白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

隙間と道元1

2019年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
人生百年時代というのは、中世日本を生きた人々にとって、どのように考えられていたか。あるいは、どのように考えることが可能だったか。

「心に深く思わねばならぬ、竜の珠はあるいは手に入れることができるかもしれぬ、一尺の宝石は手に入れることがあるかもしれぬ。しかし、たとえ百年の一生であろうと、その一日は、一たび失うならば二度と己れの手には戻らないのだ」(道元「現代語訳 正法眼蔵1・第一六・行持・P.295」河出文庫)

いわずもがな、そのように考えることはできたが、考えることはできる、というばかりのことだった。しかし道元の言葉には、それゆえの確固たる意志が示されているといえよう。逆に今の人間社会はどうだろう。事実上の人生百年時代を迎えてみて。変わったといえば大変変わった。しかしその前に、言語について、どのような考え方をしていると言い得るだろうか。あるいは言い得ないだろうか。道元の言葉を見据えてみた上で。

言語は確実に変わった。変化した。にもかかわらず、言語使用に関して、そのときの注意点について、余りにも不用意なのではないだろうか。他者のこと、他者の立場を、他者の生ということについて、一体何をどこまでどんなふうに考えてから、できる限り慎重かつ真摯な態度で発語あるいは筆記することができているだろうか。あるいは、できていないだろうか。

先に何日かに渡ってウィトゲンシュタンインの「言語ゲーム」について、ほんのささやかな論考を述べておいた。そこで気づいたことは、ウィトゲンシュタインの提出した問いは、まだまだ解き残されていくだろうということだった。喜ばしいことだ。楽しいことだ。ところがニーチェは驚くべきことに、たった「百年」どころか、むしろ「八万歳の人間を考えてみる」という考察方法を思考することへ促してもいる。

「《変らぬ性格》。ーーー性格が変らぬということは、厳密な意味では本当ではない。むしろ好んで用いられるこの命題は、人間の短い寿命の間に作用する動機が幾千年も刻みつけられた文字を破壊できるほど深くは裂け目を入れえない、といった程度のことを意味しているにすぎない。しかしもし八万歳の人間を考えてみるならば、全然変わりやすい性格をすら彼にみとめるであろう、それでおびただしいさまざまの個人が次々に彼から展開されるであろう。人命の短さが人間の特質に関する多くの誤った主張へと迷わせるのである」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的1・第二章・四一・P.78」ちくま学芸文庫

これは何も冗談なのではない。八万年前、地球はどうだったか、という問いを含んでいる。そしてそのような地球的歴史感覚を体得して始めて、事後的に、八万年先の未来へ向けて取り組むことができる。

さて、前回引用した道元の言葉について、あえて「生の哲学」としてのベルクソンから引用するとすれば、こう繋げて考えることもできる。道元は記憶の「隙間」について考えていたわけでもあった。要するに、現代語訳すると「存在論的現象学」の観点から述べられていた。しかしベルクソンによると事情はこうだ。

「実験者たちによって確立されたのは、よどみのない読書は、まぎれもなく予見による作業であるという消息なのである。私たちの精神は、あちらこちらで特徴のあるなにかしらの徴候を拾いあつめ、間隙のいっさいを記憶イマージュで埋めてゆく。記憶イマージュが紙のうえに投影されて、じっさいに印刷されている活字にとって代わり、私たちに〔印刷されている文字を読んでいるという〕錯覚を与えるのだ。かくて、私たちはつねに創造し、たえまなく再構成されている。私たちの判明な知覚は、ほんとうのところ、閉ざされた円環に比するべきものであって、そこではイマージュ知覚は精神へと向かい、イマージュ記憶が空間中に投げだされて、両者はたがいを追いこしながら走りつづけている」(ベルクソン「物質と記憶・P.206」岩波文庫)

「徴候」「隙間」「記憶」「錯覚」「創造」「再構成」「両者はたがいを追いこしながら走りつづけて」、などがポイント。ベルクソンにおいては、何ものも停止しているものはない、ということが思考のうちに入っている。なるほど、しかし時代が違うのでは、と問い返すことはできる。だが、日本のような静的時間性を長く生き過ぎた小国にとって、先に近代化を果たした欧米からの圧力なしに、本当の動的対応ということが果たして可能だったかどうか、この際深く考え直してみたほうがいいとおもわれる。

ところで。昨日(十九年二月二十六日)、朝日新聞(夕刊)を見ていたのだがーーー。

ロシアでロマノフ王朝復活主義の動きがあるらしい。少し前に一度連載されてはいたけれども。現在、滋賀県に残っている「大津事件」当時のおそらく「遺品」であろうような「物品」をロシアに返せなどと言ってきたロシアの女性議員がいる。もっぱらロシア正教会の信徒であって、ロマノフ王家の末裔の一人かどうかは判然としないけれども、ロシア正教会信徒の中でも相当過激な部類であることは明らかなようだ。どこか夢を見ているようなことを言っている。だが議員はまったくの正気であるらしい。しかしせっかくの機会なのでおさらいしておこう。ニコライ二世当時、ロシアの銀行を牛耳り、教会を牛耳り、すべての国民を思うがままに、搾取したい放題搾取して享楽の限りを尽くしていたロマノフ王朝。そのような態度だからラスプーチンなどというただ単なる一人の「乞食坊主」に宮廷丸ごと乗っ取られてしまったのだ。危機を察したユスポフがラスプーチン暗殺に成功したときには、時すでに遅かった。帝政ロシアは自爆した。

なのになぜ、今頃になって「大津事件」当時の「物証」のような「もの」を返すとか返さないとかいう「ロマノフ王朝神格主義化」の動きがロシア側から提出されてくるのか。滋賀県という小さな県に残された歴史的遺産(たぶん)に関して、全世界に根を張るキリスト教会あるいはロシア正教会が圧力がましい言葉を上から語りかけてくるのか。何をいつまで根に持っているのか。ルサンチマン(反動的劣等感)ばかりは一人前というわけなのだろうか。それともただ単に「言ってみた」という様子見に過ぎないのだろうか。あるいは何らかの「物証」の「担い手」がその「物」である可能性があるので、仮に「貸して」-「欲しい」というわけなのだろうか。また、それは、いわば「それ」という代名詞で置き換え可能なものなのか。であれば「それ」はむしろ「それら」という複数形で語られるものなのではないだろうか。そしてもしそれらが端的に複数形なのであれば、もはや「それ」は、あるいは「それら」は、神と考えられる何ものともまったく関係がない。神というのは、それが複数形を取る限り、何らの神でもあり得ないからだ。では「それ」といえば単純な神なのか。そうともいえない。神は単純でもなければ複数でもない。数字で表わすことはできない何ものかでしかないからだ。となると、ロシアの女性議員が胸を張って滋賀県を相手に言語化している事柄は一体何を表しているのか。判別しかねるとしか言えない。なるほどロシア正教会にも言い分があろう。しかしそれはロシア正教会だけに通じる言語なのではなかったろうか。ロシア正教会の中だけで通用する秩序なのではなかったろうか。そしてその秩序は同時に秩序の一つでありはするが、秩序《そのもの》では何らない、といわれなければおかしな話になる。なぜか。たった一つの唯一の秩序があるのなら、どうしてローマ教会とロシア正教会と、別々に分裂しているのか。神は最初から分裂していたのか。それとも初めは一つだったが或る種のきっかけがあって、しかしとうとう分裂してしまったのだろうか。分裂があったとすれば、それは何を指して述べることができるのか。もし述べることができるとするなら、神は言語なのだろうか。神は言語なのだとしたら、文法とか規則とかに従って変化するのだろうか。神が文法とか規則とかを創作したというのではなく、逆に、神のほうが文法とか規則とかに服従してしまっているのだろうか。それなら言語、この、物質的にのみ形成されるほかない言語という物質に、そしてその下で、神は言語によって虐げられているというわけなのだろうか。ロシア語によって虐げられつつロシア国民の上に立って何かを語っているというわけなのか。そうなのだろうか。ロシア語の下で虐げられた神はロシア国民に向かってロシア語で語る。ロシア語に服従しつつロシア国民に向かって天上からロシア語で語りかける。ところが神が言語を語るということはいかにも奇妙なことではなかろうか。神の存在は言語化不可能ではなかったか。にもかかわらずロシアの神はロシア語の秩序に従う。世界の秩序の中の一つでしかないにもかかわらず、全世界秩序《そのもの》になろうとして、逆に仮面でもかぶっているのではとすら思われてくるのだ。そして同時に神は「逆に」という論理学用語を知っているとでも言いたいのだろうか。とすればロシアの神はロシア語以上に近代論理学について習熟していなければならないということを意味する。二〇〇〇年以上前に発生したキリスト教の神が、なぜヨーロッパの近代論理学を知っているのだろうか。神はどこかで机に向かって近代論理学を学んでいるのだろうか。むしろ神は学ぶ前に既に知っているものなのではなかったろうか。

だがしかし。なるほどロシアは戦勝国の一員だ。第二次世界大戦を立派に戦った大国の一つだ。しかし当時は「ソ連」なのであって、間違っても今の弱体化したロシアなどではさらさらない。ドイツを撃破したのはあくまでもスターリン率いるソ連軍である。で、フランス西海岸からのノルマンディー上陸作戦というのは、ドイツ兵士の本隊のほとんどすべてがノルマンディーを放棄してベルリンへ集結しつつあるのを見届けてから、事後的に、アメリカを始めとする連合軍が颯爽と乗り込んだというのが実相ではなかったか。そのときノルマンディーにはほとんど近所のおっさんおばさんばかりによって組織された、いわば「ただの素人」しか残されていなかった。本格的に武装した連合軍が勝利するのはわかりきっていた。相手はそこらへんの近隣住民がほとんどなのだから。なのになぜ、今頃になって、再び「ロマノフ」なのか。さっぱりわけがわからない。ロマノフ王朝復活による神秘主義的グローバル資本主義など考えてみただけでもおぞましい。それこそ本当の皇帝主義的帝国主義の復古主義的覇権主義以外の何ものだというのだろうか。対抗手段はあるのだろうか。その点について考えていこう。

BGM