誰にも言えない。しかしそのような条件の中で人間はどのような共同体なり社会体なりも成立させることはできず、したがって誰も生きていくことはできない。混乱しているかどうかすらわからない。だから基準は必要なのだ。基準は時として変化を被る。様々な条件が付加され操作され決定されなくてはならないに違いない。言語を介するコミュニケーションということの複雑さは「教える/学ぶ」という過程が多岐に渡りいかに重要かということの証左でもあるだろう。

さて、言語を介しないコミュニケーションというものは可能だろうか。これまで「変身・分身・変態」というような単語を用いて考えてきたのはそのことだ。何もここでドゥルーズ哲学をわざわざ反復しようというわけではなくて、ドゥルーズ&ガタリが比較的頻繁に引用する文学を含む言語圏の中に日本語(江戸時代の俳諧や狂歌は別として)が含まれていないこともあり、あえて無学者の立場から、翻訳物に依拠しつつ、その可能性の中心および脱中心へと理論的転調を計っていきたいとおもう。

ウィトゲンシュタインは言語による翻訳可能性の限界を追求している。たとえば、「剣」は破壊されても「剣」なのか。もし仮にばらばらに破壊された「剣」はすでに「剣」ではない。ばらばらのがらくたでしかない。しかしその「剣」に〔歴史的〕な特定の名が与えられていたとすれば、その「剣」はもはや「剣」の外形を留めていなくても、さらに「剣」とは呼ばれないにしても、それはその名で呼ばれる。ばらばらに破壊される前の、「剣」そのものであった時の名で呼ばれる。しかしそれはどのような場合なのか、といった内容。また、身体の「痛み」はいかにして「痛み」という言語へ置き換え得るか、あるいは翻訳可能か、といったことだ。その研究の中で出現したのが規則・文法による支配ということだった。ところが言語を介しないコミュニケーションとは何か。あるいは言語を必要としないコミュニケーション。そしてさらに言語によって逆に壊されてしまうコミュニケーションとはどのような行為なのか。それを問うていこう。言語を必要としてないという点で次のことが前提されねばならない。生成変化に関わる。

「生成変化が情動そのものであり、欲動それ自体であるということ、そしてこれは何の表象〔代理〕でもない」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.205」河出文庫)

別の何ものによっても代理不可能ということ。ここでは「身ぶり手ぶり」による「表象〔代理〕」さえ排除されている。

「《ある<此性>の思い出》。ーーー一つの身体は、それを規定する形態によって定義されるのでもなければ、規定された実体や主体として定義されるわけでもないし、それが所有する器官やそれが果たす機能によって定義されるのでもない。存立平面の上では、《一つの身体はもっぱら経度と緯度によって定義されるのだ》。つまりなんらかの運動と静止の、あるいは速さと遅さの関係のもとで、身体に所属する物質的要素(これが経度だ)と、なんらかの力、あるいは力能の度合のもとで、その身体が受けいれることのできる強度的な情動の総体(これが緯度だ)によって定義されるのである。そこには情動と局所的運動、そして微分的な速度しかない。この<身体>の二つの次元を抽出し、『自然』の平面を純粋な経度および緯度として定義したのはスピノザの功績だろう。緯度と経度は地図学を構成する二大要素なのである。人称や主体、あるいは事物や実体の個体化とはまったく違った個体化の様態がある。われわれはこれを指して《此性》heccéitéと呼ぶことにする。ある季節、ある冬、ある夏、ある時刻、ある日付などは、事物や主体がもつ個体性とは違った、しかしそれなりに完全な、何一つ欠けるところのない個体性をそなえている。この場合すべては分子間や微粒子間における運動と静止の関係であり、また触発し触発される(情動をおよぼし情動を受けとめる)能力であるという意味で、こういったものは<此性>なのである」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.207~208」河出文庫)

先日スピノザから幾つかの部分を引用しておいたのは、ここでその理論的有効性を試してみようとせんがためでもある。「触発し触発される(情動をおよぼし情動を受けとめる)能力」とある箇所など。しかしスピノザの影響というのは「千のプラトー」という作品そのものの形式と最も関係が深いのだが。ーーーとはいえ、この約束は、約束である以上、今上げたように言語を伴わずにはいられない。しかし言語を伴うのは約束のためにではなく、経験のための心づもりに過ぎない。そうでなければ哲学は哲学でなくなり、ただ単なるドゥルーズ信仰に変形してしまうだろう。あくまで哲学・思想の領域での試みであって、特定の宗教的な意味を伴う教義・信仰ではない。その意味でカルトは徹底的に排除されなくてはならない。それでもなお次のような理論的有効性は様々な様態を取って出現するのであり、それを目撃することができ、なおかつその作業には何らの暴力も伴わない。事例を上げよう。ホフマンスタールはいかにして「自国語」(ドイツ語)とその規則・文法に対する愛国者になると同時に懐疑者へと分裂したのか。

「荘厳なパイプオルガン」より「死をまじかにひかえた最後の蟋蟀(こおろぎ)の声にとつぜん感じる」、とあるが、何を、なのだろう。

「わたしの眼差しは、みにくい仔犬や、植木鉢のあいだをしなやかに通り抜ける猫にじっととどまり、百姓暮しのごつごつとした粗末な品々のうちに、あるひとつのものを求めます。それは、目立たぬかたちをして、誰の眼をひくこともなく横たえられ、あるいは立てかけてあり、なにひとつ語ることなく存在しているのですが、しかもそのように存在していることによって、あの謎めいた、言葉にならない無限の恍惚感をよびおこしうるなにかです。というのも、名づけようのない最上の幸福感を、わたしは、星空に見るよりもむしろ、はるかにひとつ燃える牧人の焚火にとつぜん感じ、荘厳なパイプオルガンの響きよりむしろ、秋風が早くも冬めいた雲を荒野のうえに吹き寄せるとき、死をまじかにひかえた最後の蟋蟀(こおろぎ)の声にとつぜん感じるからです」(ホフマンスタール「チャンドス卿の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.118』岩波文庫)

散文の限界について語るホフマンスタール。詩と身体。あるいは詩と肉体。それらの詩における「置き換え」可能性。それらの散文における「置き換え」不可能性について。

「自然はぼくらの肉体であり、ぼくらの肉体は自然なのだ。それゆえ象徴は詩を成り立たせるエレメントなのであり、それゆえ詩はひとつのものを別のものと置き換えたりはしないのだ。詩は言葉のために語る。これが詩の魔術だ。ぼくらの肉体を揺り動かし、ぼくらをたえまなく変身させつづける言葉の魔力のためにこそ、詩は言葉を語るのだ」(ホフマンスタール「詩についての対話」『チャンドス卿の手紙・P.141~142』岩波文庫)

矢継ぎ早にところどころが崩壊して意味不明な象形文字化する人々の「顔」。

「たいがいの顔はぼやけ、自由豁達(じゆうかつたつ)でなく、多種多様のことが書きしるされてはいるものの、そのいずれにも確信が欠け、崇高さが欠けている」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.188』岩波文庫)

次の部分。ドイツがかつてのドイツとは似ても似つかぬ国家へと変容してしまったことについて「かくも一様」だと嘆くわけだが、なぜそうなったのかはホフマンスタールには理解できない。

「だがぼくとても、すべてがかくも一様、かくも仮借なきまで一律でなければ、こんなことを語りはしないし、神経過敏にすぎるのだと自分に言い聞かせもするだろう」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.190』岩波文庫)

すべての自然と人間との相関関係が資本主義的生産関係のうちに包摂された。そして「社会化された人間」とその世界というものが出現した。この過程の理解にはマルクス「資本論」を読むほかない。だがそれはそれとして。ホフマンスタールは境界線の消滅へ向かうとともに消滅しつつ同時に新しく勃興してきた、もはやホフマンスタールには付いていけないばかりかほとんど理解できなくなっていくドイツという場をさまようことになる。次節は回想であり幸福だった過去へ記憶の触手を伸ばしている。

「身ぶりのさらに奥にある挙措のうちには、なにかはしれぬ深さがあった。それは自然との関係、そっけない言葉で言えば、生との関係だ。つまり、どこまでが抗(あらが)いで、どこまでが順応なのか、どこが反抗の場で、どこが献身の場なのか、どこに冷淡さやそっけない言葉がふさわしく、どこでわがままや歓楽が当を得るのか、といったことだ。この本質的なもの、日常の背後にある現実的なもの、これこそが、ちょうど樹木のうちから渋さ甘さをしみださせ、樹皮や葉や果実をつくりだすように、ひとのうちから日々の飾り気のない振舞いを生じさせるものだ」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.201』岩波文庫)

ところが、たちまちのうちに場面は転変せざるを得ない。あちこちに出現する決定不可能性についての描写。

「たとえば朝、このドイツのいろいろなホテルの部屋にいて、ときおり水差しや洗面器がーーーあるいは机や洋服の置いてある部屋の隅などが、ひどく現実ならぬものに見えることがある。とりたてて言うほどもないごくふつうのものなのに、まったく現実離れし、ある意味では幽霊じみて見え、と同時に、仮のもの、いわば本当の水差しや水を張った本当の洗面器のかわりを一時つとめてあとを待っている、と見えた。ーーー外国では、ひどくみじめな時期にあってさえ、なにはともあれ汲みたての水をたたえた水差しや手桶は、わかりきったものだったし、また生きた物、つまりは友だった。それがここでは幽霊なのだ、と言えるだろう」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.205~206』岩波文庫)

次のセンテンスは<事件>について語られているというべきだろうか。というより、順次上げていっているセンテンスはすべて<事件>なのだが、とりわけ<事件>として捉えるのにわかりやすい、適した文章ではとおもえる。先に定義を引用しておこう。

「<事件>に特有の不確定な時間として、《アイオーン》がある。アイオーンは、速度しか知らない流動的な線となって、その場に生起することを<すでにあるもの>と<いまだあらざるもの>に分かち、同じ瞬間に位置する<遅きにすぎたもの>と<時期尚早なもの>に分かつのだ。<いままさに生起しようとするもの>でもあれば<たったいま生起したばかりのもの>でもある一つの<何か>」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.210」河出文庫)

続けよう。「いわくいいがたい」ものを言おうとして息切れを起こす。

「何本かの木の場合もある。貧相だがよく手入れがしてあり、アスファルトに囲まれた方形の地面に、柵に守られて植わっている木だ。それを眼にすると、それが木を思い起こさせるものであることはわかるーーーだが、けっして木ではないのだーーー、と同時になにかが風のようにぼくのなかを走り抜け、ぼくをまっぷたつにする。永劫の無、永劫の非在から吹きよせる、なんとも言いがたい風。死の息、というよりむしろ生ならぬものの息なのだ。いわくいいがたい」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.206~207』岩波文庫)

次の部分。特に<此性>を強く感じさせる文章。「それらすべてが入りまじり」つつ「一つの顔」を成しているということ。それを<此性>として捉えることが大事だろう。風景の全体・気象・工場・村・散在する家々ーーーなどは「奇妙な混合物としての一つの顔」の形態を取った<此性>としては一つだ。そして<此性>しかない。

「この四ヶ月間ずいぶん汽車に乗った。ベルリンからライン河畔へ、ブレーメンからシュレージエンへと縦横にだ。すると、いつであれ午後三時、あるいはいつでもいい、ごくありふれた光のもとでおこるのだ。線路の左右の小さな町、あるいは村、工場、風景の全体、丘、畑、林檎の木、散在する家、それらすべてが入りまじり、一つの顔をもち、内側にあってはまったく不確かで実にたちが悪いくらい非現実めいた、独特の曖昧な表情をし、ひどくうつろにーーーこの世ならぬほどうつろになる」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.207』岩波文庫)

さて、「力」とは何か。ここでホフマンスタールが「見ているもの」とは何か。自国語に対する愛国心はいつもすでに自国語に対する懐疑心との交流なくしてしかあり得ないことを思い出そう。ホフマンスタールは「力」を感じるに際して何ら自国語に依拠せず、むしろ言語抜きで何度も反復される波の「力」を自分自身のうちに「見ている」。

「物の色がぼくを支配するふしぎな時間がある、と言わなかったろうか。だがむしろ、ぼくの方こそが色を支配する力を手に入れるのではないだろうか。ほんのつかのまであれ、奈落にも似て奥深い無言の神秘を色から奪いとる十全な力を。力はぼくの内部にあるのではないか。胸のうちにふくらみ盛りあがるものとして、充溢として、崇高で魅力的な尋常ならぬ現在として、自分のもとに、自分のうちに、血液が出てはいるところにその力を感じるのではないか。あのとき、あの灰色の雨の嵐の日、ブエノス・アイレスの港の早朝にあってもそうだったーーーあのときも、そしていつもそうだった。だが、すべてが自分の内部にあるのならば、なにゆえぼくは眼を閉じえなかったのか。何をも語らず何をも見ず、われとわが名状しがたい感情を味わってはいられなかったのか。なにゆえデッキにとどまったまま見ていずにはーーー何するともなく前方を見ていずにはおれなかったのか。そして、なにゆえ、泡だつ波の色のうちに、開いては閉じるあの奈落のうちに、なにゆえ、激しい雨のなかを波しぶきに洗われながら近づいてくるものうちに、なにゆえ、あの色あせた小船のうちに、われわれの船をめざして難渋しているあの税関の船のうちに、深い波の谷間のうちに、あの船を浮かべ、うねっては寄せてくる波のうちにーーーなにゆえこれらの事物のうちに、全世界のみならず、ぼくの生のすべてが含まれているように思えたのか(思えた!思えた!とはいえ、じっさいそうであるのはわかっていた)」(ホフマンスタール「帰国者の手紙」『チャンドス卿の手紙・P.219~220』岩波文庫)

ホフマンスタールにとって「見ること」は「手紙」の中で、「絵画としてのゴッホ」の「魂」を「見ること」へ繋がっていく。

このようにホフマンスタールを読むことも大事だとは思うのだが、そうしているうちに、うっかりと動物の生成変化を忘れてしまうことがあるかもしれない。出会いは不意をついてくるものだ。

「<動物-狩り-五時>のような文に出会ったら、一気に読み通さなければならないのだ。動物が夕方に<なる>、夜に<なる>。血の婚礼だ。五時はこの動物だ。この動物はこの場所だ」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・中・P.212」河出文庫)

「《午後の五時》。 午後のきっかり五時だった。 一人の子供が白いシーツを持ってきた
《午後の五時》。 石炭が一籠 もう用意され
《午後の五時》。 あとは死を 死を待つだけになっていた
《午後の五時》。 

風が棉を持ち去った
《午後の五時》。 そして 酸化物が水晶とニッケルをまき散らした
《午後の五時》。 すでに鳩と豹とが闘っている
《午後の五時》。 
そして 悲嘆にくれる角(つの)を持つ 一つの腿
《午後の五時》。 低温の弦(ふといと)が鳴り始めた
《午後の五時》。 砒素の鐘と 煙 
《午後の五時》。 街角ごとに沈黙の群
《午後の五時》。 
そして 雄牛だけが勇み立っている!
《午後の五時》。 雪の汗が到着しつつあった頃
《午後の五時》、 闘牛場が沃度(ヨード)で一面に覆われた頃
《午後の五時》、 死が傷の中に卵を置いた
《午後の五時》。
《午後の五時》。
《午後のきっかり五時だった》。 

寝台は車輪つきの棺(ひつぎ) 
《午後の五時》。 骨とフルートとが彼の耳の中で鳴り響く
《午後の五時》。 雄牛がすでに彼の額で鳴いていた
《午後の五時》。 部屋は末期の苦悶で虹色に光っていた
《午後の五時》。 すでに遠くに壊疽(えそ)がやって来ている
《午後の五時》。 緑の腿のつけ根には百合のラッパが
《午後の五時》。 傷が太陽のように燃えていた
《午後の五時》。 そして 群衆が窓という窓を割っていた
《午後の五時》。 
《午後の五時》。 
アーイ 何と無惨な午後の五時!  あらゆる時計が五時だった! 午後の影も五時だった!」(ロルカ「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀悼歌・1・負傷と死」『ロルカ詩集・P.96~98』土曜美術社出版販売)

またプルースト「失われた時を求めて」の中で<事件>並びに<此性>の顕現を見い出すことは比較的簡単かもしれない。ただ文章が長い。<アイオーン>という時間に関する叙述はこのように出現することが少なくない。そして速度は申し分ない。

「私は木々が必死のいきおいでその腕を振りながら遠ざかってゆくのを見た、それはこういっているようだった、ーーーきみがきょう私たちから読みとらなかったことは、いつまでも知らずじまいになるだろう。この道の奥から、努力してきみのところまでのびあがろうとしたのに、そのままここに私たちを振りすてて行くなら、きみにもってきてやったきみ自身の一部分は、永久に虚無に没してしまうだろう、と。いましがた、この場所でまたしても感じた快感と不安、なるほど私はそのような種類の感情を、のちになってふたたび見出したが、そしてある晩、その感情にーーーあまりにもおそく、しかしこんどは永久にーーー私はむすびついたが、それはもっと先の話で、ともかくいまは、それらの木からは、それらが何を私にもたらそうとしたのか、どこでそれらを見たことがあったのか、それを私はどうしても知ることができなかった。そして馬車がわかれ道にはいってから、私はそれらの木に背を向け、それらを見るのをやめた、一方、ヴィルパリジ夫人から、なぜそんなぼんやり夢にふけった顔をしているのかとたずねられた私は、いましがた友人を失ったか、私自身を永久に見すてたかのように、または死んだ誰かに会いながら知らないふりをしたり、ある神の化身をそれと見わけられなかったりした直後のように悲しかった」(プルースト「失われた時を求めて3・P.53」ちくま文庫)

<此性>とは以上のようでなければならない。

なお、「帰国者の手紙」は一九〇七~一九〇八年にかけて発表された。日本でいう明治四十~四十一年。「平民新聞」発行。東京市場暴落。日露戦後恐慌。足尾銅山労働争議。南満州鉄道開業。ハーグ密使事件。第三次日韓協約調印。第一次日露協約調印。三国協商成立。箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)開業。小山内薫「新思潮」創刊。夏目漱石「虞美人草」連載。田山花袋「蒲団」発表。北埔事件発生。三菱造船所労働争議。出歯亀事件。笠戸丸出港。赤旗事件。GM創業。プラウダ発行。ブルガリア独立宣言。オーストリア=ハンガリー帝国によるボスニア=ヘルツェゴヴィナ併合。デイリー・テレグラフ事件。島崎藤村「春」発表。夏目漱石「三四郎」連載。

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