白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

隙間と道元2

2019年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム
日本でできる対抗手段としてはせいぜいが「労働者=消費者」としての不買運動くらいのものでしかない。ところがそのことで日本のコンビニが続々と破産してもそれはロシアの責任だというしかない。だがなぜ不買運動なら可能なのか。事情は相変わらずこうだ。貿易なしにグローバル資本主義は成立しないということ。

「貿易によって一方では不変資本の諸要素が安くなり、他方では可変資本が転換される必要生活手段が安くなるかぎりでは、貿易は利潤率を高くする作用をする。というのは、それは剰余価値率を高くし不変資本の価値を低くするからである。貿易は一般にこのような意味で作用する。というのは、それは生産規模の拡張を可能にするからである。こうして、貿易は一方では蓄積を促進するが、他方ではまた不変資本に比べての可変資本の減少、したがってまた利潤率の低下をも促進するのである。同様に、貿易の拡大も、資本主義的生産様式の幼年期にはその基礎だったとはいえ、それが進むにつれて、この生産様式の内的必然性によって、すなわち不断に拡大される市場へのこの生産様式の欲求によってこの生産様式自身の産物になったのである。ここでもまた、前に述べたのと同じような、作用の二重性が現われる(リカードは貿易のこの面をまったく見落としていた)。

もう一つの問題ーーーそれはその特殊性のためにもともとわれわれの研究の限界の外にあるのだがーーーは、貿易にとうぜられた、ことに植民地貿易に投ぜられた資本があげる比較的高い利潤率によって、一般的利潤率は高くされるであろうか?という問題である。

貿易に投ぜられた資本が比較的高い利潤率をあげることができるのは、ここではまず第一に、生産条件の劣っている他の諸国が生産する商品との競争が行なわれ、したがって先進国の方は自国の商品を競争相手の諸国より安く売ってもなおその価値より高く売るのだからである。この場合には先進国の労働が比重の大きい労働として実現されるかぎりでは、利潤率は高くなる。というのは、質的により高級な労働として支払われない労働がそのような労働として売られるからである。同じ関係は、商品がそこに送られまたそこから商品が買われる国にたいしても生ずることがありうる。すなわち、この国は、自分が受け取るよりも多くの対象化された労働を現物で与えるが、それでもなおその商品を自国で生産できるよりも安く手に入れるという関係である。それは、ちょうど、新しい発明が普及する前にそれを利用する工場主が、競争相手よりも安く売っていながらそれでも自分の商品の個別的価値よりも高く売っているようなものである。すなわち、この工場主は自分が充用する労働の特別に高い生産力を剰余価値として実現し、こうして超過利潤を実現するのである。他方、植民地などに投下された資本について言えば、それがより高い利潤率をあげることができるのは、植民地などでは一般に発展度が低いために利潤率が高く、また奴隷や苦力などを使用するので労働の搾取度も高いからである。ところで、このように、ある種の部門に投ぜられた資本が生みだして本国に送り返す高い利潤率は、なぜ本国で、独占に妨げられないかぎり、一般的利潤率の平均化に参加してそれだけ一般的利潤率を高くすることにならないのか、そのわけは分かっていない。ことに、そのような資本充用部門が自由競争の諸法則のもとにある場合にどうしてそうならないのかは、わかっていない。これにたいしてリカードが考えつくのは、なかでも次のようなことである。外国で比較的高い価格が実現され、その代金で外国で商品が買われて帰り荷として本国に送られる。そこでこれらの商品が国内で売られるのだからこのようなことは、せいぜい、この恵まれた生産部面が他の部面以上にあげる一時的な特別利益になりうるだけだ、というのである。このような外観は、貨幣形態から離れて見れば、すぐに消えてしまう。この恵まれた国は、より少ない労働と引き換えにより多くの労働を取り返すのである。といっても、この差額、この剰余は、労働と資本とのあいだの交換では一般にそうであるように、ある階級のふところに取りこまれてしまうのであるが。だから、利潤率がより高いのは一般に植民地では利潤率がより高いからだというかぎりでは、それは植民地の恵まれた自然条件のもとでは低い商品価格と両立できるであろう。平均化は行なわれるが、しかし、リカードの考えるように旧水準への平均化ではないのである。

ところが、この貿易そのものが、国内では資本主義的生産様式を発達させ、したがって不変資本に比べての可変資本の減少を進展させるのであり、また他方では外国との関係で過剰生産を生みだし、したがってまたいくらか長い期間にはやはり反対の作用をするのである。

このようにして一般的に明らかになったように、一般的利潤率の低下をひき起こす同じ諸原因が、この低下を妨げ遅れさせ部分的には麻痺させる反対作用を呼び起こすのである。このような反対作用は、法則を廃棄しないが、しかし法則の作用を弱める。このことなしには不可解なのは、一般的利潤率の低下ではなくて、反対にこの低下の相対的な緩慢さであろう」(マルクス「資本論・第三部・第三篇・第十四章・P.388~391」国民文庫)

ちなみにこのことは、「米中摩擦」がけっして「米中冷戦」にならないしなることはできないという事情とも関係がある。米中冷戦と言いたがる人々がいるとすればそれこそ言説の「亡霊が徘徊している」のであって、研究が足りないというほかない。米中は冷戦でなくむしろ摩擦の次元に留まるほかない。さてその根拠は何なのだろう。

両者は常に既に経済的流通によって余りにも接続し合い過ぎてしまっている。様々な産業分野でアメリカも中国も、両者ともに互いに依存し合い過ぎてしまっている。アメリカと中国とはもう解きほぐしがたいリゾーム的連関関係をオートメーション化させてしまっている。もはや絡み合い過ぎてしまった。だから米中関係はどこまで行っても摩擦し合うことはできるが冷戦状態に突入することは不可能なのだ。もし仮にそれを本当にやってしまうとすればどういうことが起こるか。ニーチェはいった。「ロシアの南下意志」と。米中摩擦の長期化と国家的疲弊に伴って米中双方が、徐々に南下を意志するロシアの中に呑み込まれる。北朝鮮はロシア(旧ソ連)の属国へと舞い戻っていく。それもこれも資本主義経済が加速度的に領土化と脱領土化とを達成してしまったし、今このときも達成しつつある連続的変態をさらに押し進めていくからにほかならない。

さて、今のロシア国民の頭の中は一体全体どうなっているのだろうか。かつてドストエフスキーはこう述べた。自分で自分自身を疑ってみるという高貴な態度について。

「美か!そのうえ、俺が我慢できないのは、高潔な心と高い知性とをそなえた人間が、マドンナ(聖母マリア)の理想から出発しながら、最後はソドム(古代パレスチナの町。住民の淫乱が極度に達し、天の火で焼かれた)の理想に堕しちまうことなんだ。それよりももっと恐ろしいのは、心にすでにソドムの理想をいだく人間が、マドンナの理想をも否定せず、その理想に心を燃やす、それも本当に、清純な青春時代のように、本当に心を燃やすことなんだ。いや、人間は広いよ、広すぎるくらいだ、俺ならもっと縮めたいね。何がどうなんだか、わかりゃしない。そうなんだよ!理性には恥辱と映るものも、心にはまったくの美と映るんだからな。ソドムに美があるだろうか。本当を言うと、大多数の人間にとっては、ソドムの中にこそ美が存在しているんだよーーーお前はこの秘密を知っていたか、どうだい?こわいのはね、美が単に恐ろしいだけじゃなく、神秘的なものでさえあるってことなんだ。そこでは悪魔と神がたたかい、その戦場がつまり人間の心なのさ」(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟・上・P.203~204」新潮文庫)

そして言っておきたい。引用だが。どこの国家の議員であろうがなかろうが、次のことは事実として上げておくほかないだろう。「神格化」運動がどれほど危険な行為なのか、ましてや運動している関係者自身にとってこそなおさら危険なのか、という反語的問題について。

「人間がそう容易に自分を神だと思わないのは、下腹部にその理由がある」(ニーチェ「善悪の彼岸・第四章・一四一・P.119」岩波文庫)

長々と述べてきた。ポロキンスカヤ議員は今のロシアでニコライ二世の崇拝勢力を代表する女性だ。そしてこのことは今なおロシアに或る種の問題がわだかまり存在しているということの動かしようのない歴然たる証拠でもある。はっきりいってしまえば、女性差別が存在する。

男性ではなく、とりわけ女性が「象徴的」人物として一般大衆の人気を捉えるという現象は、日本でいえば、はなはだしい男尊女卑傾向が色濃く残っていた明治二十〜三十年代にもあった。神的崇拝とか象徴的とかの代表者が女性に集中するとき、それは一国家の内部に再び病巣を宿した社会全体から生じてくる「ロマン主義的文学」の時代に舞い戻ってしまっているということの他の何ものをも意味しない。かつてロマン主義的日本文学の代表作は「不如帰」(ほととぎす)だった。次のような描写にその典型例を見ることができる。

「色白の細面(ほそおもて)、眉(まゆ)の間(あわい)やや蹙(せま)りて、頰(ほお)のあたりの肉寒げなるが、疵(きず)といわば疵なれど、瘠形(やさがた)のすらりと静淑(しお)らしき人品(ひとがら)。これや北風(ほくふう)に一輪勁(つよ)きを誇る梅花にあらず、また霞(かすみ)の春に蝴蝶(こちょう)と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕闇にほのかに匂う月見草、と品定めもしつべき婦人」(徳富蘆花「不如帰・P.11」岩波文庫)

「病気の中でもこの病気ばかいは恐ろしいもンでな、武どん。おまえも知っとるはずじゃが、あの知事の東郷、な、おまえがよく喧嘩(けんか)をしたあの児(こ)の母御(かさま)な、どうかい、東郷さんもやっぱい肺病で死んで、ええかい、それからあの息子さんーーーどこかの技師をしとったそうじゃがのーーーもやっぱい肺病で先頃(このあいだ)亡くなった、な。皆(みいな)母御のが伝染(うつ)ッたのじゃ。まだこんな話がいくつもあいます。そいでわたしはの、武どん、この病気ばかいは油断がならん、油断をすれば大事じゃと思うッがの」(徳富蘆花「不如帰・P.144~145」岩波文庫)

「逗子の別荘にては、武男が出発後は、病める身の心細さ遣(や)る方(せ)なく思うほどいよいよ長き日(ひ)一日(またひ)のさすがに暮せば暮らされて、早や一月あまり経(たち)たれば、麦刈済みて山百合(やまゆり)咲く頃となりぬ。過ぐる日の喀血(かっけつ)に、一たびは気落ちしが、幸(さいわい)にして医師(いしゃ)の言えるが如くその後に著しき衰弱もなく、先日函館よりの良人(おっと)の書信(てがみ)にも帰来(かえり)の近(ちか)かるべきを知らせ来つれば、よし良人を驚かすほどには到らぬとも、喀血の前ほどにはなりおらではと、自(みず)から気を励まし、浪子は薬用に運動に細かに医師の戒(いましめ)を守りて摂生しつつ、指を折りて良人の帰期を待ちぬ」(徳富蘆花「不如帰・P.173」岩波文庫)

「されど解きても融(と)け難き一塊の恨(うらみ)は深く深く胸底(きょうてい)に残りて、彼が夜々吊床の上に、北洋艦隊の殲滅(せんめつ)とわが討死(うちじに)の夢に伴うものは、雪白(せっぱく)の肩掛(ショール)を纏(まと)える病める或(ある)人の面影(おもかげ)なりき。ーーー消息絶えて、月は三たび移りぬ。彼女なお生きてありや、なしや。生きてあらん。わが忘るる日なきが如く、彼も思わざるの日はなからん。共に生き共に死なんと誓いしならずや。ーーー武男はかく思いぬ。さらに最後に相見し時を思いぬ。五日の月松にかかりて、朧々(ろうろう)としたる逗子の夕(ゆうべ)、われを送りて門(かど)に立出(たちい)で、『早く帰って頂戴』と呼びし人はいずこぞ。思い入りて眺むれば、白き肩掛を纏える姿の、今しも月光の中(うち)より歩み出で来らん心地すなり」(徳富蘆花「不如帰・P.192~193」岩波文庫)

ここに描かれていることは「結核の神格化」という創作過程を通して「文学の神格化」を確固たるものにしようとする明白な「権力への意志」なのだ。たとえば浪子は「逗子」に逗留する。なぜ「逗子」なのか。当時、ヨーロッパ経由で流行していた保養地が、日本では逗子の風景に似ているということが背景にあった。そして日本の皇室の保養地が軽井沢へ移ると同時に堀辰雄などは主人公の保養地を、もはや逗子ではなく軽井沢へ持ってくる。たとえば作品「菜穂子」では「八ヶ岳の麓」の療養地で「喀血」する。このような悪趣味極まりない趣向がロマン主義文学として文壇の中で幅を効かせていた。そしてようやく文字を読むことを覚え始めた一般読者のあいだで「不如帰」は圧倒的支持を獲得することに成功した。

そういうたどたどしい限りの歩みから日本近代文学は始まったのであり、その中心と化したロマン主義は、日本文学の成熟を何十年も遅れたものにさせることに貢献した。遅刻への意志でしかなかった。しかし今や、アメリカと冷戦を戦ったロシアが、日本の明治時代へ逆戻りしようとしている。今のロシアの政治は「制度としての文学」という空想主義的物語(ロマンティック・ストーリー)の世界へ退行している。幼稚園児になってしまっている。政治の美学化(ロマン主義の政治化)というかつてのナチス・ドイツを彷彿させる。そしてポロキンスカヤ議員はニコライ二世の皇太子時代の恋愛映画にすら拒絶反応を起こし、神の恋愛など「不謹慎」かつ「あり得ない」とするほとんどカルト的勢力の「象徴」に祭り上げられている。救いようがない。そのような「神がかり的態度」の末路は、現実の「地獄」を見るまでまだまだ何もわからないだろう。ロシアの三十代半ばのヒロイズム的女性議員。アウシュヴィッツのガス室で神に祈ったユダヤ人たちは果たして神に救われただろうか。

なお、「カラマーゾフの兄弟」は一八七九〜一八八〇年にかけて発表された。日本でいう明治十二〜十三年。東京府会開催。イプセン「人形の家」初演。高橋お伝処刑。琉球処分。小菅集治監設置。東京府癲狂院(後の松沢病院)設立。東京海上保険設立。教育令制定(学制廃止)。エジソン炭素線条電球発明。仏パナマ運河会社設立。フォースター生まれる。佐分利貞男生まれる。鳥井信治郎生まれる。臼田亜浪生まれる。正宗白鳥生まれる。アインシュタイン生まれる。長塚節生まれる。クロフツ生まれる。レスピーギ生まれる。山川登美子生まれる。サパタ生まれる。滝廉太郎生まれる。安重根生まれる。河上肇生まれる。トロツキー生まれる。永井荷風生まれる。パウル・クレー生まれる。ドーミエ死去。クチュール死去。川路利良死去。ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」初演。チャイコフスキー「オネーギン」初演。植木枝盛「民権田舎歌」発表。交詢社結成。アレクサンドル二世暗殺未遂。丸善設立。集会条例施行。「新訳聖書」邦訳刊行。東京代言人組合(後の東京弁護士会)設立。逢坂山トンネル開通。刑法・治罪法制定。京都府画学校(後の京都市立芸術大学)開校。東京法学社(後の法政大学)開校。松方正義紙幣整理。米内光政生まれる。松岡洋右生まれる。ブルーノ・タウト生まれる。シュペングラー生まれる。ブロッホ生まれる。アポリネール生まれる。ジャック・ティボー生まれる。山川均生まれる。鮎川義介生まれる。ヴィエニャフスキー死去。オッフェンバック死去。ジョージ・エリオット死去。

BGM