白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

ニーチェから見るフォイエルバッハ

2019年02月21日 | 日記・エッセイ・コラム
思考はどこから始まるのか。あるいは思考はどこから始めるべきか。しかし、とフォイエルバッハは問う。

「しかし私がききたいのは、なぜ一般にそのような始まりをおかなければならないのかということである。いったい始まりの概念は、もはや批判の対象ではなく、直接に真実であり、普遍的に妥当なものであろうか。なぜ私は始まりにおいてまさに始まりの概念を廃棄できないのか」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」『将来の哲学の根本命題・P.130~131』岩波文庫)

なぜ「始まり」をおかなければならないのか、と。あるいは「始める」ということについて、なぜ「概念」というものを想定しなければならないのか。あらかじめ想定されているのなら、それはもう既に「始まってしまっている」ことであって、本当の「始まり」でもなければ「始める」という行為でもない、と述べる。

「思考は、思考の叙述に《先だつ》。叙述における始まりは、それにとってのみ最初のものであって、《思考にとってはそうではない》」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」『将来の哲学の根本命題・P.143~144』岩波文庫)

ヘーゲルは「無」から始める。だがその「無」は、ただ単に「観念された」だけに過ぎない「無」である。そういうのはヘーゲル自身だ。問題なのは、観念されただけに過ぎない「無」であるとしても「無」というものを何らかの「イメージ」としてあらかじめ想定しているには違いないだろうし、むしろそうとしか考えられないだけでなく、そういう「無」であるのなら、「定立」(叙述)は既に「無」とは言えないのでは、ということになるだろう。ヘーゲルは「始まる」前にあらかじめ「無」を既得権として頭の中で所有している。次に続く「有」との総合をあらかじめ準備万端整えつつ。おもわず凝視しそうになる。

さらにここで、「叙述」、とある。ヘーゲルを念頭に置いている限りそれはなるほど「定立」を意味するのだろうが、しかし実をいうと、「定立」という概念そのものが既に怪しいのでは、とフォイエルバッハは疑義を呈する。そして弁証法について、フォイエルバッハはこう述べる。

「弁証法とは、思索の自分自身との独白ではなく、思索と経験との対話である。思考する人は、かれが《自分自身の反対者》であるという点においてのみ、弁証家である。自分自身を疑うということは、最高の技術であり力である。だから、もし、哲学または論理学が自分を証明しようと思うなら、合理的経験に、言いかえれば、哲学を否定し、それに反対する知性に、反論しなければならない。そうでなかったら、その証明はすべて《知性に対して》たんに《主観的な》断言にとどまるだろう」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」『将来の哲学の根本命題・P.149』岩波文庫)

常に「主観的」でしかないヘーゲル弁証法に対する批判だ。が、独自の地位を要求できうることに着目したい。というのは、一つには、マルクスもエンゲルスも、まだこの時期は「青年ヘーゲル派」の一部でしかなかったからだ。フォイエルバッハなしに後のマルクスもエンゲルスも考えることすらできない。フォイエルバッハが彼らに遅れをとっていったのはフォイエルバッハ自身がヘーゲルを批判したというだけでなく、その弁証法をも捨て去ってしまったからだが。二つめに、フォイエルバッハの指摘には、弁証法とはまったく別の面で、何か言葉だけではまだ語り尽くされていないものが残っているように思えるからである。といっても神秘主義とは何の関係もない。神秘主義の仮面を剥ぎ取ったのはフォイエルバッハだからだ。ゆえに「ドイツにとって《宗教の批判》は本質的にはもう果たされている」(「ヘーゲル法哲学批判序説」)とマルクスは言えた。むしろ再発見の余地があるというに過ぎない。だがそれはおそらくとても大事なことだ。

ただ単なるヘーゲル批判だけなら、それこそ「観念」を「物質」に置き換える操作に慣れるだけのことであって、誰にでも可能だろう。マルクスはその上でさらにヘーゲル弁証法自体は保存して逆に活用した。そこにマルクスの思考の尽きることのない底力を見ることができる。エンゲルスはまた違っていて、マルクスに似てはいるものの、ただ単に機械的な概念操作に終わっている。しかし機械的な忠実さがなければ「主義としてのマルクス」は誕生していなかったかもしれない。ヘーゲルに対する二人の関連は結局のところ否定も肯定もできないもの、各自各様のもの、になるだろうとおもわれる。

それはそれとして。ヘーゲル哲学の過剰摂取をも含めて、それまで当たり前とされてきた「哲学」に対する根本的な疑い、という意味で、どこから何を「始める」あるいは「始まる」か、という問いを立てたのはフォイエルバッハの功績だろう。この点ではマルクスもエンゲルスも、或る特定の地点を設けてから「始める」という態度を取っていて、「始める」ということそのものの「うさんくささ」には疑問を呈していないようにおもう。それゆえマルクス「主義」というものに対する「疑問」が、「資本論」の冒頭部分(「価値形態論」)に及ぶということはかつてなかった。だがしかし、もしかしたら、あるいは「価値形態論」の地点からして改めて読み直すことが本当は必要なのではないか、という問いが問われるようになったのは第二次世界大戦後のことである。しかも日本ではいわゆる「全共闘」の時代、なおかつ外国からの現代思想輸入という迂路を経てやっとのことで可能になった問いだった。

フォイエルバッハはこうも言っている。

「《前提なしで》始まるただ一つの哲学は、《自分自身》を疑う自由と勇気をもち、自分の《対立物》から自分を生みだす哲学である」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」『将来の哲学の根本命題・P.149』岩波文庫)

キリスト教神学を哲学の立場からあえて擁護し編成し直し作り変えたのがヘーゲル哲学であり、その批判は弁証法ごと一挙になされなければならない。そうでなければ理論は常に堂々巡りを繰り返すばかりだ。したがって思考は「前提なしに」思考しなければならない、という取り掛かり部分をつかんだのはフォイエルバッハなのだ。ところがフォイエルバッハは自分で自分自身を過去のものにしてしまった。なぜそうなったのか。マルクスが指摘するようにフォイエルバッハは頭の中だけでものごとを転倒させたに過ぎない、ということはできる。だが、何をいかに「始める」のか、あるいは「始まってしまう」のか、ということの自明性にまでマルクスが気づいていたとしても、マルクスはそこでいったん停止することはできなかった。時代が許さなかったということもあるだろう。なので、「始める」ことの自明性をフォイエルバッハ以上にマルクスが疑ったとは言えない。どちらが偉いとか偉くないとかは別問題だ。ともかくマルクスは「商品」の自明性を疑うところから「始める」ことにした。それは価値形態論の中で「貨幣」の自明性を解体することに成功した。貨幣へと収斂する過程があるとすれば逆に貨幣を脱中心化することもできるというアルチュセールの理論をも発見させることに貢献した。しかしアルチュセールは脱中心化に成功しはしたが、貨幣の動きを止めてしまった。要するに構造化してしまった。時間を停止させてしまったも同然だった。構造化は構造主義と化してはならなかったのだが、かといって、そうしないわけにもいかなかった。思想はそこまで安直に飛躍することはできなかったというべきだろうか。しかしそこで皮肉にも思想家としてのアルチュセールは息絶えたといえるかもしれない。

それと前後して、フーコー、デリダ、ドゥルーズらが出てきた。最も嫌われていたのが実はドゥルーズだった。左右両極から「うさんくさい」と見られていた。両極のあいだを選択する中立主義とか折衷主義とかだったからではなく、むしろ端的な「アナーキスト」に映ったからだ。それは政治的連帯とか宗教的派閥とか経済的団体とかに顕著に見られるようなとかく硬直しがちな組織形態にとって、何より煙たがられる志向性である。アナーキズムは一切の階層秩序を認めない。したがってありとあらゆる「組織的拘束」とか「組織的規則」とか「組織的権威」を認めない。だから他の、どうしても幾分かは組織的であらざるを得ない政治的・宗教的・経済的諸団体はドゥルーズを敬遠することにした。おまけに公的な学術機関からは当然批判の的とされた。権威ある学術機関(とりわけ大学組織・なかでも大学院生とかその卒業生らによる「正統派」という権威者)の諸論文を眺めていておもうことは、本当にドゥルーズ批判を欲するのであれば、ベルクソンを適切に読解して対峙することではなく、フロイトを適切に読解して対峙することでもなく、ニーチェを適切に読解して対峙することでもなく、マルクスを適切に読解して対峙することではさらになく、もちろん学術的科学を総動員して援用しつつ「大学的知の領域」からドゥルーズの間違いとか取り違いを適切に読解して指摘して排除することでもない、ということである。いわゆる「正統派」の立場からドゥルーズを断罪することで逆にドゥルーズの捉えどころのなさという戦略に翻弄されるばかりか、むしろ公的学術機関というおぞましい権威主義的「正統派」という排他的セクト主義〔思想的民族浄化=思想的ホロコースト〕に、かつて以上に陥ってしまっているように思われて仕方がない。

言うまでもなくドゥルーズ的アナーキズムは「正統性」というプラトニズム/神学的哲学の系譜に裂け目とか分裂とか接続とか解離とかを施しながら、その解体あるいは差異化を目論む諸力の運動なのであり、またその限りでいつも起動している恒常的連動的多様体としての非-正統性なのだ。ドゥルーズはいつも俗世間が愛顧し依存して止まない大学の「学的正統性」の外に出たがっている。マルクス、ニーチェ、フロイト、ベルクソン、フーコー、デリダらとは当然のように違っていて当たり前なのであり、その違いは、ニーチェとベルクソンとが違っているように違っている。むしろ両者を混合させたり分割させたりした結果、そうならざるを得なくなったスピノザのようなものだ。狂気に関心を持ちつつも本当の狂人にはなれない哲学者という諦観がいつもある。そしてアナーキズムは相手がどのような組織であれ、組織的である以上、それを反語的に告発せざるを得ない。黙殺するのだ。ドゥルーズ的無政府性は、「学的知の正統性」がいつも身にまとっていて離さない権威主義的体質が近寄ってくると近寄られたぶんだけ離れる。「学的知の正統性」が組織する組織の規律と権威者とが、結局は実在し、貢献し、牽引することすらまったく辞さないグローバル資本主義。大学とその研究機関を中心とする暴力的権力装置と「学的知の正統性」が、絶えずグローバル資本主義を率先して、はりきって意志しているという動かしようのない滅私奉公性。そのような「純粋正統性」という帝国主義的血統主義がもたらす自己固有化の動きからドゥルーズはあえて身をかわすことで他者を逆に歓待する。ドゥルーズ的なアナーキーな実践性においては、精神医学用語を用いるとすれば「譫妄」(せんもう)と混乱が、階調ではなく乱調とか混在とか雑婚とかがいつも優先される。学術機関関係者らはその余りの自由さに何か「不埒奔放」なものをじわじわと感じ取る。言い換えれば自由さに対して大学側はいつも「ルサンチマン」(反動的劣等感)を抱かざるを得ない。その瞬間、多くの公的学術機関はドゥルーズに対して思想警察化していることを忘れてしまっている。そして一般読者としては、危険なのは一体どちらなのか、むしろ思想警察化した学術機関の側ではないのか、という疑問を抱かざるをえなくなる。

だが今や二十一世紀に入って二十年近くになる。そうするとフーコーとかデリダとかの理論を越えて哲学的にはっきり要求されだしてきたことは、ドゥルーズとガタリが語り合い出すとともに見いだされた「リゾーム」理論の超-距離的有効性とそのスピノザ的変態性という極めて応用範囲の広い柔軟性なのだ。インターネットという当初は軍事的目的から開発されたシステムによる世界的再編という時代に到達した今、ドゥルーズとガタリは「始まりもなく終わりもない」思考について思考する。この態度は、いわば「偶然に賭ける」、ということでもある。ちなみに、七十年代すでに、世界は徐々に「リゾーム」化していくだろうと考えていた日本人もいて、それは中井久夫(故人)なのだが、当時はほとんど見向きもされなかった。

さて、「偶然に賭ける」とは、必然性を排除することではない。世界は常に既に繋がっている。グローバル化を果たした。その意味ではスピノザ化した世界だ。しかし宇宙論的に繋がってもいるという意味で、スピノザはスピノザでもそのニュアンスはがらりと違ってくるだろう。そしてもはや後者のほうが遥かにスピノザだと言ってよい。スピノザはまた、すべてが繋がっているということはあらゆるものが錯綜しつつ多様体として連動しているということでもあり、繋がっていること、あるいは錯綜しつつ多様体として連動していることは、また同時にいつでもどこでも何もかもが好きなように切断可能/接続可能なのだということを指し示してもいる。なぜ地球でも宇宙〔地球含む〕でも、ましてや人間の脳内とか皮膚とかでも、いたるところで「接木」は可能なのか。可能なのだ。したがって「切木」も可能だ。「啄木」もまた。あるいは「根こそぎ」(例として「根Aと根Bとの切断あるいは交配」)はもっと強力かつリアルな意味で。それが理解されただけでも極めて大きな収穫だ。「エチカ」とはそう読まれるべき書物でもある。実際、そう読まれてきた。その「様式」で。「あらゆる対立を超えていく融合状態の多様体」として。次のように。

「<器官なき身体>に関する偉大な書物は、『エチカ』ではないだろうか。属性とは<器官なき身体>のタイプ、あるいは種類であり、実体にして力、生産的な母体としての強度ゼロである。様態とは、生起するすべての事柄、つまり波と振動、移動、閾と勾配、一定の実体的なタイプのもとで、ある母体から産み出される強度である。属性または実体の種類としてマゾヒストの身体があり、身体を縫うことから、つまり零度から始まって、強度が、つまり責苦的な様態が産み出される」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・上・P.315」河出文庫)

だがここではドゥルーズ&ガタリではなく、「偶然に賭ける」ということについて、ニーチェから少しばかり引用しておきたい。

というのは、驚くべき柔軟性をたたえた「神々」=「常に更新される規則・文法による支配」(公理系としての資本主義社会)は、必然であると同時に偶然でもあり得るほかない、という事実について、大変わかりやすいからということによる。この場合、人間はどこにいるか。「常に更新されつつある規則・文法による支配」(公理系としての資本主義社会)と述べた<ただなか>、「常に更新されつつある規則・文法そのものとして」(=<此性>の一分子として)、外延的には(始まりも終わりもない)変容する諸力の流動=宇宙の一分子として、内包的には(一人であっても)複数形の「諸力」として、《リゾーム》を生きているというほかない。

「わたしの頭上の空よ、おまえ、清らかなもの、高いものよ。わたしにとっておまえの清らかさとは、そこになんらの永遠的な理性蜘蛛(りせいぐも)とその蜘蛛の巣がないということなのだ。ーーーまたおまえがわたしにとって神的な偶然が踊る踊り場であるということ、神的な骰子(さい)と神的な骰子遊びをする者にとっての神的な卓であるということなのだ」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・日の出前・P.264」中公文庫)

神は死んだのであり、神を殺害したのはほかでもない人間とその社会だ。「天空」とは或る種のイデオロギーに過ぎない。そしてそこから「多頭」の「骰子(さいころ)」が降りそそぐ。「多頭」とは同時に「無頭」を意味する(古代神話の常識)。一度に多数の言語が発せられるとき、その中のどの音声あるいは書物を取り出してきて「唯一の本物」だといえるのだろうか。むしろ本物などない、と言われるべきではないのか。その通り。ない、というより、なくなった。シミュラクル(見せかけ)とシミュレーション(複製)ばかりだ。オリジナルは消滅した。ところが、逆説的な叙述になってしまうけれども、オリジナルの消滅とともに、本物〔リアルなもの〕は常に物質として流動している。そしてそれは時として、いっときの「力」の集合でしかないが、ほんの偶然によって、或る部分で「一定の度合以上になる=一定の空間において拡張する」。そしてその拡張が、実に短いあいだでしかないけれども、モル的な「気の塊」(微分化された物質のほんの一時の集合)だとされるに過ぎない。この「モル的」な拡張はいったん拡張してその役目を果たす(例として「性の自由の獲得運動」)。と、すぐさま解体してまた別様に変態していくほかないわけであり、その限りで権利上、一時的な「力」の集合はあり得る。それでもまだ誰かが神秘的な「神々」による因果性の支配を信じるというのだろうか。

「わたしがかつて創造的な電光の笑いで笑ったとするなら(その笑いには、行為という長い雷鳴が、不平の声をとどろかせながら、しかも従順についてくるのだ)、ーーーわたしがかつて、大地という神々の卓々で神々と骰子(さい)の遊びを競(きそ)い、そのために地が震い、破れ、火の河流が噴(ふ)き出すに至ったとするなら、ーーー(つまり、大地は神々の卓であって、創造的な新しいことばと神々の投げかわす骰子とで震えているのだーーー)」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・七つの封印・三・P.372」中公文庫)

たまにはごく一般的なニーチェ論に触れてみよう。この「笑い」の発生源とは何か。「神々」の「骰子(さいころ)遊び」が行われている地球=「非-合理的世界」を、いとも安易に「神々による必然的創造物」としてしみじみ考え込みたがる人々の態度。

「内気な様子で、はじらって、足取りも拙(つたな)く、跳躍をしそこなった虎(とら)のような、高人たちよ、あなたがたが、こっそりとわきへ退くのを、わたしはしばしば見た。骰子(さい)の一擲(いってき)にあなたがたは失敗したのだ。しかし、賭博者(とばくしゃ)たちよ、そんな失敗が何だろう。あなたがたは、賭博者、そして嘲笑者(ちょうしょうしゃ)としての心がけを学んでいなかったのだ。われわれはいつも一つの巨大な賭博と嘲笑の卓についているのではないか」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第四部・高人・一四・P.471」中公文庫)

ここで「嘲笑」とある。もちろんニーチェは真面目に皮肉をいっている。なぜか。人間は「骰子(さいころ)遊び」にすら失敗した、ということだ。だから、たとえば日本なら、近代をやりなおさなければならないし、やりなおすことができる、ということでなくてはならない。したがってまた、賭博台(世界)に向かって人間自身が骰子(さいころ)になり、その勝ち負けに関して超人的にむきになって怒ったり泣いたり復讐したりしようとするのは実に考えものなのでは、と問うているわけでもある。ニーチェのいう「超人」は、逆に、遥かにもっとずっと「軽い」。したがってフォイエルバッハによる「始める」ということについての慎重な疑念の中には、ニーチェ的な偶然性の必然的混入についてのささやかな心づもりが働いているようにおもえる。

なお、「ヘーゲル哲学の批判」は一八三九年発表。日本でいう天保十年。渡辺崋山・高野長英ら投獄(蛮社の獄)。水野忠邦老中首座。林則徐が広東でアヘン没収焼却。銀版写真発明。ベルギー独立。ブランキ主義者蜂起。プルードンら無政府主義広がる。葛飾北斎・歌川広重ら(浮世絵)活躍。セザンヌ生まれる。ムソルグスキー生まれる。高杉晋作生まれる。

BGM